第3話 倉庫を開けたら、問題が増えました
領民たちの視線は、予想以上に重かった。
期待というより、不安と警戒が絡み合った、長く裏切られてきた人間特有の目だ。希望を口にするのは、痛みを伴う行為だと知っている目。
私はその視線を正面から受け止めた。
「まず確認します。食料は、どこにありますか」
静まり返った中で、誰かが小さく息を呑んだ。
代官ハロルドが慌てて前に出る。
「そ、それは……倉庫に」
「案内してください」
「ですが、倉庫の管理は……」
歯切れが悪い。
私はそれ以上、問い詰めなかった。言い訳を聞く時間はない。
集落の外れにある倉庫は、外見だけは立派だった。
石造りで、鍵も頑丈そうだ。だが近づくにつれて、違和感が積み重なる。人の出入りが少なすぎる。足跡が新しくない。
鍵が開けられ、重い扉が軋む音を立てて開いた。
――空気が、澱んでいる。
中に入った瞬間、私は鼻を押さえた。
かびと湿気、そして腐敗の匂い。
「……」
松明の光が照らし出したのは、積み上げられた穀袋。
だが、よく見れば袋の一部は破れ、床には黒い染みが広がっている。鼠の気配も、はっきり分かる。
「これは……」
騎士の一人が絶句した。
私は無言で袋に近づき、指で軽く叩く。中身は粉状になり、指先にまとわりついた。
(管理されていない。完全に)
量だけ見れば、確かに備蓄は“あった”。
だが質は最悪だ。このままでは、食べれば腹を壊す。下手をすれば死者が出る。
「使えるものと、使えないものを分けます」
私は淡々と告げた。
「今日中に」
ハロルドが青ざめる。
「きょ、今日中ですか!?」
「ええ。時間が経てば経つほど、腐敗は進みます」
私は振り返り、集まってきた領民たちを見た。
「手伝ってくれる人を募ります。賃金は、食料で支払います」
ざわめきが走る。
金ではなく、食料。辺境では、それが一番分かりやすい報酬だ。
「嘘だろ……」
「本当に、もらえるのか?」
「今まで、そんな話は……」
私は一歩前に出る。
「条件は簡単です。正直に作業すること。隠さないこと。盗まないこと」
「……」
「守れない人は、最初から来なくていい」
少し、厳しすぎるかもしれない。
だが最初に線を引かないと、必ず崩れる。
沈黙の後、最初に動いたのは、年配の女性だった。
「……やるよ」
「ルーナさん……」
「どうせ、このままじゃ冬を越せない」
その一言が、空気を変えた。
一人、また一人と手が上がる。恐る恐る、だが確実に。
作業は、想像以上に過酷だった。
使える穀物は選別し、乾燥させ、再袋詰めする。腐ったものは廃棄。鼠の巣は徹底的に壊す。
途中で、私は気づいた。
(……量が合わない)
記録がないとはいえ、倉庫の規模から考えて、本来あるはずの量より明らかに少ない。
単なる腐敗だけでは説明がつかない。
私はハロルドを呼び寄せた。
「この倉庫、誰が管理していましたか」
「そ、それは……私が……」
「鍵は?」
「私と、もう二人ほどが……」
視線が泳ぐ。
十分だ。
「では、別の倉庫も確認しましょう」
「べ、別の?」
「ええ。帳簿がないなら、足で確認します」
結果は、さらに酷かった。
小倉庫の一つは空。もう一つは、半分が私的な物資で占められていた。明らかに、領民の備蓄ではない。
騎士の一人が低く唸る。
「これは……横流しでは」
ハロルドは、膝が震えている。
「ち、違います! これは、その……緊急時の……」
「緊急時に、なぜ鍵があなたの私室に?」
私は静かに問いかけた。
怒鳴らない。責め立てない。ただ、事実を並べる。
沈黙は、答えだ。
「処罰は、後で考えます」
私は言った。
「今は、領民を生かす方が先です」
ハロルドが信じられないものを見る目で、私を見た。
「……罰しないのですか」
「逃げるなら、今です」
「……!」
彼は唇を噛み、俯いた。
少なくとも、この瞬間に逃げなかったことだけは、評価する。
夕方、倉庫の前に、選別された穀袋が積み上がった。
量は少ない。だが、これで数日は持つ。
私は領民の前に立った。
「今日の作業分です」
配られる食料を受け取った人々の手が、震えている。
疑いと、戸惑いと、ほんの少しの安堵。
「……本当に、もらえた」
「減ってない……」
「奪われてない……」
小さな声が、さざ波のように広がる。
信頼は一日では生まれない。だが、不信は一度の裏切りで強化される。
だから私は、裏切らない。
夜、館に戻ると、身体の疲労が一気に押し寄せた。
椅子に座り、ようやく深く息を吐く。
(倉庫を開けたら、問題が増えた)
(でも……予想通り)
問題が見えるということは、手が打てるということだ。
机の上に、粗末な紙と炭筆を広げる。
私は、今日見たものをすべて書き出し始めた。
人口、推定。
食料、実数。
倉庫、場所。
管理者、名前。
帳簿は、今日ここから始まる。
窓の外では、辺境の夜が静かに更けていく。
寒さは相変わらず厳しい。
それでも。
この地獄には、ようやく“数字の入口”ができた。
――改革は、もう始まっている。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




