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朝倉詩音の怪異録〜大学編〜  作者: ゆるっとおやじ


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28/31

白い人形が動いた⑤ 空いた場所に積まれるもの

翌週の土曜日、光雄さんから電話があった。

遥介さんが転職先を見つけたという話だった。

幸子さんの知り合いが経営している会社で、面接を受けて受かったと言っていた。


「遥介が、あなたに報告したいと言っていました」光雄さんは言った。

「よかったです」俺は言った。

「ありがとうございます。あなたたちが動いてくれなかったら、遥介はまだ大学の廊下にいたかもしれない」

「人形が動いてくれたからです」

「そうですね」光雄さんは静かに言った。「人形が、ちゃんとした人を選んでくれた。それが全部の始まりでした」

「光雄さん、一つ聞いてもいいですか」

「何ですか」

「足りない気がしていた感覚は、なくなりましたか」

 少し間があった。

「なくなりました。遥介が来た日から——すっとしました。何かが埋まった気がしました」

「よかったです」

「こちらこそ。桐島さん、またいつか——神社でお会いしましょう」

「はい。また行きます」


電話を切って、朝倉に連絡した。

遥介さん、仕事が決まった

本当か。よかった

光雄さんから電話があった。足りない感覚もなくなったと言っていた

そうか。全部、繋がった

そうだな

湊

何だ

今日、時間あるか

ある。どうした

来てほしい。一緒に行きたい場所がある

どこだ

神社だ。光雄さんと遥介さんに会った神社

何かあるのか

怪異じゃない。ただ——行きたい。報告したい

報告か。遥介さんみたいに

そうだ。一緒に来てくれるか

行く


昼過ぎに、二人で神社に行った。

春の境内は静かだった。

参拝客が少なくて、鳥の声がした。

本殿の前に立った。

朝倉が手を合わせた。

俺も手を合わせた。

しばらく、黙って手を合わせていた。

朝倉が目を開いた。


「何を報告したんだ」と俺は聞いた。

「遥介さんが仕事を見つけたこと。光雄さんの足りない感覚がなくなったこと」朝倉は静かに言った。「それと——人形が縁を繋いでくれたことへの、感謝を」

「感謝を報告するのか」

「感謝は言葉にした方がいい」朝倉は言った。「怪異にも、神様にも、土地にも——ちゃんと言葉にする」

「詩音らしいな」

「そうか?」

「そうだ。怪異と向き合うとき、いつも言葉にしてきた。感情も、感謝も、謝罪も」

「言葉にしないと届かないから」

「そうだな」


旧本殿の前に立った。

守り続けている存在が、今日もいた。

朝倉が感じているのが分かった。

少し目を細めていた。

「いるか」と俺は聞いた。

「いる。今日は——特に穏やかだ」

「なぜだ」

「遥介さんが神社に来た日から、穏やかになっている気がする。光雄さんが子どもの頃から通ってきた場所に、その孫が来た。それが——嬉しいのかもしれない」

「守り続けてきた縁が、繋がったから」

「そうだと思う」朝倉は旧本殿を見た。「光雄さんが子どもの頃、この神社で光が見えていたと言っていた。その光がこの守り続けているものだとしたら——光雄さんのことを、ずっと見てきたんだ」

「六十年以上、見てきた」

「子どもが大人になって、孫ができて、その孫が迷って——でも最後には、ちゃんと戻ってきた。それを全部、見ていた」

「俺たちが動いたことも、見ていたのかもしれないな」

「そうかもしれない」朝倉は微かに笑った。「見ていてくれてありがとう、と言いたくなる」

「言えばいいだろ」

「言う」朝倉は旧本殿に向かって、頭を下げた。「ありがとうございました。見ていてくれて」


境内を出た。

参道を歩いた。

春の光が、参道の石畳を照らしていた。

「詩音」と俺は言った。

「何?」

「終わった気がするな」

「そうだな」朝倉は参道を歩きながら言った。「最初は記憶が薄れる怪異だった。次は縁を繋ぐ怪異だった」

「どっちも、この大学の周りで起きた」

「この土地が古いから。古い土地には、古いものが積まれている。でも——全部が怖いわけじゃない」

「そうだな。怖くなかった。切なかったけど、温かかった」

「怪異にも、いろんな顔がある」朝倉は空を見た。「怒っているものも、悲しんでいるものも、見守っているものも、縁を繋ごうとしているものも」

「全部に向き合ってきた」

「これからも、向き合い続ける」


神社の前を離れて、二人でキャンパスに向かった。

中庭を歩いた。

銀杏の木が、風に揺れていた。

ケヤキの木も、揺れていた。

幸子さん夫婦が、今もそこにいるかもしれなかった。

「次の怪異は何が来るかな」と俺は言った。

「来るのか、もう考えているのか」朝倉は少し笑った。

「考えていない。でも——来るだろうと思って」

「来ると思う。この大学にいる限り、何かは出る」朝倉は銀杏の木を見た。「でも今は——今日の平和を楽しもう」

「そうだな」


「今日は怪異がない。遥介さんの仕事が決まった。光雄さんの足りない感覚がなくなった。人形がちゃんと帰るべき場所に帰った。全部、よかった」

「全部よかった」

「こういう日を、覚えておこう」朝倉はノートを取り出した。

「また書くのか」

「書く。普通の日の記録も、大切だから」


図書館に入った。

いつもの窓際の席に座った。

向かい合った。

朝倉がノートを開いた。

俺は課題を広げた。

普通の昼下がりだった。

しばらくして、朝倉が顔を上げた。


「湊」

「何だ」

「人形がいた場所、今は空いているな」

「そうだな。少し寂しい」

「何か置くか」

「何を置くんだ」

「何でもいい。何か、この部屋に合うものを」朝倉は少し考えた。「でも——今は空いていてもいいかもしれない」

「なぜ」

「空いている場所があると、新しいものが入ってくる。埋まっていたら、入ってこない」

「新しい怪異が来るということか」

「怪異だけじゃない」朝倉はノートを見た。「新しい縁も、記憶も、入ってくる。空いている場所があった方が——いい気がする」

「空いている場所を、そのままにしておくのか」

「しばらくは」朝倉は静かに言った。「何かが来るまで」


夕方になった。

二人で図書館を出た。

夕暮れのキャンパスを歩いた。

「今日、凛に連絡するか」と俺は言った。

「そうしよう。遥介さんの件、ちゃんと報告していなかった」

朝倉がメッセージを打った。

遥介さん、仕事が決まった。光雄さんも元気だ

すぐに返信が来た。


よかったです!!詳しく聞かせてください!!

受験勉強は

今日はいい日だったから、ご褒美に先輩の話を聞かせてください

いい日だったのか

英語の模試が、少し伸びました

よかった。それが本当のご褒美だ

確かに。でも先輩の話も聞きたいです

また今度。でも一つだけ

何ですか

人形はちゃんと帰るべき人のところに帰った。縁が繋がった。全部よかった

よかった。人形、お役御免ですね

そうだな

でも——先輩の部屋、少し寂しくなりましたか

少しな

何か新しいものを置けばいいですよ

朝倉も同じことを言っていた

さすが朝倉先輩、分かっていますね。でも——何が来るかは、来てみないと分からないですよね

そうだな

それが先輩たちの日常だと思います。いつ何が来るか分からない。でも、来たら向き合う

凛は受験の方が大事だぞ

受験も向き合います!おやすみなさい

おやすみ。模試、よかったな

ありがとうございます!


俺のアパートの前まで来た。

「今日もよかった」と俺は言った。

「そうだな」朝倉は言った。

「怖くはなかったけど——温かかった」

「平和な日が続くといいな」

「続くと思う。でも——怪異が来たら来たで、向き合う」

「凛と同じことを言うな」

「凛が正しいことを言った」朝倉は少し笑った。

「そうだな」俺は空を見た。「一つだけ、確認してもいいか」

「何だ」

「本棚の空いた場所に——何かが来るとしたら、何がいいと思う」


朝倉は少し考えた。

「小さくて、温かいもの」

「どんなものだ」

「今は分からない。でも——来たときに分かる気がする。この部屋に合うものが」

「そうだな」

「それが楽しみだ」朝倉は静かに言った。「何が来るか、楽しみだ」

「俺も楽しみだ」


朝倉が帰った。

部屋に入った。

本棚の空いた場所を見た。

人形がいた場所。

今は空だった。

でも——朝倉が言った通り、空いている場所があることが、悪くなかった。


何かが来るまで、この空間を取っておこう。

そう思った。

窓の外に、夕暮れが広がっていた。

遠くに、神社の鳥居が見えた。

光雄さんと遥介さんが、今頃同じ家で夕飯を食べているかもしれない。


人形が、その食卓の近くにいるかもしれない。

赤い糸の顔で、笑いながら。

朝倉からメッセージが来た。


今日、神社で報告してよかった

そうだな。言葉にすることが大切だと言っていたな

そうだ。感謝は言葉にしないと届かない

詩音に感謝していることも、言葉にした方がいいのか

少し間があった。

……何が言いたいんだ

ずっと詩音がいてくれてよかったということを、言いたかった

一緒にいてくれた

当然だ

当然か

そうだ。一緒にいると決めたから。ずっと前に

ずっと前、というのはいつだ

鶴の日から

長い間があった。

鶴の日から、か

そうだ。あの日から、一緒にいると決めていた。意識していなかったけど

私もそうだった


そうか

鶴の日に出会って——ずっと一緒にいる。これからもそうだ

これからもそうだ

湊

何だ

感謝している。鶴の日から今日まで、全部に

俺もだ。詩音に、全部に

おやすみ、湊

おやすみ、詩音。明日もよろしく

よろしく。明日も——平和な日か、怪異の日か、どっちになるか分からないけど

どっちでも

どっちでも、一緒に

そうだ。どっちでも、一緒だ


本棚の空いた場所が、暗い中でもそこにあった。

何かが来るまで、空いている。

でも今は、空いていていい。

空いている場所があることが——これからへの、余白だから。


窓の外に、春の夜空が広がっていた。

星が出ていた。

鶴の日から、ずっと続いてきた。

これからも、続いていく。


どっちの日でも。

詩音と一緒に。

それで——十分だった。

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