花玉露
鏡なる湖の当代は、心も波打たぬ鏡――――――――。
それは湖の住人に限らず、近隣の者であれば誰しも一度は聴いたことのある言い回しであった。
例え前生が何であったにせよ、一旦、湖の主として生を得れば、天人に迎えに来られたかぐや姫のように一切の情を無くし、侵されることのない平常心を手に入れる。
ゆえに寂しさとも孤独とも無縁である。
血脈を保つ為に婚姻こそ成すものの。
心は常に凪いだ湖面。
ただ、美しいものを美しいと、稚いものを稚いと、憐れを介する心も持つ。
そして時には場に介入する力を振るう。
神仏に等しい在り様を保つのが、鏡なる湖の当代という存在だった。
鯉やら鮒、金魚らの精たちが楽しそうに笑いさんざめいていればそれで満足し、己の役割を果たせていると判断していた。
その心に、空洞を感じるようになったのは何時からか。
すうすうと冷たい風が通り抜けるような感覚がどこから来るものなのか、湖の当代には見当がつかない。
綾の錦の衣の胸を押さえてもそれは止まない。
瑞々しい緑の藻も、深くに進むほど青さと透明さに勝る水も、語らい泳ぐ精たちも。
それから天上より射す日の光、月の光も。
全て美しく満ち足りた空間だと言うのに。
坊、と。
誰か、女が呼ぶ声が聴こえる気がするのだ。
母のように。
母のようにと言っても、当代は母を知らぬ。
当代を生んですぐに亡くなったからだ。当代は乳母に育てられた。
それを悲しいと思ったことはない。
所詮は湖の主を繋ぐ為の存在。
今の妻とて同じこと。
見目麗しい笑顔に体温は無い。己と等しく。
けれど、坊、と聴こえるたび。
何処からか、芳しい花の香りがこの湖の底にまで及ぶたび、苦しくなる胸がある。
侍女の一人、玉虫の御方から、嘗て自分の母であった女がいたという話は聞いた。
今は自ら望んで花の餌となったことも――――――――――。
そこで果てた、と知らされた場所に足を運んだことはない。
湖の当代は生きる花木を見たこともない。
なぜならば、湖底に咲き乱れる花園や、湖面に浮く花の美しさは、他に類を見ないほどであったからだ。
わざわざ地上に赴こうとも思わない。
坊、と声が聴こえる。
それは決して何かを望み強いるものではなく。
ただ、優しいだけの声。
例え鏡なる湖の、主の当代として、あってはならぬ不始末を仕出かしたとしても、決して詰りも誹りもせず、慰めるだけであろう声。
見たこともない花のような。
花はそもそも地上のものであると聴く。
花木となった嘗ての母は、なぜ何時までも自分を呼ぶのか。忘れないのか。
それは、狂気の沙汰ではないのか。
当代に質問攻めにされた玉虫の御方はひっそりと、首を左右に振り振り答えた。
当代様。世にはそうした因果な生き物もいるのでございます――――――――。
もし、さほどにお気になられるようでしたら、一度、彼の者の元を訪ねてみられますか、屹度、あれも喜びましょうほどに。
そう、問われた当代は更に尋ねた。
玉虫よ。それは水中の花より麗しいものであるのか。
当代様。
あれは、水中の花と言うより、未だあなた様を想い泣く、花の玉露でございます。
この掌編集の第一話「浄瑠璃の夜」、第三話「花玉露」には、空乃千尋さんの美しく趣あるお写真を使わせていただきました。
使用許可をいただき、世界構築を美しくするお力添えをもいただきましたこと、深く御礼申し上げます。
第二話「いろのはじめ」の飾り細工は拙作です。