↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣と魔術と 天使 の世界で  作者: hisa
出会いと再会
PR
7/12

『彼』の話と、『天使』

戦闘描写あり


 『おうじさま』に憧れていた。


 絵本に出てくる『おうじさま』は、キラキラした金色の髪に、綺麗な顔立ちで背が高くて、豪華できれいな服にマントと冠で着飾っていた。

 当然のように白馬を連れていて。

 優しい笑顔で、難なく『おひめさま』を助けてくれる。


 外に自由に出られなかった「わたし」に、手を差し伸べてくれる『おうじさま』がいつか来てくれると。


 どうして外に出てはいけなかったのか、それは覚えていない。


 ただ、ただでさえ幼くておぼろげな思い出を辿ると、突然真っ暗な記憶があった。

 そこからプツン、と途切れた記憶の後。


 誰かに背負わせれていた。

 そして、どこかわからない場所を歩いていた。

 広い道なんかじゃなく、森の中や川の中を、かき分けて。


 男の子だった。


 その誰かは、「わたし」と同い年か少し下くらいだった。

 けれど随分とガッシリとした背中だったし、私を落とすどころか、ずり動かすすらしなかった。

 しっかりと支えてくれていた。


 ずっと歩いていた。


 「わたし」はどうしてかひどく疲れていて、手にも足にも力が入らなくて。

 ウトウトしていたら、明るかったはずが夜になっていた、という事が何度もあった。


 ずっと歩いていた。

 指先も動かせない中、目だけは少しだけ動かせた。


 それで、その『誰か』がボロボロの格好なのがわかった。


 服は破けてほつれて、所々すり切れて、元の生地の色もわからないほど汚れていた。


 というよりも布をただ巻き付けただけの足は、血が滲んでるのが見えた。


 当然のように身体も傷だらけ。草むらを掻き分ける度にさらに細かい傷ができていた。


 髪は…………取り敢えず、黒に近い色なのは確かだった。

 どうしてか色すらハッキリ見えない。

 どうしてこんなにも「わたし」は疲れているのだろう?


 考えても、考える内に目を閉じて意識がなくなる。

 目が覚めても疲れたまま、その誰かに背負わせていた。


 ずっと歩いていた。

 ずっと歩いていた。

 ずっと歩いていた。


 焼け焦げた古びたカーテンのような布を紐代わりにして、腰に大きな大きな飾り気のない剣をぶら下げて。


 鞘の先で地面を引きずっているのに、彼はそれをそのまま腰に提げていた。

 両手が塞がっているから、当たり前だったのかもしれない。




 絵本の『おうじさま』はキラキラしていた。


 私を背負ってずっと歩いている『彼』はボロボロだった。



 でも。



 『おうじさま』なんだ、と何となくわかった。


 どこかへ連れていってくれる。

 絶対に見捨てないでくれる。

 手を差し伸べてくれる。

 守ってくれる。


 どうしてなのかわからないけれど、そう思った。

 誰なのか知らないはずなのに、おかしい。

 でも違うとは絶対に思えなかった。


 夜になると隠れるように薮の中や何かの影に入って、途中で入れ物の中に入れた水や、木苺とかを食べさせようとしてくれた。


 なのに「わたし」はどうしてなのか、そんな事も出来なかった。

 口に水を流し込まれても、喉が動かなくて口の端からこぼれ落ちてしまう。

 木苺も、柔らかい果肉を噛めなかった。


 それを目の当たりにする度に、『おうじさま』は泣きそうな顔をした。


 ごめん、すまない、とひと言。

 木苺は潰して種を捨てた物を、指にジャムのように付けて舌の上に塗って。

 それから水を、口移しでジワリジワリと注ぎ込んで飲ませてくれた。



 こんな事しか出来ない。

 まともな物を食べさせる事すら出来ない。


 すまない。

 ごめん。

 悪い。



 どうしてそんなに謝るの?

 そう思っても喉も舌も唇も乾ききって動かなくて、訊く事は出来なかった。


 月が空の真上に上がる前には、ボロボロの上着で包んで、剣を握り締めて抱え込んでくれた。


 空が白んでくると、また「わたし」をしっかりとおぶって歩き出す。



 ほら。

 やっぱり『おうじさま』でしょ?


 守ってくれて。

 手を差し伸べてくれて。

 絶対に見捨てないでくれて。

 どこかへ連れて行ってくれる。



 『おうじさま』の背中で揺られながら、何かお礼は出来ないんだろうか、と考えた。

 でもすぐに眠くなってしまう。




 ずっと歩いていた。

 ずっと揺られていた。





 ある時不意に、視界の端に銀色の何か細い糸の束のようなものが揺れる。


 髪の毛のようだけれど……おかしい。

 『おうじさま』の髪は黒に近い色だし。



 私の髪は【栗色】のはずなのに。








==========





 中央街道に出てすぐ、ラインは背負った剣を下ろした。


 誰も何もいない、それでもいつ馬車が通るかもわからない往来で、だ。

 トゥシャルレイがギョッとしているのにも構わず、ラインは剣に巻き付けてあったボロ布を乱暴に剥ぎ取った。


「ちょっと、何してんの?」


 さすがに意味がわからなすぎて、そう尋ねるしか出来ない。

 ラインはそのボロ布を、破れるのも構わずに爪を立てて剥いでいき、完全に抜き身の状態にした。

 眉を一瞬しかめたものの、フーッと息を吐いて、そのまま手に持ってぶら下げる。


「ここからはこの方が良い」

「何でよ。軍警に捕まったら他人のフリして逃げるからね?」


 中央街道は、大陸で最も長く大きく、そして歴史が古い。

 何でも最初に敷かれた道だとか。

 なので主要な交通路でもある。軍警察は定期的に巡回しているはずだ。


 大戦後の武器類の規制は厳しい。

 トゥシャルレイが護身用に持っている短刀も、許可証やら誓約書やら何やら書かされて、数ヶ月掛かって手元にきたくらいだ。

 曖昧な記憶の中、確か持ち歩く際には必ず鞘に該当する物で収納する事、という記載があった。


 なので、ラインがしている事はれっきとした犯罪行為だ。

 ……先ほどまで犯罪集団に襲われていたので、今さらという気もしなくもないが。

 

「なぁ」

「んぇ?」


 唐突に話しかけられ、変な声で返してしまった。

 昔からの癖で、考え事や集中している時に話しかけられると、自分でも引くほど変なリアクションをしてしまう。

 学校の友人は、それが面白いと何度も繰り返してきてはゲラゲラと笑われたものだ。


 だから当然からかわれる、と思った。

 が、ラインは特に気にしていなかった。


「何ともないよな?」

「は?……何の話?」

「………………悪い、何でもない」

「はぁ?」


 意味がわからない。

 先ほどから何だと言うのだろうか。


「もしかして馬鹿にしてる?」


 友人とは違うタイプの揶揄かと、トゥシャルレイは眉を寄せて口を曲げた。

 彼女は気付いていないが、子猫の威嚇程度にしか見えない。


 ラインは数秒それを見下ろし、親指をトゥシャルレイの眉間に押し当てた。

 グリグリとシワを伸ばすようにして、息をつく。


「息苦しいとか体が重いとか、そういうのがなければいいって意味だ」

「別にそんなのはないけど?」


 ラインの手を押しのけ、伸ばされた眉間を隠す。


 気のせいだろうか?トゥシャルレイにはラインのその仕草が、妙に手慣れているように見えた。


「行くぞ」


 短く告げて、本当にそのまま歩き出した。


 本当に軍警察の巡回に出会したら、どう言い訳するつもりなのだろう?

 トゥシャルレイのそんな心配をよそに、ラインはズカズカと歩いて行く。

 幸い今は通行人も乗り合い馬車も通っていないが、いつ道の向こうから来るかわからないと言うのに。

 

 小走りで背後に追いつく。

 ラインは元々剣を背負うために袈裟懸けに掛けていたベルトに、そのまま抜き身の剣を適当に引っ掛けている。

 剥ぎ取った布は捨てずにポケットに押し込んだようだ。


 しかしどう見ても職質される格好だ。


 不審そうな視線を感じ、ラインはわずかに顔を後ろに傾けて口を開いた。


「一般人ならギョッとするだろうが、軍警だったら二、三質問されて答えれば何ともない」

「嘘言わないでよ。大戦後からそりゃあもう厳しく取り締まってるんですーって、ウチの執事の人が言ってたもの」

「あぁ、ナギさんな。あの人は大変だろうが、コレは問題ないよ」


 あまりにも自信ーーーというより、当然の事だとばかりの言い方に、トゥシャルレイはますます混乱した。

 何やら気になる事もチラッと言っていたが、それよりも目の前の事を問いただす事にする。


「どうしてよ?教えてくれないとニメートルくらい離れて歩くからね」


 ラインが振り返る。

 鋭い紅い目が、呆れを滲ませていた。


 ハァ、と一つ息を吐いて、降参だ、とでも言うように手を上げた。


「わかった。掻い摘んで話すから、横に来い」

「ごまかしたりしないでよね」

「する訳ないだろ」


 トゥシャルレイが速度を上げて、彼の隣に並ぶ。

 それを横目で見て、ラインはベルトの胸元を撫でた。


「『ルシフェル』は知ってるよな?」

「大昔に人間を助けてくれた天使でしょ?大陸に他の天使が入れないように、結界を作ってくれたっていう」

「ザックリ言うとな。で、さっき襲ってきた天使信仰の奴らと、アイツらを動かしてるネフィリムは、その大昔からいたんだよ。

 天使信仰の人間はどうとでも出来るんだが、ネフィリムはどうにも出来ない」


 気のせいか?

 ラインがかすかに歯噛みしたようだった。

 しかしすぐに続けた。


「で、天使信仰じゃない、人間側はどう対抗したか。特に聖堂側は。

 ……それがコレだ」


 言って、ラインは剣を指した。


「え?何?暴力?」

「違う。剣だ、剣。『ルシフェルの剣と鞘』。

 賢者セトが晩年に、ネフィリムに対抗するために造ったんだよ」


 トゥシャルレイがキョトンとする。

 半歩後ろへ下がって、ラインの背中の剣を、改めてまじまじと見る。


 全くと言っていいほど、飾り気のない無骨そのもののような剣。

 握りにも鍔にも何もない。

 刀身におかしな文字が刻まれている以外、何の装飾もない。

 極端に言えば、極端に短い棒と極端に長い棒をクロスさせただけに見える。


 ルシフェルの剣。

 つまり、天使の剣。


 頭の中で反芻して、見る。


「嘘だぁ」


 トゥシャルレイは、苦笑いと言うより引き笑いした。

 イメージにそぐわな過ぎる。


「天使の剣って言うならもっと、こう、鍔が翼の形とか模様とか」

「残念ながらこれは実用性重視な、かなり初期に造られたやつだからな。後半に造られた銘の物なんかは、普通に飾っても良いレベルらしい」

「え?いくつもあるの?天使の剣が?」


 さらに胡散臭そうに見てくるトゥシャルレイに、ラインは『まぁな』と普通に返した。


「大きめの聖堂には、大抵あるくらいに数がある。種類は違うが」

「何それ、何種類もあるの?」

「現存して確認されてるのは七種類。で、コイツは初期型で数が多い。確か……十近くあるんだったか」

「……『伝説の剣』みたいなものじゃないんだ」

「言っただろ」


 グッと、ラインは胸元のベルトを握った。


「迷子札みたいなモンだって」


 そう言えば、とトゥシャルレイは思い出した。

 言われた時は何の事だかさっぱりだったが……いや、今でもさっぱりなのは変わらない。


 天使の剣、もそうだが、この無骨過ぎる長剣に『迷子札』はミスマッチ過ぎる。


 そう思って、そう言おうとした時。

 ギリ、と何か引き締めるような音がした。


 見ると、ラインが胸元に触れている右手とは反対の左手を、やたらと強く握りしめていた。

 それで革製のグローブが立てた音だと勘付く。爪まで食い込ませているのではないかと思う程、強く拳を固めている。


「それで、どうして軍警に会っても大丈夫なわけ?」


 ひとまずトゥシャルレイは、最も気になっている方を優先して尋ねる事にした。


「天使信仰はルシフェルを『堕天使』だの『悪魔』だの『魔王』だの言って毛嫌いしてる。

 で、軍警の仕事の中でも、最優先されてる任務は聖堂の守護・有事の際の防衛。

 それでコイツは、聖堂が管理している事が多い『ルシフェルの剣』だ。他の身分証なんかよりも軍警にとって信頼が保証されてる。わかったか?」

「……ふぅん」


 気のない返事を一つして、トゥシャルレイはピッと人差し指を立てた。


「大嫌いな相手が嫌ってる物を持ってる貴方は、とりあえず大嫌いな相手の仲間じゃないって事ね?」

「……かなり噛み砕いたな……まぁ、そんなとこだ」


 苦々しいながらも頷かれて、トゥシャルレイはふふん、と自慢げに鼻を鳴らした。


 そんな彼女を、ラインは横目だけで様子を伺う。

 数十秒。

 十歩分くらいか。それだけ間が空いて、彼女がそれ以上問いかけてくる様子がなさそうだと見て、こっそり息を吐いた。


 そして周囲を見る。


 まだ近くに気配はない。

 この布を取ったのだ。気付かれてもおかしくないが、勘付いてくれる事は間違いない。


 あの時、鞘を受け取っておくべきだったか、と少し後悔した。


「あ!」


 トゥシャルレイが声を上げてハッとする。

 見ると、彼女は前方の緩やかな坂道を指差していた。


「あそこを登った先から見えるわよね!?バディヌリーの町!」


 ラインは肩を落とした。


「あぁ……そうだった」











 坂を登ると、ちょっとした高台にくる。

 その下に広がる町が一望出来る


 ーーーであったはずの場所。


 眼下に広がる光景に、トゥシャルレイは絶句していた。


 ほとんど信じていなかったのだ。

 自分を連れ帰るための方便だと。


 仮に本当だったとしても、見下ろせるのは活気溢れる町。そう思っていた。


 高台からは町の全容が見えた。


 民家が並びに、中央には商店の並ぶ大通り、その先に聖堂があるというのは地図で見たので、イメージ出来ていた。

 多少の誤差はある、程度は想定していた。


 だが。


 眼下に広がる光景は、全ての想定を粉々にした。


 民家や商店は、原型こそ残っているが全てが黒焦げになっている。

 大通りには、この高台からでもわかるほど、人々が倒れ伏して動くものはない。


 そして聖堂はーーー文字通り消失していた。


 業火で丸一日焼かれたとしても、多少の残骸はあるだろう。

 しかしそれすらなかった。


 聖堂があっただろう場所は、真っ平でその地面は汚泥のようになっている。


 どうしたらこんな事になるのかわからない。


 トゥシャルレイは口を押さえた。

 ジワ、と胃の奥から何か込み上げてくる。


 離れているので、臭いどころか遺体の様子などはっきりわからない。

 だが、あまりにも異質で異様な、『一つの町の消滅』という事実に吐き気がした。


 グイッと腕を掴まれ、後ろへ退がれさせられる。

 代わりにラインが前へ出た。

 すれ違いざまに見た彼の横顔は、険しいを通り越して、憎しみすら浮かべているような気がした。


 ラインの背中に回り、トゥシャルレイは吐き気に耐えた。


 風が吹く。

 肌がチリチリと痛いような気がした。


 ラインは廃墟と化した町を、無言で見つめた。

 遠くからでも凄惨な光景の中を、何かを探るように。


 ややあって、ラインは肩を落としながら振り向き、掌を額に押し付けるようにして、前髪の付け根をガシガシとかいた。


 変な癖だな、とトゥシャルレイが思っていると、ラインは横目でチラリと町を見て口を開いた。


「もう行く気はないだろうが……こっから先、絶対に町に近付くな、とだけ言っておくぞ」

「ぅえ、な、なに?」

「空気が毒化してる」


 言って、ラインは顔をしかめて鼻を擦った。


「毒化……?」

「町の方は、生物へのシンプルな気体性の致死毒だな。火事は人が使いっぱなしだったやつか、火付けでもしたか、両方か。

 聖堂の方は、建物までまるごと完全に溶解させてる」


 ラインの口調は淡々としたものだったが、町をジッと見据えつつも、手は固く固く握り締められていた。


「……まったく、相変わらず反吐が出るほど念入りな」


 まだ衝撃から頭が混乱したまま、トゥシャルレイは自分の両肩をさすった。


「ま……魔術って……こんな事も出来るの?」

「出来る訳ないだろ。天変地異のレベルだぞ。

 とにかく離れる。気分悪いんだろ」


 踵を返し、ラインはまたトゥシャルレイの手首を掴んで、町とは反対方向へ早足で歩き出した。

 ここから離れるのは大いに賛成だ。

 だが、どうしても気になる。


 何十年か前に起きたという、大陸上最大の大戦。

 当然のように、魔術だけでなく科学・化学も進化させた。

 デマか陰謀論者の戯言か、それら全てを組み合わせた『新兵器』の開発・研究まであったとか。


 それはともかく。


 先ほどの光景は、到底人知の及ばない厄災にしか見えなかった。


「ねぇ、魔術じゃないなら、なに?」

「魔法」


 あっさりと、しかしトンチンカンな答えを出され、トゥシャルレイはポカンとしてしまった。


「魔術じゃないんじゃなかったの?」

「魔術じゃない。魔法だ」

「……からかってる?」


 眉を寄せて睨んでくるトゥシャルレイを、ラインは上から下まで見てから、息をついた。


 周囲を見渡し、出来るだけ街道にすぐ戻れて、しかし他者からはすぐに見つけられないような木々の間に入り込む。


「魔術と魔法は完全に別物だ。

 あと童話に出てくるような『魔法』なんてのとも違う。アレはあくまで空想だ」


 適当な小枝を拾い、土の上に大陸の形を大まかに描く。

 そしてそれを円で囲う。


「魔術は元になるものが存在する。

 この大陸を囲んでる『ルシフェルの結界』から流れてくる、分子レベルの物質。

 それと、本来異物だったそれに、人間の体が適応するために作るようになった物質」


 円の内側から大陸へ、流れる粒を描き足し、さらにシンプルな輪郭の人の形と別の粒を描く。


「それが俗に『魔力』って呼ばれてるもので、魔術師はその二つを感知して操作、組み換えをして魔術を成り立たせている」


 ラインはトゥシャルレイを見た。

 じっくりと地面の図を見て、ポツリと呟く。


「……絵は下手なんだ」

「うるさい、改めて言うな。大体わかればいいだろ」


 痛いところを突かれ、ラインは枝を放り捨て、ブーツの裏で描いたものをかき消した。


「学校の化学の授業で、分子構造のモデルとか見た事あるだろ?」

「あー……あの、丸いのがグチャグチャ繋がってるやつ……」


 嫌そうな顔をするトゥシャルレイ。

 苦手な科目に対する反応だった。

 それを見て、ラインは身も蓋もない言い方で説明する事にした。


「その丸が流れてくる魔力、丸を繋げてる線だか棒だかが人間が体内で作る魔力。

 2種類をブロックみたいに組み合わせて、色んな形に作れるのが魔術師だ」

「急にわかりやすくなった」


 途端に目を輝かせるトゥシャルレイに、ラインはやや呆れながら苦笑した。


「体内魔力の生成能力は生まれつきの素質だから、君には無理だぞ」

「えっ?少ないって事?」

「違う。君は……ーーー…………てか、少ないと死ぬぞ」

「死っ……!?」

「言っただろ、流れてくる魔力は本来異物だって。

 中和するために、人間が世代交代する内に身に付けたものなんだよ。

 たまに先祖返りして、体内魔力が極端に少ないか無い奴もいる。特別な措置をしない限り短命だ」


 トゥシャルレイは呆気に取られながら、自分の胸元に手をあてた。


 体内のどこで、どんな器官がどういった原理で、空気中に漂う異物に適応するための物質を作っているのかーーー

 人間の身体の詳しい部分は、未だ解明出来ていないという。


 自身の身体の事ながら、不明点が多いのは何とも不気味ではある。


 だが、それよりも不気味で不可解で、そして理不尽な存在がある前では、そんなものは霞む。


「魔術と全く違う理屈……ってよりも、究極の理不尽で使われるのが、魔法だ」

「究極の理不尽?」


 おうむ返しに聞くトゥシャルレイに、ラインはやや瞼を伏せた。


 先ほどの壊滅した町、汚泥に沈んだ聖堂、そしてーーー


「物理法則も何もかも無視して、際限なく理不尽を叩き込んでくるのが『魔法』。

……使えるのは、『ネフィリム』」


 言葉を止める。


 数秒の逡巡。

 先ほど乱雑に消した、地面に描いた図は、一部分だけ残っていた。


 簡単なシルエットの人の半身。

 それと、大陸の外の円の一部とそこから溢れる粒。


「…………それと『賢者セトの血族』の内の、」



 ーーー【聖女】。



 トゥシャルレイは、無言で首を傾げた。

 聞いた事がない、というふうに。


 ラインは密かに安堵した。


「……行くぞ」

「え?あ、うん」


 トゥシャルレイは、急に話が終わった事に戸惑いながらも、歩き出したラインの後を追った。


 相変わらず、剥き出しのまま握りしめられている長剣。


 気のせいだろうか?

 何か、喉を通る空気に清涼感が増しているような。

 だが、おかげで吐き気はおさまった。


 町から離れて、木々の中の空気を吸ったからだろうか?










==========









 街道に戻っても、トゥシャルレイはまだフラフラしていた。

 気分が悪そうに、時折口を押さえた。


 太陽はまだ空の真上まで登り切っていない。


 だが仕方がない。


「少し早いが、休憩を……」


 言いかけて、ラインは勢いよく後ろを振り返った。

 トゥシャルレイには何があったのかわからない。

 ただひどくぼんやりする。


 街道の遥か先を見据えるラインの、長剣を握る手に、力がこもる。


「クソ……あっちが早かった」


 憎々しげに呟き、トゥシャルレイに背を向けて剣を構える。

 彼が剣を構えるのを見るのは初めてだ。


 先ほどの天使信仰教徒の集団を相手取った時も、体術とナイフだけだったのに。


 フー……と息を細く吸うラインの目は、真っ直ぐ街道の向こう側を捕らえている。


 何も見えない、と思っていたが、それは違った。

 見えにくかっただけだった。


 頭までスッポリと覆った、不自然なほどに真っ白な外套を着込んだ、小さな人影。


 それが、スゥ、と顔を上げた。


 瞬間、トゥシャルレイはまたゾワッと体中に悪寒が走るのを感じた。

 何故か息苦しくまである。


 すると、ラインは剣で半円を描くように、横向きに払った。

 すると、突然息苦しさが消える。


 何をしたのか聞こうと、ラインの顔を見上げたが、トゥシャルレイは口を開ける事は出来なかった。


 まるで親の仇を見るような形相で、白い外套の人影を睨みつけていたからだ。


「トゥーシャ」


 そんな状態で呼びかけられ、トゥシャルレイは肩を跳ねさせた。


「な、なに?」


 聞くと同時に、ラインは剣の先を、今度は地面に向けた。

 また突き刺すのかと思ったが、剣先は地面の表面だけをガリガリッと削り、一本の線を書いただけ。


 そしてラインは、また改めて長剣を正面に構えた。


「その線から、こっちに絶対に来るな。来たら、蹴り飛ばしてでも戻す」


 有無を言わさぬ物言いだった。

 そうしている内に、小さな白い人影が、ハッキリ見えるようになった。


 金で縁取られた外套とフード。

 そこから見える、まるで彫刻のような顔。


 自分よりもずっと幼い、少年。


 少年は、フードを後ろへ引っ張って頭を出した。

 焦茶色の髪の、どこにでもいそうな風貌。

 なのに、異質さしか感じない。


 こちらを見る目に、光が一切ないのもあるが……

 黒い瞳のはずなのに、時折ガラス玉のように透明なような、水色のような、奇妙な色が映っている気がした。


 少年が、一歩一歩近付く。

 ジロリとトゥシャルレイを見てから、立ち塞がるラインの手の、長剣をジッと見つめる。


 そして、そこで初めて少年が笑った。


 しかしそれはあどけないものではなく、狂気をはらんだ恐ろしげな歪みきった笑みだった。


「『スペルビア』ごときで挑むのか?」


 初めて聞いた少年の声。

 声変わりもしていない高い声、と、何故か重々しい声が重なって聞こえた気がする。


 異様。

 異質。


 少年の姿の、得体の知れない存在に、ふとトゥシャルレイは思い出した。

 ラインと同行して数日、その間に何度か聞いた『ネフィリム』という名。


 脅しだろう。幼い子供に対する恐怖心を煽るための常套句のようなものだろう。

 今の今まで、話半分で聞いていた。


 だが、目の前にして悟った。

 地面に引かれた線から、一歩下がる。


 確信する。

 あれが、『ネフィリム』だ。


「はっ」


 ラインが、まるで小馬鹿にするように短く笑う。


「それを言うなら、お前こそあんな小物教徒をけしかけるなよ」


 挑発しつつも、ラインは構えを崩さなかった。

 切先を真っ直ぐに少年に向け、左足を下げて腰を少しばかり落とした、中段のオーソドックスな構え方。


 ラインは、ニヤリと口の端を上げた。


「『アドナキエル』」


 少年の顔色が変わった。


 驚愕と怒り、焦り、全てが入り混じった、またしても初めて見る、感情を表出させたもの。


 ラインはさらにニヤニヤして挑発を続けた。


「難儀だなぁ?剣を持つ奴に真名を知られちゃならないのに、偽名を使えないってのは」

「何をした!!」

「敬い奉ってくれる信者の胃に、『吐いたら死ぬ毒』でも仕込んでおけば良かったんじゃないか?

 そこまでやっても、チヤホヤしてもらえるかは、普段の行い次第だがな?」


 アドナキエルと呼ばれた少年は、光の灯らない目ながら憤りを露わにしていた。


 子供特有の癇癪ではない。

 ラインの挑発に、明らかに苛立ってはいるのだが、普通のそれとは異なる。

 格下の者から、顔に泥を投げつけられた。そんな屈辱じみた怒りと焦りだった。


 アドナキエルが右手をかざす。


 瞬間、トゥシャルレイのいる場所まで、おかしな臭いが漂ってきた。

 頭がクラクラするようなーーー


「【code:00a48d=vvBG】」


 ラインが魔術を使う。

 緑色の細かい光がチカチカと瞬いた。

 そう思った直後、おかしな臭いがかき消える。


 トゥシャルレイが、何がなんだかわからないでいると、アドナキエルが歯噛みした。


「こんな森の横の舗装された街道じゃ、即効性のある毒素に『変質』出来る気体なんか、そう種類はないだろ」


 あくまで小馬鹿にした口調を崩さず、しかし目だけは真っ直ぐアドナキエルを見据えて離さない。


 一方で、アドナキエルは怪訝な顔をした。

 あどけない少年のはずの顔が、老婆のようになる。


「お前は聖堂の者ではない、軍警察の者でもない。

何故そこまで知っている?」

「確かになぁ?不思議だよなぁ?」


 わざとおどけて、ラインは語尾を伸ばして煽り続けた。

 それと同時に、それまでずっと持っていたバックパックを落として、トゥシャルレイの方へ蹴る。


 転がって、中の物が派手にガランガランと音を立てる。


「トゥーシャ」

「へ?」


 急に呼ばれ、トゥシャルレイは目をぱちくりさせた。


「その中に入ってる鍋、口にあててろ。布より防げる」

「は?お鍋……?な、なんで?」

「アイツがさっきの町を、空気を毒化させて全滅させた犯人だからだ」


 ハッキリ言われ、トゥシャルレイは先ほどの光景を思い出して体を震わせた。


 こんな子供が?とも一瞬よぎるものの、ずっと感じる異質さと、先ほどの異臭を思い出して、疑問はすぐに吹き飛んだ。


 慌ててバッグを引き寄せ、中を漁る。

 ここ数日で何度か見た鍋を引っ張り出し、一瞬迷ったものの新品のように手入れされていたそれを、ガボッと被った。


 ラインは二度見しながら、口にあてろと言ったんだが、と突っ込みかけたのを飲み込んだ。


 正面に向き直り、アドナキエルを睨む。

 格下相手に散々嘲笑されたからか、相当苛立っていた。


 もういいか、とラインはスウッ……と表情の温度を下げた。

 引いた左足の踵で、数回地面を叩く。


「ーーー俺は、オラトリオ聖堂に居た」


 ザァッと、アドナキエルの表情がまたも変わる。

 その瞬間、ラインは飛び出した。


「【code:a0d8ef=skB】!」


 重力緩和の魔術で加速をつける。

 アドナキエルが左手を前へ出した。


「【code:0f5779=DkB】!」


 ラインの体が、引っ張られたように真上へ上がる。

 重力反転の魔術は操作が困難だが、ラインは瞬間的にだけ使用した。

 それによって、通常ならばあり得ない速度と高さで跳躍した。


 アドナキエルの体を飛び越えて真後ろに着地する。

 振り向きながら長剣の間合いから逃れようと、アドナキエルは距離を取ろうと動いた。


 それを逃さず、剣から右手を離してアドナキエルの腕を掴む。


「【code:0f5779=DkB】!」


 先ほど自身の跳躍に使ったものと同じ魔術を、今度はアドナキエルの体に使う。

 少年の小さな身体が、寸前のラインと同じように真上へ飛び上がる。


 自身の弱点たる剣にばかり注意をしていたからだ。

 そしてまさか、下手をすれば相手の体を分子レベルで変質させる事が出来る自分に、自ら触れるなどと思わなかったのだろう。


 アドナキエルは目を見開いていた。

 そこに、右手の指先を向ける。


「【code:d7003a=KuR】」


 紅の熱線が、アドナキエルの細い足を貫く。




 師に刻みつけられた、戦い方。

 ラインはそれを徹底していた。






========







「俺は、何も出来なかった」


「俺は、何も守れなかった」


「俺には、何もない」


「…………」


「だから」


「血反吐を吐いたって良い」

「何をしても構わない」

「何をされても構わない」

「俺の全てを犠牲にしていい」

「どれだけ汚れてもいい」

「どんな泥でも被ってやる」

「腕の一本でも、内臓ひとつでもなくなったって、動ければどうでもいい」


「何だってやる」


「だから」


「俺に、俺が使えるものを全部、叩き込んでくれ」








「お前には、剣術のセンスはない」


「死に物狂いでやったとしても、数十年掛けて二段だか三段だかの階級を与えられる、その程度までしか登れない。

 人間やその辺の動物相手ならそれで十分だが、魔術の補助付きでも、上位のネフィリムには通用しないだろうな」


「どうすればいいか?」


「挑発しろ。嘲笑しろ。思いっきり小馬鹿にしてやれ」


「ネフィリムの本当の弱点は、『剣』じゃない。

人間に対する『慢心』だ。

 元天使サマだからな。人間より優れてるプライドがある。

 プライドって言うのもおかしいか。自分の家にノコノコ入ってきた害虫を叩き潰して捨てるのに、何か感想があるか?ってレベルだ」


「そんなゴミムシ相手から馬鹿にされるんだ。面白いくらいにノッてくるぞ?」


「意表を突け。

 やり方は全部叩き込んでやる。死んでも文句言うなよ?それくらいやらねぇと、お前には無理だ」


「ブラフを使え。イカサマしろ。

 ネフィリムの子どもの身体を、完全に行動不能にしろ。真名を知ってトドメを刺すのは、最後の最後。

 あの身体はただの器だ」


「知ってる?知っていても、咄嗟に動けるか?てめぇよりも幼い外見のガキだぞ?

 よっぽど理性がぶっ飛んでなきゃ、普通は殴るのもためらう」


「理性を極限まで封じ込めろ。

 それもこれから、その脳みそに刻み込んでやる。

 ためらった分、骨が一本ずつ折れると思っておけよ?」


「『鞘』で出来ない事もないらしいが……その分、時間が必要になる」


「卑怯になれ。卑劣になれ。冷徹になれ」


「そうしてから」


「躊躇なく、斬れ」







===========






 そんな戦い方を、今さら躊躇などしない。

 先の天使信仰教徒の男は、拷問して真名を吐かせた末にその辺に捨てた。


 ただ、引っ掛かりはあった。


(トゥーシャの前でやれるのか?)


 街道に出て、剣に巻きつけた簡易的な『封』を解いてから、ずっと自問していた。

 ネフィリムを相手にしている時に、教徒らを前にした時と同じ遮断の魔術を使い続ける余裕はおそらくない。


 結局答えは出なかったが、トゥシャルレイの予想外の行動に助けられる事になった。


 天然か、本能的なものかはわからないが。


 アドナキエルは着地する寸前に、周囲の気体を『変質』させて圧縮し、衝撃を和らげた。

 地面に立ち、ガクン、と体が傾いて、貫かれた左足の膝を見下ろす。


 ピンポイントで撃ち抜かれ、動かない事にようやく気付いたのだろう。

 身体を入れ物としか見ていない故だ。


「……“久方の、天つ印水無し川”」


 動かない足に苛立つアドナキエルに、長剣を下段に構える。

 すると、アドナキエルは両手を広げた。


「“隔てて置きし”」


 かすかに空気が動く。


 その中で、ラインはほんの僅かな異臭に気付いた。

 アーモンドを砕いた時のような。


 シアン化物の臭い。


 アドナキエルが微笑する。

 先ほどは酸素のみを『変質』させたオゾン臭だったが、今度は大気の大半を占める窒素を、複雑に『変質』させたのだ。


 ラインは、トゥシャルレイの方を見た。

 相変わらず鍋を被っていたが、全く見えない事が気になるのか、ソロリとその鍋を上げようとしているところだった。


「毒だ!!伏せてろ!!」


 怒鳴った途端、トゥシャルレイはビクッと一度跳ね上がってから、鍋を両手で掴んで地面に伏せた。


 直後、ラインは口元を押さえて身体を震わせた。

 アドナキエルがさらに笑みを深める。

 穴が開いた膝にもものともせず、左手の平をラインに向けてゆっくり歩き出す。


 ラインはうつむいて、足をふらつかせた。

 倒れまいと、剣を地面に刺してバランスを取る。


 臭いが強くなる。

 アドナキエルは数メートル先まで近寄って来ていた。


 ラインは身体を折り、嘔吐した。

 それを見たアドナキエルは勝利を確信した目で、さらに歩み寄った。


 そして、



 長剣の間合いの内側に、入った。



「“神代し恨めし”」


 瞬時に、ラインは長剣を地面から引き抜き、アドナキエルを下から袈裟懸けに斬った。


「なっ……」


 真っ白な外套が、鮮血に染まる。


「なぜ、効かなーーー」

「効いてるに決まってんだろ。気持ち悪い」


 のけぞるアドナキエルの襟首を捕まえ、言い放つ。


「我慢してる、だけだ」


 簡単に言い切って、ラインは少年の身体の胸を、長剣の柄まで突き刺した。


 ゴポ、と少年の口から血がこぼれる。


「“アドナキエル、『断絶』″」


 甲高い悲鳴が上がる。

 少年の声と、その中の別のものの悲鳴が重なり、ガラスを引っ掻き回すよりも不快な金切り声。


 離れた場所で伏せているトゥシャルレイも、思わず耳を塞ぐ。


 ラインは奥歯を噛み締め、掴んでいた外套の襟から手を離し、剣を両手で握り直して、思い切り振り上げた。


 プツリ、と糸が切れたように悲鳴が止む。


 胸から肩を切り裂かれた少年の身体は、静かに血を溢れさせて、仰向けに倒れた。


 ラインは完全に事切れた少年を数秒見下ろし、また嘔吐した。


 片膝をつきながら、空中に手をかざす。


「……【code:00a48d=vvBG】」


 アドナキエルが大気中の窒素を『変質』させた、シアン化物を含む周囲の空気を、分解し無毒化する。


「ライン!」


 聞き覚えのある男の声。

 霞む視界の端、トゥシャルレイの側に飛び込んでくる黒い人影。


「おそ、い……馬鹿……兄」









 突然自分の真横に降って来た、足音と男の声に、トゥシャルレイはまたも体を跳ねさせた。

 伏せた状態のまま、被っている鍋の縁をつまんで、少しばかり上げてみる。


 最初に見えたのは黒い足だった。

 それからさらに視界を広げていくが、かなり上まで見ても黒一色。

 ラインの服装も黒が基調だったが、黒のみではないのは確かだ。


 じゃあ誰?


 そう思って、ついにトゥシャルレイは鍋を頭から外した。

 地面から見上げているせいもあるが、そこにはかなりの長身の青年が立っていた。


 見覚えは全くない。

 しかし黒一色の服の上に、さらに黒いマントというおかしな格好の方に目がいってしまう。


「おい、嬢ちゃん!」


 その青年が自分を見下ろして叫ぶ。


「え……誰」

「後で話す!ラインのところに、これ持って行け!今すぐ!」


 ぐいっと無遠慮に手を引っ張られて立たされ、目の前に長い何かを突き出された。


 鞘だ。剣の鞘。


 長く無骨で、装飾の類いは一切ない。

 ただ何故か、側面に蝶番がついていた。真横から開く、おかしな造りだった。


「なにこれ」

「アイツのあの剣の鞘だ!早く持って行ってやれ!」

「いや、貴方が持っていけば」

「俺は今無理なんだよ!近寄ったらぶっ倒れる!」

「はあ?」


 意味がわからない。

 ただ必死に訴えてくる青年を見て、意外と美形だったと思うしかなかった。服装で台無しだが。


 青年は最大限まで焦って、トゥシャルレイに鞘を押し付けた。

 反射的に持ってしまう。

 長さから相当な重さを想像していたが、妙に軽い。


 青年が、今にも倒れそうになっているラインを指差す。


「早く行け!真っ直ぐ!」

「何、もう!」


 訳がわからない事だらけだ。

 だがその青年の剣幕に押され、トゥシャルレイは鞘を両手で抱えて走り出した。


 が。


「ひえっ」


 少年の死体に気付き、足を止めてしまう。


 すると、ラインがわずかに顔を上げた。

 真紅の目は虚ろながら、彼女を見て、そして少年の死体を見る。


 それに反応し、ラインの右手がふらふらと上がる。


「……【code:fffffe=Wt】」


 バクン!と、唐突に。

 死体があった地面ごと、見えない獣に飲み込まれたように抉れて消えた。


「……へ?」

「馬鹿か、お前!!」


 背後の喚き声に、トゥシャルレイは思わず振り向いた。

 黒髪をガシガシ掻きむしり、青年が地面を蹴る。


「やれるなら自分の解毒しろ!」


 その青年の言葉で気付く。


 ラインは魔術で、自分の中の毒を解毒するより先に、無残な光景を消し去るのを優先させたのだ。


 トゥシャルレイが怯えたから。


 理解すると、猛烈な焦燥感が生まれた。

 早く行かないと、早くしないと、と急に思った。


 鞘をしっかり抱え直し、トゥシャルレイは慌てて走った。

 軽いが、長さが長さなので、どうしてももたついてしまうのがもどかしい。

 そう距離は離れていないはずなのに、遠く感じた。


 滑り込むようにラインの傍らにつく。


「ライン!えっと……あの人?が……」


 側に来て、ラインが脂汗を大量にかいて、呼吸も荒いのがわかり、さらに焦る。


「ね、ねぇ!?大丈夫!?どうしよ……水とか、タオルとかいる?!」


 こんな時にどうするかなどまるで知らない。

 トゥシャルレイは思いつく物の名前を上げた。


 だがラインはそれには答えず、彼女が抱えてきた鞘を掴んだ。


「わっ!?」


 突如、鞘が真横に開く。

 驚いて手を離し、尻もちをつく。

 開いた鞘の内側に、小さく文字が見えたが、トゥシャルレイがそれを読む前に、ラインは剣を鞘に収めた。


 バチン、と金具がはまる音が一つ響いた。


「おい、剣は鞘に入れたのか!?」


 青年がまた叫ぶ。

 誰に問いかけたのかはわからないが、ラインはまだ呼吸が荒く返事が出来そうにない。

 トゥシャルレイは振り向いて、頭を上下にブンブンと振って肯定した。


「よし!」


 一言、青年はこちらに向かって駆け寄って来た。


「何なの!来られるんじゃない!」

「ついさっきまで無理だったんだよ!この馬鹿が剣を剥き出しで持ってっから!!」


 マントを翻して屈み、青年はラインの体に掌をあてた。


「【code:00a48d=vvBG】!」


 先ほどから何度か見た、緑色の光の粒が舞う魔術。

 青ざめ始めていたラインの顔と荒かった呼吸が、徐々に穏やかなものになる。


 トゥシャルレイはホッと息をついた。

 そしてすぐ近くで、青年が盛大に息を吐いて地面にへたり込む。


 自分よりもオーバーなリアクションに、ついそちらを見てしまう。


 その青年は、右手の掌を額に押し当て、前髪の付け根をかいた。


 見た事のある妙な癖だった。


「……ねぇ、あなた、誰?」


 ようやく訊きたかった事を言えた。


 青年はトゥシャルレイを見てからラインを見、息を吸って空を見上げた。


「俺はディラル。ディラル・ウィスカニア」

「ウィスカニア?」


 今度は聞いた事のあるファミリーネーム。


「そこで馬鹿やってたライン・ウィスカニアの兄貴だ」

「兄っ!?」

「いやまぁ、正確に言うと戸籍上ってだけの兄、つか兄弟子と言うか」

「……おい」


 地を這うような低い声に、青年、ディラルの言葉が止まる。


 ラインが、ようやく焦点の定まった真紅の目で、ディラルを睨み上げていた。


「余計な事、言うな」

「………………へぃへぃ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。