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婚約破棄された悪役令嬢が、追放先の詰んだ領地を“現代的な内政改革”で再建し、 気づけば王国の生命線になっていた話   作者: 蒼井リリス


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第14話 前例という名の刃

 監査官は、昼過ぎに到着した。


 馬車は一台。

 護衛も最小限。

 だが、その存在感は、これまで来た王都の誰よりも重かった。


 集落の入口で馬車が止まり、ゆっくりと扉が開く。

 降りてきたのは、四十代半ばの男だった。


 背は高くない。

 派手さもない。

 だが、姿勢が崩れていない。


(……この人が、本命)


 私は直感した。


「王国監査院主席監査官、ヴィクトール・ラインハルトだ」


 名乗りは簡潔。

 肩書きを誇る様子もない。


「辺境伯代理、リリアーナ・フォン・グレイスです」

「存じている」


 それだけで、十分だった。

 彼はすでに、私の情報を一通り飲み込んでいる。


 視察は、淡々と進んだ。

 倉庫、作業場、修繕中の家屋、帳簿。


 彼は質問をほとんどしない。

 ただ、見る。

 測る。

 記す。


 善意も、敵意もない。

 だからこそ、厄介だ。


「……帳簿の形式が、中央規格と異なる」


 執務室に入って、最初に発せられた言葉がそれだった。


「承知しています」

 私は即答した。

「現場用として簡略化しています」


「理由は?」

「この領地では、規格通りの運用が現実的ではありません」


 ヴィクトールは、紙から視線を上げた。

 その目は、感情を映していない。


「現実的かどうかは、考慮事項ではない」

「……」

「前例があるかどうかだ」


 来た。

 これが、この男の刃。


「前例がないことは、悪だ」

「前例がないものは、管理できない」

「管理できないものは、危険だ」


 彼は、静かに続ける。


「私は善悪を判断しない」

「効率も見ない」

「見るのは、前例だけだ」


 代官ハロルドが、息を詰める。

 ミレイアは、無意識に帳簿を抱きしめた。


 私は、感情を表に出さなかった。

 ここで反発すれば、負けだ。


「では、お聞きします」

 私は一歩、踏み込んだ。

「前例がなければ、すべて否定されますか」


「否定はしない」

 ヴィクトールは即答する。

「是正する」


 是正。

 それは、破壊と同義だ。


「この領地の改革は、前例がありません」

「だから、是正対象になります」


 空気が、張り詰める。


 だが私は、頷いた。


「理解しました」

「……理解が早いな」


 彼の眉が、わずかに動く。

 初めての反応だった。


「では、前例を作ります」

 私は静かに言った。


 ヴィクトールが、私を見る。

 探るように。


「具体的には?」

「この改革を、“一時的特例”として扱ってください」

「期限付きで、監査対象下に置く」


 沈黙。


 それは、真正面からの反論ではない。

 制度の中での回避だ。


「前例ではなく、例外として管理する」

「例外は、前例にならない」

「だから、前例主義は壊れない」


 ヴィクトールは、しばらく考え込んだ。

 感情ではない。計算だ。


「……危険な提案だ」

「承知しています」

「前例を作らずに、前例を作る」


 彼は、ふっと息を吐いた。

 ほんの一瞬だけ、口元が緩む。


「君は、制度の内側で戦う人間だな」

「そうでなければ、生き残れません」


 彼は帳簿を閉じた。


「完全な是正は行わない」

 その一言に、部屋の空気が緩む。

「だが、条件がある」


「期限は三年」

「その間、定期監査を受け入れろ」

「結果次第では、即時是正」


 引き分けだ。

 完全勝利ではない。

 だが、潰されなかった。


「受け入れます」

 私は迷わず答えた。


 ヴィクトールは立ち上がり、最後に一言だけ残した。


「覚えておけ」

「前例にならない改革は、永遠に不安定だ」


 馬車が去った後、執務室には深い沈黙が残った。


「……勝った、のでしょうか」

 ミレイアが小さく聞く。


「いいえ」

 私は首を振る。

「生き延びただけ」


 だが、それで十分だった。


 帳簿の余白に、私は書き込む。


 ――王国監査院:特例指定(三年)


 この改革は、まだ宙に浮いている。

 だが、切り落とされなかった。


 前例という名の刃は、確かに危険だ。

 それでも――


 刃の内側に立つ方法は、存在する。


 嵐は去っていない。

 ただ、形を変えただけだ。


 次に割れるのは、外か、内か。

 それを決めるのは――

 ここから先の選択だった。


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