第4話 壊れないです
「……誰かが、壊れる」
「壊れないです」
「少なくとも私は」
間髪入れずに返る。
ルシェリアは、わずかに目を細めた。
「本当に後悔しない?」
「後悔しないです」
一瞬、視線を落とす。
「……壊れるなら、それでも構いません」
静かに言い足した。
沈黙が落ちる。
ルシェリアは、ゆっくりと息を吐いた。
「……そう」
カップに指をかける。
そのまま、少しだけ笑った。
さっきまで晴れていたのに、雨が降ってきた。
「ディオル様……やっぱりやめたほうが」
「やめる気はない」
「……婚約なんですけど」
ルシェリアは少しだけ視線を逸らす。
「私、ゆっくりとした暮らしをしたいんです」
「できれば散財もしたくないですし、紅茶を飲んで家でゆっくりしたいんです」
「何もしないで」
「それでもよろしければ、婚約していただけますか」
「私、実は地味な暮らしがしたいんです」
ディオルは一瞬だけ考えた。
――悪くない。
口元が少し緩む。
「つまり……お金を使わないあなたでもいいか、ということですよね」
「はい」
「何も問題ありません」
「それならそれで……一緒にゆっくり暮らしていただければ」
「庭園を散歩したり、紅茶を飲みながら二人で話したり」
「何かを育ててみてもいいですね」
「あなたがよろしければ、それでいいですよ」
ルシェリアは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「……そう」
ルシェリアも、少しだけそんな未来を思い描いた。
イケメンと庭園を散歩して、紅茶を飲みながら話す。
――それなら、悪くないわ。
何もしなければ、大丈夫よ。
「ディオル様と、そんな暮らしをしてみたいですわ」
ルシェリアは、ちらりとディオルの方を見た。
ほんの少しだけ、期待を滲ませるような視線。
ディオルは、一瞬だけ言葉を失った。
「……ぜひ」
短く、それだけ答える。
「あの……ルシェリア嬢」
ディオルは、わずかに姿勢を正した。
「すぐに正式な婚約の申し込みをいたします」
「家と家の話も進めなければなりませんので」
「できるだけ早く、手配させていただきます」
「ええ」
ルシェリアは、軽く頷いた。
***
翌日。
隣国の王女の婚約が、破談になった。
「……理由は、不明だった」
婚約の話は、順調に進んでいった。
ディオルの親戚が亡くなった。
原因は、老衰だということだった。
――ただ、少しだけ早すぎた。
ルシェリアの親戚が離婚した。
理由は、性格の不一致。
――どこにでもある話だ。
それでも。
何かが、ずれている気がした。
まだ――
小さい。
ディオルは、特に気にした様子もなかった。
「最近、色々なことが起きますね」
「……ですが、問題はありません」
「ええ、そうですね」
ルシェリアは、カップに口をつける。
「そういえば……最近、商談がうまくいったんです」
「何故か、相手側が不正をしていたようで」
「それが、ちょうど発覚しまして」
わずかに、口元が緩む。
「結果的に、こちらに有利な形になりました」
「……そう」
「不正は、良くないですね」
(……偶然って、便利ね)
「あの、ルシェリアと婚約してから……うまくいってる気がするんです」
「その……ルシェリアの心が綺麗だからかもしれませんが」
「癒やされてるのかもしれません」
少し照れたように、視線を逸らす。
「空とか、花とか」
「前よりも、美しいなって思うようになって」
「鳥の鳴き声も、いいなって思いますし」
「もうすぐ一緒に暮らすって思うと……楽しみで仕方がありません」
「仕事も、頑張ろうって思えるんです」
「ルシェリアのおかげです」
ルシェリアは、静かにカップを傾けた。
「……そう」
わずかに目を細める。
「それなら、よかったわ」
「……壊れていなければ、いいけど」
でも、少しだけ――信じてみたいと思った。
前の婚約者は、そんなことは言わなかった。
歪めば歪むほど、気味が悪そうな顔をして。
「お前といると、変なことが起きる」
そう言われたこともある。
だから、実際は、あまりうまくいっていなかった。
別れてよかったのだと思う。
ディオルは、こんなにも嬉しそうにしてくれる。
それなら――
少しくらいは、信じてもいいのかもしれない。
「ディオル様……変なことがあっても、私のこと嫌いにならないですか?」
「いつだって、変なことが起きるので」
ディオルは、ほんの少しだけ首を傾げた。
「起きますよ」
「でも、大丈夫です」
「……起きたとしても」
「嫌いになるわけない」
そう言って、ディオルは笑った。
「……そう」
***
ディオルが帰った後、ルシェリアはエリナと向かい合っていた。
「エリナ……もっと歪むのかしら」
「さあ、お嬢様」
エリナは、少しだけ肩をすくめる。
「今までも、そうだったではありませんか」
「でも……ディオル様は、大丈夫そうじゃありませんか」
「気にしないと思います」
「もし何か起きたとしても」
「お嬢様のせいには、しないでしょう」
ルシェリアは、少しだけ視線を落とした。
「……そういう人だとは思うけど」
「いい人だから」
エリナが、小さく息を吐く。
「ああ……前の婚約者とは違いますね」
「……だから、余計に怖いのよ」
ルシェリアは、小さくカップを見つめた。
幸せになりたい。
ただ、それだけだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ルシェリアの不安と、それを受け止めようとするディオル。
少しずつ二人の距離は縮まっていますが、能力による「歪み」は静かに動き始めています。
この先、二人がどんな未来を歩むのか、引き続き見守っていただけると嬉しいです。
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