第11話 監査は、善意の顔をしてやって来る
王都の視察団が去ってから三日後。
辺境に、もう一つの“正式な書類”が届いた。
封蝋は王国監査院。
嫌になるほど、重たい。
私は執務室の机で、その文面を静かに読み下した。
「……やはり来たわね」
内容は、予想通りだった。
王国監査院による定期監査の実施。
名目は「辺境伯領の健全な財政運営の確認」。
文章は丁寧で、柔らかい。
善意と秩序の言葉で、隙間なく飾られている。
だが――。
(期限、七日)
(提出書類、中央規格)
(未提出の場合、是正勧告)
現場を知らない人間が作った規則の見本市だ。
中央規格の帳簿様式は、紙の質も、項目数も、この辺境では現実的ではない。
ミレイアが、私の表情をうかがう。
「……大変、ですか」
「ええ」
私は正直に答えた。
「でも、驚くほどではない」
彼女は少し安心したように息を吐く。
その反応を見て、私は気づく。
(ああ……私が“全部やる”と思われている)
それは、今まで必要だった。
だが、この先は違う。
「ミレイア」
「はい」
「帳簿の写しを、三種類用意して」
「三種類……?」
「現場用、提出用、保管用」
私は指を折る。
「現場は簡易でいい。提出用は形式を整える。保管用は、後で検証できるように」
彼女は目を見開いた。
「そんなに……必要なんですか」
「ええ。監査は、内容より形式を見るから」
前世の記憶が、嫌なほど役に立つ。
正しいだけでは足りない。
“正しく見える形”が必要だ。
その日の午後、私は代官ハロルドと主要な作業責任者を集めた。
例の椅子の足りない会議だ。
「王都から、監査が来ます」
私は隠さず告げた。
「目的は二つ。確認と、牽制」
ざわ、と小さな緊張が走る。
「怖がる必要はありません」
「ただし、“今まで通り”では通りません」
私は机に、書類の束を置いた。
「これから一週間、やることは三つです」
一、帳簿の整理
二、作業手順の明文化
三、責任者の明確化
「“誰がやったか分からない仕事”は、すべて否定されます」
「良くても、悪くても」
ハロルドが、ゆっくりと手を挙げた。
「……失敗した場合は」
「責任は、私が取ります」
私は即答した。
「ですが、作業は皆さんに任せます」
その言葉に、空気が一瞬、止まった。
「……任せる、とは」
「判断ではありません。実行です」
私は一人一人を見渡した。
「この領地は、私一人では回りません」
「だから、回る形に変えます」
それは、命令ではなく宣言だった。
会議の後、ミレイアが執務室に残った。
机の上には、帳簿と、白紙の紙。
「……少し、怖いです」
彼女は小さく言った。
「そうね」
私は頷いた。
「監査は、“正しくないもの”を潰すためじゃない」
「……?」
「“正しいけど、邪魔なもの”を潰すために来る」
彼女は黙り込み、それから炭筆を握った。
「……私、やります」
「ええ」
「失敗しても」
「失敗したら、直せばいい」
それだけでいい。
夕方、倉庫の前を通ると、領民たちはいつも通り作業していた。
監査のことなど、知らない。
だが、それでいい。
(現場は、現場のままでいい)
変えるのは、外に見せる“皮”だけだ。
夜、私は一人で書類を見直す。
提出期限まで、残り六日。
帳簿は不完全。
制度も未熟。
隙は、いくらでもある。
それでも。
(潰される前提で来るなら)
(潰されない形にするだけ)
私は、次の頁に小さく書き足した。
――制度化:最優先
監査は、善意の顔をしてやって来る。
だが、こちらももう――
無防備ではなかった。




