群れ
感染者の群れに決まった形はない。主に群れのリーダーの意向によって様々な形に分類される。群れで階級を設けたり、集まる感染者の傾向も、その性質も様々だ。独自の宗教を信仰する者、単なる簒奪者の集まり……中でも、特に規模の大きな群れが三つある。
その一つが創世教団。人間のシンパを加えた不気味な集団で、リーダーらしい人物がどこにもいない。誰の命令で何のために動いているのか、その規模も目的も判然としない。にもかかわらず世界に及ぼす影響力は絶大で、他の勢力の追随を許さない規模でどこかにある。
その集団を動かせる者は複数存在し、リーダーとまでは言えないが曲がりなりにもまとまっているのは彼ら、いや彼女らの存在が大きい。
自らを皇女と呼称する彼女ら、つまりリーダーは皇帝ということになるのだが、その皇帝がどこにも見当たらないのに、表舞台に立って戦う献身的な、見目は美しい怪物たちだ。
数は十にも満たないながら、容赦なく、仲間にさえ手心を加えない、神のように振舞う彼女らは、その戦闘能力も創世教団の中で別格だ。
人間の簒奪が激しい群れのボスを単独で撃破、または群れごと殲滅する。逆らう者には容赦なく、表向きは人間との共存共栄を謳っている創世教団の教義のために彼女らは動く。
ただ彼らの教団が、ただ人と仲良くしたいだけの夢想家でないとわかるのが、その振るわれる力が平等に人に対しても振るわれるところ。
表社会に出てくる大事件、または珍事の類には必ずといっていいほど、この組織が関わっている。わかっているのは集団の名が『創世教団』であるという事だけで、その他一切は謎に包まれている。
そして、その対極に、これほど分かりやすい組織はない。力こそ正義、わかりやすいほどの弱肉強食、その教義を部族の中で徹底させることで秩序を保つ武闘派集団、一番強い者がリーダーというわかりやすい組織形態を持つ月下の大家だ。
かつて中国大陸と呼ばれていた砂漠地帯に宮殿を築き、大陸の半分を砂漠に変えた足無し巨獣<サンドワーム>を相手に修行を重ね、その強靭な肉体を磨き上げた拳法家たち。
刃を通さないぶよぶよな身体に粘り強く、拳や蹴りを叩き込み、一部例外はあるものの、食われず生き残った者だけを月下の大家の一員に迎えるイカれた集団。
そしてこちらもイカれ具合では引けを取らない、狂気に支配された殺戮集団グリードスペンサー率いるフリューゲル機関も三大組織にあげられる。殺したい者を殺し、なりふり構わず暗殺者の楽園を創造する。
リーダーであるグリードスペンサーの死生観は常軌を逸しており、長年の研究で多くの実験生物たちを世に送り出した。主人にすら牙を剥き、道徳も、他人の命令など聞くはずもないただの化け物たちを。
怪物たちは世界に散らばり、その方々で、ただ自然発生した脅威として恐れられる。なぜ、そんなことをするのかグリードスペンサーには明確な理由がない。
そもそもグリードスペンサーの胸中を理解するなど無理なのだ。彼の組織は、互いがどれだけ残酷になれるかを競っているかのように全員がイカれ、ただ恐怖を振りまいている。
結果的に自滅も厭わず、世に制御もできない怪物らを供給し続けているのだから生物としての根幹がすでに壊れている。
そんな中、生まれてかけている組織がある。今はただ、そのポテンシャルをうちに秘め、互いにぶつかりながら理解を深めている状況だ。相互理解?
どかっと右肩に衝撃があり、まじか!? と俺はソファーから転げ落ちた。床に顔面からダイブして、強かに顔を打って、滅茶苦茶痛い。
「いたあ……」
抗議の目で見上げれば、そこにいたの挑発的な目で俺を睥睨するアイラ・ミリオン。先刻の戦いで敗北し、俺は彼女の傘下に入った。
だからといって奴隷みたいな扱いは容認できない。俺は彼女の仲間として扱われるべきだ。確かに彼女の方が強いし、狼人間にも変身できる。俺に何ができるかと言えば、掃除、洗濯、身の回りの世話? いや、それもできるとは言い難い、つまり俺って奴隷以下?
いやいや、負けてたまるか、俺はいつかこの関係を変えてみせる。なにがご主人様だ。相手は仮にも女の子、逆らったら殺されかねないが――ごくりとつばを飲み込み、アイラを見つめる。
「アイラ――」
「ああん?」
「様」
睨まれてすぐに言い直した。俺の反抗は見抜かれていないはず。くそ、情けないが今はやめておこう。命拾いしたばかりだ。当分は言いなりになってやるさ。
「傷が治ったなら起きろ、仕事だ」
「仕事?」
アイラは強く舌打ちした。説明が面倒だから聞くなと言いたいらしい。研修もなしに新人いびりはいただけないが、俺は黙る。
「まず食料の調達だ。お前には手始めに、食料の入手方法と運搬を手伝ってもらう、次は一人でやってもらうからな、私に付いてきて学べ」
感染者の食料というからには、もしかして人の肉を調達しろとでも言うつもりか? まさか人間を攫ってこいとか言うんじゃ。
「アイラ、俺、人間をどうにかする気は……」
「お前みたいなどんくさい奴に大事な食料の確保なんか任せられるか、そっちは別の奴らに任せてる、私たちが直接、手出ししたらすぐに足がついちまうからな」
「へえ」
アイラにしてはよく考えているらしい。
「いずれわかることだがお前は荷物を受け取って持って帰るだけだ。お前の主な仕事は別だよ」
「別?」
アイラのこれまでの行動を思い、俺は嫌な予感がした。アイラは意地悪そうな、意味ありげな笑みを浮かべている。この顔は俺をこき使おうと考えている顔だろうな。俺もだんだんアイラの考えていることが分かるようになってきた。
「それが俺を排除しようとした理由なの?」
「お、勘がいいじゃねえか、そうだよ、こっちにだっていろいろあるんだ、だがまだ仲間だと認めたわけじゃないぞ、今はまだお試し期間だ」
「お試し?」
「まだお前がどこまで使えるか未知数だからな、それはおいおい――」
もし使えないとなったらどうなるのだろうか、その後の展開が少しばかり怖かった。
アイラは話している途中で『よっこいせっ』と立ち上がりキッチンに向かって、それからクーラーボックスを運んできた。その中には砕いた氷やらなんやらが敷き詰められていて、中にはパック詰めの肉が、二つほど埋まっている。二つのパック詰めされた肉を取り出し、一つを自分が、そのうちの一つを投げて寄越す。
パック詰めされた肉を受け取ると、アイラはさっそくパックを乱暴に開け、肉を取り出すと摘まんで逆さに持ち上げる。上を向いて口を大きく開け、摘まんだ肉を落とした。
口に入ったブロック肉をあまり咀嚼もせずに飲み込む。喉の形がブロック肉の形に変形、それは徐々にアイラの喉を通って下におりていく。さしずめ大蛇が獲物を丸呑みにしている姿だった。俺は額に青筋を立てて、その光景を凝視した。
見ていて気分のいいものではない。アイラは肉を飲み干した後、口の端についた血をペロと妖艶に舐めとる。おぞましい光景なはずなのに、不覚にも、アイラのエキセントリックな行動にエロスを感じてしまった。思わず心の中で舌打ちをする。なんか知らんがものすごく悔しい。
「お前も食っとけよ、そんなもんでも多少は腹に溜まるからな」
「これは?」
「鹿肉だ。食ってもエネルギー源にはならないが空腹感は多少抑えられる」
どうやら以前、俺が冷蔵庫で見た大量の肉は鹿肉だったらしい。まあ、あのときは冷蔵庫に肉が大量に敷き詰められた光景に圧倒されて、早々に退散したが、家主が危険人物かもしれないというあのときの感想はあながち間違ってなかったことになる。事実アイラは、人間ではなかったわけだし、実際に殺されかけたし。
その時、玄関の方からゴトっと音がした。
玄関は壊れたままなので野生動物でも入ってきたか? だがその音は玄関から徐々に廊下を通ってリビングへと近づきつつあった。野生動物ならわざわざ人の気配のある家屋に入ってくるだろうか、さっきからアイラはなにやら訝し気な目をしている。すくっと立ち上がり『後は任せる』と言ってどこかへ行ってしまった。
「任せる?」
アイラが告げたその言葉の意味を考えていると、リビングにそれが入ってきた。
干からびた顔をこちらに向け、うう……うう、と低い唸り声を発する感染者。瞳は白く濁り、定まっていない焦点を左右に振って獲物を探している。鼻先を動かし、ようやく俺の位置がわかったようで、目の前にある障害物にぶつかりながら向かって来る。
前も思ったが感染者は雑食なのか? 音を発する、若しくは温度のあるものに襲い掛かる性質があるが、相手が感染者だとわかると噛みつくだけで食うのをやめるのだろうか?
ちなみに感染者は獲物の位置を音や鼻先のビット器官(体温を感じ取れる蛇にもある器官)に似た感覚器を使って割り出している。昼間に感染者の動きが鈍くなるのは、気温の高い場所ではビット器官による獲物の判別が難しくなるからだ。
逆に夜間になると活発に動き、獲物を追う精度があがるのもそのためである。だから昼間に出た感染者は夜に遭遇する感染者より脅威度としては低いのだが。
「アイラ!! 感染者だよ!! どうにかしないと!!」
しかし案の定アイラからの返答はない。これは完全に俺に任せるという意味であんなことを言ったんだな。俺にいろいろと仕事を割り振るつもりらしいが、たぶんこっちが本命だ。この機に俺の戦闘能力を測る気かもしれない。いくら多少の傷が治る不死身とはいえ、そもそも普通の感染者と戦えないぐらいのレベルでは意味がないからな。
この状況はアイラにとって渡りに船。だから感染者の侵入をみすみす許したと言う事か。
「くそっ!! こっちは寝起きだってのに!!」
アイラが聞いているかどうかはわからないが俺は苦し紛れに言い訳をすると、感染者が押し倒しそうなテーブルにダッシュ。テーブルを起点に、感染者が来そうな反対側をぐるりと回って廊下に向かった。そのまま走って玄関へ、外に飛び出す。
しかし感染者は、先の動きや見た目通り、一分近く経っても出てこない。
一分と数秒後くらいに、満を持してか、もったいつけてか、感染者がゆっくりと玄関から外に出てきた。きょろきょろと、また獲物を見失っている。この感染者は今が昼間で獲物を見つける精度が落ちている以前に死にかけだ。正確には感染者は一度、死んでいるので干からびかけているが正解か。長い間、人間の肉を口にしていない所為で活動停止寸前だった。こいつなら俺にだって倒せるかもしれない。あいつの助力を得られなくても。
近くに感染者の頭を殴って倒せる、抱えられるくらいの石を探していたら、突然、感染者の首から上が無くなった。その切り口から血飛沫が上がる。
感染者が倒れ、その背後からアイラが現れる。その手には感染者から、もぎ取った頭部が握られていた。
手だけをワーウルフの毛深い腕に変え、アイラは落胆したように、呆れたようにこちらを見て、持っていた感染者の頭部をつまらなげに捨てる。
「いつまで待たせるんだ……こんな雑魚を始末するのに時間をかけすぎだ」
その声に責めるような響きはなかった。アイラならてっきり罵倒ぐらいはしそうなものだが、手に付着した赤黒い血を払いながら家に戻っていく。地面を見ると、そこにはアイラに頭部をもぎ取られた感染者の胴体がピクピクと痙攣しながら横たわっていた。
「まだ動いてる……」
「感染者ってのはそんなもんだろ。切り口が新しいなら互いの組織が癒着して繋がることもあるからな、お前、自分の事を思い返してみろよ、お前の方がよっぽどおかしいぜ」
アイラが呆れたように言った。確かに俺には類まれなる回復能力がある。それはアイラに言わせれば感染者ではありえないほどのものだ。首の骨が折れても元に戻る。本来、致命傷になるはずの怪我が俺にとっては言うほどでもない。痛みはそれなりにあるし、死ぬかもしれないとは思うものの、そうはいっても死なないのだ。
家に引き返すアイラの後を追いかけながら、俺はアイラの言葉の意味をもう一度、精査した。アイラも驚くような再生能力を俺はいつから持っているのかと。