第26話 善意は、刃より鋭い
アデルハイトが滞在を始めてから、三日。
彼女は、客として扱われることを拒んだ。
護衛も付けず、案内も最低限。
その代わり、朝から晩まで現場を歩き回っている。
「……本当に、全部見せるのね」
倉庫で帳簿を覗き込みながら、彼女は感心したように言った。
「隠した方が、楽でしょうに」
「隠す必要がないから」
私は短く答えた。
善意でやっている改革は、隠したがる。
だが、仕組みで回っている改革は、隠す理由がない。
「人を、切らない」
アデルハイトは、作業場を見渡しながら言った。
「その代わり、遅い」
「ええ」
「正直、歯がゆいわね」
その評価は、正しい。
だから、私は否定しない。
「あなたのやり方なら」
彼女は続ける。
「短期的には、もっと利益が出る」
「でも、そうしない」
「しません」
私は頷いた。
「それは、次の人が壊すから」
彼女は、足を止めた。
「次の人?」
「私の後に、ここを回す人」
「……ミレイア?」
「ええ」
私は、遠くで帳簿を抱える彼女を見た。
「私より、向いています」
アデルハイトは、少しだけ黙り込んだ。
そして、静かに言う。
「あなたは、優しい」
「違います」
私は即答した。
「臆病なだけです」
善意は、刃より鋭い。
正しいと思った瞬間、人は簡単に人を切れる。
午後、問題は起きた。
「……西境から、正式な申し立てが来ています」
ハロルドが、書簡を差し出す。
内容は、簡潔だった。
――貴領の受け入れ基準は、不公平である
――改革失敗者を選別する行為は、人道に反する
アデルハイトが、苦笑する。
「……出たわね」
「ええ」
私は書簡を畳む。
「“善意”を盾にした圧力です」
全員を助けろ。
条件を付けるな。
成功例は、責任を負え。
美しい言葉だ。
そして――最も危険だ。
「どうする?」
アデルハイトが聞く。
「謝罪? 緩和?」
私は、首を振った。
「公開します」
「……公開?」
「この書簡も」
「受け入れ条件も」
「実際に受け入れた人数も」
彼女は、目を細めた。
「炎上するわよ」
「ええ」
私は淡々と答える。
「でも、事実は燃えにくい」
夕方、私は掲示板に新しい紙を貼った。
条件、数字、拒否した理由。
全部だ。
領民の中に、ざわめきが広がる。
だが、怒号はない。
「……分かる」
「無理なものは、無理だ」
それだけで、十分だった。
夜、執務室で、アデルハイトがぽつりと言った。
「あなた、嫌われ役を引き受けてる」
「ええ」
「どうして?」
私は、少しだけ考えた。
「誰かがやらないと」
「“優しい嘘”が、広がるから」
彼女は、しばらく黙っていた。
そして、低く笑う。
「……真似できないわ、それ」
「しなくていい」
私は答える。
「あなたは、あなたのやり方でいい」
善意は、刃より鋭い。
だからこそ――
私は、刃にならないことを選ぶ。
外では、焚き火が静かに燃えていた。
炎は、広がらない。
だが、消えもしない。
この改革も、同じだ。
ゆっくりと。
確実に。
次に試されるのは――
「正しさ」を巡る、言葉の戦いだった。




