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朝倉詩音の怪異録〜大学編〜  作者: ゆるっとおやじ


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25/31

白い人形が動いた夜② 六十年分の縁

翌日、凛からメッセージが来た。

水無瀬家の記録を調べました

何か分かったか

人形に宿る気配についての記述、ありました。少し長いので、要点だけ送ります


しばらくして、長いメッセージが来た。

水無瀬家の記録によると、子どもが長年大切にした人形には、その子どもの気配が宿ることがある。ただの物ではなく、持ち主の感情と記憶が積み重なった依代になる。この種の人形は、持ち主が手放した後も持ち主を見守ろうとする性質を持つ。特に、持ち主が何か困難を抱えているとき、人形が動くことがある——

つまり——加瀬光雄さんか、その縁者が今、何か困難を抱えているのかもしれません

前の入居者が連絡が取れなくなった、という話と繋がるな

そう思います。人形が湊先輩の方を向いたのは——助けてほしい、ということかもしれない

受験勉強の合間に調べてくれてありがとう

受験より大事なことがあると思ったので

受験も大事だぞ

分かっています。今日の模試、頑張ります


朝倉にメッセージを転送した。

凛の調査、見た。前の入居者が連絡取れなくなったことと、繋がっている可能性があるな

そう思う。でも前の入居者に直接辿り着く手段がない。加瀬光雄さんを先に探した方がいいかもしれない

どうやって探すんだ

この辺りの氏子の記録が、神社に残っているかもしれない。神職の方に聞いてみよう


昼過ぎに、二人で神社に行った。

神職の方は、俺たちを見て頷いた。

「また来てくれましたか。昨日の人形の件ですか」

「はい」朝倉は言った。「加瀬光雄さんの連絡先を知りたいのですが——氏子の記録に残っていませんか」

「加瀬家の記録なら、あります。ただ——加瀬くんは引っ越してしまったので、今の住所は分からないかもしれません」神職の方は社務所に入った。しばらくして、古いノートを持って出てきた。「これが氏子の記録です。加瀬家の欄があります」

ノートを開いてくれた。

加瀬家の欄には、住所と電話番号が書いてあった。


でも、古かった。

「この住所は、昔の住所です。今は違うと思いますが——緊急連絡先として、別の番号が書いてあります」神職の方は欄を指した。「加瀬くんの妹さんの番号です。年賀状のやり取りを続けていたので、比較的新しいはずです」

「連絡してもいいでしょうか」と朝倉が聞いた。

「私から先に連絡を取ってみましょうか。突然知らない人から連絡が来ても、驚かせてしまうかもしれないので」

「お願いできますか」

「もちろんです。少し待っていてください」


境内のベンチで待った。

春の風が吹いた。

「どうなるかな」と俺は言った。

「加瀬さんが見つかるといいが——」朝倉は人形を鞄から出した。布を少し開いた。「人形、今日はどっちを向いている」

「神社の方だ。さっきから」

「境内に来てから、神社の方を向いた。やっぱりここと縁がある」

「加瀬さんは今も、この神社のことを覚えているんだろうか」

「六十年前に、ここで過ごした子ども時代のことを」朝倉は人形を見た。「覚えていると思う。こういう場所の記憶は——消えない気がする」

「詩音の地下のものの記憶みたいに、深い場所にあるのかもしれないな」

「そうかもしれない」


二十分ほどして、神職の方が戻ってきた。

「妹さんに連絡が取れました」神職の方は言った。「加瀬くんのことを話したら——驚いていましたが、会ってもいいと言ってくれました。実は——」神職の方は少し表情を曇らせた。「妹さんも、お兄さんのことを心配していたようです」

「心配?」と俺は言った。

「お兄さんが最近、様子がおかしいと言っていました。連絡が減って、会っても元気がない。何かを忘れたようなことを言うことが増えた——と」

朝倉が俺を見た。

「忘れた、ということを言う」朝倉は静かに言った。

「そうです。妹さんは、年齢のせいかと思っていたようですが——お兄さんはまだ六十代前半で、そんな年齢ではない、と心配していました」

「会えますか」と朝倉が聞いた。

「妹さんが、連絡先を教えてくれました。直接連絡してみてください」


その日の夕方、加瀬光雄さんの妹、加瀬幸子さんに電話した。

電話に出たのは、穏やかな声の女性だった。

「桐島さんですね。神社の方から聞きました。兄のことで、何かご存知なのでしょうか」

「少し、お聞きしたいことがあります。差し支えなければ、お兄さんの現在の様子を教えてもらえますか」

「兄は今、この近くに住んでいます。去年から急に元気がなくなって——何か忘れているようなことを言うようになりました。でも何を忘れているのか、本人にも分からないようで。病院に連れて行ったのですが、特に異常はないと言われて」

「失礼ですが——お兄さんのお子さん、あるいはお孫さんがいらっしゃいますか」


少し間があった。

「孫がいます。今年二十三歳で——去年の春まで、この近くのアパートに住んでいました。でも急に転職が決まって、遠くに引っ越して——それ以来、連絡が取れなくなっています」


朝倉が俺の隣で、息を呑むのが分かった。

「そのお孫さんが住んでいたアパートの名前は分かりますか」と俺は聞いた。

「確か——メゾンなんとか、という名前だったと思いますが。詳しい住所は分からなくて」

「メゾン桐が丘、というアパートではありませんか」

また間があった。

「そうです。そのアパートです。なぜご存知なのですか」

「私が今、そのアパートに住んでいます」

電話の向こうが、静かになった。

「……そうですか」幸子さんは静かに言った。「偶然ですね」

「偶然ではないかもしれません」俺は言った。「一度、お兄さんにお会いできますか。お伝えしたいことがあります」


翌日の午後、二人で加瀬光雄さんの家に向かった。

神社から歩いて十分ほどの場所だった。

古い一軒家だった。

庭に、小さな柿の木があった。

幸子さんが迎えてくれた。

「来てくださってありがとうございます」幸子さんは言った。「兄は今、居間にいます。今日は少し調子がいいようです」

「ありがとうございます」


居間に通された。

加瀬光雄さんは、椅子に座っていた。

白髪で、細い体格だった。

でも目は澄んでいた。

静かな目をしていた。

俺たちを見て、少し首を傾けた。

「神社から聞きました。若い方が来ると」加瀬さんは言った。声が穏やかだった。

「突然お邪魔してすみません」朝倉は言った。「桐島湊と申します。今、メゾン桐が丘に住んでいます」

「孫が住んでいたアパートですね」加瀬さんは静かに言った。「連絡が取れなくなって——心配しています」

「一つ、確認させてください」俺は言った。「加瀬さんが子どもの頃、神社によく来ていましたか」


加瀬さんは少し驚いた顔をした。

「……よく来ていましたよ。神社が好きで。一人でよく行っていた」

「そのとき、人形を持っていませんでしたか」

加瀬さんの表情が、変わった。

「人形——」加瀬さんは繰り返した。「白い布に、赤い糸で顔が縫ってある人形ですか」

「そうです」

「どこで——」


俺は鞄から、布に包まれた人形を取り出した。

布を開いた。

加瀬さんが、人形を見た。

長い沈黙が来た。

加瀬さんは人形を見たまま、動かなかった。

目が、潤んできた。


「これは——」加瀬さんは震える声で言った。「これは、私の人形だ」

「そうだと思います」

「なぜ、あなたが持っているのですか」

「アパートの押し入れの奥に入っていました。前の入居者が忘れていったのだと思います」

「孫が——忘れていったんですね」加瀬さんは静かに言った。「この人形を、孫に渡していたんです。引っ越す孫に——守ってもらいたくて」

「お孫さんに渡していたのですか」

「そうです。私が子どもの頃から大切にしていた人形でした。引っ越す孫が心配で——一緒に持っていけと言った」加瀬さんは人形を見た。「でも孫は急いで引っ越したから、忘れていったのかもしれない」


「加瀬さん」朝倉が静かに言った。「最近、何か忘れているような感覚があると伺いました。何を忘れているのか、分かりますか」

加瀬さんは少し考えた。

「分からないんです。でも——何かが、足りない気がする。ずっと。何かが、そこにあるはずなのに、手が届かない感覚が」

「いつからですか」

「去年の春頃から。孫が引っ越してすぐ——不思議とそういう気持ちになり始めた」

「人形が孫と一緒にいなくなってから、ですね」朝倉は静かに言った。

「そう言われると——そうかもしれない」加瀬さんは人形を見た。

「少し、聞いてもいいですか。子どもの頃、神社でよく見えない何かと話していた、と神職の方から聞きました」


加瀬さんは少し驚いた。

「あの方が——覚えていてくださったんですね。昔の話です。子どもの頃、神社の境内に来ると——見えないものが見えた。今は見えないけれど」

「どんなものが見えていたんですか」

「光、みたいなものです。人の形をした光が、境内にいた。怖くはなかった。穏やかで——見ているだけで、安心した」


朝倉が俺を見た。

「初詣のとき、旧本殿にいた守り続ける存在だ」朝倉は小声で言った。

「加瀬さんも、見えていたのか」と俺は小声で返した。

「加瀬さん」俺は言った。「一つお願いがあります。この人形、少しの間、手に持っていてもらえますか」

「構いませんが——なぜですか」

「持ってみれば、分かるかもしれません」


加瀬さんは人形を受け取った。

両手で包むように、持った。

六十年以上前に、子どもが持っていた人形。

加瀬さんの目が、また潤んだ。

「温かい」加瀬さんは静かに言った。「手のひらが——温かい」

「気配が感じますか」と朝倉が聞いた。

「感じます。何かが——ここにいる気がします」

「子どもの頃の、あなた自身の記憶が宿っています」朝倉は静かに言った。「神社に来ていた頃のあなたが。あの頃の記憶が、この人形に残っています」


加瀬さんは人形を見た。

「そうか——そうなんですね」

「孫さんと一緒にいたとき、この人形も孫さんを見守っていた。でも孫さんが急いで引っ越して、忘れていってしまった。人形は——孫さんを心配していた。加瀬さんも、何かが足りないと感じていた」

「私が感じていた——足りない感覚は、この人形のせいだったんですか」

「そうかもしれません。長年一緒にいたものが、突然なくなったから」


加瀬さんは、しばらく人形を持っていた。

無言だった。

幸子さんが横で、目を拭いていた。

やがて加瀬さんが言った。

「孫は、今、どこにいるんでしょう」

「それは——まだ分かりません」俺は正直に言った。「でも調べようとしています」

「なぜ、あなたが調べるんですか」

「この人形が、俺の方を向いていたから」


加瀬さんは俺を見た。

「人形が、あなたを向いていた」

「そうです。助けを求めていたのかもしれません」

「見知らぬあなたに、助けを求めた」加瀬さんは静かに言った。「この人形は——ちゃんと、人を選んだんですね」

「そうだと思います」

「孫のことを——お願いできますか」加瀬さんは俺を見た。「見つけてやってほしい。ちゃんと生きているか、確かめてやってほしい」

「やります」俺は言った。「必ず」

加瀬さんの家を出た。


春の夕暮れが、住宅街を照らしていた。

二人で並んで歩いた。

「孫さんの名前を聞いてきた」朝倉はノートを見た。「加瀬 遥介さん。二十三歳。去年の春まで俺のアパートに住んでいて、急に転職して引っ越した。それ以来、連絡が取れていない」

「二十三歳で、急に連絡が取れなくなる」

「何があったんだろう」

「会社の名前も聞いた。転職先の会社の名前が、幸子さんの記録に残っていた」朝倉はノートを見た。「でも——」

「でも?」

「その会社、今は存在しない」朝倉は静かに言った。「さっき調べたら、去年の夏に倒産していた」

「去年の春に転職して——夏に会社が倒産したのか」


「そうだ。倒産後、連絡が取れなくなった」

「住む場所を失った可能性がある」俺は言った。

「そうだと思う。でも——それだけじゃない気がする」朝倉は人形を鞄から取り出した。「人形が、また向きを変えていた」

「どっちを向いているんだ」


朝倉が布を開いた。

人形は、大学の方角を向いていた。

「大学だ」と俺は言った。

「そうだ。第一章のときも、大学の方角を向いていた」朝倉は人形を見た。「遥介さんが——大学の近くにいるのかもしれない」

「大学の近くで、どこにいるんだ」

「分からない。でも——人形が示している」朝倉は静かに言った。「大学に行けば、手がかりがある気がする」

 「明日、大学を調べよう」俺は言った。

「そうしよう。でも——どこを調べればいいか」

「人形に聞くしかないな」

「そうだな」朝倉は少し笑った。「人形に頼る怪異調査になってきた」

「悪くないだろ。人形が案内してくれるなら」

「そうだね」朝倉は人形を鞄に戻した。「人形は見守っている。加瀬遥介さんのことを、ずっと見守っている」

「加瀬さんも、見守っている。おじいさんが」


「孫を心配して、俺のアパートに人形を渡した」朝倉は歩きながら言った。「でも人形は忘れられた。おじいさんの心配は、届いていなかった。でも——今日、届いた」

「届いたな」

「人形が俺のところに来たことで、繋がった」朝倉は空を見た。「これも、この土地が覚えていたのかもしれない。加瀬さんが子どもの頃から、神社を大切にしてきた記憶を」

「土地が、縁を繋いだのか」

「そうかもしれない」朝倉は静かに言った。「おじいさんの心配が、土地に残っていて——あなたのアパートに引き寄せた」

「俺を選んだのか、土地が」

「人形が選んだのかもしれない」朝倉は少し笑った。「あなたなら、ちゃんと動くと思って」

「そうかな」

「そうだ」朝倉はまっすぐ言った。「橘さんの鶴も、ちゃんと見つけた。今回も、ちゃんと動いている」


俺のアパートの前まで来た。

「明日、大学で人形を持って歩いてみよう」と俺は言った。

「そうしよう。人形が反応する場所が、手がかりになるかもしれない」

「探偵みたいだな」

「そうかもしれない。でも——探偵じゃなくて」朝倉は言った。「縁を辿っているだけだ」

「縁を辿る、か」

「そうだ。加瀬光雄さんと、加瀬遥介さんと、俺たちが——この土地で繋がっている。その縁を辿れば、遥介さんに辿り着ける気がする」

「遥介さんが見つかれば、おじいさんの心配も届く」

「そうだ」朝倉は空を見た。「人形が届けてくれた縁を、今度は私たちが届ける」


部屋に入った。

人形を本棚に戻した。

向きは、大学の方角のままだった。

「待っていてくれ」と俺は人形に言った。「明日、大学で探す」

返事はなかった。


でも人形の温かさは、変わらなかった。

加瀬光雄さんの、六十年分の心配が宿った温かさだった。


その夜、朝倉からメッセージが来た。

加瀬さん、どんな人だった

穏やかな人だった。目が澄んでいた。子どもの頃、神社で光が見えていたという人だ

怪異が見えていたんだな

そうだな。大人になって見えなくなったけど——あの目は、見えていた人の目だと思った

どんな目だ

受け入れている目。怖がらない目

詩音みたいな目か


少し間があった。

……そうかもしれない。照れるな

本当のことだ

うるさい

加瀬さん、遥介さんのことを心配していた。孫のために人形を渡した。それがちゃんと伝わった

伝わってよかった。でも——まだ遥介さんを見つけていない

明日、見つける

確信があるか

ある。人形が案内してくれるから

人形を信頼しているんだな

詩音が信頼しているものなら、俺も信頼する

また長い間があった。

……それは、なんか、嬉しい言い方だ

本当のことだから

毎回それだ。おやすみ、湊

おやすみ、詩音

明日、遥介さんを見つけよう

見つける。二人で

うん。二人で


スマホを置いた。

人形は、大学の方角を向いたままだった。

六十年前、神社に通っていた子どもの気配が宿った人形。

その子どもが六十代になって、孫のために渡した人形。

孫が忘れていって、俺のアパートの押し入れに残っていた人形。


長い縁が、この部屋に繋がっていた。

明日、その縁を辿る。

大学の方角に、遥介さんがいる。

人形が、そう言っていた。

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