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剣と魔術と 天使 の世界で  作者: hisa
出会いと再会
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9/12

冗談のような、本当の話

 街道を歩くようになり、人通りも多くなってきた。

 そして、視線を受けるようにもなってきた。


 当然だろう。

 背の高い男が二人と、その胸元くらいまでしかない少女。関係性が全くわからない組み合わせだ。

 その上、片方は背中に無骨な剣を背負っており、もう片方は全身黒ずくめに黒いマント。


 自分に向けられた注目でないとわかっていつつも、トゥシャルレイは居心地の悪さに時折ラインの陰に隠れた。


 昨日の非常識な戦闘と、その後の彼の様子。

 今はそれを思わせるものは何もなかった。

 石膏の膜が剥がれ落ちるようになっていた肌も、今はもう何ともない。


 ディラル曰く、空気中の魔力と体内の魔力のバランスが崩れたせいでおこる反応だとか。

 最も空気に触れている表皮が、触れた魔力に適応出来ずに硬化して剥がれ落ちたのだと言う。


 休憩を挟みながら数時間、乗り合い馬車の停留所であるそれなりの広さのある食堂に辿り着いた。

 首都へ向かう馬車が停まる場所だ。

 当然ながら、中で軽食や飲み物を片手に待つ人々は多い。


 混み合ってはいるものの、三人程度が座るテーブルはいくつかあった。

 その内の一つ、厨房に近い席をディラルが見つけて指すと、ラインは無言でそこに向かった。


 トゥシャルレイが追いかけていくと、バックパックを下ろすのかと思いきや、ラインは上着を脱いだ。

 襟首に雑に掛けた、少し前まで長剣の刀身に巻きつけていた布を、椅子に適当に引っ掛ける。

 随分と身軽な姿になり、最後に追いついてきたトゥシャルレイに長剣を押し付けた。


「ちょっと、何!?」

「あー、嬢ちゃん、いいから」


 訳がわからず声を上げたトゥシャルレイだったが、横から気の抜けた横槍が入る。


 ディラルだった。

 彼は彼で、マントすら脱がずに、店に入ってきた姿のまま、椅子の一つに早々に腰掛けていた。


 慣れた様子で、頬杖すらつくディラルに、ラインはバックパックを持ち上げて一瞥した。


「じゃあ、行ってくる」

「おー、やってこいやってこい。楽しみにしてっから」


 ヒラヒラと手を振るディラルと、何が何やらわからないままのトゥシャルレイを残し、ラインは厨房へ向かって歩き出した。


「え、何?何なの?」

「んー?交渉」

「交渉?」

「相応の金は払うから、厨房と食材を使わせてくれって言うんだよ」


 トゥシャルレイは、長剣を押し付けられたままギョッとディラルを見下ろした。


「何それ。どういう事よ」

「だから、料理は自分で作るから、場所と食材を買わせてくれって交渉しに行ったって事」

「何それ」


 片手で長剣を抱え、トゥシャルレイはテーブルに備え付けられているメニュー表を指した。


「普通に注文すればいいでしょ?お店にだって失礼だし、面倒じゃない!」

「そうしねぇと水しか飲めねぇぞ」

「は?」

「トラウマ……っつーのとはちぃっと違うがな、アイツ誰かといる時には、自分の作ったモンしか食わないし、食わせてくれねぇんだよ」

「な……何で?」

「それはーーーあ、ちょっとストップ」


 片手を上げ、ディラルは制した。

 ラインが二人のいるテーブルに近寄ってきたのだ。

 手にバックパックはない。


「使って良いってよ」

「さすが。何で交渉した?」

「エレジー諸島のブレンドスパイスと、それを使ったレシピ」

「あーそりゃ料理人には垂涎ものだわ」

「だから悪いが、一品はスパイスを効かせた料理になる」

「悪かねぇよ、別に……って、ああ」


 チラリと、ディラルはトゥシャルレイを見た。

 すぐに彼女は視線に気付き、きょとんとする。


 何、と聞く暇もなく、ラインは再び厨房へ行き、今度は完全に中に入ってしまった。

 そしてやけに手慣れた様子で、すぐに何かに取り掛かり始めた。


「嬢ちゃん」


 ハッとする。

 ディラルが指先でテーブルをコツコツと叩いた。


「そろそろ座れよ。そのまんまだと目立つぞ」

「……あ……」


 そこで改めて、ラインから長剣を押し付けられ抱えた状態のままと気付く。

 確かに、これは目立つ。

 すでに、店に入ってきた時よりも、若干のこちらを見ている目が増えてきていた。


 トゥシャルレイは慌てて座った。


 抱えたままの剣を、椅子に立てかけるかテーブルに立てかけるか悩んだが、装飾が皆無なせいで引っ掛かりがなく、どうやっても転がり落ちてしまいそうだ。


 諦めて、両手で抱えたまま座る事にした。

 鞘の先が床についても、柄の先端は彼女の頭二つ分高い位置になってしまうが。


「……それで?」

「ん?」

「さっきの続き!」

「ああ」


 わざとらしいほどに、ディラルはニマニマと笑った。

 そして、厨房の中で、すでに忙しなく動き回っているラインを眺める。

 そのラインの後ろで、おそらく本来の厨房の主であろう中年の男性が、ひどく愕然とした顔をしていた。


「臆病者だからさ、アイツは」


 言って、ディラルは身体を起こして頭の後ろで手を組んだ。


「臆病者?」


 似つかわしくない言葉に、トゥシャルレイは眉を寄せた。


 そう長く共にした訳ではないが、ラインが『臆病』と思える場面など見てはいない。

 強いて言えば、最初にネフィリムを見つけた時に、警戒していた時くらいだ。だがそれを『臆病』だと言えるかと問うと怪しい。


「……安全で栄養価もあって、何より美味い物だとテメェが絶対の確信を持てる料理は何だと思う?」


 ディラルは天井を見上げ、うんざりしたため息をついた。


「答えは、テメェが目利きした素材と、叩き込んだ知識を総動員させて、テメェ自身で作った料理。

 嬢ちゃんもアイツと会ってから何度か食ったろ?」

「うん」

「美味かっただろ?しかも野宿の割に手が込んでて」

「……それは思った」

「トラウマなんだとよ。昔、ロクなモンを用意出来なかったーーー」


 続く言葉を切り、ディラルは突然トゥシャルレイを見た。

 何か値踏みするような眼差しに、たじろぐ。


「な、なによ」

「いいや?

 あー、あとな?俺らの師匠に徹底的に仕込まれたせいで、アイツ毒性のある食い物の典型的な味は食えないんだよ」


 べ、とイタズラ小僧のように舌を出し、ディラルはニヤリとした。


「何、それ」

「つまりな?苦味が強い物、酸味の強い物は駄目。ブラックコーヒーとか飲めねぇの。

 ついでに言うと、料理酒以外の酒も駄目で、ブランデーひと口でも飲むとーーー」

「……何を吹き込んでるんだ、お前」


 いつの間にか背後に立っていたラインが、不機嫌そのものの顔で、手にしていた皿をテーブルの真ん中に置いた。


 目を引く、大胆なスープ料理だった。

 ゴロゴロとした野菜に、大きな豚肉。

 そして何よりも、食欲をそそるスパイシーな香り。

 付近のテーブルに座る人間が思わず振り向くほどだった。


 ディラルは「はー」と感心した声でラインを見上げた。


「お前、この短時間でスープカレーとか」

「別に難しくないだろ」

「煮込み料理だぞ?厨房の主がスゲー顔してんじゃねぇか」


 言われて、トゥシャルレイは目を離していた厨房を見た。

 中の料理人が、プライドを粉砕されたような、自分の中の常識が信じられなくなったような、複雑怪奇な顔で鍋の中を見ていた。


 しかしラインは涼しい顔で、取り分け用の小皿とスプーンを置いた。


「インチキ時短しただけだから、凄かねぇよ」

「魔術で料理の時短するなんて、おめぇくれーだって言ってんだろ」


 呆れ果てて言いながら、ディラルはさっさと小皿にトゥシャルレイと自分の分を取り分けた。

 フン、と鼻を鳴らして厨房に戻るラインの背中を数秒見て、トゥシャルレイは我に返ってディラルに詰め寄る。


「なに?コレ……魔術?で作ったって事?」

「煮込み料理が数分で出てくるのは、明らかおかしいだろ」


 ディラルは無遠慮にラインの顔を指差した。


「この阿保、魔術で鍋の中に圧力加えて煮込み時間を限界まで省いてんだよ。

 それで魔術に耐えられる鍋まで特注するとか、阿保の極みだろ」

「えっ?鍋……って」


 嫌な予感を覚えて、トゥシャルレイはラインを見上げ、そして厨房を見た。

 料理長らしき男が、眉間にシワを作って見入っている、大きな鍋がある。


 そう、ネフィリムとラインが戦っていた際に、トゥシャルレイが被った鍋。


「とくちゅう……の、なべ……?」

「特注っって言ったって、大したモンじゃない。見た目は普通だろ」


 ラインはさっさとスプーンを取り、スープをひとすくいした。

 香りを確認し、まるで毒味するかのように慎重に口に含む。唸ってから、ハァ、とため息をついた。


「……急ぎすぎた」


 スプーンを置き、額を手のひらで押さえる。


 トゥシャルレイは眉をひそめた。

 作り手が食べてこの反応。失敗したようだ。


 しかし。


 香りは複雑ながらスパイシーで、早く口に入れろと本能に訴えかけてくる。


 不安を感じながら、トゥシャルレイは大きな芋を一口大にしようとスプーンをあてた。

 ただ、スプーンの縁をあてた。それだけで、芋が湯気を上げながら細かくほどけた。


「えっ……」

「圧力掛けすぎた……」

「うわ、スゲーな。豚肉がスプーンで切れる」


 言いながら、ディラルは一口頬張った。


「……これで何で『塩と砂糖を間違えました』みてーなツラしてんだよ、変態かおめー」


 謎の感想に、トゥシャルレイは止まっていた手を再起動させた。


 二等分ほどの大きさだった芋は、全て一口サイズ以下になっている。

 その一部をすくい取って口許へ運ぶと、香りが一層強くなり、脳を直に刺激してくる。

 すぐに口に入れたい衝動を抑え、湯気が立ち昇るスープに息を吹きかけ、冷ましてから口に含む。


 トゥシャルレイは目を見開いた。


 香りは、口に入れる前から複雑な、それでいて食欲をそそると感じていた。

 しかし口に入れた瞬間、より濃密で複雑、そして何より奇跡のようなバランスである事を理解した。

 スパイシーではあるが辛すぎない。鼻に通るような清涼感もあると言うのに、深いコクもある。

 何よりも、辛いものがそれほど得意ではない彼女が、次へ次へと食べられるほどに加減が絶妙だ。


 熱も相まって、食べるごとに口の中に辛さは重なっていく。

 が、いつの間にかコップに注がれ置かれていたミルクでリセットすれば、すぐにまた欲しくなる。


「美味しい……!」


 ようやくその一言が出た頃には、皿の三分の一ほどまで食べて、ミルクを飲んだ後だった。


「ほらな?」


 その様子を見て、ディラルはラインにニヤニヤと笑った。


 ラインはバツが悪そうな顔をし、額にあてたままの手で前髪をかいた。

 そして立ち上がり、トレーを持って厨房へ戻った。

 おそらく味見をしたらしいそこの料理人が、先ほどよりも愕然とした表情をしている横を通り過ぎる。

 何か言って確認し、桶から魚を一尾取り出してマジマジと見てからすぐに細い包丁を手にした。


「ったくよぉ……」


 頬杖をついて、ディラルは呆れた。


「ここまで圧力かけて、動きすらしない鍋の何が大したモンじゃねーんだか……」


 その呟きに、トゥシャルレイは顔を上げた。


「やっぱりあのお鍋、すごい物なの?」

「ん?あれはミーーーって、わかんねーか。

えぇと……首都に市街地巡回してる馬車があるだろ?」

「うん、学校の友達はそれで通ってる」

「アレが買える」

「は?」

「アレが買える。まるっと、一台」


 ポカンとした後、トゥシャルレイは勢いよく厨房を見た。

 ラインは今度は、早々にさばき終えた魚の下処理をやりつつ、フライパンを出していた。

 あのフライパンでも、道中の朝食を手早く作ったりしていたが……。


 トゥシャルレイがチラッと見ると、ディラルはニマニマと笑っていた。


「あのフライパンも同額。あ、馬も入れてな?」

「うそっ!!」


 市街地の巡回馬車は、街の人間の足を担っている。特に大きい首都では、何台もの馬車が大通りを行き交い、停車場をいくつも廻って走る。

 その役割上、馬車は簡素な幌馬車であるものの大きさはそれなり。一度に十人は乗る事が出来るとか、無理をすれば十五人まで可能だとか。


 そんな馬車を引く馬も、大きく力が強い種類の馬だ。

 トゥシャルレイがラインに会う前に乗った馬車ーーーチンピラ崩れの物だったがーーーあれの馬も体格が大きく脚も太い、訓練された馬だった。

 十数人が乗る巡回馬車は、少なくとも二頭の馬が引くものだ。


 馬車本体にそれを引く馬、となると、相当な金額になるのは想像に難くない。

 高価な物は、突き詰めていけばいくほど高額になるとはわかるが、馬車と同等額の鍋やフライパンなど聞いた事がない。


 ラインは、それらを普通に使っている。

 普通の鉄製のフライパンや鍋を扱うのと同じように。


「……冗談でしょ?」


 引きつった顔で、トゥシャルレイはディラルに向き直って聞いた。


 先ほど下処理した魚は、フライパンで焼かれているようだ。

 そして手元は見えないが、スプーンか何かでフライパンをひっかいているように見える。


 高価な調理器具に対してやる行為には、到底思えない。


 ディラルが苦笑いする。


「そうだよな、冗談じみてるよな」












 宿の主人も就寝した気配を察し、ラインは長剣を片手に立ち上がった。

 ジャケットは座っていた椅子に、ナイフはベッドの枕の下に。

 しわ一つないベッドに一瞥すら向けず、廊下へ出る。


 真っ暗な廊下。

 おそらく少し前までは、壁のランプに火が灯されていたのだろう。蝋と、その芯が燃えた後特有の匂いが漂っている。


 宿の構造上、廊下に窓はない。何の光源もない暗闇だ。

 その中でも、ラインはスタスタと歩いた。と言っても、数歩程度だが。


 彼が出てきた部屋の隣室。その扉。

 耳を澄ます。衣擦れの音に混じって、ごく小さな寝息が聞こえる。


 扉を背にし、ラインはその場に音を立てずに腰を落とした。

 剣を抱え、外した襟巻きで柄と右掌に結びつける。


 フー……と息を吐き、感覚を研ぎ澄ます。

 周囲に漂う空気の流れ、そして、扉の向こうで眠っている少女の気配。

 薄く目を閉じ、揺らぎ一つ見逃さないよう集中する。


 湖面を見張るように。

 呼吸はできる限り細く静かに抑えて。


 瞑想にも似ているが、それとは異なる。


 それは、ややしてから現れた、感じ慣れた魔力の持ち主も知っている。


「……わざわざひと部屋借りてまでやるか?」


 ディラルが呆れ果てた顔で現れた。

 手には一つのランプ。


「隣の部屋なんだから、壁越しでも良いだろ」

「何かあった時、壁に穴を開ける手間がかかる」

「そりゃ何かあったらそうだけどよ」


 ディラルはラインのすぐ隣まで近付いてしゃがみ込み、彼の顔をランプの灯で照らす。


「そんな事ばっかやってっから、その目の下のクマが消えねぇんだぞ?」

「別に困らない」

「ただでさえ目つき悪いってぇのに、余計ひでぇツラになってんだよ。悪くねぇ顔だってのに。

 師匠にも言われたろ。『使える手段になり得るモンをおろそかにするな』って」

「俺には必要ない」


 深いため息をつき、ディラルはランプを床に置いた。

 蝋燭の小さな火が、わずかに揺れる。


「……まぁ、お前はそうだよな」


 呟いて、ディラルが目を細める。

 ラインの隣、人一人分の空間を空けて座る。


「なぁ、お前の事は覚えてないって、言ってたよな?」

「あぁ」

「本当か?数日いて、本当に……」

「………………何も」

「おい……まさか、話してないのか?」

「楽しくもない話だ。ほじくり返す事ねぇよ」

「お前っ…………、いいのかよっ、それで」

「いい」

「………………」

「むしろ、覚えてなくて良かった」

「よかっ……!」


 会話はそこで止まった。

 ディラルが、それ以上言えなくなってしまったからだ。


 絶句し、歯噛みし、前髪をガシガシとかく。


 口惜しい、とも違う。

 もどかしい、とも違う。


 そうまでして尚、この義弟はそう言い切ってしまえるのか、ディラルには理解出来なかった。




 この義弟は、

 この弟弟子は、


 あの少女を探す。そのために常人ならば発狂するほどの苦痛を迷いなく選んだ。


 義弟が肌身離さず持つ長剣ーーーネフィリムに対抗出来る武器が一つ、『スペルビアの長剣』。

 鞘に納めていなければ、身体を蝕むほどの膨大な魔力を空気中に放ち続ける。


 現存の生命を害するほどの魔力は、通常は大気中にはなく、均衡を保っている。

 それは世代交代によって、生物側がその均衡に適応してきたからである。


 普通に過ごす分には、何も問題はない。

 そよ風に転ぶものはいない。そういう事だ。


 だがそこに、常に魔力を放出する物質ーーー例えるなら、暴風を発生させる物を、ポンと出してみればどうなるか。

 周囲の空気の流れは劇的に変化し、障害物があればぶつかり、異なった流れが出来る。


 魔術師の基本的な能力である、魔力感知。

 魔力の流れを感知し続けていけば、目標に辿り着ける。


 そんな力任せな方法で、この馬鹿な弟はあの少女を探し当てた。


 鞘を兄弟子に預けて。


 わずかながら放出される魔力を相殺出来る、『特別製』の布を巻き付けただけで持ち歩いて。


 鞘に納めるまでずっと、全身を締め上げられ引きちぎられるような、痛苦の中だっただろう。

 絶えまない激痛の中、平然とした様相を保ち続けた。


 一睡も出来るはずがない。

 精神がおかしくなっても不思議ではない。


 そんな状態で、ネフィリムとやり合い、無力化するまでさせた。


 並大抵の精神力ではない。


 しかしそれは、この弟が特別なのではない。

 ただの貪欲なまでの意地だ。




 その『貪欲なまでの意地』を、ディラルが初めて見たのは、十年ほど前だった。






========







 ーーー何が起きたのかわからない。


 ただ、その場に居合わせた異国の服を身に纏った男が二人、慌ててその少年の肩を掴んだ。


 片方が「待て」と言うよりも早く、暴風雨の真っ只中に叩き落とされたような衝撃を覚えた。


 激しい空気の奔流と振動。

 その爆発的な『何か』に、呼吸すら苦しく、足元から吹き飛ばされそうになる。


 次第に喉を押し潰すほどの圧迫感が押し寄せてきた。

 視界がくらむ。


 ディラルの前に、大太刀を抜いた女将校が立ちはだかった。

 抜き身の大太刀と、その鞘を十字にまじ合わせる。


「“君が行く 道の長手を繰りしたたね

 焼き滅ぼさむ 天の火もがも″」


 魔術の呪文ではない。

 それは、あの大太刀と鞘の全力を解放させる言葉だ。


 直後、ディラルは喉の圧迫感から解放される。激しく咳き込みながら地面に手をついた。

 隣を見る。

 つい先日、自分の師匠になった赤毛の男が、煙草を噛み潰して片手を前に出していた。


 それで、ディラルはやっとわかった。

 『これ』は唐突に竜巻がその場に出現したなどという、非現実的なものではない。


 聖女の死を認識した瞬間。

 慟哭の代わりとばかりに、あの少年の体から、莫大な魔力が暴発したのだ。


 空気中の魔力濃度の激変に、まだ魔術を習い始めたばかりのディラルは対応しきれなかった。


 対応しきれないのは、ディラルだけではない。

 付近の雑草がたちまち黒々と変色し、朽ちて崩れ始めている。

 地面を這う小さな虫が、動きを止めたかと思うと次々と横たわる。

 偶然近くを飛んでいた鳥が、バタリと落ちて泡を吹く。


 信じられなかった。


 あの少年は、おそらく自分よりも歳下だ。

 そんな少年が、この女将校と師匠が二人がかりでしのぐ程の魔力を放出し続けるなど。


「おい、ナギ!コクト!!」


 叫んだのは師匠だった。

 自分の魔力でその爆発を相殺させながら、少年の肩を掴んだ男に怒鳴る。


「早くどうにかしろ!周り全部ボロ炭になるぞ!!」

「やっている!黙っていてくれ!」

「このガキ、『最終世代』だ!対象に集中させて収めるから、それまで耐えろ!」


 何の話なんだ?そう思うと同時に、信じられなかった。


 少年は、自分よりも背が低く痩せ細っている。

 鳶色の髪も伸び放題で、手足はただれ、服はかろうじて形を保っているだけ。浮浪児と同じだ。


 魔術師の力量を見た目で判断するな、と教え込まれたばかりだ。

 だが、いくら何でも師と、師と同等レベルの魔術師の男二人が押されているのは、信じられなかった。


 そして、ディラルはさらに信じられないものを見る。


 『対象に集中させる』と、男二人の内、髪をほとんど白に脱色している方が言った通り、魔力が収束していっている。

 さらにもう一人の黒髪の男が、少年の肩を掴んだまま正面に回り込む。

 地面に仰向けのまま事切れた、『聖女』に掌をかざしていた。


「聞こえるか?今のその感情を、彼女の中に集中させろ」


 暴れ回っていた魔力が、その『聖女』の亡骸に収まっていく。


「そうだ、集中しろ。

そして、願え、形にしろ」


 そこで変化が現れ始めた。


 『聖女』は、彼女をここまで背負ってきた少年と同じか多少歳上程度の見た目だった。


 その身体が、どんどん縮み始めた。


 大人になる手前くらいだった身体は、より小さくなる。

 手足が短くなり、指もさらに細く小さくなる。

 胴体は凹凸が少なくなり、服が余り出す。

 顔の輪郭が丸みをおび、鼻も低くなる。


 それだけではない。

 特徴的な銀色の髪に、色が入り始めた。

 水の中に絵の具を垂らしていくように、徐々に金、薄い茶へ変わり、やがて栗色になる。


「そう、あとは……彼女の中心に向かって収束させていけ。

 静かに、慎重に…………そうだ、ゆっくりと……」


 ゆっくり。

 ゆっくりと。



 ーーーやがて。



 銀色の髪の『聖女』は、




 栗色の髪の、幼い少女となった。




 魔力の渦が消える。


 この聖堂の聖堂守護者である女将校が大太刀を下ろし、その隣の師匠もまた防御の魔術を解いた。



 栗色の髪の幼女。

 先程まで確実に事切れて、呼吸は止まり、顔色も紙のように白くなっていた。


 それが今は、肌の色には薄く紅がさし、そして何より息を吹き返して胸が上下している。


「……生き、返った……?」


 ディラルのその呟きに、誰も答えない。


 魔術で外傷の治癒は出来る。

 だがそれは、生きている細胞の活性化を促すもの。


 無機物の修復も出来る。

 物体を組成する物質を補填していけばいい。


 しかし、命という未だ解明が為されていない未知に対して、直接の干渉は出来ない。


 大戦から孤児院で暮らしていたディラルは、師の門下に入る時にまず言われた。


 魔術は万能ではない。


 人は死ねば死ぬ。

 当たり前の事を改めてそう言って、大きな拳銃を見せられた。

 規格外の魔術師である師匠であっても、魔術の法則を捻じ曲げる事は出来ない。


 死者を蘇生させるなど、魔術では不可能な事だ。

 医術でもそれは同じ。


 完全に失われたもの、失われた命を取り戻す事など、出来ない。


 ふと、ディラルは思い出した。


 一度だけ師がポツリとこぼした。


 ーーー出来るとしたら、それはーーー


「……魔法……」


 朽ち果て枯れて、色を失った地面の上に、穏やかに眠る色を取り戻した少女。


 先ほどまで絶望していた鳶色の髪の少年は、無言のままその少女の頬に震える手を伸ばし、


 拳を握り、触れる事は、なかった。


 シュッ、と小さく擦る音がしてディラルは顔を上げた。


 師匠が、新しい煙草をくわえて、マッチで火をつけていた。


 細い白煙は、真っ直ぐ上に登っていく。

 風ひとつない空に、細く薄く登って消えていく。


 それは何故か、終わりと同時に何か始まるような、そんな予感をさせてきた。











 そして。



 その予感は当たった。




 少年はまた歩き出した。

 今度は、静かに眠る幼い少女を背負って。


 栗色の髪の、どこにでもいるような少女。


 そんな普通の少女が、ただ普通に生きられる場所を目指して。


 真紅の瞳になった少年は、少女を背負っていった。


 重荷は預かった。

 枷は請け負った。


 少女を邪魔するものは何もない。

 好きな事をして、選びたいものを選び、嫌なものは嫌だと言えられる。


 『彼女』が出来なかった、憧れていた生き方を、この少女は出来る。


 孤児院では駄目だ。

 聖堂が近くては、同じ事になりかねない。


 より安全で、豊かに暮らせる。

 選択肢が、無限にある。

 そんな場所で、生きられれば。


 当ては一つだけ。


 居合わせた男の内の一人が、今は首都で、ある貴族に仕えているという。


 そこしかない。

 そう思った。


 門前払いされる可能性の方が高くとも。

 汚泥を被ろうとも、足蹴にされようとも、構わない。

 この身を売ってもいい。自分のような薄汚い子供が売れるかはわからないが。


 歩いた。


 歩いた。


 眠り続ける少女を背負って。

 日に何度も、水や食べ物を流し込んで摂らせつつも、出来るだけ急いだ。

 人目につかないよう、街道と森林区域の中間辺りの、獣道もない場所を歩き続けた。

 裸足の足に、自分の服を割いて作った布を巻いて、外気で冷えないようにした。

 日が暮れたら、自分の上着で小さな体を包んでから、さらに歩いた。


 自分は、弱い。

 弱かったから、『彼女』を守れなかった。


 強くなるまで、道らしい道を歩く事は出来ない。


 暴漢程度を片手であしらえるほど。

 集団で襲われても退けられるほど。

 いつでも美味い物を食べさせられるほど。

 万一、ネフィリムに遭遇しても、この少女は無傷で済ませられるほど。


 自分が、無力でなくなるまで。


 それには時間がいる。

 どれほどかかるかはわからない。


 『彼女』のためではない。

 少女のためでもない。


 それは、少年の意地だった。


 ただの願望であり欲求。

 押し付け、と言ってもいいかもしれない。


 少女は目覚めない。

 あの魔術師たちにも原因はわからないそうだ。何か知っていたようであったが、全くもって異例の事だと困惑していた。


 三日経っても、一週間経っても、二十日経っても、少女が起きる事はなかった。

 だから少女の意志は聞いていない。


 それでも歩いた。


 歩き続けた。


 これは、ただの意地だ。

 意地だけで、少年はふた月掛けて首都に辿り着いた。


 レイク・D・クティルナード。


 風変わりな貴族の男に、地面に額を擦り付けて懇願した。切望した。


 聞けばつい二年ほど前に、妻と幼い一人娘を事故で亡くしたという。

 そんな男に向かって、身勝手な頼みをした。


 この少女を、育ててくれと。


 長い長い沈黙の後、貴族の男は少年と少女を、屋敷の中へ入れた。


 未だ眠る少女を、悲壮な目で見つめて、男は少年に尋ねた。


「……この子の名前は?」


 少年は、開きかけた口をつぐんだ。

 『彼女』の名前を出しそうになって、唇を噛んだ。


 押し黙る少年をじっと見てから、男は瞼を閉じて言った。


「……トゥシャルレイ。私の『娘』の名前だ」


 それ以上、男は言わなかった。


 少年もずっと黙っていた。

 やがて、血が滲みかけた唇を緩め、少年は小さく言った。


「トゥーシャ。……俺は、そう呼ぶ」

「……そうかい」



 謝る事は出来なかった。

 ただ願うしか出来なかった。



 この先、この少女が、ただこの少女らしく、ただ望むままに生きて、


 生きて、

 生きて、

 生きて、


 当たり前に歳月を重ねて、

 当たり前に年を取って、


 当たり前の幸せを。





「行くのかい?せめて、この子が起きるのを待ったら……」


 突然押しかけて無理難題を頼み込んだと言うのに、この貴族の男は彼を引き留めようとした。


 ーーー目が覚めるまでーーー


 正直に言えば、迷った。


 目が開いたところを見たい。

 声も聞きたい。


 しかしそれ以上に、恐ろしくもあった。




「……その内、顔を見に来ます」




 あの痛み。苦しみ。惨めさ。

 自分のあまりにも情けない様。


 そして何より。


 『妹』の事。


 今の、弱すぎる自分には、それら全てが恐ろしかった。


 その場にいる事が、恐ろしすぎた。




「…………お願い、します」




 最後にそう言って頭を下げて、少年は屋敷から出た。

 視界の片隅に、まだ眠っている少女を一瞬だけ映して、口の端をかすかに上げてから。







 そして、少年はーーーラインは、来た道を戻って行った。







 ディラルが再びラインと顔を合わせたのは、三ヶ月と十日ほど後だった。


 背中までざんばらに伸びた鳶色の髪。

 その隙間から、焼けた鉄のような真紅の瞳が見えていた。






 それから現在まで。

 年月は十年をゆうに過ぎていた。

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