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Tyrant



 

 建物内は薄暗く落ちているゴミがときおり足の進みを遅くする。女性の足取りに迷いはない。やはり暗闇でも見えているようだ。何が落ちていようと気にせずどんどん進み、特に音を気にしているようなので俺も大きな音を立てないようゴミは蹴らないように気を付けた。

 どこに感染者が潜んでいるかもわからない建物内をよく毅然と進めるものだ。これが感染者と戦いか慣れている者と一般人との差か。

 別に踏んだからといって人としての尊厳が傷つくわけではないが、さっきから靴底に嫌な感触がある。おそらくはゴキブリやネズミの死骸だろう、むしろ暗くて助かったと言える。散乱しているのはゴミだけでなく、とても不衛生な環境だ。


 建物内を一通り見て、奥の溶接された扉の前で女性は立ち止った。腿のホルスターにベレッタを納め、おもろにヘルメットに手を伸ばした。

 プシュッと空気の抜ける音がしてヘルメットが持ち上がる。現れたのは銀の長い髪を優雅に流す、切れ長の目をした絶世の美女だった。

 銀の髪と黒いスーツのコントラストが実に見事だ。思わず見惚れしまったが、本人には悟られなかっただろうか、女性の方からも何やら見つめられていた気がするが、バレなかったと思いたい。

 それにしても、まるでモデルのような体形、ヘアートリートメントのCMのように髪を優雅に振る仕草は、見ていて良いものだった。良いもの、その感想が自分に老いを感じさせる。だがこの異様な高揚感は彼女の素顔を見てからだ。心臓がどくんどくんと異常なほど早く脈打ち、顔がほのかに火照っている。ただそれは彼女に欲情しているというより、また違った、別のベクトルの欲求に違いなかった。


 初めて会ったはずの相手から受けるには少し違和感のある既視感を抱きながら俺は惚けていて忘れていた自己紹介と、先ほど助けてもらった礼を言う。


 緊張して横隔膜が震えた。声を久しぶりに出したみたいに、声をだしてすぐに大きく息を吐き、平静を装う。脳に走る血管がドクドクといつまでも疼いている。

 彼女の名前はライラ・マッケネン。やはり軍人で、ここには仲間と共に来たが、単独任務中だったようだ。記憶の大半が失われているので世間話の入り口から違和感を感じられないかと気が気でなかったが、そこは感染者に遭遇して混乱した一般市民のていで凌ぐことができた。


 ライラと話ながら周囲に目を向けると、至る所に発泡スチロールや紙切れが散乱している惨状が目に入る。ここには以前、人がいたようだ。

 火の付く材料を掻き集めて中央で焚火をした跡がある。その周りにはウイスキーボトルの空瓶が散乱しており、錆び付いた空き缶や缶詰の殻も。


 おそらくここが見た目以上にネズミやゴキブリの温床になって不衛生なのも、ここで飲み食いをしていた人たちがいたからだ。


「とりあえず仲間に連絡を取ってみる、君も休んでおいてくれ、すぐに移動するのは難しそうだからな」


 女性は腕に付いた腕時計に似た装置を弄りながら焚火の跡近くに座り込んだ。仲間におそらく救難信号を送りながら銃の手入れも一緒に始める。


 俺もただ休んでいるのは手持無沙汰ので、なにか武器になるものはないか探すことにした。棚が乱立しているあたりを重点的に物色してみたが、ナイフらしきものは、どれもこれも錆び付いていて使用に耐えない状態に見える。


 ふと入口に視線を向けると、ジグザグのタイヤ痕が床に走り、それがシャッターの外へと続いていた。おそらくここから逃げた人たちが、なにかがあり、一目散にシャッターを開放して逃走したのだろう。仲間の誰かが感染者になったとか、感染者に侵入されたとかだろう。仮に、彼らに持ち出されずに残った有用なものがあったとしても、この分ではあらかたダメになっている。かなりの時間が経過しているようだし……。


 そのときトントンと肩を叩かれ、びくっとなって振り返った。そこには、さっきまで数メートル離れた先で銃の手入れをしていたライラが立っていた。


「武器を探しているんだろ、だったらこれなんかどうだ?」


 その手に握られていたのは金属バット。小さな刃物でもあればと目を凝らして探していたが、金属バットは盲点だった。これなら期待できるかもしれないと受け取ってみる。


 バットを構え、思いっきりフルスイングしてみた。ブウン! となんとも風を切る心地のよい音がして、これならいけると確信した。

 それなりにリーチもあるし、ヘッドの速度も十分だ。適度な重量もあって遠心力が乗るから、これ以上のものはここでは期待できない。

 腰を入れて振れば感染者の頭だって、骨だって叩き潰せるだろう。痛みに鈍感な感染者だからこそ、骨を砕いて動けなくするのは有効だ。


「いけそうだな、ただ奴らは群れで襲ってくる場合もある、そういうときは一体づつ対処せず、臨機応変に立ち回ってくれ」

「はい」


 さすがと思える軍人からのアドバイスを得て、俺は少し気が楽になった。感染者の対処のすべてを彼女に任せて、男として心苦しかったのだ。これで少しは役に立てる。

 そんな話をしていると、ライラの腕についた通信機から人の声が混じった雑音がこぼれた。仲間からの連絡か、ライラはすぐさま通信機のボタンを押す。


「こちらファングツー、ライラだ……誰だ、応答せよ、こちらファングツー」

「ゴキ……ビ……ソ……ス……」


 本来はヘルメットから聞こえる声を外部に流している所為もあるのだろう、通信機から雑音に混じって漏れる声は不明瞭で何と言っているのかわからない。ライラが装置の目盛りを調節すると、さきほどよりも声がクリアに聞こえた。


「そっちは倉庫街か、いつまでも戻って来ないから心配したぞ」

「すまない、なんとか電力は復旧させたんだが、帰りに襲われている民間人を発見してな、救助してた、そっちは無事か?」


 通信機から戦闘音と見られる激しい銃撃の音が聞こえた。


「こっちはだめだ、周りを感染者どもに囲まれている。本隊から全軍へ撤退命令が出てる。辛うじて逃げる時間を稼げているのはお前が施設の電力を復旧させてくれたおかげだ。ただ隔壁全部をフルに使っても、撤退できそうなのは俺たちを含め半分程度だろう」

「とりあえずお前たちは大丈夫なんだな」

「ああ、ぎりぎりまで撤退支援をして俺たちも逃げるさ、まだ余裕はある。そっちは――」

「こんな時に言いにくいが、こっちも感染者に囲まれた」

「動けそうにないか?」

「どこから湧いた知らんが……大量でな」


 少し間があり。


「わかった、迎えに行くまで少し待ってろ……もういいジェリド! 燃料は飛行場の近くまで飛べる分があれば十分だ!」


 男は誰かに指示を出すと、声を潜めた。


「にしても妙だな。奴がわざわざ奇襲に寄越したこちらの軍が全軍ではない可能性がある、距離的に考えて、そっちに湧いた感染者が無関係とは思えない、油断するなよ」

「ああ、わかっている」

「上層部の話では、奴は自我を失い暴走状態だって話だが、知能がないわりに動きが妙だ」

「なにか狙いがあると?」

「さあ、だが可能性は考慮するに越したことはないだろう、相手は腐っても元参謀補佐だしな」

「確かに」


 少しの間を置き、通信機の相手が『俺たちはあと五分、粘って切り上げる』と告げ、通信を切ろうとしたが何かを思い出したのか確認するように告げる。


「ところで、お前が保護した民間人だが怪我を負ったりはしてないだろうな?」

「ああ」

「そうか、ならいい、ただ傷を隠している可能性があるから警戒は怠るな」


 通信がぶつっと音を立てて切れた、そのとき、どこからともなく金属がひしゃげるようなけたたましい音が鳴り響き、目を向けた先には溶接された扉がある。音はどうやらそこから聞こえてきたようだ。


 何だと思って見ていると、ガンガンと今度はさらに乱暴な扉を外側からたたく音。ただの打撃ではない。ただやみくもにというより、扉を破ろうとする音だ。音が鳴るたびに扉がひしゃげていく。

 鉄の軋む甲高い音は、ガラス戸を引っ掻いたときにも感じる不快感を齎した。それを見るライラの横顔も深刻そのものだ。


「感染者ですか?」

「まずい……入ってくるな」


 ライラにもわからないのか、そもそもそれどころではないのか答えらしい答えではなかった。確かに感染者ならシャッターや扉を破壊してまで入ってこようとはしないはずも。しかもわざわざ溶接された裏口から。


「君はその階段をあがって屋上へ」

「あれを一人で相手する気ですか? 無茶ですよ」

「スーツのエネルギー残量からしてあと五分は持つ、厳しいが、君を守りながらでなければ可能性はある」


 言葉を選んでいる暇はないのだろう、それまでの穏やかな口調とは違ってライラの言葉は少し語気が強まっていた。判断は合理的かつ冷静だ。修羅場を潜り抜けてきた軍人ならでは。恐怖よりも使命感が勝っている。


 せっかく金属バットを持ってるのに役に立てないのは悔しいが仕方ない。ライラが俺に期待していたのは相手が通常の感染者だった場合の戦力。しかし今、目の前にいるのは、明らかに通常とはかけ離れた危険な感染者。今の俺に、こいつの相手は――。


『できないことはない、ただし助けるのなら条件がある、彼女が意識を保っているうちはダメだ』

「どうして?」

『でなければ俺は手を貸せない、一人で何とかするしかないぞ』

「お前が手を貸さないと俺が危険に陥るんだぞ」

『脅しているつもりか? 何を言っても無駄だ。それに下手に俺たちが手を出しても彼女に危険が及ぶだけだ。俺たちを守りながらだと彼女は全力で戦えない、余計に危ない』

「くそ、なんでそんなことを急に言い出すんだ」

『状況が変わった、俺たちが果たさなきゃならん責任もなにも覚えていないお前には関係のないことだろうが、これだけは言わせてもらうぞ、簡単に見捨ててるんじゃない、彼女に見られていない状態なら全力で助ける、絶対に――』


 その力強い言葉には納得せざるを得なかった。そうかこいつも彼女を助けたいのだ。助けたくてもできない事情、それを俺は汲んでやらなければならない。力のない俺には他に取りうる手段もない。


 凄まじい破壊音が鳴り、見ると扉から人の腕が飛び出していた。その腕は先端から第一関節までもが真っ赤に染まり、扉の内側を行ったり来たり意思のある動きを見せる。

 扉の内側に掴めるものがないかどうか探していたようだが、ないとわかり、ゆっくりと引っ込む。


 次の瞬間、鉄の扉が吹っ飛んだ。ひしゃげた扉が火花を散らして地面を滑る。

 ライラはスーツのエネルギー残量を気にしてぎりぎりまで被っていなかったヘルメットを被る。するとライラの銀髪がシュルシュルとヘルメットの隙間から内部に収納され、またプシュッと密閉される音が響く。


『そこまでだフォード軍曹! 人としての自我がまだ残っているなら、大人しく投降しろ!』


 しかしライラの警告も虚しく、粉塵の向こう側、犬のようなシルエットに動きがあった。そいつは低い姿勢で走り回り、ライラが銃で応戦するも見事にかわす。さらに当初は犬のように見えた生き物は身を屈めた四足歩行の人型感染者でライラに飛びつく。


「ッ!」


 応戦しようとしたライラから小さな悲鳴があがり俺はバットを握りしめた。彼女の意識が途切れたときが攻撃のチャンス。今か今かと気ができない。この待機にどれほどの意味があるのか、わからないことが歯を食いしばるほど歯がゆく感じる。


『もういいか?』

『仕方がない、()の知覚がどれほどのものかわからないが俺も我慢の限界だ!! いくぞ!!』


 バットを握りしめ駆け出す。感染者の死角から走りこんで、バットを振り上げ、全身全霊の力を込めて後頭部に振り下ろした。しかし、ほぼフルスイングで振り抜かれたバットが金属音と打撃音の中間のような鈍い音を立てた。おおよそ人の頭を殴ったとは思えない手ごたえにバットを取り落としそうになる。

 すごい衝撃だ。まるでコンクリートを殴ったみたいに固い。


「っ!!」


 思わずのけぞる。

 バットで殴られたことで首が明後日の方向に曲がっていた感染者がゆっくりと立ち上がり、自分の頭を両手で挟み、ゴキゴキと音を立てながら首を元の位置に戻した。

 振り返った感染者の顔は真顔で、血で満たされているように瞳が真っ赤に染まっていた。俺を獲物と定めたのか、その真顔がニタリと狂気の笑みに変わる。


「にくう……」


 間延びした声。おそらく<肉>と言っているのだろう、怖気を伴う声を発しながら、よたよたと、そしてやけに、カクついた動きでゆっくりと近づいてくる。


「なんだこいつ……」

「にくう……」

「くそ」


 俺は不気味過ぎる感染者にバットを振り上げ、もう一度、たたきつけようとした。すると感染者が間髪入れずに身をかがめて飛びかかってきた。


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