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15.はじまりの日

 あの日、西部第三区の拠点で、瑤一は父に呼ばれて応接室に向かった。

 扉を開けたそこには、〈玉輪公〉がいた。とても幼い時に数回、声をかけられたことがある程度の関わりしかない。祖父とはいえ、〈五光〉であり軍の頂点である彼の存在は遠いものだ。

 その彼がこの場にいる驚きと、何故ここに自分が呼ばれたのか。考えが及ぶ前に〈玉輪公〉が口を開いた。

「久しぶりやな、瑤一。」

「お久しぶりです。〈玉輪公〉。」

「お前、次の〈玉輪公〉になるか。」

「なりません。」

 父はぎょっとして、瑤一と〈玉輪公〉の様子を交互に伺っている。

 瑤一は渋い表情が隠せなかった。眉間に力が入る。

「ぶ、く、く、く、…ガッハッハッハッハッハッハッハッ!!!なんで、でも、なれません、でもなく、なりませんか!グハハっ!喜んで、でもないんか?ハッハッハッ!!ええなぁ瑤一。なんでならんのか言うてみぃ。」

「…どうして僕に?」

「今かい。自分が一番ようわかっとるやろ。」

 横目で見ると、父は小刻みに首を振って肩をすくめた。父が何か話したわけではないらしい。

 とすると、〈玉輪公〉に届けた情報が父からではなく、瑤一からのものだとバレたということだろう。何故と疑問を持つことはない、さすが〈玉輪公〉と舌を巻くだけだ。

「いえ、僕を次の〈玉輪公〉にと考えられた理由は本当にわかりません。僕はこんな体ですし、髪も〈輪〉特有のものでは生まれませんでした。それにまだ十五歳です。」

「関係あると思ってるんか?」

「ないとは言わないでしょう。〈玉輪公〉は烽州の象徴です。」

「ほなその役割は誰かにやらせぇ。」

 〈玉輪公〉は隣の席を叩いた。

「優しい奴の下で気引き締めれるか?厳しい奴の下で実力以上を発揮できるか?全部一人でできんでええねん。それぞれ役割がある。そのための軍や。」

 瑤一は〈玉輪公〉の正面に座る父の隣に座った。〈玉輪公〉は拗ねたように口を尖らせて続ける。

「おじぃの独り言として聞き流したらええけどな。ちょっと長く〈玉輪公〉でおりすぎたんは失敗やったかもしれんと、今になって思ってる。わしの代で体制はだいぶ整ったし、〈仇鬼〉への対抗の仕方も安定してきた。全部完璧にとはいかんが、まぁでも、想定外の敵が現れにくくなっとるんは事実や。そのせいで悪くいえば、みんな腑抜けてる。サボってるわけちゃうし油断してるわけちゃうけど、どうしてもな。今軍の内乱もなく静かなんは、わしの地位と、次期候補として朔也が圧倒的すぎるからや。もっと臥郎みたいな奴がおる方がええと思うんやけどな。ちょうど今、時代が変わろうとしとる。その時のその決断で、どう転ぶかわからん。いざというときの咄嗟の決断力が心配や。決断に必要なんはなんや?」

「情報です。」

「詳しく。」

「現状をより詳細に理解するための「収集力」。多くを読み取る「解析力」。局所的ではなく大局を見て未来を予想する「想像力」と「勘」。それをもって優先順位をつける判断力です。」

「他には?」

「…一瞬の変化に臨機応変に対応すること。」

「他には?」

「………決断を最適な行動に移すこと。」

「他には?」

「……………」

「優先順位が低いもんを切り捨てる、言うてしまえば非道さや。」

 瑤一は一つ、ゆっくりと瞬きをした。

「お前の言う優先順位をつけることと、つけた上で実際どれを選ぶかは違う。頭で考えとる優先順位を、いざその時にほんまにその通りに実行できる奴は意外とおらん。自分でできてないってわかってないことも多いわ。優先順位つける段階で、そこに私情が入る。たちが悪いんは、間違った優先順位でも、人はそれを正当化する。本気で、無意識にな。勉強せなあかんてわかってても遊びたい、こんなんわかりやすいから可愛いもんや。勉強の中で、足りてない科目を後回しにする。嫌いな奴より気に入ってる奴を手元に置く。たとえ嫌いな奴の方が優秀でもや。連携向上のためとか、理由はなんぼでもつけれんねん。」

 瑤一は黙って聞いていた。

「特にな、命が関わると人は判断を誤る。その場の状況と立場によって優先順位が変わることを認識できひんからや。ほとんどの人間は自分の命か、目の前の命だけを考えといたらええ。それが善良で最高で最善や。でもな、〈玉輪公〉はそうはいかん。命を秤にかけなあかん。」

 瑤一はただ〈玉輪公〉を見ている。

「これはあくまでわしの考えやけどな。お前にそれができるんかは知らん。可能性があるくらいや。ただ、今の軍にはおらん。時代としてそれでいいんかもしれんけどな、俺が老爺心で心配なだけや。」

「…朔也兄さんには、話されたのですか。」

「した。承知した上で、それでも全ての人間を助けられる力をつけると。」

 とても希望に溢れた、美しい答えだと思った。

「受け止め方が軽いとは言わん。あいつはちゃんとわかっとる。自分が〈玉輪公〉になる可能性考えて、気負いすぎなくらいや。ただなぁ、あいつは自分が強すぎるが故に優しすぎるし、挫折を知らん。未来を作るのに理想は大事や。でもな、どうしようもない時に〈玉輪公〉としての判断ができるんか、できてもそれを行動に移せるか、わしはそれを心配しとる。」

 それこそ、それでもいいのではないか。

 むしろ象徴は美しく、残酷な決断は他の者が下せばいい。

「まぁ、わしの不安も空回ってるんかもしれん。それはタマ、自分で直接見てみたらええやん。一旦 本部に来い。とりあえずな。」

「僕なら、非道になれると?」

 その問いに対しては、〈玉輪公〉はニヤリと笑っただけだった。

「あ、あとな、これは次の〈玉輪公〉うんぬんかんぬんと関係ない脅しやけどな。飼っとるペットにはちゃんと首輪つけとけよ。口出しするつもりはないけど、悪い影響出るんやったらわしは殺すで。」

 瑤一は窓から飛び立つ〈玉輪公〉に、深々と頭を下げた。

 

 

 瑤一の〈玉輪公〉と最も異なる考えは、この世に「正しい」も「間違い」もないということだ。立場と状況が変われば想いも考え方も変わるのはその通り、同様に理想の未来も人によって異なり、だからこそその未来に向けての「正しい」判断も人によって違う。

 誰もがそれぞれの正義を持ち、個々が烽州を良くしていく。

 それでいいと思っていた。

 今は、強行できる力の重要性を感じている。事態はいつだって烽州内で収まるわけではないのだ。

 朔也は誰よりも強く、優しい。

 しかし、瑤一とは見ている視界と時間が違う。もちろん自分が正しいとは思わない。しかし今のままでは、自分の正義は貫けない。

 五体の〈仇鬼〉襲撃の日を、横たわったたくさんの人を思い出す。こんな思いをするのは、そして誰かにこんな思いをさせるのも、二度とごめんだ。


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