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朝倉詩音の怪異録〜大学編〜  作者: ゆるっとおやじ


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19/31

開かずの部屋① 忘れていく人たち

大学二年生

開かずの間編

四月になった。

大学二年生が始まった。

新しい授業、新しい教室、新しい顔。キャンパスに新入生が溢れて、春の匂いがした。


凛は高校三年生になった。受験生だった。

先輩たち、私のことは気にしないでください。勉強します

そうメッセージをくれた。

でも三日後にはやっぱり気にしてください、受験が怖いですと来た。

凛らしかった。


二年生になって最初の週、朝倉が図書館で変なことに気づいた。

いつもの向かいの席に座ると、朝倉が俺を見るなり言った。

「昨日、図書館で変なことがあった」

「怪異か」

「まだ分からない。でも——変だった」朝倉はノートを開いた。「昨日の午後、地下の資料室に行った。古い文献が必要で」

「地下に資料室があるのか」

「一階から降りる。普通の資料室だ。でも——そこで、一人の学生を見かけた」

「何がおかしかったんだ」

「最初は何もおかしくなかった。ただ勉強している学生だった」朝倉はペンを持った。「でも、帰りにもう一度その学生の前を通ったとき——顔が、違った」


「顔が違った?」

「さっきと同じ人物だと思う。服も同じ。でも——表情が変わっていた。最初は集中して本を読んでいた。でも帰りに見たときは——何かに怯えているような顔をしていた。俯いて、手が震えていた」

「体調が悪くなったんじゃないか」

「そうかもしれない。でも——その学生が持っていた本が、最初と変わっていた」

「本が変わっていた?」

「最初は古い文献だった。でも帰りに見たとき、その学生は本ではなくて、自分のノートを見ていた。そのノートに、同じ言葉が繰り返し書いてあった」朝倉はノートに書いた。

覚えていない 覚えていない 覚えていない

「覚えていない、と書いていたのか」

「そう。何ページにもわたって、同じ言葉が書いてあった。その学生は——書いていることに気づいていないようだった。無意識に、手が動いていた」

次の日、俺は朝倉と一緒に図書館の地下に行った。


階段を降りると、空気が変わった。

湿っていて、古い紙の匂いがした。

普通の地下資料室だった。

棚に古い文献が並んでいた。窓がなかった。蛍光灯の光だけが、白く照らしていた。


学生が数人いた。みんな静かに本を読んでいた。

「どの辺りだ」と俺は聞いた。

「奥の方だった」朝倉は資料室の奥に向かった。

奥に行くほど、棚が古くなった。

文献の年代が古くなっていくのが、背表紙を見ると分かった。

一番奥まで来た。

扉があった。

重い金属の扉だった。鍵がかかっていた。扉に紙が貼ってあった。

関係者以外立入禁止 管理部

「何年前から閉まっているんだろう」と俺は言った。


朝倉が扉に手を触れた。

目を閉じた。

五秒ほどして、手を離した。

「古い」朝倉は静かに言った。「この扉の奥に——何かある。でも」

「でも?」

「今は感じない方がいい」朝倉は扉から離れた。「ここから来ている気がする。昨日の学生に起きたことが」

「この部屋から怪異が出ているのか」

「まだ確信はない。でも——近い。確かに、近い」


図書館の受付で、司書さんに聞いた。

「一番奥の金属の扉は、何ですか」と朝倉が聞いた。

司書さんは少し表情を変えた。

「ああ、あの扉ですか」司書さんは声を低くした。「あの部屋は——長い間、閉まっています。私が赴任してきたときには、もうすでに閉まっていました」

「何が入っているんですか」

「分かりません。管理部の管轄なので、図書館員は関わらないようにと言われていて」司書さんは少し考えた。「でも——一つだけ聞いたことがあります。あの部屋は、開けてはいけないと。代々、そう引き継がれていると」

「代々?」


「この大学が設立されてから、ずっとそう引き継がれているらしいです。あの部屋だけは、絶対に開けるなと」

「なぜかは知らないんですか」

「知りません。でも——」司書さんは少し声をひそめた。「あの部屋の近くで長時間勉強した学生が、たまに変になることがある、という噂は聞いたことがあります」


外に出た。

春の空が広がっていた。

朝倉がノートにメモしながら言った。

「この大学が設立されてから、ずっと閉めているということは——大正時代から」

「大正十三年に開校したんだったな」と俺は言った。

「そうだ。百年近く、開けていない部屋がある」

「何が入っているんだ」

「分からない。でも——あの部屋に近い場所にいると、記憶に影響が出るとしたら」

「木下さんのときみたいか」

「木下さんのときとは少し違う。木下さんは意図的に記憶を操った。でもこれは——意図なく、ただ滲み出てくる感じがする」

「自然に、記憶を奪っていくのか」

「奪うというより——薄れさせる」朝倉はペンを止めた。「近くにいると、記憶が薄れていく。昨日の学生は、何かを忘れかけていた。だから、覚えていないと書き続けていた」


「怖いな」と俺は言った。

「怖い」朝倉は静かに言った。「でも——これが何百年続いているなら、もっと多くの人が影響を受けているはずだ。なぜ今まで問題にならなかったのか」

「閉めているから、近づく人が少ないんじゃないか」

「そうだな。でも資料室に行く人間は、あの扉の前を通る。ずっと影響を受けてきた人がいるはずだ」


次の日の朝、朝倉から連絡が来た。

昨日の学生を見つけた

どこで

SNSで。同じ大学の学生だった。昨日の夜、投稿していた

何と投稿していた

写真を一枚。自分のノートの写真だった

朝倉が画像を送ってきた。

ノートの写真だった。


覚えていない 覚えていない 覚えていない

何ページにもわたって、同じ言葉が続いていた。

投稿に、一言だけキャプションがついていた。

昨日の午後から、三時間分の記憶がない。何があったのか分からない。怖い

朝倉が続けてメッセージを送ってきた。


三時間の記憶がない。あの地下にいた時間だ

地下にいる間の記憶が消えたのか

そう思う。あの部屋の近くにいた時間が、丸ごと消えた

本人は何をしていたか覚えていないのか

そうみたいだ。でも湊、もう一つ気になることがある

何だ

この投稿に、コメントがついていた。同じようなことが起きた、という学生が三人いた

三人も?

今学期だけで。先学期にも似たような話があったらしい。でも——みんな、数時間後には忘れていた。その出来事自体を、忘れていた


俺は画面を見つめた。

忘れたことも、忘れるのか

そうだ。だから問題になっていない。みんな、変なことがあったことを忘れてしまう

でも今回の学生は、投稿した

投稿したことで、記録が残った。でも——この学生も、今頃は忘れかけているかもしれない

急いだ方がいいな

そう思う。明日、もう一度地下に行こう。今度はもっと、ちゃんと調べる

一緒に行く

分かった。でも——湊

何だ

一つ、気をつけてほしいことがある

何だ

あの部屋の近くに長くいると、記憶が薄れる。私は地下のものの記憶があるから、少し抵抗があると思う。でも——湊は普通の人間だ。影響を受けやすいかもしれない

どうすればいいんだ

近づきすぎるな。そして——何か忘れそうになったら、すぐ声をかけて

分かった

それと

何だ

私の名前を、覚えていてくれ。何があっても

俺は少し間を置いた。

絶対に忘れない

約束か

約束だ


その夜、俺は部屋で天井を見ていた。

本棚の端に、白い人形がいた。

赤い糸の顔が、こちらを向いていた。

「お前は、何か知っているか」俺は人形に言った。

返事はなかった。

当然だった。

でも部屋の空気が、少しだけ変わった気がした。

温かくなった、ような。

それとも——俺の気のせいかもしれなかった。

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