表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王の名前を  作者: あまやどり
終章 堕天大戦
PR
72/72

王の名前を

《馬鹿も休み休み言え愚妹。当人が知らぬ、現実に在り得ぬものを、どうやっ……》


 悪霊の王の言葉を途切れさせたのは、少女の頬を伝う涙だった。


「貴方の恨み憎しみの根源は、名前が無いことです」


 違和感はあった。指輪を手に入れ、堕天使を召喚しても、悪霊の眉間の皺は消えていなかった。本人は自覚してなくとも。復讐が本懐でないことを、妹は察したのだ。

 堕天使はおろか、万物にある名前が、彼には与えられなかった。「何者でもない」と言う蓮さえも持つものが。後世に自分を伝る名はなく、口に上ることも無い。


 今まで彼は、蓮を“下郎”、ソロモンを“愚妹”と称し、固有名詞で呼ぶことを避けてきた。名を持たぬ世界でただ一人の人間の劣等感故に。


「だから、わたくしが貴方に名前をつけましょう。悪霊の王ではない、わたくしの兄としての、古代イスラエル王の名前を。古式に則り、親であるダビデとバドから字を拝領しました」


 まるで戴冠の儀に臨むが如く厳かに、ソロモンは宣言した。


「今より貴方の名前は、“ダヴィニヤ”です」


 悪霊――ダヴィニヤに常に刻まれていた眉間の皺が消えた。汲み尽くせぬ井戸のように溢れ出していた憎悪が、急に枯渇したようだった。憑いていた怒りも憎しみも、彼を見捨てて去っていった。


《あぁ……そうか……》


 悪霊の王は初めて、己の求めていたものの存在と、それが手に入ったことを知った。


《俺が恥を晒してまで求めていたものは、これだったのか……》


 ダヴィニヤ、ダヴィニヤ、ダヴィニヤと、何度と無く反芻する。


「いかが?」


《…………良い名だ》


 指輪が自然に指を抜け、小さな音を立てて床に転がった。自身が、ダヴィニヤと云う名を正解と認めたからに他ならない。

 名を持たぬ亡霊に名付け、認めさせる。だがそれは計算や打算から発せられたものではない。


 妹は指輪には目もくれず、兄ダヴィニヤから目を逸らさなかった。


「古代イスラエル王の名に賭けて、全ての書物に兄ダヴィニヤの名を遺すことを誓います」


 だが兄は静かに首を振り、妹の宣誓を辞退した。


《名前を知る者がいる。それ以上は贅沢だ》



 険の取れた悪霊の王はひどく秀麗で、儚げに見えた。


《――やってくれ》


「で、ですが」


 妹は躊躇する。


《良いのだ。罪の清算はしなければならぬ。神に逆らいし永劫の地獄に堕ちるとも》


 強い決意を見て取り、妹は問う。これまで何度となく繰り返された言葉とともに。



「あ、悪霊、汝に問う。――汝の名は、ダヴィニヤであるか?」



《然り。我はダビデ王を父に持ち、バド・シェバを母に。そしてソロモンを妹とする長子、ダヴィニヤである!》



 名前を言い当てられた悪霊は、その力を失う。


「兄様……」


 最後に、妹の頭を撫でる。温かさも重さも感じない手に、少女は確かに意思を感じた。


《迷惑をかけたな、エディデア》


 未練が尽きたのか、亡霊の姿は光に包まれ、急速にぼやけてゆく。いつの間にか争いをやめ、こちらを見ていた団体の中の、ただ一人の人間を見つめる。


《居須磨蓮。まさか我が怨念を潰したのが、お前のような男とはな》


 台詞に反して憎悪も悔恨もない、むしろ楽しげな口調で背理に言葉を紡ぐ。


《指輪と妹を任せたぞ》


「え? ……あ、ああ」


 訳が分からないままに了解する。


《……さらばだ》


 そう遺して、姿は消滅した。六十余りの堕天使たちも、後に続くように還ってゆく。

見届けると、蓮の堕天使も帰還を始めた。


『余らの役目は終わりであるな』


 デカラビアが、


『まへっ、しょーがねえ。また使われてやっか』


 フォルネウスが、


『楽シメタゾ、戦友。次ノ戦場デ共ニ駆ケヨウゾ!』


 ハルファスが、


『ばべるノ塔以来ノ良イ余興デアッタ』


 ベリアルが、


『はてさて、これから指輪の主は2人ということになるのかのう?』


 アスモデウスが。


 思い思いの言葉を残し、味方した堕天使も消える。真鍮の指輪が輝き始めた。暖かな光が視界を埋め尽くす。その時連は、


よくやった(ヤシャール・コアハ)


という暖かな声を聞いた。先に、ソロモン王が来た際の【救え(ホー・シーアー)】と同じ人物の声。

 声の主が大天使ミカエルであり、救え、というのは悪霊の王のことだったのだろう、と今なら分かる。


次の瞬間には、元の神無市に戻っていた。2人は廃虚の病院の中にいた。

 蓮はソロモン王に近寄った。


「あいつ……名前が欲しかったのか。俺じゃあ絶対に救えなかったな」


 堕天使の軍勢を相手に一歩も退かなかった蓮だったが、真の解決は導き出せぬものだった。

 そこに、現実における自分の限界を見たような気がした。


「まあ、イデアが付けた名前を気に入ったんなら良かった良かった。お蔭で万事解決だ」


 内心の混乱を隠して努めて明るく少女に話しかける。

 だが妹は、つけたのが譬えどんな名であっても、兄は気に入ってくれたのではないかと思った。自分が兄の立場だったらそう考えたのではないか。


 その仮定は、非現実的なものではない。ただ、生まれてくる順番が逆でさえあれば、ソロモンは兄の境遇だったに違いないのだから。

 思いは言葉にはしなかった。現代人であり、巻き込まれただけの蓮に伝えても反応に困るだけだろう。彼に与えるものは別にある。涙を拭い、黒い指輪を拾った。少年に差し出す。


「これで、レンが正式な指輪の継承者です」


 だが少年は、それを拒絶した。


「駄目だよ。だって、決着をつけたのはイデアじゃないか。黒い指輪の主は君だ」


 断られるとは夢にも思っていなかったソロモンは慌てた。


「え? だってわたくしには資格が……」


「それを言うなら、俺だってニアピン賞で貰ったんだから、正統じゃない。多分さ、君は資格を取り戻したんだよ。だから指輪が還ってきた。それでいいんじゃないかな」


 言いたいことが正確に伝わったかどうかは分からない。だが確かに、ソロモンは失っていた時間が戻ってきたように感じていた。


「……そうですわね。そう思うことにいたしましょう」


 素直に了解し、指輪を填める。指輪は大人しく収まり、拒否することはなかった。


「さあ! 後始末を始めますわよ! 堕天使を扱き使ってやりますわ。レンも指輪の所有権者なのですから、キリキリ働きなさい!」


「おいおい、また堕天使たちに恨まれるぞ」


 蓮は苦笑しながら頷いた。




「さすがに、無い名前を当てることはできないワケ」


 いったいいつから息を吹き返し、傍観していたのか。三船玲が苦笑交じりに呟いた。



* * * * *



「ふああ……」


 蓮はリビングで起床した。のそのそと服を着替える。


「外が暗いな。今日は曇りか」


 カーテン越しに光が入ってこないのを見て呟く。今までは「本の棺桶」の暗さにも不満はなかったのだが、いつの間にやら起きて陽の光を浴びるのが習慣になっていた。ソロモンがいなくなり、部屋が空いた現在も続いている。机には閉じられたままの本。


「……ほとんど読まなかったな」


 疲れていたせいもある。だが最大の要因は、本から先に進もうと考えたからだった。決定的だったのは、少女が兄に名前をつけてみせたこと。

 最後にものを言ったのは知識でも知恵でもなく。心だった。



「俺もあんな風になれるのかな」


 右手の真鍮の指輪を見て呟く。結局、この指輪を受け取ることをソロモン王は固辞した。




『早いであるな』


 デカラビアがゲームをしていたが、幾分退屈そうだ。協力者の少女はもういない。


「どうせ不老なんだから、ゆっくりしていけば良かったのに」


 あれからソロモンは堕天使を使って街を修復して回った。

 モラクスという堕天使が、口から何でも出して直してしまった。ぶよぶよの白いゼリーのようなものを吐き出すと、それが思い通りの物質になるのだと言う。“万能芽”とか言っていたが、詳しいことは分からなかった。そして事実、本棚や車、ビルに至るまで簡単に修復してしまった。

 

 だが、超常ではあっても神ならぬ者の所業。失った命は戻らない。昨日の死者223人は、事故の犠牲者として記憶を改ざんしたらしい。その中には、白谷などの知り合いも含まれる。死んだ者には気の毒だが、あの規模の苦難にしては奇跡的に少ない犠牲者だったと言える。


 磯蔵詠は例外だった。バエルとなって新たな命を得た彼女は、“磯蔵詠”として生活することを選んだ。どこにでも存在できる彼女は、その特異な力故に人間と変わらぬ生活ができるだろう。指輪の力を使えば、バエルの力を制限することはできる。だが、悪用はしないだろう。


――明日は自分の足で学校へ行ってみようか。


 そう言う詠はどこか晴れ晴れとしていた。堕天使となった詠がどのくらい生きるのか、どのような生涯を送ることになるのか、まだ分からない。だが、トラブルがあれば手助けするつもりでいる。



 ソロモンは昨日の内に“やることができた”と言い残して帰っていった。蓮はとことん付き合うつもりだったので、(いささ)か拍子抜けしてしまった。


「せっかく現代に興味を持ってたのに。第一どこに“帰る”ってんだ」


 指輪は彼女を過去に送還しなかった。ソロモン王は現代に取り残される仕儀となったわけだが、少女に落胆している様子は見られなかった。



 嵐のような一日が去り、平凡で平穏な日常が戻ってきた。埋没していると、右手に鈍く光る品さえなければ、あの出来事は夢ではなかったかとさえ疑いたくなってくる。


「まあ、自分から変わっていくしかないよな。世界がそうそう変わるわけ無いんだから」


 来週、両親が戻って来る。多数の死者を出したニュースに腰を抜かし、「もう1人暮らしはさせておけない」とのお達しだった。いずれにしろ、ソロモン王を匿っておける猶予はもうなかった。




「いってきます」


 傘を手に、玄関を出る。


「雨が降ったら、また湿度が……」


 家を出てすぐ、異変に気づいた。家の横に見慣れぬ建造物がある。住宅地にあるとは思えないほど巨大なそれは、イスラエル風の建築様式で、家と言うよりも宮殿だった。噴水が涼しさを演出し、門は豪華なアーチ状、バラのガーデンもある。そこだけ日本から切り取られたような具合だった。


 天気は快晴である。暗かったのは曇っていたからではなく、隣の大きな建物のせいで陽が差し込んでいなかったからだった。心当たりは一人しかいない。


「遅いですわよ、レン!」


 謂われなく叱咤したのは、得意顔で仁王立ちする少女。隣にはどこかで見覚えのある白馬がいる。


「これは、何やらかした?」


 帰ってきたのなら家に入ればいいのに、と思っていると、


「1つの良い報せと1つの悪い報せがあります」


いつもの言い回し。


「じゃ、じゃあ、良い報せから」


「遷都いたしました。わたくしは今日よりレンのお隣さんです」


 大仰な用語を持ち出す古代イスラエル王。


「本当はこの三倍ぐらいゆとりのある宮殿が欲しかったのですが」


 無茶を言う少女。ふと、連は気づきたくなかった疑問に行き着いてしまった。


「昨日の今日でどうやって不動産なんか取得したんだ」


 百歩譲って時間に余裕があったとしても、この文字通り浮世離れした少女に、煩雑な土地の売買ができたとは思えない。ソロモンは黒い指輪をかざしてみせた。


「シトリーに記憶の改竄をしてもらいました。元の土地の持ち主には、キチンと対価を払っていますわよ。昨日隠し離宮の幾つかを回って、金品を回収しましたから」


 そそくさと姿を消したのは、これの準備のためだったらしい。


「指輪の力をそんなことに使っていいのか?」


「良いに決まってます。真鍮の指輪の持ち主として、レンを正しく導くと兄様に約束したのですから!」


「いや、あれは手のかかる妹を任された気分だったんだが……」


 受け取り方が正反対だったようだ。



「じゃ、悪い方は?」


「肝心の、報酬に約束していた(キレク)ですが。隠し離宮の魔術的防衛が思いのほか強固で突破できません」


 思い出す。ソロモンを匿う際、離宮に隠した古書を幾つか譲り受ける約束をしていた。


「そんなの、いつでもいいけど」


「いいえ、契約の遅滞は魔術師の沽券に関わります! さあ行きましょう!」


 いきなり手を差しのべた。強引に馬に乗せる。


「ま、待て待て! 今からか? 平日だぞ? それにパスポートだって持ってない……」


「セーレーの馬ならば、空も国境もありません!」


 馬は空高く舞い上がる。


「まったく。その離宮とやら、強力な罠でも仕掛けてたのか?」


「はい。あの隠し離宮は、若気の至りで少々魔術的防衛に力を入れ込みすぎて。守護者に据えた“アルス・ノヴァ”が本気を出したら、大地の半分が消し飛んでしまいます」


「……途中下車したいんだけど、いいか?」


「心配無用、わたくしとレンが揃えばできないことなどありませんわ!」


 楽しくて仕方ない様子の古代イスラエル王。


「まだ騒がしい日が続きそうだなあ。それもいいか」


 蓮はこの王様に振り回されることを楽しもうと決めた。





「大事なことを忘れておりました。レンの魔術名を決めなければ!」


 魔術師は“ソロモン”などのように二つ名を持ち、契約などの際にはそちらの名前を使用する。時と場合によっては本名よりも重要な意味合いがあった。


「いや、別にいいよ。素人だし」


 指輪から「借り物」の知識を得たに過ぎない蓮としては、魔術師を名乗ることに抵抗があった。


「神より遣わされし指輪の持ち主が、適当をしてはいけません。神罰が下りますわよ」


 あながち誇張でもない。




「わたくしが考えて差し上げますわ。優雅で力強くてレンに相応しい、次期魔術王の名前を(・・・・・)!」




これにて完結です。読んでくださった方、ありがとうございました(/・ω・)/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ