Werewolf
「あの、さっきは逃げてしまってごめんなさい」
再度、謝れば、こちらの熱意が伝わるかと思ったがそんなことはなかった。むしろ油を注いだかのように女は俺への興味をなくし、訝し気に眉を顰める。
『ふん』と鼻を鳴らし、こちらの誠意を断ち切ると女はつまらなそうに首を振る。
「もういい、私に歯向かってくる奴は見せしめにするか、ただ殺すかのどちらかしかない」
女の、かたくなな態度は変わらない。何を言っても無駄だと悟った。怒りというよりも、ただ決められた作業を淡々と実行するかのような虚無感が彼女のしぐさからはうかがえる。
確かにあれほどの怪力を有している相手だ。生半可な説得には応じないだろうし、応じる必要性もない。常人離れした身体能力。あれが女性にかたくなな態度をとらせたところで何ら問題ない自信をみなぎらせている。
俺の直感が告げていた。このまま戦えば無事では済まないと。しかし戦いを回避する方法が思いつかない。
彼女はゴキリと体を鳴らした。
骨が鳴ったのか筋肉が鳴ったのかわからなかったが、そんな、おぞけの伴う恐ろしい音がしたかと思うと、さらに不思議なことにどこからともなく『グルルル……』と犬だか狼だかの唸り声が響く。
彼女から聞こえた気がしたが今のはなんだ? それに、なんとなくだが彼女の身体が最初、見た時よりも大きくなっている気がする。
「え」
「じゃ、ちゃっちゃと済ませるぞ。こっちも暇じゃねんだ」
女性が言い終わるや、その身体が急に膨らんだ。髪が逆立ち、全身の筋肉が盛り上がっていく。獣の耳に、鋭い牙、鼻から顎にかけてが前方に突き出す。
まるでVFXでも見ているように、女性が着ていた服の繊維が、増幅した筋肉によって引き裂かれていく。女性の身体は見上げるほどの大きさになっていた。
変身を終えたそれは狼人間、さっきまで目の前にいた魅力的な女性の面影など微塵もない恐怖を振りまく存在だ。
「AOOOOOOOOOOOO!!」
狼人間が雄たけびをあげる。肌がビリビリとピリついた。
俺は茫然自失とそれを見上げ、打つ手がないことを自覚した。
こんな化け物と戦うなんて冗談じゃない。女が怪力だったわけ、自信満々だったわけ、好戦的だったわけを理解した。人間じゃない。
思考がこれまでの違和感を多角的に分析した。彼女が俺を正確に追ってきた理由、それは嗅覚が異様に発達していたから。そして俺の足になんなく追いつく強靭な脚力。
「化け物……」
『今度は変身型か……感染者の中でもこの手の手合いは厄介だ。純粋なフィジカル対フィジカル、見た目の脅威度が、そのまま強さに直結する』
こんなときにいらないアドバイスをしてくれる。それにしてもこれが感染者? 感染者ってゾンビみたいな見た目をした奴らだけじゃないのか、変身型だって? それに普通にしゃべってたぞ。
『本来の感染者はこっちが主流だ。動く死体と違って特殊能力を発揮する』
『特殊能力?』
『お前も、その力の片鱗を見たはずだがな……まあ、あれは変身というより単なる筋力の移動にすぎなかったが本質は同じだ』
そういえば俺はシャッターを塞ぐ感染者を動かすために腕を巨大化させたことがある。あれも同じ特殊能力だというのか、それはつまり俺も彼女と同じ感染者ってこと……そんなばかな。
『俺が感染者……』
『初めからな』
『初めから?』
『無駄話をしている暇はない、来るぞ』
ワーウルフがすごい勢いで突っ込んできた。まるでレーシングカーみたいなスピードだ。
なんとか横に転がり無様に躱す。ワーウルフがさらに繰り出してきた拳を寸でで避け――俺の背後に立っていた木がワーウルフの繰り出した拳を受けて中ほどからべきべきとへし折れた。
この打撃力、一撃でも食らえばおしまいだ。間違いなく即死。
「ッ!?」
いきなり衝撃があり、風圧と共に、しばしの浮遊感。
「ごほっ!?」
地面を何度かバウンドし、気づけば背中を大木に打ちつけていた。なにが起こったのかわからなかった。吹っ飛ばされた? 打撃は食らってないはずなのに……とりあえず木に手をついて体を起こそうとしたが呼吸ができずに咳き込んでしまう。なんだ、何を食らった? いきなり吹っ飛ばされたのでわけがわからない。単なる風圧でここまで? 当たっていないのにこの威力。はっきり言って規格外。
全身……いや、特に背中が痛い。内臓にダメージがあるみたいだ……背中……肺だな。
げほげほと咳き込みながら前を向くと、すでに目の前までワーウルフが迫っていた。避けなければと瞬間的に思考を巡らせ、考える前に身体を動かした。また転がってワーウルフの攻撃を避ける。常に考えるより先に動かなければ立ち止まった瞬間あの世行きだ。
息つく暇もなく、頭上に影。ワーウルフが拳を振り下ろす。
ぎりぎりで攻撃を避ける。攻撃は見えていても反応するのがやっと。
「お前、見た目以上に脆いな、目は悪くないが体が軽い」
ワーウルフが全力で繰り出した拳でもないのに風圧で吹っ飛んだ俺とワーウルフの身体能力の差は天と地ほどだ。しかも先ほどの攻撃が全力でなかった証拠として、ワーウルフの腕が突如、予想外なほど素早く伸びた。
今まではなんとか躱せていたのに、今度は簡単に拘束されてしまい、掴み上げられる。徐々に拘束の力が強まり、全身の骨が軋み始めた。
「ぐっ!?」
「終わりだ、潰れろ……」
その冷酷な声に、俺は抵抗を諦めかけていた、そのとき――。
『噛み付け!』
俺は頭に響いたその声の通りに動いた。目の前の毛深いワーウルフの指に噛み付くと、怯んだワーウルフの手から逃れるため全身の筋肉移動で体を縮める。それしか脱出の糸口はなかった。
地面に着地すると同時に四足歩行。ワーウルフの両足の間から見える景色が、どんどんズームアップしていく。逃走経路を確認、あとは全力疾走あるのみだ。
そういえば俺のとっているこの体勢は、昨日、戦ったあの異質な感染者のものと同一だ。あいつも四足歩行になり器用に銃弾を避けていた。今ならわかる、あれが単なる態勢の違いだけではなかったことに。この態勢で初めて使える能力、地面につけた四肢からエネルギーを吸収するかの如く、感覚が研ぎ澄まされる。視界がよりクリアに、自分以外の物質、周囲のスピードがスローモーションのように遅くなる。
俺は瞬時に理解し、走った。おおよそ人間には発揮できない瞬発力と脚力でワーウルフの股を抜いて疾走する。
完全に意表を突けたと思った。このまま逃げ切れるはずだった。だが一抹の不安を抱き、ぐんぐんスピードが乗っていき、もういいかと後ろを振り返ると、そこには絶望が待ち構えていた。
ワーウルフも同じく、四足歩行で俺のすぐ後ろにいた。舌を出しながら、バフバフと息を吐きながら、付かず離れず、すでに追いつかれそうだ。全身に悪寒が走った。変身能力を有する感染者のフィジカルの強さ。その異常性に。
『なるほど、こいつのパワーは異常だ。単なる変身型とは思えない。ガードしないとまずい』
ワーウルフが手を伸ばしてきたので逃走を諦め、身体を固めてガードする。
防いだところで焼け石に水なのはわかりきっていた。俺に一瞬で追いつく脚力、そのスピードから放たれる剛腕。俺の防御など簡単に突破してしまう。
「ぐっ!?」
案の定、受けた瞬間、信じられない衝撃が俺を襲った。
まるでダンプカーに跳ね飛ばされたみたいに、俺は腕を砕かれた。地面、岩石、あらゆるものに体をぶつけながら、ぼろ雑巾のように地面を転がる。
気が付けばうつ伏せになっていた。体が動かないどころかしゃべれもしない。身体がねじれ、腕や足があらぬ方向に向いている。
でもかろうじて生きていた。まさしく生きているだけだが……。
こ、コフ……。咳き込むたびに砕けた肋骨が肺に突き刺さっているかのような激痛が走る。息をするだけで首が痛む。もちろん身体はぴくりとも動かせず。そもそも四肢に力が入らない。
なんとか声を絞り出すと『あえ……』と、声にもならないうめき声が漏れた。
呂律も回らず、ただ思考だけは正常に働く。視覚も半分欠け、相当やばい状態だ。
「こ、これ……あ……」
死にかけてるのは自覚した。だがゴキブリ並みの生命力で生にしがみついている。死ねない人間、その苦しみがようやくわかった。苦しくても生きるしかない。楽になれない体なのだ。
『安心しろ、俺たちは簡単に死ねない』
『どうすればいい?』
呂律は回らなくとも、思考は正常だった。念話もできる。
『下手に動くな、回復が遅れる』
頭の中で『わかった』と応じる。脱力すると身体がゴキっと音を発した。音がでた部分がじんわりと熱くなっていく。どうやら徐々に回復していっているようだ。痛みも少しづつだが和らいでいた。
折れた骨が再生? とんでもないな。感染者にはこんな能力もあるのか、いや俺だけに備わった能力かもしれない。感染者に噛まれた拳の傷も、あれだけ苦しんだ熱も一晩で回復した。
自分が感染者であるという自覚が徐々に芽生え始める。少なくとも普通の人間じゃないのだと。
ドシンドシンと地響きが聞こえ、それがすぐそばで止まった。顔を動かせるようになったので、それを見上げる。
「まだ生きてるのか……」
ワーウルフからの、その問いに答えるかのように身体をゴキっと半回転させて俺は、背骨を正しい位置に調整した。ワーウルフのぎょっとした顔が目の前にある。
「その状態で治るのか……化け物め……」
どっちが本物の化け物なのかは甚だ疑問だ。少なくとも狼人間に言われたくはない。
俺はようやく立ち上がれるまでになった。ワーウルフは何を思ったのか攻撃もせずに俺を見て、くくと笑う。その体が徐々に縮み、ボロきれを纏う女性がそこにいた。
「いいだろう、話ぐらいは聞いてやる、このまま殺してもつまらんしな、お前を生かしておけば私のメリットになりそうだ」
俺はようやく落ち着いて話ができるようになったことに安堵した。息を大きく吐き出した。
「見逃してくれるってことか?」
「命を助けてやるってことだ。その代わりお前はこれから私の奴隷だ。こき使ってやるから喜べ」
まったくうれしくない提案に言葉を失ったが、ほかに手はなかった。このまま戦いを続けるぞと言われても絶望的な未来しか想像できない。
俺は大人しく頷くしかなかった。ここは従っておこう、殺されるよりはマシだ。
「いいだろう、賢明な判断だ」
女性はうなずき、近づいてくる。ボロを纏っているものの、その奥は素肌。見えそうで見えない魅力的な肢体をしていた。あれだけ毛深かったワーウルフの体が、今は出るところが出た女性の裸体。目のやり場に困る。特に横乳やら下乳やら、双丘のふくらみがすごい。
女性は至近距離に近づいてくるなり俺を強引に抱き寄せた。ハグをしてきた? なんのために? と思った瞬間、ガリッ。
「があっ!?」
血しぶきが上がる。首を噛まれた。まるでドラキュラのように、かなり強く。ガリっと音を立てるほど。せっかく回復したばかりなのに、さっそく次の痛みに苦しむことになるだなんて最悪だ。
あまりの痛み、理不尽さに目じりに涙が溜まった。地面をのたうち回っていた俺は抗議のために、首を押さえながら女性を見上げる。
「なんで……」
「一応の確認だ、お前にほかに仲間がいないか、嘘をついてないかのな」
女は口に含んだ血をぺっと地面に吐くと、真っ赤に染まった口を粗雑に腕で拭った。顎から粘着性の血がしたたり落ちている。
「グルル……、よし行くぞ」
『一部の感染者は対象の血を摂取することで、その生体情報を取得する。すべてがリセットされている俺たちの情報はまっさらだ。運がよかったな』
運がいい? 本当にそうか? 確かにワーウルフと戦わずに済んだのは悲観すべきことではないかもしれないが奴隷になったんだぞ。俺は首根っこを掴まれズルズルと引きずられながらこれからの運命に希望を見出すことができなかった。
「いたッ!?」
こんな乱暴な運搬方法があったものか。地面に転がっていた石に後頭部をぶつけて悲鳴をあげる。なのに女はこっちを一切振り返らず、引きずる手を止めようともしていないのだ。
「ちょっと! 痛いんだけど!」
「そんなもん、すぐ治るんだろ、それより自己紹介がまだだったな、私の名前はアイラミリオン……お前はレオで間違いないな?」
「どうして俺の名前を?」
「それよりお前、血が変な味だったぞ、変な肉を拾い食いでもしてたんじゃないだろうな?」
アイラはどこか上機嫌で歩みを進める。仲間ができたことが若干うれしいのか、俺はアイラの、ほんの小さな闇を見た気がした。その奥にあるのは深い後悔の念。そこに彼女が今までずっと一人だった、その理由があるのかもしれない。




