Tyrant
建物内は薄暗く、時折、落ちているゴミを蹴ってしまい音が鳴る。カランという音から缶のようなものか。これならどこかに感染者が潜んでいたとして音が知らせてくれるはずだ。
ただ時折、アスファルトの固い地面とは別の物を踏んずけた感触がある。プチっ、そしてにゅるっと、おそらくネズミかゴキブリの死骸だ。
別にそんなものを踏んだからといって人としての尊厳が傷ついたとは思わないが気持ちの良いことではない。なんとも不衛生な環境だ。
建物内の奥に行き着くと、女性はこっちを振り返った。腿のホルスターに持っていたベレッタ銃を納め、ヘルメットに手をかける。
プシュッと空気の抜ける音がしてヘルメットが持ち上がり、その中から現れたのは暗がりの中でも銀色に輝く長い髪、まるでヘアートリートメントのCMのように、優雅に髪をなびかせるその姿は見るものを圧倒する。黒いスーツと銀の髪のコントラスト。見とれるあまり自然とため息が漏れていた。
心臓がどくんどくんと脈打ち頬が上気しているのがわかる。彼女の容姿が美しすぎて現実離れしているから、だけではない、彼女の面影に心臓がつかみだされそうだった。これもまた既視感だ。彼女の声に感じたものと同じ。知らないはずの声や顔なのに知っているような、それでいて明らかに彼女に対し好感を持っているような自分自身に驚いた。この異様な既視感がなければ一目惚れといって差し支えないだろう。そういえば俺はまだ――。
はっとした俺は自分の名前を名乗り、自己紹介をした。先ほど助けてもらったお礼もまだだったと思い出したのだ。少し早口になりながら自己紹介と礼を告げた俺は今度は彼女の名前を聞いた。
彼女の名前はライラ・マッケネン。やはり軍人で、ここには仲間と共に来ていて任務の遂行中、この一帯の電力の復旧を終え、仲間と合流する途中で俺と遭遇したらしい。
ライラは仲間と連絡をとると言って、手首に巻かれた腕時計のような機器を操作した。その後、明かりと暖を取るべく資材を集め、焚き火をする。少し建物内が明るくなったことで感染者が潜んでいないと目視でわかり安心できた。
それにしても散乱しているゴミが思っていたよりも多い。発泡スチロールや紙切れに始まり、錆びた缶やウィスキーボトルの空瓶、転がっているものの種類からここで人が生活していたようだ。俺たちのように感染者に追われ、ここに逃げ込んだ人間がほかにもいたのか。
ライラは、しばらく仲間からの連絡を待っているようだったので、俺はこのまま時間を無駄にするのももったいないと思い、建物内に、なにか感染者に対抗するための武器でも転がってないかと探してみることにした。
棚のあたりを物色してみたが、目ぼしいものはなにもない。錆びたナイフやら金属片のようなものばかりだ、武器になりそうなものは見当たらなかった。
ふとシャッターに視線を向けると、その地面にはジグザグのタイヤ痕が走っていた。
ここに逃げ込んだ人たちが、建物中に侵入してきた感染者から逃げ出したときについたものか。そのときにめぼしいものや、使えそうなものも一緒に持って行ったのかもしれない。だったら物色したところで無駄骨か。
そのとき不意にトントンと肩を叩かれ、びくっとなった。反射的に振り返ると、そこにいたのは、さっきまで焚き火の近くにいたライラだった。気配を全く感じなかった。焚火との距離は数十メートルは離れている。この距離を気配もなく一瞬で近づいたというのか、完全に不意を突かれた。
「武器を探しているんだろ、だったらこれなんかどうだ?」
まるで世間話でもするかのような軽快さでライラが差し出したのは金属バットだった。そんなものどこに転がっていたのか、確かに金属バットなら素人の武器としてもちょうどいい。先端が重く振りやすいし、バットを振り慣れていない人間など皆無だろう。
頷きバットを受け取る、構えて思いっきりフルスイングしてみた。ブウン! と心地よく風を切るよい音がした。これならじゅぶん使えそうだ。それなりにリーチもあるし、ヘッドの速度も十分だ。適度な遠心力も乗って、かなりの打撃力が期待できる。
おそらくこれ以上探しても、この金属バットを越える武器は見つからないだろう。これなら感染者の骨だって叩き潰せる。痛みに鈍そうな感染者だからこそ、骨を砕いて動けなくするのは有効だ。
「ありがとうございます」
「ああ」
そのときライラが最初に操作していた腕についた通信機から人の声が雑音に交じって聞こえてきた。仲間がこちらからのSOSに気が付いたのか。ライラはすぐさま通信機のボタンを押す。
「こちらファングツー、ライラ……応答せよ、こちらファングツーライラ」
「ゴキ……ビ……ソ……ス……」
通信機から雑音に混じって聞こえる声は不明瞭で何と言っているのかわからない。しかしライラが装置の目盛りを調節すると、さきほどよりはクリアに聞こえた。
「ライラか、位置は確認した。そっちは倉庫街だな、どうした? なにかあったのか?」
「電力の復旧は済ませたがこちらは感染者に囲まれている。任務中に民間人を一人、保護している、そっちは?」
通信機から戦闘音と見られる激しい銃撃の音が聞こえる。
「感染者による急襲だ。今は各部隊が各個応戦中だが、本隊は撤退を始めた。俺たちもしんがりで少し残っているがすぐに撤退する、そっちは移動できそうか?」
「いや、こっちは完全に退路を断たれた、頑丈な建物内に逃げ込んでいるので今すぐに危険ということはないが」
「そうか、わかった、少し待っていろ、すぐに迎えに行ってやる」
少し間があり。
「もういいジェリド! 燃料は飛行場の近くまで飛べる分があれば十分だ!」
男は誰かに指示を出すと、声を潜めた。
「にしても感染者どもの動きが妙だ。こんな統率の執れた……というよりどうしてそっちにも現れた? 奴らは食欲旺盛で人の多くいる場所に集まるはず、建物を囲むほどの感染者がそちらにも現れたというのがどうにも解せない、もしや奴が……なんにせよ油断するなよ」
「ああ」
そのとき何かに気づいたように通信機の向こうの声が少し緊張感を増した。
「ところで、お前が保護した民間人だが体のどこかに怪我を負ったりはしてないだろうな?」
「ああ大丈夫だ、見たところ異常はない」
「お前のことは信頼しているが民間人は見捨てられたくない一心で怪我を隠すことがある。感染者に噛まれた傷は致命的だ。そうならないように慎重にな」
通信がぶつっと少しぶっきらぼうに切れた、急いでいたのか、はたまたライラの近くで聞き耳を立てていた俺への警告だったのか。
そのとき、いきなり近くで金属がひしゃげるようなけたたましい音が鳴り響いた。目を向けると、そこにあったのは金属の大扉。見ているとガンガンと乱暴に、外側から扉をたたく音が聞こえる。
しかし最初は、やみくもにみられた打撃は、徐々に精度と威力を増し、扉を破ろうとする音だとわかる。何かが建物内に侵入しようとしている。しかもかなり原始的な方法で。
音が大きくなるたびに扉がひしゃげていき、鉄の軋む甲高い音、さらにはガラス戸を引っ掻いたときのような不快感に身も毛もよだつ音が続いて。ライラを見ると、深刻そうな横顔だった。
「感染者ですか?」
「まずい……入ってくるな」
ライラは感染者だと明確には答えなかった。つまりそれ以上の化け物ということか。確かに表にいる感染者なら、シャッターに阻まれ建物内に侵入できなかった時点であきらめ、表をうろちょろしているはずだ。間違ってもシャッターをぶち壊して入ってこようなんてするはずがない。彼らは目の前の獲物に集中していて、獲物の気配がなくなればあきらめる感染者らしい感染者。だがこいつは。
「君はその階段から屋上にあがれ、いずれ仲間がくるはずだ」
「あれを一人で相手する気ですか? 無茶ですよ」
「スーツのエネルギー残量が残り少ない、時間を稼げるのもあと少しだ、君を守りながらではさらに生還の可能性が低くなる」
彼女が一人残ったところで、その生還の可能性すら皆無ではないかと思ったが反論をしている暇もないようだ。ライラの口調は焦りもあってか少し語気が強まっている。これまで修羅場を潜り抜けてきた軍人らしく、恐怖心よりも使命感が勝っているのか毅然と動じる風でもない。
せっかく金属バットを持たせてもらったのに役に立てないのか、それが少し悔しくてつらい。ライラが俺に期待していたのは逃げることだけか、相手が通常の感染者じゃないのはわかるが、そこまで戦力外通告をされると思っていなかった。
「俺だって役に立てます」
そうだ、あの力を使えば、目撃されれば人間扱いされないかもしれないが彼女を守ることはできる。しかし彼女はかたくなに首を振った。そのとき、頭の中でたびたび聞こえてきた、あの声も。
『やめておけ、彼女の前で力を使うな』
『どうして?』
『わからなかったのか? あいつが来ている』
『あいつ? それって今、扉をこじ開けようとしてる化け物のことか?』
『あんなもの比較にならん、本物の脅威だぞ……俺たちにとってのな』
『だが』
『俺だって彼女を救うのには賛成だ。ただし条件がある、力を使うなら彼女にばれるな、せめて彼女の意識が健在なうちは能力の使用は不可だ』
よくわからないが頭の中で聞こえる声の雰囲気から、のっぴきならない事情を察した。なにも覚えていない俺が大丈夫だと言い張れる雰囲気でもない。
『彼女が見てなければ助けられるんだな?』
『もちろんだ、俺も全力で力を貸してやる』
『わかった、じゃあ』
少しの我慢だ。俺は拳を握りしめた。
「わかりました、屋上で待ってます」
俺は平然と噓をつく。ここにとどまって、彼女がピンチに陥るのを待つつもりだ。
凄まじい破壊音が鳴り、見ると扉から人の腕が飛び出していた。その腕は先端から第一関節までもが真っ赤に染まり、扉の内側を行ったり来たり意思のある動きを見せたと思ったらまた引っ込んだ。
扉の内側に掴めるものがないかどうか探していたようだが、ないと確信したらしい。
次の瞬間、鉄の扉が吹っ飛んだ。ひしゃげた扉が火花を散らして地面を滑る。
ライラはスーツのエネルギー残量を気にしてぎりぎりまで被っていなかったヘルメットを被る。するとライラの銀髪がシュルシュルとヘルメットの隙間から内部に収納され、またプシュッと密閉される音がした。
『そこまでだフォード軍曹! 人としての自我がまだ残っているなら、大人しく投降しろ!』
ライラが大声で警告する。だが粉塵の向こう側にいた犬のようなシルエットに大人しくする様子はなく、すぐに動きがあった。そいつは低い姿勢でライラに接近、ライラが銃で応戦すると、走り回ってその銃弾を避けた。すさまじい反射神経だ、だが粉塵から現れた姿は犬ではなかった。身をかがめた人間、いや、感染者だ。
「ッ!」
そいつはライラに飛びつき、ライラは銃で応戦しようとしたが小さな悲鳴とともにライラは感染者に組み伏せられた。俺は焦る気持ちを抑えつつバットを強く握りしめる。
もうじゅぶんピンチではないか、ライラは気を失ったのではないか、そんな自問自答に声が飛ぶ。それは破裂音、ヘルメットのバイザーが割れる音。俺の我慢が限界を超えると同時に、頭の中で奴が叫ぶ。
『行け!! いまだ!!』
俺はバットを握りしめて駆け出した。感染者の死角から回り込むように走り、バットを大きく振り上げる。全身全霊、これでもかと力を込めた。
再び腕が巨大化する感覚。感染者の後頭部めがけ、バットを全力で振り下ろした。
しかし。
ほぼフルスイングで振り抜かれたはずのバットが、わけのわからない金属音と、妙な手ごたえで跳ね返される。腕が大きく後ろにのけぞり、おおよそ、生物の頭を殴ったとは思えない感触にバットを取り落としそうになった。なんだ、今の衝撃は? まるでコンクリートを殴ったみたいに固かったぞ。
「っ!!」
バットで殴ったからか、首が明後日の方向に曲がっていた感染者の顔がゆっくりとこちらに向き直り、そいつはさらに自分の頭を両手で挟むと、ゴキゴキと音を鳴らせながら首の位置を調整した。
目は血で満たされたように真っ赤で、その顔がニタリと笑い、狂気に染まる。
「にくう……」
間延びした声はおぞけを伴うものだった。にくとは、おそらく<肉>のこと。俺を食べ物と認識しているのか。そもそも感染者って声を発するのか? 知能がある感染者なのか?
そいつは、よたよたと数歩、歩いたと思うと、やけにカクついた動きでゆっくりと近づいてくる。頭と体の命令機関がバラバラで嚙み合っていないような奇妙な歩き方だった。
「なんだこいつ……」
「にくう……」
「くそ」
俺はもう一度バットを振り上げ、おもいっきり振り下ろしたが、同時に、感染者は間髪入れずに身をかがめて飛びかかってきた。




