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14.夜の静寂の先に

「ほな、やろか。」

 瑤一は何かを閉じた。机の上には紙の束が置かれている。

 空明は襖を一枚隔てて、瑤一と背中合わせに座った。空間を隔てているのは、互いに自身のことに集中するため。完全に隔離しないのは、いつでも異変に気が付けるようにするため。空名がそうお願いした。

「では、いきます。」

「うん。無理せんでな。」

 空名は音をたてないように布を取り出し、左腕を縛った。布の先を奥歯で咥え、準備しておいた桶を引き寄せてその中へ腕を入れた。その腕にもう片方の手で刃物を押し当て、声一つ漏らさずに刃を引いた。

 傷は浅い。すぐに治ってしまった。

 もう一度、今度はさっきよりも強く刃を押し当てて引く。大きくぱっくりと開けた裂け目から血液が流れだし、腕を伝った。

 一部が飛沫となって畳を染める。後で掃除しなければならない。

 呆っと傷を見つめていると、体の内側から溢れる熱のようなものを感じた。血が止まり、みるみる傷が修復される。

 完治するのを待たず、さらに切りつけた。

 何度も。

 何度も。

 何度も何度も。

 何度も何度も何度も何度も。

 腕を縛っているとはいえ、徐々に桶の中には血が溜まり、底についた指先が僅かに沈んだ。

 時折、後ろから小さく呻き声が聞こえる。

 〈輪〉である瑤一は、体の内側から湧き上がる熱に侵されているはずだ。しかし、空明はやめるわけにはいかない。

 無感情に自分の腕を傷つけ続けた。切傷と治癒を繰り返す中で、傷の治癒が遅い時があった、気がした。この調子だと、そう何日もかけて試す必要はないのかもしれない。

 さすがだと感心する傍ら、自分の存在意義をこれ以外でも示さなければと、少しの焦燥を感じた。用は済んだからいらないと言われて、あっさり引き下がるつもりはないが。ここまで連れてきた責任は、取ってもらわねばならない。

 瑤一が拾ったのだ。投げ出しかけていた多々良の生を。だから空明として生きることを選んだ。

 〈眷鳥〉の資格を得ることが最低条件だった。不本意だが、煩い同期の助力は認めざるを得ない。

 頭がぼうっとする。酔っているときに似ていた。

 この間は珍しく飲んだ。そもそも誰かと一緒に飲んだ記憶などない。自分が酔って記憶がなくならないタイプだったことも、無駄に語ってしまったことも、その時間を少しでも楽しいと思ってしまったことも、非常に不本意だ。やはり、あいつはムカつく。しかし自分の気持ちを整理できた。

 空明の口元は笑っていた。

 何時間経っただろうか。少し前から、傷の修復速度が常に緩やかになっている。

 制御された力の供給。もう身に着けてしまったのか。もしかしたら、既に他の方法で検証済みだったのかもしれない。常に二の矢、三の矢を準備する人だ。自分が何番目の矢かなど、知る由もない。それを知りたいとは思わないが、何番目の矢でも期待を越えたいとは思う。

「瑤一様…」

 無意識に口から出てしまった呼びかけに、瑤一は応えた。

「ふぅ…うん、いい感じやと思うわ。今日はこれくらいにしとこか。」

 後ろで立ち上がる音が聞こえたが、力が抜けて、何を隠そうにも隠しきれない状態だった。

 バタバタと駆け寄った瑤一は空明の左腕をがっしりと掴んだ。

「お前!コントロールできるようになったんちゃうんか!?」

 ぐったりと座る空名の服は、左半分が元の黒色が濃くなるほど血が染み込んでいた。手が突っ込まれた桶と畳、そして手に握られている短刀に乾いた血がこびり付いており、経過時間が伺える。

「そこは、遺伝しなかったようで…」

 傷は治癒しているし、出血は多いが診療所に駆けこまないといけないほどではない。それより自傷のために精神をすり減らしていた。

 瑤一に「できない」と言いたくなかった。結果、子供のように言い訳することになったが。

 瑤一は韋鎚に指示を出しながら、空名の全身を拭き、着替えさせ、布団に寝かせた。

「すみません。」

 顔をゆがめる空名を見つめて、瑤一は眉間に皺を寄せた。

「何に謝っとるんかな。空明。僕は、こんなこと頼みたかったわけちゃう。」

「でもこれで、目的は果たせましたよね。」

「空明…」

「主らしくありません。目的のために、俺を使いたいと仰ったではありませんか。俺は、ちゃんと役割を果たせましたよね。主のお役に立ちましたよね。」

 空明の目から、静かに涙が流れた。

 瑤一は素直に驚いた。簡単に泣くような者ではないと知っている。

 焦点の合っていない瞳は、何を見ているのだろうか。

 瑤一は袖で空明の涙をぬぐい、空明の額を撫でた。

「ありがとう、空明。ほんまにようやってくれた。」

「俺は、あなたの〈眷鳥〉にふさわしいですか。」

「もったいないくらいや。」

「じゃぁ、これからも傍に置いてくださいますよね。これきりになんてしないでください。もう二度と、どこかへやろうとなんてしないでください。」

「…もう、しゃぁない子やな。どっちが年上なんや。」

 朔也のところに行ってもいい、と言った時のことだろうか。それとも。

 空明は誰よりも独りを恐れている。

 一方で、瑤一は他人を手元に置くのを恐れていた。手元に置けば、大事になる。しかし手元にあるものほど、無茶をさせなければならなくなる。それが苦しい。

 しかし今この状況で、瑤一が空明にかけられる言葉は限られていた。 

「うん。僕からは言わん。約束や。」

 空明はひどく満足げに笑い、静かに眠った。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「失礼しま…衣津香さん。」

「あ、景士君。お疲れ。」

 岡元喜介は穏やかな顔で寝ている。外傷はないが、まだ意識は戻らない。

 もうすぐ新月の日になる。その日を越えて状態がどうなるかはわからないとのこと。

 雁矢崎景士は越須賀衣津香の隣に座った。

 越須賀はただ呆然と岡元を眺めていた。

「喜介さん、良く寝てらっしゃいますね。これ以上欠勤が続くと減給になるぞって脅した方がいいでしょうか。」

「ハハ、確かに。」

 会話が続かなかった。

 静かな時間が流れていた。

「私、もともとそんなお喋りじゃないんよね。」

「そうなんですか。」

 ピ、ピ、と一定間隔の電子音だけが聞こえる。

「付き合ってらっしゃったんですか?」

 越須賀は小さく笑った。

「いいや。」

「喜介さんは、本気で好きだと思いますよ。」

 越須賀は細く息を吐いた。ため息ではないと思う。

「どうだか。もっと歳の近い、可愛らしい子の方が合ってると思うわ。なぁ、景士君。」

 雁矢崎は越須賀を見たが、越須賀は変わらず岡元を見ていた。

「恋愛ってなんなん?どういう気持ちのこと?」

「えっ。えぇ、むずかし…一緒に居たいとか、守りたいとかですかね?」

「じゃぁ、佐義名は朔也に恋してるん?」

「いやそれは違う、と思いますよ。あの、えーーっと下心が、性的な、それを伴うと思いますはい。セクハラで訴えないでくださいね。」

「セックスしたいってことか。訴えられるなら私の方かな。それ、だいたい異性には思うんじゃないん?なんなら同性にも。」

「訴えませんよ。いやーーーー人は選ぶかと…」

「ハハハっ、正直者め。」

「その対象の中で、特別な一人なんじゃないですかね。たまに複数人いることもあるかもしれませんが。」

「私、喜介が好きやったよ。でも朔也も佐義名も、もちろん景士君も好き。」

「え。」

「最近朔也隊になった皆も可愛くて好き。もちろんキスもセックスもできるって意味で。恋愛ってなんなんやろ。」

「できる、と、したい、は違うと思いますよ。」

「…景士君、やっぱ真面目やし優しいな。こないださ、死にそうやけど死んでない、みたいな状況って初めてやったんよ。」

 越須賀は変わらぬ調子で続けた。

 あの日の岡元の姿が思い出される。

「私は、軍の人間として瑤一さんが正しいと思った。けど動けんかったし、そっちの味方することもできんかった。ほんでいざ逃げる時には、朔也の方守ったんよ。今は、こうやって息してる喜介見て、良かったって思ってる。都合いいよな。もともと体格良かったし軍人になったけど、向いてなかったかな。」

「そんなことないですよ。〈眷鳥〉として尊敬してます。」

「景士君、最近なんか熱なったよな。朔也と佐義名は元からやし、伊吹ちゃんも頑張ってる。もちろん皆も、目的とか下心は違うんやろうけどなんかに必死。羨ましいなぁ。自分探しの旅にでも出よかな。」

 最後は冗談交じりに、雁矢崎に向けて笑った。

 雁矢崎は大きく肩をすくめて見せた。どれだけ冗談で、どれだけ本気でも、それを止めるつもりも権利もない。

「衣津香さん、十分お喋りやと思いますよ。」

「ほんま。喜介のが移ったかな。」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 朔也は何よりも優先して〈眷鳥〉を迎える必要があった。〈仇鬼〉はこちらの準備が整うのを待ってはくれない。此度の五体同時襲撃のようなことが、今後も起こらないとは限らない。軍として人手の補充と強化が必須だった。

 朔也隊としての考え方も変わった。これまでは少数精鋭だったが、朔也の〈輪〉としての能力で〈眷鳥〉の大抵の怪我は治癒できることがわかった今、むしろ精鋭に育て上げる必要性を感じていた。州立軍防衛学校の空挺編成科から、そして各拠点から迎え入れ、朔也隊は二十一人の大所帯となった。契約してわかる、それだけで負担が増えた。全身がずっしりと重たい、そんな感覚だった。

 赫州での『神降祭祀』で朔也隊は一部警備を担ったが、〈和合の一族〉の乱入および新〈桜姫〉の就任の機となった。〈五光〉の交代が相次いでいる。〈玉輪公〉の言っていた「時代の移り変わり」の一端を感じることとなった。

 個々の実力の底上げ、集団として連携をとるための訓練、そして〈仇鬼〉退治。日々繰り返し強化、修正を行い、体制を整えるのに時間がかかった。しかし伊吹の存在が大きな助けになった。

 伊吹のおかげで早くから実戦に近い訓練に取り掛かることができ、実際の〈仇鬼〉退治の際も〈眷鳥〉達を助けた。伊吹の「風」は〈眷鳥〉達を吹き飛ばして危険から逃すだけでなく、動きを加速させることができた。その体験によって翼の動かし方のコツを掴み、飛行が急激に上達する者もいた。また、遠くでも声が届くのは連携に非常に役に立った。

 一方で、伊吹は浮いていた。言葉は話せる。こちらの言葉の意味も理解できる。しかし、新たな〈眷鳥〉達が隊に馴染み、朔也隊として機能するようになっても、伊吹と交わされる会話は事務的なものだった。

 隊員は伊吹を恐れていた。しかし伊吹も、隊員を毛嫌いしているわけではなく、むしろ同じように何かに怯えているように見えた。

 朔也は彼女の助けになりたかった。

 ただ朔也がいくら話しかけても変化は見られなかった。〈輪〉だから、隊長だからそうしていると認識されているようだった。

 もどかしい日々を脱するきっかけとなったのは雁矢崎だった。皆より早く接点があったということもあるが、ある時から進んで伊吹と関わるようになった。朔也ではできない雑談を中心に、雁矢崎は諦めず、言い方を変えれば懲りることなく執拗に話しかけていた。伊吹は最初、不快だったのではなく戸惑っていたのだと思う。しかし月日が経ち、雑談に返したり、小さなことに質問するようになった。冗談に対して真面目に「それはどういう意味だ?」と聞き返し、狼狽える雁矢崎に周りが思わず吹き出すという場面も見られた。

 特に反応が良かったのは食事に関することで、雁矢崎が金平糖を持ってきた時には、これまでにないほど目を輝かせていた。内心喜んでいる姿は可愛らしかった。朔也も他の隊員も、お菓子やちょっとした飯を持ち寄るようになり、休憩中に皆で食べながら雑談するのが日課となった。

 隊の一体感はさらに増した。人数が増えた分以前より手が回り、より一層、烽州の守りに貢献できている実感もあった。

 気が付けば、試合の日が迫っていた。

「伊吹。」

 手招きして伊吹を呼び寄せ、お菓子を一つ手渡した。

「チョコレートというお菓子だよ。数があまりないし溶けてしまうから、早いうちに食べるといい。」

 伊吹は包み紙を開くと、少し首を傾げた。チョコレートは初めてだったようだ。

 茶色の立方体を人差し指と親指で慎重につまみ、ゆっくりと自分の口に入れた。最初は舐めていたのだろうが、カリッと音がしてからはゆっくりと噛み締めている。

「…美味しい。美味しい!」

 朔也が今まで見た中で一番の反応と言ってもよかった。二度も美味しいと言ったのは初めてではないか。口の中に集中しているのか、目を輝かせながらも一点を見つめている。

 それがあまりにも可愛らしく、手持ちの三つを全てあげた。

「…ありがとう。」

「どういたしまして。」

 少し遠慮しつつ恥じらうような様子が愛らしい。

 いつもは体格の良さもあって威圧感があるが、こういう時は幼子のようだった。話せても感情がわからないという隊員もまだ多いが、朔也はそうは思わなかった。

「瑤一との試合だが、基本的にはサポートに回ってほしい。何かと、瑤一相手ではやりにくいだろうから。」

 伊吹の軍への在籍を認めさせる上で、誰とでも協力できるという他、有用性を見せなければならない。しかし瑤一との関係は深く、なにやら事情があるのも明らかだ。前線で戦えというのは酷であるし、本気を出せない者を前線に置くほど甘くはない。

「…すみません。」

「謝ることじゃない。むしろ、伊吹が瑤一を大事に思ってくれていることは嬉しい。」

 朔也は瑤一が心配だった。

 準備期間を設けられてはいるが、そもそも瑤一は〈眷鳥〉の一人もいない状態だった。先に半人半鬼も抱えている。状況を整える大変さは、朔也の比ではないのではないか。

 以前ほど構うことはできないが、本部で出会えば言葉を交わした。「隊の編成は順調か?」と聞いた際は、「多々良君を覚えていますか。彼とは契約を済ませたのですが…」と渋い顔をしていた。今は空明と名を改めたらしい。

 今回の『神前試合』はさまざまな役割を抱えている。〈玉輪公〉を決める戦いでもあり、半人半鬼のお披露目でもあり、民衆を安心させる演目でもある。軍の人間にも民衆にも、多くの人の目につく。手は抜けない。それは以前に伝え、瑤一も理解していた。

 朔也は立場上、瑤一を手伝うことはできない。〈輪〉達は見ている。茶番ではいけない。納得させなければならない以上、無闇な接触は誤解を生む。しかし繊乃が言った通り、他の〈輪〉からの助言もないはずだ。

 瑤一の立場はあまりに厳しい。


 『神前試合』まであっという間だった。


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