殺戮の遺伝子
「うわっ!!」
バットを横に構えてなんとか感染者の噛み付きを防いだが押し返せないほどの勢いにバットが半ば変形している。
「くっ」
バットが胸のすぐ前あたりにあり肺を押されているので呼吸が苦しい。感染者は、ひたすら間延びする不気味な声で、にく~、にく~と繰り返す。この連呼している言葉は食欲に直結しているようで血走った目からは明らかに俺を獲物と見定めたランランと輝く狂気が伝わってくる。
やはりこいつは普通の感染者とは違う。死んで動き出した感染者とは違い、食にどん欲な部分、絶対に食ってやるという意思を感じる。飢えの苦しみから自我が崩壊しているようだが、その執着により引き出された力は、俺の異形の力ですら抑えられない。現に今、その凶悪な力に対抗している俺の太く筋肉の盛り上がった腕はふるふると震え、その力を押しとどめるので精いっぱいだ。
感染者の攻撃が直線的で、バットを上下にズラし噛み付かれるのをなんとか防げているのが不思議なくらい。こいつには学習能力がないというか言葉を発する以外の知能が飢えで低下しているから、なんとか耐えられているが、いつまで続くことやら気が気でない。
「なっ!?」
そのとき完全に意表を突かれた。
『こいつ――』
馬鹿みたいに首をかしげたと思ったら、次は噛み付くのをやめ、バットを思いっきり押してきたのだ。考えというか動きが読めない。今も不気味にただ押してくる。まるで食うことをあきらめ、力比べでも始めた様子で。なんなんだこいつは、思考の変化も極端すぎる。だったらこっちも意表を突いてやる。
俺は瞬間的に左腕をバットの中央に、右こぶしを瞬間的に感染者の顔面めがけて繰り出した。感染者はその攻撃を真面に食らい、体が少し跳ね上がる。
あれだけ固かった感染者の頬に拳が通った。今度はそんなにも硬度を感じなかったが、バットで殴った時と何が違うのか、拳と凶器、本来ならこっちの方がダメージは低くなると思うのだが。
しかし、どことなく苦痛に歪んでいた感染者の顔が、見る見るうちに赤みを帯び、体がフルフルと震えだす。
なにやら嫌な予感がした。いままでにない反応だ。考えが全く読めない感染者だけに、今度は何をする気なのか見当がつかないでいると『防御しろ!』と頭の中に鋭い声が飛んできた。
俺は咄嗟に腕をあげてガードを固めた。次の瞬間、すさまじい衝撃が防御した腕に叩き込まれた。持っていたバットは吹っ飛び、身体が跳ね上がった。防御をこじ開けられ。何が起きた? と思考を巡らせようとした所に、さらに追い打ちのように重い一撃が叩き込まれる。それは顔面にクリーンヒットして、俺の視界、判断能力をごっそりと奪い去った。
思考がまとまらず視界がぐあんぐあんと揺れる中、無我夢中で痺れる腕をあげ、防御態勢をとり続けた。攻撃は立て続けに防御した腕の上からたたき込まれる。なんだこれは、俺は何を食らっている?
腕から伝わる衝撃があまりにも強く、殴られているというより潰されているという感覚に近かったためか、そんな感想を抱いた。
繰り出された拳が逸れ、地面を打つとコンクリートが陥没する。こんなものをまともに何発も食らっているのだ。俺は自分の体も相当、頑丈なのだと理解した。だがすでに満身創痍、鼻は潰れ、口内は血でいっぱい、気道が塞がる。息ができない。なのに殴打は容赦なく叩き込まれる。
いつになったら止むのか、永遠にこのままではないと願いたいが感染者の持久力は侮れない。
呼吸もままならない中、じっと耐え続けるのは、地獄としか言いようがない。反撃もままならず、ただ防御に徹するのみ、いつ意識を失ってしまうのかもわからない中で、しかし頭の中では常に『諦めるな!! 奴も限界が違い!! 』と、叱咤する声が聞こえてきた。流石の奴も今が危険な状況であると理解している様子だ。
感染者の持久力に限界なんて、俺は半信半疑で、その限界を待ち続けた。意識は朦朧と……徐々に腕が下がってくる。まさかの、こっちの方が先に限界を迎えるなんて……。
「――ッ」
だがそのときだ。徐々にだが感染者の攻撃のキレや打撃力が最初に比べると、やや落ちてきたように感じた。無尽蔵に思えた感染者の体力が底をついたのか? 信じられない話だがよく見ると、感染者は肩で息をしている。人間みたく荒い呼吸を繰り返して。
銃弾をかわし、鉄バットで殴ってもびくともしなかった化け物が今はただの人間に見える。感染者が疲労? 息切れだって?
『こいつは所詮、人間に作られた化け物だ。俺たちとは違う、本物にはなれない、こいつにとってはそれが幸せなのかもしれないがな』
死んだ人間は呼吸を必要としない。中途半端に感染者になったものだから人間だったころの名残を残したまま化け物になったってことか。だがこれは千載一遇のチャンスだ。
俺は右腕を引き、思いっきり振り抜いた。完全にヒットコースだ、と思ったが、焦るあまり狙いを定めている余裕がなかった。そして、それは運悪く、奇しくもというべきか、さきほどと同じ箇所を狙った一撃となり、つまり相手にとっては、とても想定しやすい攻撃だった。
しかし俺にとってはまったくの予想外。息を切らしていたはずの感染者が、ぱっと勢いよく顔をあげたかと思うと、再び目に怪しい狂気をみなぎらせ、口を大きく開けた。
だが俺は攻撃を止められなかった。やばいと思いつつ降り抜いた拳がはがっちりと、感染者の口に咥えこまれ、次の瞬間、ビキビキ!! 骨の砕ける音、拳からは鮮血が噴き出た。俺がもっとも恐れていたこと、感染者に噛まれること。それが現実に起こってしまった。
「があっ!?」
腕を噛まれたと冷静に考えるよりも拳の骨を砕かれる痛みに悲鳴をあげるしかなかった。感染者は『うう!! うう!!』唸り声をあげ、拳を引き抜こうとする俺の拳に、これでもかと噛み付いている。
感染者の頭を殴ったところで効果はなく、引きはがそうとしても感染者の頭がズルズルと滑って暖簾に腕押しだ。
「がああっ!?」
痛みでなにがなんだかわからない。自分が次になにをすべきなのか、わけがわからなくなってくる。拳が、まるで万力にかけられたように押しつぶされている感覚。痛みと恐怖で地獄だった。
そのとき。
『合図で右拳を引いて左拳で殴れ、3、2、1で行くぞ、3、2、――今だ!』
『!?』
思考能力を痛みに奪われていたので何も考えずに従った。無心で右拳を引くと、あれだけ頑丈に感染者の口に固められていた拳があっさり抜けた。
意味がわからなかったが、よくよく考えてみると俺には拳や腕を大きくする能力がある、なら逆に小さくすることもできるのではないかと気づいた。俺は冷静さを欠いており、そのことをすっかり忘れていのだ。
次の瞬間、俺の意識は攻撃に移る。まだ拳は痛い、頭はまだ混乱している。だが危機を脱したらすぐさま反撃に移るという俺の中の変化は、まるでルーティーンのように俺の体を突き動かした。
左の拳が巨大化。それを感染者に向かって思いっきり突き出す。
それをまともに喰らった感染者が後方に吹っ飛んだ。地面をバウンドしながら棚が乱立しているあたりに突っ込み、盛大な音を立てて残骸に埋もれた。
ガラガラと物が崩れ、しかし感染者はすぐに残骸の中から復帰を果たす。
自らを奮い立たせるような大声をあげ、大したダメージは与えられなかったらしく、周囲の残骸を障害物かのように蹴散らす。
怒り狂っている。次はどうする? あんな、多少の攻撃ではびくともしない化け物を……。
感染者が叫び声をあげて走り込んできた。絶体絶命だ。どう対処すればいい?
ズタズタにされた右拳からは血が滴り落ち、片腕で迎え撃つには満身創痍過ぎる。また左拳で殴ってみるか? 利き腕ではない拳をいくら巨大化して殴っても、さきほどと同じくダメージなんて与えられないだろう。
ダメか……と思った次の瞬間、走り込んできていた感染者と俺の間に黒い影が割って入った。
そいつは感染者と正面から組み合うと、ガシリと静止。感染者の勢いを押しとどめたばかりか、じりじりと感染者を押していく。
それは人間ではなかった。だが、どことなくロボットとも違う。ロボットのようなカクついた動きではなく、滑らかに動く。
ヘルメットのようなメタリックな頭部。無機物なのか有機物なのかもわからない撓る尻尾。
『ココハマカセテ……、アナタ、ハ、ニゲナサイ……レオ……』
異形の見た目に反して、どこか理性的な口調だった。怪物が……しゃべった? それがなんなのか俺にはさっぱり理解できない。こんな……生き物? 感染者でも人間でもない。しかも声がどこか機械的だ。しかも俺の名前を言ったぞ。
そこへ肩を抑えながら、割れたヘルメットから片目だけを覗かせて、ライラが駆け寄ってきた。今、目の前で繰り広げられていることに目もくれず、片膝をついた状態だった俺を立ち上がらせてくれる。
「今のうちに屋上へ……」
二人して屋上に続く階段へと向かた。
異形の怪物がたたってくれているおかげで、ずいぶんと余裕ができ、階段を上りながら階下を見下ろす。先ほどの化け物が感染者と互角の戦いを繰り広げている。ライラと同じくスーツを纏った人間? だけど俺の名前を知っていた。俺の知り合いか? と思ったがライラはあの怪物を知っているらしく、前を向いたまま『あれはハンターだ』と答えた。
ハンター……聞いたことがある。人類が感染者に対抗するために生み出した人型兵器。材料に死んだ人間を使っていると聞くが、実際は生きている人間も材料に使っている噂もある。
脳を機械制御することで、体にどんな痛みがあっても動き続ける。恐怖心も感じず、そもそも脳が機械制御されているので感染者になることもない。人類の不道徳さを象徴する、行き過ぎた人体実験の末路。
元は戦争で手足を失った兵士を救うための医療技術だったが、それが日に日に、感染者を駆逐するためだけに動くソルジャーの生産技術に至った。人の命をもてあそび、壊れるまで動き続ける人形兵器。
ただ機械制御といっても完全に機械なのかと言われればそうではなく、ハンターの動きそのものには、そのハンターを生み出すために使われた人間の記憶や経験が多少なりとも反映されるようなのだ。その記憶が、さきほどの言葉を、物言わぬはずのハンターに言わせたのだろうか? いや、それにしては言葉が明確で、完全な人の意思が垣間見えた。
なんにせよ助かった。
二階に辿り着き、扉を開けて屋上に出る。
ちょうどプロペラの音を響かせてヘリが上空を旋回していた。ライラが手を振ると、ヘリからロープが下ろされる。ロープに掴まって巨漢の男が下りてきた。
地面にばら撒いたロープを手繰り寄せ、俺の顔色の悪さに気付き、右手の傷を見て不審げな顔をする。
ライラに視線を向けるが、ライラは何も言わない。男は仕方なくライラと俺をロープで縛り、ヘリに合図、俺たちはなんとかヘリに収容された。
その後、三人を収容したヘリは、ゆっくりと、湾岸倉庫街を後にする。




