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朝倉詩音の怪異録〜大学編〜  作者: ゆるっとおやじ


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7/33

夏休みに帰る場所

七月になった。

期末試験が終わって、夏休みが始まった。

大学の夏休みは長かった。八月の終わりまで、授業がない。

最初の一週間、俺は祖母の家でぼーっとしていた。


課題はあった。でも急がなくてよかった。

久しぶりに、何もない時間だった。

七月の第二週、朝倉から連絡が来た。

凛から連絡が来た

何て

夏休みに会いたいって。木下さんから記録のコピーが届いたから、一緒に読みたいと


木下さん、本当に送ってきたのか

送ってきた。丁寧な手紙と一緒に

凛はどう思ってたんだ

泣いてたって。嬉しくて

俺は少し微笑んだ。

いつ会うんだ

来週末はどうかって。湊も来られる?

行く

じゃあ三人で、高校に行こうと思う

高校に?

卒業してから、まだ行ってない。橘さんの鶴もある。一度、ちゃんと帰りたい

週末、三人で集まった。

高校の最寄り駅で待ち合わせた。


凛が走ってきた。

「先輩たち、久しぶりです!」

凛は少し背が伸びていた。髪も少し長くなっていた。でも笑顔は変わらなかった。

「元気そうだな」と俺は言った。

「元気です!大学生活、どうですか」

「いろいろあった」と朝倉が言った。

「怪異ですか」凛は目を輝かせた。

「そう」

「やっぱり!先輩たちの周りには絶対出ると思ってました」凛は嬉しそうに言った。「あとで全部聞かせてください」

「長くなるぞ」と俺は言った。

「長くても聞きます」


三人で高校に向かった。

夏休み中だから、生徒はいなかった。でも校門は開いていた。

校庭に入った。

懐かしかった。

四ヶ月しか経っていないのに、遠い昔のような気がした。


「変わってないな」と俺は言った。

「変わってない」朝倉は校舎を見た。「でも——軽い。前より軽い気がする」

「全部送ってあげたから」と凛が言った。

「そうだな」


田村先生がいた。

校庭の隅で、プランターに水をやっていた。俺たちに気づいて、ホースを置いた。

「来たか」先生は言った。

「呼ばれた気がしたので」と朝倉が言った。

「呼んでいない」先生は苦笑いした。「でも——来ると思ってた」


四人で山に登った。

夏の山だった。蝉が鳴いていた。緑が濃かった。

瀬戸神社の境内に入った。

台座に、御神体が三つ。そして橘さんの赤い鶴。

変わらずに、そこにあった。

凛が台座の前にしゃがんだ。

「橘さん、また来ました」凛は静かに言った。「元気にしていますか」

風が吹いた。

境内の木が揺れた。

「元気そうだ」と朝倉が言った。


「見えるか」と俺は聞いた。

「見えない。でも感じる」朝倉は台座を見た。「穏やかだ。とても穏やかな気配がある」

田村先生が台座の前に立った。

「橘、久しぶりだな」先生は静かに言った。「俺は元気にしてる。心配するな」

風がまた吹いた。

今度は長く、温かい風だった。

山を下りながら、凛が木下さんの手紙の話をした。


「丁寧な字で書いてあって——水無瀬家の記録の内容を、全部書き写してくれていた」凛は言った。「最初に謝罪が書いてあって、それから記録の内容が続いていた」

「読めたか」と朝倉が聞いた。

「読めた。難しい言葉もあったけど——なんか、体が覚えてる感じがした。水無瀬家の血が」

「そういうものだ」朝倉は静かに言った。

「木下さんに、返事を書いた」凛は言った。

「何て書いたんだ」と俺は聞いた。

「ありがとうございます、と。それと——水無瀬家の記録は、守る人間がいる限り続いていきますって」


朝倉が凛を見た。

「凛、いいことを言うな」

「朝倉先輩に言われたことを、思い出しながら書いた」凛は照れた顔をした。「先輩が、記憶は覚えている人間がいる限り続くと言ってたから」

「いつそんなことを言ったんだ」

「ピアノの儀式の前の日」凛は笑った。

「覚えてないんですか?」


「覚えてない」

「ちゃんと覚えてますよ。私は」凛は胸を張った。「先輩の言葉、全部ノートに書いてある」

朝倉は少し驚いた顔をした。

「全部?」

「全部。先輩はいいことをよく言うので」

朝倉は顔を赤くした。


「そんなこと、しなくていい」

「嫌です。大事なことばかりだから」

俺は笑った。

「凛、朝倉のノートを作るのか」

「もう作ってます。三冊目です」

「三冊も」

「先輩は毎回、いいことを言うので」

朝倉は真っ赤になって前を向いた。


「歩くぞ」

「恥ずかしいんですか」凛は楽しそうに言った。

「歩くぞ」

校舎に戻って、田村先生が部屋に通してくれた。

旧校舎の和室だった。

四人で座った。

先生がお茶を出してくれた。

「今年の生徒の話、したいことがある」先生は言った。


「鋭い生徒がいるって話ですね」と朝倉が言った。

「そうだ。声をかけてみた。怪異が見えるのかと聞いたら——見えると言っていた」先生は湯飲みを持った。「一人だと怖いと言っていた。でも誰に話せばいいか分からなかったと」

「先生が声をかけてくれたんですね」と凛が言った。

「そうだ。隣にいると伝えた」先生は俺たちを見た。「お前たちがいなければ、私も誰かの隣にいることの大切さを分かっていなかった」

「先生も、ちゃんと誰かの隣にいられるようになったんですね」朝倉は静かに言った。

「そうかもしれない」先生は少し照れた顔をした。「二十五年かかったが」

「遅くない」と凛が言った。「気づいたときが、始まりだから」


先生は凛を見た。

「お前は、しっかりしているな」

「水無瀬家の血です」凛は笑った。

夕方、帰り支度をした。

校門の前で、四人で立ち止まった。

「また来ます」と朝倉が言った。

「待ってる」先生は言った。

「冬休みにも来ます」と凛が言った。

「来い」先生は頷いた。「北川さんと木下も、今度一緒に来ると言っていた。お前たちとも、ちゃんと会わせたい」

「会いたいです」と朝倉が言った。

「じゃあ、冬休みに集まろう。みんなで」


先生は校舎に戻っていった。

その背中を、三人で見送った。

「先生、変わったな」と俺は言った。

「変わった」朝倉は頷いた。「でも先生らしさは変わってない」

「先生らしさって何ですか」と凛が聞いた。

「まっすぐなところ」朝倉は静かに言った。「どんなときも、まっすぐだった」


駅に向かう道を、三人で歩いた。

夏の夕暮れだった。

蝉が鳴いていた。


凛が言った。

「高校に戻ってきて、どうでしたか」

「懐かしかった」と俺は言った。

「怪異は感じましたか」

「感じなかった。穏やかだった」

「よかった」凛は空を見た。「帰るたびに、穏やかになっていくといいな」

「そうだな」


凛が朝倉を見た。

「朝倉先輩、今日は穏やかな顔をしてますね」

「そうか」

「いつもより、ずっと柔らかい」凛は言った。「高校にいた頃より、柔らかくなった」

朝倉は少し考えた。


「大学に来てから、少し変わったのかもしれない」

「何が変わったんですか」

「一人じゃなくなった、のが——また確かになった気がする」朝倉は俺を見た。「高校のときから一人じゃなかったけど、大学に来て——もっと確かになった」

「桐島先輩がいるから?」凛はニコニコした。

「そう」朝倉はあっさり言った。

凛が俺を見た。

「桐島先輩も、変わりましたよ」

「俺が?」

「高校に来た頃は、どこか余所余所しかった」凛は言った。「でも今は——ここにいる感じがする。この土地に根ざしてる感じ」

俺は少し考えた。


「この土地に来て、いろいろあったから」

「この土地が、先輩を受け入れたんだと思います」凛は静かに言った。「最初は転校生だったけど、今はもう——この土地の人だ」

俺は空を見た。

夕暮れが、オレンジ色に染まっていた。


「そうかもしれないな」

駅で、凛と別れた。

「また冬休みに」凛は手を振った。

「ああ。それまでに、また怪異が出たら連絡してくれ」と俺は言った。

「出たら連絡します」凛は笑った。「でも先輩たちの方が多そうだ」

「それはどうかな」

「絶対多い。二人の周りには集まってくるから」凛は電車に乗りながら言った。「またね、先輩たち。お幸せに!」

ドアが閉まった。

電車が動き出した。

ホームに、二人が残った。


「お幸せに、か」と俺は言った。

「凛らしいな」朝倉は言った。

「幸せか、今」

朝倉は少し考えた。

「幸せだと思う」

「思う、か。確信は?」

「確信がないから、毎日確かめる」朝倉は俺を見た。「湊と一緒にいると、幸せだと感じる。それが毎日あるから——幸せだと思う」

「回りくどい言い方だな」

「正確に言おうとすると、回りくどくなる」

「俺はもっと単純だ」

「単純に言えるのか」

「幸せだ。詩音と一緒にいると」


朝倉は少し目を細めた。

「湊はいつもそういう言い方をする」

「単純だから」

「単純じゃない」朝倉は静かに言った。「単純に見えて、ちゃんと考えてる。それが湊だ」

俺は朝倉を見た。

「詩音もちゃんと分かってるじゃないか」

「一年半、隣にいたから」

「これからも隣にいる」

「知ってる」

「詩音も、隣にいてくれるか」

「いる」朝倉はあっさり言った。「どこにでも」


次の電車が来た。

二人で乗った。

並んで座った。

朝倉が窓の外を見た。

「高校に戻って、よかった」朝倉は言った。

「そうだな」

「怪異がなくて、ただの夏の学校だった。でも——全部が、あそこにある気がした」

「全部?」

「怪異に向き合ってきた全部が。橘さんも、白哉さんも、広斗くんも、田村先生の二十五年も」朝倉は窓に映る自分の顔を見た。「全部が、あそこにある。でも重くない。軽い。思い出として、ちゃんとそこにある」

「大事にしているからだろ」

「そうだと思う。大事にしているものは——重くならない。軽くなる」朝倉は俺を見た。「地下のものの記憶も、最近少し軽くなった。大事にしているから、重くならなくなった」

「よかった」

「うん」朝倉は前を向いた。「よかった」


朝倉の最寄り駅で降りた。

一緒にアパートまで歩いた。

夏の夜が始まっていた。

蝉が鳴いていた。遠くで花火の音がした。

「花火、どこかでやってるな」と俺は言った。

「近くで夏祭りがある」朝倉は言った。「先週、チラシが入っていた」

「行くか」

「行く?今から?」

「近いんだろ」

朝倉は少し考えた。


「……行く」

夏祭りは、アパートから歩いて五分の神社でやっていた。

小さな神社だった。露店が並んで、浴衣の人たちが歩いていた。

二人で並んで歩いた。


焼きそばを買った。綿菓子を買った。

普通の夏祭りだった。

怪異の気配は、全くなかった。

「普通だな」と俺は言った。

「普通だ」朝倉は綿菓子を食べながら言った。「普通の夏祭りだ」

「嫌じゃないか」

「嫌じゃない」朝倉は少し笑った。「むしろ——好き」

「普通の夏祭りが?」

「普通の夏祭りを、湊と歩いているのが」朝倉は前を向いた。「怪異のない夜も、怪異がある夜も——どっちも好き。湊と一緒なら」

俺は朝倉の横顔を見た。

提灯の光が、朝倉の顔を照らしていた。


「詩音」

「何?」

「きれいだ」

朝倉が止まった。

「今、何て言った」

「きれいだと言った」

「突然すぎる」朝倉は少し顔を赤くした。

「突然じゃない。ずっと思ってた」

「ずっと?」

「高校のときから」

 朝倉は綿菓子を持ったまま、動けなかった。

「提灯の光が、よく似合ってる」俺は言った。

「……湊は」朝倉は静かに言った。「本当にずるい」

「ずるくない」

「ずるい。さらっと言う」

「本当のことだから」

「毎回それだ」

「毎回本当のことだから、仕方ない」

朝倉はまた歩き出した。


でも今度は、俺の手を握った。

「歩くぞ」

「ああ」

祭りが終わった後、アパートの前で別れた。

「今日、楽しかった」朝倉は言った。

「ああ」

「高校に帰って、祭りに来て——いい夏休みの始まりだ」

「この夏、また怪異が出るかもしれないぞ」

「出るかもしれない」朝倉は頷いた。「でも今日みたいな日も、きっとある」

「怪異がない日も、一緒に過ごせるな」

「一緒に過ごす」朝倉は静かに言った。「怪異があってもなくても」

「約束か」

「約束だ」


朝倉は部屋に入りかけて、振り返った。

「湊、さっきの——きれい、って言ってくれたこと」

「ああ」

「嬉しかった」朝倉は小声で言った。「びっくりしたけど、嬉しかった」

「また言う」

「また言うのか」

「機会があれば」

「機会を作るな」朝倉は少し笑った。「おやすみ、湊」

「おやすみ、詩音」


帰り道、俺はスマホを見た。

朝倉からメッセージが来ていた。

今日、本当によかった

ああ

高校も、山も、祭りも

全部よかった

湊

何だ

夏休み、まだ長い

そうだな

またいろいろしよう

怪異以外でも?

怪異以外でも

俺は少し笑った。

どこか行きたいところはあるか

海

海か。行こう

砂浜を歩きたい

歩こう

二人で

二人で行く

少し間があった。

楽しみ

俺も


おやすみ

おやすみ、詩音


夏休みが、始まったばかりだった。

海に行く約束ができた。

怪異が出るかもしれない。

でも怪異が出ない日も、ある。

どちらも、詩音と一緒だ。

それで——十分すぎるくらいだった。

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