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朝倉詩音の怪異録〜大学編〜  作者: ゆるっとおやじ


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13/33

三人で九州へ

十二月になった。

秋学期の期末試験が終わって、冬休みが始まった。

三人で九州に行く日が来た。


出発の朝、新幹線の改札の前で待ち合わせた。

凛が一番早く来た。大きなリュックを背負っていた。

「先輩たち、おはようございます」凛は言った。

「荷物が多いな」と俺は言った。

「防寒具と、御神体と、水無瀬家の記録のコピーと——あと一応、お菓子も」凛はリュックをずり上げた。「九州、初めてなので楽しみです」

「怪異を返しに行くのに、お菓子は必要か」

「旅行はお菓子が必要です」凛はきっぱり言った。


朝倉が来た。

いつもより少し厚着だった。マフラーを巻いていた。

「寒いな、今日」朝倉は言った。

「九州はこっちより暖かいと思う」と俺は言った。

「そうなのか」

「海沿いだから」

「じゃあこのマフラーは必要なかったかもしれない」

「似合ってるから、いいだろ」

朝倉は少し耳を赤くした。

「歩くぞ」


新幹線に乗った。

三人並んで座った。凛が窓側を譲ってほしいと言ったので、凛を窓側にした。

発車して、街が流れ始めた。

凛が窓に顔を近づけた。

「すごい。新幹線、久しぶりです」

「そんなに珍しいか」と俺は言った。

「遠くに行く機会がなかったので」凛は外を見たまま言った。「先輩たちは、遠出はしましたか」

「夏に海と山に行った」と朝倉が言った。

「怪異がありましたね。それ以外は?」

「花火を見に行った」

「それだけですか」

「そうだな」俺は言った。「怪異ばかりだった夏だったから」

「今年の冬休みは——怪異の後に、旅行気分を楽しみましょう」凛は言った。「九州に来たなら、ラーメンも食べたいです」

「御神体を返した後でな」と朝倉が言った。

「もちろんです。順番は守ります」


二時間ほどして、車窓の景色が変わった。

海が見えた。

冬の海だった。灰色がかった、広い海だった。

朝倉が窓の外を見た。

「海だ」朝倉は静かに言った。

「そうだな」

「あの海の底に、若潮丸が沈んでいる」

「この海じゃないけどな」

「この海も、同じ海だ。繋がっている」朝倉は海を見続けた。「若潮丸の件は、どうなったかな」

「資料館の係の人に連絡を取ってみようか」

「そうしよう。戻ったら」


凛が海を見た。

「海の御神体を持っている神社も、この海の近くですね」凛はノートを開いた。「記録によると、海沿いの小さな神社です。名前は——荒海神社」

「荒海神社か。強い名前だな」と俺は言った。

「海の神は、穏やかじゃないかもしれませんね」凛は少し緊張した顔をした。「山の神は怒っていた。湖の神は悲しんでいた。海の神は——どうだろう」

「行ってみないと分からない」朝倉は言った。「でも——水無瀬家が持ち出した者が返さないといけないとなると、凛への信頼はあると思う」

「信頼があっても、怒っているかもしれない」

「そうかもしれない。でも凛は一人じゃない」

「そうですね」凛は少し顔を緩めた。「一緒に来てくれているから、大丈夫だと思います」


九州の駅に着いた。

改札を出ると、確かに少し暖かかった。

「暖かいですね」凛は言った。

「そうだな」俺は言った。「朝倉、マフラーは外すか」

「いい」朝倉はマフラーを押さえた。「寒いより暖かい分には、問題ない」

「似合ってるのを、外したくないだけだろ」

「うるさい」


凛がニコニコした。

「先輩たち、相変わらずですね」

「どういう意味だ」と朝倉が言った。

「仲がいいという意味です」

「仲がいいとは違う」

「そうですか?」凛は笑った。「私には、とても仲がよく見えます」

バスに乗った。


海沿いの道を走った。

冬の海が、窓の外に広がっていた。

灰色の空に、白い波が立っていた。

夏の海とは違った。荒々しくて、力強かった。

朝倉が海を見ていた。

「凛」朝倉は言った。

「はい」

「記録に、御神体を預かった経緯が書いてあったか」

「ありました」凛はノートを開いた。「山と湖の御神体とは、少し違う経緯でした」

「どう違うんだ」

「海の御神体は——盗まれたんです」


バスの中が、静かになった。

「盗まれた?」俺は言った。

「百年ほど前のことです」凛はノートを読んだ。「荒海神社の御神体が、夜中に何者かに盗み出された。その後、水無瀬家の先祖が——盗んだ者から取り返して、一時預かりとした。盗んだ者の名前は分からなかったと書いてあります」

「取り返して、水無瀬家が預かった」朝倉は言った。「でも神社には戻さなかったのか」

「戻そうとしたが——その頃、荒海神社はすでに無人になっていたそうです。管理する者がいなくて、戻せなかった」凛はノートを閉じた。「だから水無瀬家で、ずっと預かっていた。でも記録には、持ち出した者が自ら返さないといけないと書いてあった」

「盗んだ者が誰か分からないのに、持ち出した者が返せと書いてあるのか」俺は言った。

「そうです。矛盾しているようですが——記録には、盗んだ者の代わりに、預かった者が謝罪しながら返せと書いてありました」

「つまり凛が、盗んだ者の代わりに謝罪して返す必要があるのか」

「そうなります」凛は少し真剣な顔になった。「うちの先祖は、御神体を守るためにいいことをした。でも——海の神にとっては、盗んだ者も、預かった者も、同じ人間かもしれない」

「怒っている可能性がある」朝倉は言った。

「あります。だから——謝罪しながら返す。それが条件だと思います」

バスを降りた。


海沿いの小さな集落だった。

民家が数軒、並んでいた。

漁港があった。小さな漁船が並んでいた。

冬の海風が、冷たかった。

朝倉がマフラーを深く巻き直した。

荒海神社への道を地図で確認した。

集落の端、小高い丘の上にあると書いてあった。

三人で歩いた。

丘を登った。

道が狭かった。両側を草が覆っていた。

冬なのに、草が濃かった。

三分ほど歩くと、鳥居が見えた。

古い石造りの鳥居だった。苔が全面を覆っていた。


扁額には「荒海神社」と彫られていた。文字が半分、苔で隠れていた。

鳥居の先に、小さな社があった。

無人だった。長い間、誰も来ていない様子だった。

でも——壊れていなかった。

百年以上、誰も管理していないのに、社は立っていた。


「不思議だな」と俺は言った。

「海が守っているのかもしれない」朝倉は言った。「海の神が、社だけは守り続けていた」

「御神体が戻るのを、待っていたのか」

「そう思う」


鳥居をくぐった。

瞬間、空気が変わった。

重くなった。

高校の時に感じた重さに似ていた。でもそれより、もっと古くて、深い重さだった。

「来てる」凛は小声で言った。

「感じるか」と俺は聞いた。

「感じます。怒っている。でも——ここに来た者がいることに、驚いている気もします」

「驚いている?」

「百年以上、誰も来なかったから」朝倉は静かに言った。「来ることを、諦めていたのかもしれない」


社の前に立った。

扉が閉まっていた。

風が吹いた。

冬の海風が、境内を抜けた。

凛が鞄から、白い布に包まれたものを取り出した。

手が、少し震えていた。


「凛、大丈夫か」と俺は聞いた。

「大丈夫です。緊張しているだけです」凛は深く息を吸った。「でも——やります」

「一人じゃない」朝倉は凛の隣に立った。「隣にいる」

「ありがとうございます」凛は少し落ち着いた顔になった。

俺は凛の後ろに立った。


「始めろ。何があっても、ここにいる」

凛が社に向かって、言葉を唱え始めた。

今まで聞いてきた水無瀬家の言葉とは、また違った。

力強くて、海に合った言葉だった。

波の音みたいなリズムがあった。

境内の空気が、変わった。

重さが増した。

でも凛は止まらなかった。


社の扉が、少し開いた。

誰も触れていないのに、扉が開いた。

中が暗かった。

でも奥に、何かが見えた。

光ではなかった。

目だった。

深い闇の中に、目だけがあった。

古い目だった。人間の目じゃない。

ただ、こちらを見ていた。


凛が次の一節に入った。

声が、少し震えた。

でも止まらなかった。

俺は凛の後ろで、前を向いていた。

その目が、こちらを見続けていた。

怒っているのか、悲しんでいるのか、分からなかった。


ただ、見ていた。

百年間、ずっと待っていた目だった。

凛が、謝罪の言葉に入った。

記録にあった言葉だと、後で教えてくれた。

水無瀬家の先祖が盗んだ者の代わりに謝罪する言葉だった。

預かることしかできなかった。返すのが遅くなった。待たせてしまった。申し訳なかった。


凛の声が、少し詰まった。

でも最後まで言いきった。

目が、動いた。

ゆっくりと、瞬いた。

人間が瞬くように。

凛が最後の言葉を唱えた。

白い布を、社の前の台座に置いた。

「お返しします」凛は言った。「長い間、水無瀬家が預かっていました。遅くなって、ごめんなさい」


沈黙が来た。

風が止まった。

波の音も、聞こえなくなった。

完全な静けさが来た。

俺は息を止めた。

朝倉が、俺の手を握った。

俺は握り返した。


その沈黙が、十秒ほど続いた。

それから。

風が来た。

海から来た風だった。

温かかった。

冬の海風なのに、温かかった。


白い布が、ほどけた。

中から、黒い石が現れた。

丸くて、小さな石だった。表面が滑らかで、光を吸い込むように黒かった。

石が、社の中に吸い込まれていった。

扉が、静かに閉まった。

目が、消えた。

社の中の闇が、ただの闇になった。


重さが、消えた。

境内の空気が、軽くなった。

波の音が、戻ってきた。

海の音だった。

荒々しくて、力強い音。

でも、今度は怒りじゃなかった。

ただの、海の音だった。

三人は、しばらく動けなかった。


凛が、その場に座り込んだ。

「凛」俺は凛の隣にしゃがんだ。

「大丈夫です」凛は言った。「ただ——足の力が抜けて」

「無理もない」朝倉は凛に手を差し伸べた。「よくやった」

凛はその手を取って、立ち上がった。

「受け取ってもらえましたね」凛は社を見た。

「受け取ってもらえた」朝倉は言った。「ちゃんと、届いた」

「怒っていましたか。あの目、怖かったです」

「怒っていたと思う」俺は言った。「でも凛が謝罪したから——許してくれた気がする」

「許した、というより」朝倉は静かに言った。「ようやく終われた、という感じだったと思う。百年間待って、ようやく終わった」

「そうですね」凛は少し目を潤ませた。「待たせてしまって、本当に申し訳なかった。でも——よかった。終わらせてあげられた」


社に向かって、三人で頭を下げた。

しばらくそのままでいた。

波の音が続いていた。

怒りのない、穏やかな波の音が。

鳥居を出た。

丘の上から、海が見えた。

広い海だった。

冬の灰色の空の下に、暗い海が広がっていた。


でも——さっきとは違って見えた。

荒々しいけど、怖くなかった。

ただ、広かった。


「きれいだな」と俺は言った。

「そうですね」凛は海を見た。「来てよかったと思います。遠くまで来たけど——来てよかった」

「凛が来なければ、できなかった」朝倉は言った。

「先輩たちが一緒に来てくれなければ、私も来られなかったです」凛は俺と朝倉を見た。「ありがとうございました」

「礼はいい」俺は言った。

「でも言わせてください」凛は真剣な顔で言った。「山も、湖も、海も——一緒に来てくれた。水無瀬家の仕事を、最後まで手伝ってくれた。本当に、ありがとうございました」


朝倉は少し間を置いてから言った。

「こちらこそ、ありがとう」

「何でですか」

「凛がいたから、できた。山も湖も海も——凛の力がなければ、向き合えなかった」朝倉は凛を見た。「水無瀬家の血が、助けてくれた」

「そうですね」凛は少し笑った。「お互い様ですね」

「お互い様だ」


丘を下りた。

集落に戻ると、漁師のおじさんが一人、港で作業をしていた。

声をかけた。

「荒海神社に行ってきたんですが、あの神社のことをご存じですか」

おじさんは手を止めた。

「知ってるよ。昔から、あそこに神社がある。誰も管理していないけど、不思議と壊れない神社だ」

「御神体が、長い間なかったんです。今日、返してきました」


おじさんは俺たちを見た。

驚いた顔をした。

それから、海を見た。

「そうか」おじさんは静かに言った。「なんか——今日、海の様子が違う気がしていた。朝から、穏やかだと思ってた」

「御神体が戻ったから、だと思います」と朝倉が言った。

「そうかい」おじさんは少し目を細めた。「ありがとうよ。この海で生きている者として、お礼を言わせてくれ」


バスに乗って、駅に向かった。

三人でバスの中に座った。

疲れていた。

でも満足していた。

凛が言った。

「ラーメン、食べたいです」

俺と朝倉は顔を見合わせた。

「食べよう」と俺は言った。

「駅の近くにあるはずだ。調べておいた」朝倉はスマホを取り出した。

「朝倉先輩、調べておいたんですか」凛は嬉しそうな顔をした。

「念のため」

「ありがとうございます!」


「怪異の後には、ちゃんと食べないといけない」朝倉は静かに言った。「高校のときから、そう思っていた」

「先輩、たまにすごく現実的なことを言いますね」凛は笑った。

「当然のことだ」

ラーメン屋に入った。

小さな店だった。カウンターだけの、古い店だった。


豚骨ラーメンを三杯、注文した。

待つ間、三人は黙っていた。

疲れていたから、言葉がいらなかった。

ラーメンが来た。

白い豚骨スープから、湯気が上がっていた。


一口飲んだ。

温かかった。

体の芯まで、温かくなった。

「うまいな」と俺は言った。

「おいしいです」凛は言った。

朝倉は黙って食べていた。

でも箸が止まらなかった。

「詩音も気に入ったか」と俺は言った。

「うるさい」朝倉は言った。でも食べ続けた。

凛がニコニコした。

「先輩たちと一緒に来て、よかった」凛はラーメンを食べながら言った。「御神体を返せて、ラーメンも食べられて——いい一日でした」

「いい締めくくりだな」俺は言った。

「水無瀬家の仕事が、全部終わりましたね」凛はスープを飲んだ。「山も、湖も、海も」

「終わった」朝倉は言った。「お疲れ様、凛」

「先輩たちもお疲れ様です」凛は少し目を潤ませた。「でも——終わると思うと、少し寂しいですね」


「終わりじゃない」朝倉は静かに言った。

「そうですか?」

「また何か出る。どこかで、必ず」

「そうですかね」

「そうだ」朝倉はラーメンを食べながら言った。「終わりじゃない。これからも続く」

「先輩、それは湊先輩がいつも言う言葉ですよ」凛は笑った。

「そうか」朝倉は少し照れた顔をした。「移ったのかもしれない」

「いいことだと思います」凛はラーメンを食べ続けた。「二人の言葉が、似てきた」

「似ていないだろ」

「似てきましたよ。私が保証します」


帰りの新幹線に乗った。

三人で並んで座った。

凛はすぐに眠った。

今回も、疲れて眠る凛を、俺と朝倉で見守った。

「今年、いろいろあったな」と俺は言った。

「そうだね」朝倉は窓の外を見た。「大学に来て、旧閲覧室の怪異があって。海に行って、山に行って。湖と、今日の海と」

「全部、解決できた」

「全部、三人でやった」朝倉は静かに言った。「凛がいてくれてよかった」

「そうだな」

「湊がいてくれてよかった」

「俺こそ」

 朝倉は窓の外を見ていた。

「来年の春、旅行に行こう。三人で」

「さっき決めたな」

「怪異のない旅行を。ただ観光するだけの」

「凛が起きたら、聞いてみよう。どこに行きたいか」

「うん」朝倉は少し笑った。「凛、絶対に喜ぶ」

「目を輝かせるだろうな」

「目に見えるな」


電車が夜の海沿いを走っていた。

窓の外に、暗い海が見えた。

荒海だった。

でも今は、穏やかだった。

御神体が戻ったから。

百年間、待ち続けた怒りが、終わったから。

朝倉が俺の手に触れた。


「今日も、ありがとう」朝倉は静かに言った。

「また言うのか」

「また言う。これからも、毎回言う」

「分かった。受け取る」

「受け取ってくれ」朝倉は手を握った。「これからも」

「これからも、一緒だ」

「うん」朝倉は目を閉じた。「知ってる」


その夜、ホテルに着いてから、朝倉からメッセージが来た。

今日、九州に来てよかった

そうだな。全部終わった

凛、頑張ったな

頑張った。謝罪の言葉を言い切ったとき、声が震えていた

でも止まらなかった

そうだ。凛は強い

血だけじゃなくて、自分の意志で向き合っている。先輩たちみたいに、と凛が言っていたけど——凛自身の強さだと思う

そうだな


少し間があった。

湊

何だ

来年、怪異のない旅行をしよう。凛も一緒に

今日も言っていたな

言った。でも——改めて約束したくて

分かった。約束だ

どこに行こうか

詩音が決めていい

また私が決めていいのか

どこでもいいから

来年の春、ちゃんと考えておく

待ってる

うん


また間があった。

湊

何だ

今年一年、いろいろあったな

そうだな。大学に来て、最初の一年だった

来年も、いろいろあると思う

そうだろうな

でも——来年も、一緒にいてくれるか

いる。何年でも

何年でも、か

そうだ


しばらく間があった。

……ありがとう、湊

こちらこそ

おやすみ

おやすみ、詩音


スマホを置いた。

ホテルの窓から、九州の夜が見えた。

遠くに、海の灯台の光が瞬いていた。

山の御神体を返した。

湖の御神体を返した。

海の御神体を返した。

全部、三人で向き合った。


来年の春、怪異のない旅行に行く。

来年も、詩音と一緒だ。

何年でも、一緒だ。

灯台の光が、また瞬いた。

穏やかだった。

それで、十分だった。

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