堕天大戦
「名前が、ない?」
蓮の解答はソロモンの範疇に無いものだった。
「自信満々の悪霊の態度を怪しく感じてた。それで思ったんだ。元から“名前なんて存在しない者”じゃないかって。インチキ、“捨て問(出題者が解かせる気のない問題)”なんだよ」
謎解きをする。
「で、でも、名前がないなんて……」
《グ、オオオ!》
悪霊が絶叫する。
「いるじゃないか。名前もつける前に亡くなった悲運な子が」
「……あ、ああっ!」
思い至る。彼女が生まれる前に、理不尽な理由で殺された者の存在を。
「そう、ダビデ王とバド・シェバとの間に生まれた第一子。生まれてすぐ神罰によって殺された、ソロモン王の実兄だ」
ダビデ王は家臣であったウリヤの妻バド・シェバに一目惚れする。彼女を手に入れるために夫ウリヤを死地に赴かせ、目論見通り戦死させた。
神はこの不義を許さなかった。神罰を下し、生まれた子どもはすぐに殺されてしまう。予言者ナタンに糾弾され、ダビデは自らの行いを悔やむことになる。その後に生まれたのがソロモンである。
「わたくしの、兄さま……?」
「悪霊が“返せ”って言ったのが気にかかった」
「寄越せ」でなく「返せ」。それは、古代イスラエル第三代王の「地位」ではないかと推察した。本来の継承者が本来は自分にあると思い込んでいるからこそ出た言葉。
「先に生まれたのは自分だ、って言いたいのかなって」
「そんな小さな言葉から……」
バエルと契約する前に、黒猫は確かに言った。
――王の言う“カアナンの王”ならば、あの悪霊の王とやらも恐らくはそうであろう。
その言に間違いはなかったのだ。
《グウゥウウ》
真黒だった悪霊に、顔が浮かび上がる。現れたのは、細面で線の細い、王族の紋章を象ったローブを纏う青年だった。繊細そうな顔の眉間に、深い皺が刻まれている。
「あ、兄上? ですが、わたくしは兄上に恨まれる筋合いは……」
憎悪一色で染まった瞳が、妹を睨みつけた。
《なぜだ! 私は、父の咎のせいで何の罪も無く罰せられた。同じ不義の子であるお前は預言者と指輪を遣わされ、異母兄であるアドニアさえも打ち破って王位を手にした。賢者の妹と、名も与えられなかった兄。なぜ、これほどの差がある。なぜ……》
だからこそ、自身を「悪霊の“王”」と名乗った。
直接害したわけではなくとも、恨まれることはままある。ソロモン王が数奇な運命を辿った尊き者ならば尚更。
怨嗟の声をあげる。その怒りは正統なもので、彼は非なくして咎を科された被害者だった。
バキン、と音が響いた。見れば、指輪に亀裂が入っている。
「こ、壊れた?」
「いえ、違います」
ソロモンの指輪は、元来黒い指輪と真鍮の指輪の2つが絡まり合ってできている。それが分離したのだ。
真鍮の指輪は悪霊の元を飛び去り、蓮の指に収まった。右手の人差し指、木星環に。
「片方だけ? ってことは」
「半分正解、という審判ですわね」
なぜか、ソロモンは妙に冷静だった。
指輪を通して、急激に知識が流れ込んできた。但しそれは森羅万象という規模でなく、魔術に限られたものであったが。
真鍮の指輪は善性の堕天使を、黒の指輪は悪性の堕天使を使役する。
「……こりゃあ、とんでもない代物だ」
流れ込んでくる知識と無尽蔵の魔力に蓮は驚嘆する。
「これで、ようやく互角かな、悪霊さん」
《くっ! 侮るな下賤が!》
黒の指輪の力で、堕天使を呼び寄せる。豹の頭、グリフォンの翼を持つシトリー。巨木をもひと噛みで食い千切るであろう大顎の鰐サレオス。緑の服を着て、巨大な弓を携えた狩人バルバトス。ドラゴンに跨る秀麗な美青年であるアスタロト。その他諸々。錚々たる顔ぶれである。
だが、条件は同じ。
「ティファレトからゲブラー、ホドよりイエソド、ネツァクよりゲセド、中央にコクマー並びにビナー。印章は“ダビデの星”! 契約を成せ!」
蓮は、指輪が大いなる“門”であることを理解した。真鍮の指輪に応えるは、善性なる堕天使。
《いかん! 奴を止め……》
蓮の叫びが重なった。
「招聘する! “星辰の堕天使”デカラビア! “城塞の悪魔”ハルファス! “銀影の翼魚”フォルネウス! “予見の毒蛇”ボディス! “願いの王子”セーレー! “堕ちたる太陽”アモン! そして……“最古の王”アスモデウス! ――! ――!」
次々と召喚する。
――閃光の後には、陣容が整っていた。
星を象った異形は、“星辰の堕天使”デカラビア。
『ヒャッハー!』
デカラビアが奇声を上げる。
『ついに指輪の主となりおったか、小僧』
「半分だけな」
真鍮の指輪を見せる。
ハルファスはアティルト界で見たときのように、大きな姿で鳥打帽を被った姿だった。
『サア共二闘オウゾ、戦友!』
野鳩の堕天使は歓喜に打ち震え、高らかに舞い上がる。
「味方にいてくれると頼もしいね」
空を泳ぐ青き鮫は、“銀影の翼魚”フォルネウス。
「オマエ、ホントに善性だったのな」
『こきゃあがれ、今回だけ使われてやるぜ!』
“予見の毒蛇”ボディスは5メートルほどの体長になっており、赤い剣を咥えている。
「詠さんが引き合わせてくれた縁だ。1つ頼むよ」
『人を故人のように言わないでくれ給え』
隣でバエルがぼやいたのは冗談だろうか。毒蛇は僅かに頭を下げた。
“最古の王”アスモデウスは老人の姿は同じだったが、ドラゴンに乗っていた。
『いやはや、王でなくお前に召喚されるとはの』
言いつつも、満更でもなさそうな老人。
「今日のところは俺で我慢してくれ」
他にも、天馬に搭乗した貴族然とした佇まいの青年は、“願いの王子”セーレー。
牙を備えた梟で、翼に剣呑な刃を一対とりつけているのは、“堕ちた太陽”アモン。
等々。
他神教においては創造神、太陽神と伝えられる大物たちも多数いる。
「いままで散々振り回されたんだ。いっちょう派手な“堕天大戦”で幕引きといこうじゃないか」
居須磨蓮は不敵に微笑んだ。




