『堕天』-7
冷えた鋭い風が頬を刺し、マモルは微睡から覚めた。
目の前には、わずかな明かりに照らされた無機質な灰の天井が広がっている。
どこかに隙間があるのだろうか。時折、細くて強い風が吹きつけてくる。
まるで病院の床のように硬い床が背中を押し、さっきまで感じていたシートの感覚が恋しくなった。
「……夢、だったのか」
自分はさっきまで映画館のような場所にいた気がする。
隣にはよく知った女の子がいて、その姿が徐々に——
「サナ」
自然と口から溢れた言葉。だがこれまでとは違い、言葉の中にほんのり熱を帯びているような、体の芯が少し暖かくなるような気がした。
「おはよう。マモル」
自分を呼ぶ声の方に眼を向ける。天井と同じ無機質な壁によりかかりアパルが座っていた。
「アパル。……ここは?」
「わからない。僕はあの後、暗黒騎士に連れられて気がついた時にはここに閉じ込められていた。顔を覆われていたから道中のことはさっぱりわからない。けど、そんなに遠くには来てないはずだ」
そう言うと、アパルは服の上から腕を掻いた。
小さな明かりに照らされたアパルの肌は、所々赤く変色している。袖から見える右手の甲は痛々しく爛れていた。痛みを我慢しているのか、額は汗でぐっしょり濡れているように見える。
「大丈夫か?」
マモルはアパルを気遣うが、なんて言えばいいかわからず、当たり障りのない言葉を選ぶことしかできなかった。
「ああ、問題ないよ。まだね。けれど——」
「んごぉおおお」
アパルの言葉を獣のような唸り声が遮った。
突然のことにマモルは身をこわばらせる。
「が、んが」
声はまだ続いている。
どことなく女性の声のようにも思える。
「そういば、もう一人いたんだ」
アパルが反対側の端を指差す。
そこには軍服のような格好の、赤毛の女性が仰向けに倒れていた。
いや、寝ている。
よほど疲れていたのか、口を大きく開けて涎を垂らしている。
熟睡のようだ。
状況を考えると、彼女もここに囚われているだろう。
それにしては豪胆なイビキに、思わず苦笑が漏れた。
「僕らが来たときには既にあんな状態だったよ。いろいろ聞きたいけど、あそこまで気持ちよく寝てると、起こすも悪いかと思って」
アパルは頬をぽりぽり掻きながら半笑いを浮かべた。
◆◆◆
イビキをBGMにして、時だけが過ぎていく。
二人はお互いのことを交互に話していた。
とは言ってもマモルは殆ど何も覚えていない。ただ、アパルの言葉の端々に、自分と重なるものがある気がしていた。
「僕には妹がいたんだ。離れ離れになってだいぶ経つから、向こうは僕のことなんて忘れてるかもしれない。けれどもしまた会えたら、その時はこう言ってやろうと思う。『お兄ちゃんが迎えにきてやったぞ』って」
妹。
その言葉がマモルの胸の中に杭となって残った。
自分にも妹がいた気がする。いつも自分の前を歩きながら生意気な言葉をかけてくる。だがそれは不快ではなく、むしろこの上なく愛おしいような、そんな感覚。
そうだ、自分にもいる。アパルのように愛する妹が。
「きっと会えるさ。僕にも妹がいた……気がする。たぶん、仲が良かった。今はご覧の通り離れ離れだけど」
アパルの顔に笑顔が灯る。だが、どこか影があるように見えた。
「僕たちは一緒だね。やっぱり、そうなるんだな」
「どういうこと?」
少しの間考え込むような表情を浮かべ、アパルは立ち上がる。
「マモル。君に、話さないといけないことがある。とても大切なことだ」
真剣な表情でアパルは告げた。
「僕と、君は——」
「申し訳ございません!!!」
「「え?」」
二人の戸惑った声が重なる。
声の先にはあの女性がいた。
ビクッと肩を跳ねさせたかと思ったら突如上半身を起こし、大きく血走った眼で二人を凝視していた。
呼吸は荒く、顔には大量の汗が思春期のニキビのように浮かんでいる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
三人の視線が交わる。
「えっと、ここ、どこ?」
◆◆◆
「ふむ、状況は理解しました。情報提供に感謝します」
アナ・スカーレットと名乗る女性は、軽く自己紹介を済ませて、マモルたちの話を聞いた。と言っても話したのは殆どアパルでマモルは2人の会話に相槌を打つことしかできなかった。
《ISI》という組織の捜査官という肩書を聞いた時、マモルは「FBI」みたいな感じかと思ったが、その意味は頭の中に引っかかったまま出てこなかった。
「アパルさんとマモルさんは森に墜落した何かを見に行こうとして何者かに捕まった、と。ふむ……」
アナは考え込む素振りをしながら口を閉ざした。
マモルはこっそりとアパルに視線を向ける。アナに話した内容にいくつか抜けていることがあったからだ。
アパルがこの村出身であること。森の中に堕ちたのは神だということ。そして、自分たちを捕らえたのは黒衣の騎士だということ。
アパルはおそらく、意図的に話さなかった。その意図はわからないが、彼女に知られたら何かまずいことがあるのかと勘繰ってしまう。
「ところで、1つお伺いしてもいいでしょうか?」
アナはマモルとアパルを交互に見ながら口を開いた。
「お二人の雰囲気はとてもよく似てると思うのですが、兄弟か何かでしょうか?」
「……え?」
マモルは何を言われているのか分からなかった。今までなんで気が付かなかったのか。
だが、そもそも自分の顔を思い出せない。
咄嗟にアパルを見た。長い前髪の隙間から、微かに顔が覗く。
自分と同い歳くらいの青年の顔には、焦りが滲んでいるように見えた。
「もしかして、お二人はこの村の出身ではないでしょうか?」
アナの声が低くなる。マモルたちを問い詰めるような意図を孕んだその言葉は、尋問のようだった。
「ち、違いますよ。僕たちはついこの間出会ったばかりですから」
マモルは声を発することができなかった。
あれが自分の顔。そしてアパルには自分と同じように妹がいる。
「なあ、アパル。君の妹の名前は、なんていうんだ?」
マモルは震えるような声を発した。
アパルはマモルの方を振り向くが、視線を合わせようとはしない。
「……聞いて、どうするんだ?」
アパルの声も震えている。
マモルに聞かれたくないかのように。
「教えてくれ。頼む」
マモルは震えを抑え、低い声を絞り出す。
もしかしたら……当たってほしくない予想が脳裏を過った。
沈黙が無機質な部屋を包み込む。
その時、ガチャリと音がした。
見知らぬ男が2人の黒衣の騎士を引き連れて、部屋の中に入ってきた。




