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朝倉詩音の怪異録〜大学編〜  作者: ゆるっとおやじ


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3/31

地下に家があった

翌朝、守衛さんに頼んだ。

三号館の地下倉庫に入りたい、と言うと、守衛さんは昨日より素直に頷いた。

「旧閲覧室のことを調べているんですね」守衛さんは言った。

「はい」と朝倉が言った。

「十年間、誰も解決できなかった。あなたたちに何かできるとは思えないけど——」守衛さんは鍵束を取り出した。「止める理由もない」


地下への鍵と、旧閲覧室の鍵を、また貸してくれた。

「気をつけてください」守衛さんは言った。「地下は暗くて、足元が悪い。それと——」

「それと?」と俺は聞いた。

「地下に降りると、妙に静かになります。外の音が全部消えたみたいに」守衛さんは少し声を落とした。「昔からそういう場所で、大学が建つ前からそうだったと聞いています」


三号館の地下への入り口は、一階の隅にある重い扉だった。

鍵を開けて、中に入った。

コンクリートの階段が、暗い下に続いていた。

スマホのライトをつけた。

二人で降りていった。

守衛さんの言う通り、降りるにつれて静かになった。外の音が消えて、自分たちの足音だけが響いた。


「静かだな」と俺は言った。

「静かだね」朝倉は言った。「でも——高校の地下と違う。怖い静かさじゃない。むしろ」

「むしろ?」

「守られてる感じ」

地下は広かった。

倉庫として使われているらしく、段ボールや古い机が積まれていた。でも奥に進むほど、荷物が減っていった。


一番奥に、空間があった。

何も置かれていない、小さな空間。コンクリートの床に、何かの跡があった。木の枠が嵌められていた跡。四角い、小さな跡。

「祠があった場所だ」と朝倉が言った。

「今はどこにあるんだ」

朝倉がライトで周りを照らした。

壁際に、布が被せてあるものがあった。

近づいて、布を取った。

祠だった。

写真で見たものより、小さかった。でも状態は悪くなかった。木が少し乾燥しているけど、壊れていない。扉に、鏡と同じ文様が彫ってあった。


「これだ」朝倉は祠の前にしゃがんだ。「丁寧に作られてる。誰かが大切にしていた」

「扉を開けていいか」と俺は聞いた。

「開けよう」

朝倉が扉を開けた。

中は空だった。

何も置かれていない、小さな空間。

「御神体が外に出されたから、空になったんだ」と俺は言った。

「そう。鏡がここに戻れば——」朝倉は立ち上がった。「女の子の家が、戻る」


問題は、鏡を動かすことだった。

旧閲覧室の鏡は大きくて重い。それに触れると、記憶に影響が出る可能性がある。

「どうやって運ぶんだ」と俺は言った。

「触れなければいい」朝倉は考えながら言った。「布で包めば、直接触れなくて済む」

「でも鏡を動かした瞬間、女の子が反応するかもしれない」

「反応するのは想定内だ。でも——私が先に話せば、怒らないと思う」朝倉は旧閲覧室の方向を見た。「あの子は怒っていない。ただ困っている。説明すれば、分かってくれると思う」

「確信はあるか」

「ない」朝倉は正直に言った。「でも——お前が隣にいるから、大丈夫だと思う」

「根拠が俺なのか」

「一番確かな根拠だ」

俺は何も言えなかった。


四階に上がった。

旧閲覧室の前に立った。

鍵を開けた。

扉を開けた。

薄暗い部屋。埃。大きな鏡。

鏡の中の女の子が、すぐに現れた。

俺たちを見た。昨日より、近くに来ていた。鏡の奥ではなく、鏡の表面近くに立っていた。


朝倉が前に出た。

「昨日、約束した通り来ました」朝倉は静かに言った。「あなたの家を、見つけた」

女の子の目が、変わった。

「地下にある。祠が、まだある。傷んでいない。あなたを待っていたみたいに」

女の子は動かなかった。

「この鏡を、祠のそばに運びたい。一緒に帰れるように」朝倉は続けた。「少し動かすとき、怖いかもしれない。でも——捨てるわけじゃない。家に連れて行く。


女の子は少し考えるように、首を傾けた。

それから、小さく頷いた。

布を用意していた。

朝倉が持ってきた、分厚い布だった。

「これで包めば、触れなくて済む」朝倉は言った。

「重さは大丈夫か」と俺は言った。

「二人でやれば」


俺たちは布を広げた。鏡の両端に回した。直接触れないように、慎重に。

持ち上げた。

重かった。でも持てた。

鏡を動かした瞬間——部屋の空気が変わった。

低い音が来た。昨日より大きかった。壁が振動した。


でも朝倉が言った。

「大丈夫。今連れて行く」

音が、収まった。

女の子が、鏡の中で俺たちについてくるように動いた。


階段を降りた。

重かった。腕が痛かった。でも止まれなかった。

地下に着いた。

奥の空間に向かった。

祠の前に、鏡を立てかけた。

ちょうど収まった。祠と鏡が、並んで立った。

同じ文様が、向かい合う。

その瞬間、光が来た。

地下なのに、光が来た。

どこからか分からない、温かい光。


祠の扉が、自然に開いた。

鏡の中の女の子が、光の方を向いた。

表情が変わった。

ずっと困っていた顔が——やっと、緩んだ。


朝倉が小声で言った。

「帰っていい。ここがあなたの家だから」

女の子が朝倉を見た。

それから、俺を見た。

口が動いた。

声は聞こえなかった。でも朝倉が言った。

「ありがとう、と言ってる」


女の子は祠の方を向いた。

一歩、踏み出した。

光の中に、入っていった。

鏡の表面が、一瞬だけ白く光って——

静かになった。

地下が、静かになった。

さっきまであった低い音が、完全に消えていた。

鏡を見た。

普通の鏡だった。

俺たちが映っていた。埃っぽい地下に立っている、二人の大学生が。


「終わったか」と俺は言った。

「終わった」朝倉は鏡を見た。「女の子が、祠に帰れた」

「神社が焼けてから、ずっと待ってたのか」

「そう思う。戦争が終わって、何十年も経って——やっと帰れた」朝倉は祠を見た。「遅くなってごめん、と言いたい」

「言えばいい」

「うん」朝倉は祠に向かって、小さく頭を下げた。「ごめんなさい。遅くなって」


地下が、温かくなった気がした。

守衛さんに報告した。

守衛さんは話を聞いて、しばらく黙っていた。

「信じてもらえなくてもいい」と朝倉は言った。

「信じますよ」守衛さんは静かに言った。「十年間、あの部屋の前を通るたびに——何かいると感じていた。でも何もできなかった」守衛さんは頭を下げた。「ありがとうございます」

「私たちじゃなく、あの子に言ってあげてください」朝倉は言った。「祠のそばに、鏡を置いてきました。このままにしておいてもらえますか」

「もちろんです」守衛さんは頷いた。「誰も触れないようにします」

「それと——できれば、たまに祠に花でも供えてあげてください。ここにいた証として」


守衛さんは目を潤ませた。

「分かりました。必ず」

外に出た。

中庭の銀杏の木の前で、二人は立ち止まった。

朝倉が木を見上げた。

「この木も、知ってたんだと思う」朝倉は言った。「あの子がずっと地下にいたことを」

「木の記憶に、何か見えるか」

「見える」朝倉は木に手を触れた。「この木の記憶に、あの子がいる。小さな祠の前に立って、この木を見上げていた記憶が」朝倉は微かに笑った。「仲良しだったんだと思う」

「木と怪異が?」

「変じゃない。長い時間を、同じ場所で過ごしてきたんだから」朝倉は手を離した。「これからも、この木が一緒にいてくれる」


風が吹いた。

銀杏の若葉が揺れた。

春の光が、キャンパスを照らした。

昼、二人で学食に行った。

普通の昼飯だった。

怪異の話もしなかった。授業の話をした。サークルの話をした。凛に連絡しようか、という話をした。

普通の大学生みたいだった。


「なんか、変な感じだな」と俺は言った。

「何が」朝倉はトレーを持ちながら言った。

「普通に昼飯を食べてる。さっきまで地下で怪異を解決してたのに」

「そういうものだよ」朝倉は席に座った。「高校のときも、怪異が終わったら授業があった」

「そうだったな」

「怪異と普通の日常が、隣り合ってる。それがこの一年半だった」朝倉は定食の味噌汁を飲んだ。「大学でも同じだ」

「嫌じゃないのか」

「嫌じゃない」朝倉は俺を見た。「むしろ——好きかもしれない」

「怪異が?」

「怪異と普通が、混ざってるのが」朝倉は少し考えた。「帰れない者たちを送ってあげた後で、普通にご飯を食べる。それが——なんか、いいと思う」

 俺は少し笑った。


「相変わらず、お前らしい感想だな」

「悪い?」

「悪くない。すごくお前らしい」

朝倉は少し照れた顔をした。

「食べよう」

「ああ」


その夜、凛に連絡した。

すぐに電話がかかってきた。

「先輩たち、元気ですか!」凛の声が弾んでいた。「大学生活、どうですか」

「普通だよ」と俺は言った。

「怪異は出ましたか」

俺と朝倉は顔を見合わせた。


「少し出た」と俺は言った。

「やっぱり!」凛は嬉しそうな声を出した。「先輩たちの周りには、絶対出ると思ってました」

「喜ぶな」

「解決できましたか」

「した」

「さすがです」凛はしみじみと言った。「私も早く大学生になって、一緒に調べたいです」

「お前が来たら、もっと大変になりそうだ」

「大変の方が楽しいじゃないですか」凛は笑った。「あと——田村先生から連絡来ましたか」

「来てない。どうかしたのか」

「先生、北川さんと仲良くなったみたいですよ。木下さんも交えて、三人でよく会ってるって」

「そうか」と朝倉が言った。「よかった」

「朝倉先輩の声だ!」凛は言った。「お二人、一緒にいるんですか」

「電話に出てもらってる」と俺は言った。

「仲良しですね」

「普通だ」と朝倉は言った。

「付き合ってるのに普通は変ですよ」凛は笑った。「幸せそうでよかったです。私も早くそういう人を見つけたい」

「見つかるといいな」と俺は言った。

「大学生になったら探します。ではまた連絡しますね。おやすみなさい!」

電話が切れた。


朝倉が言った。

「凛、変わらないな」

「変わらなくていい」俺は言った。「あのままの凛がいい」

「そうだね」朝倉は窓の外を見た。「また会いたいな」

「夏休みに会いに行けばいい」

「そうしよう」朝倉は微かに笑った。「凛に、大学の怪異の話をしたら——喜ぶだろうな」

「目を輝かせるだろうな」

「目を輝かせながら、なんで先輩たちの周りにはいつも怪異が出るんですか、って言うんだろうな」

「絶対言う」

二人で笑った。


その夜遅く、朝倉からメッセージが来た。

湊、一つ気になることがある

何だ

今日、地下でやったことを振り返ってた

どうした

鏡の中の女の子——名前を聞かなかった


俺は少し考えた。

聞けなかったな

帰る場所を返してあげたけど、名前も知らないまま送ってしまった

後悔してるのか

少し。でも——

でも?

地下の祠に、また行ってみようと思う。名前は分からなくても、ちゃんと挨拶したい。ここにいたことを、覚えていると伝えたい


俺は少し微笑んだ。

一緒に行く

分かってた

だろうな

湊

何だ

大学でも、隣にいてくれてありがとう

これからもいる

知ってる。でも言いたかった

俺も言う。詩音の隣にいられてよかった

 しばらく間があった。

……大学でも、先が長いね

長い

また怪異が出るかもしれない

出るかもしれない

でも

でも?

一緒だから、大丈夫だ


俺はスマホを置いた。

窓の外に、夜の大学が見えた。

三号館は暗かった。でも地下に、温かい場所ができた。


女の子が帰れた。

祠と鏡が、また一緒になった。

銀杏の木が、また一緒にいてくれる。

この大学にも、古いものが積もっていた。

でも俺たちが来た。

それで、少し軽くなった。

次は何が出るか、分からない。

でも怖くない。

詩音がいるから。

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