12.件の問題児
変容は電源と同じ、零か百だ。腕だけ翼になりました、というような中途半端な変容状態は存在しない。その電源を、いかに瞬時に押せるかが求められる。
一月後には全員が変容することができるようになっていた。逆に言えば、変容を身に着けるだけでそれだけの時間かかる者もいた。とにかく「集中」を要求される日々は精神的に参る。しかし、脱落者が誰も出ていないのはさすが、勝ち上がってきた選抜者と言うべきだろう。
中でも雁矢崎景士は一週間で完全にものにした。意識してから三秒以内に鳥形と人形のスイッチを可能にする、それが〈眷鳥〉の最低条件だ。すでに高所からの飛行も可能にしており、あとは地面から、人形からの流れるような変容、飛翔を身につければ、先輩達の訓練に参加する予定だ。
しかし雁矢崎景士は、会得する早さが大事なわけではないことも重々承知していた。結局〈眷鳥〉として、〈仇鬼〉を狩る力が無ければ意味がない。
最初は雁矢崎を敵視していた同期も、変容の難易度を理解するや否や、素直に助言を求めた。プライドはあるが、意地になって大事なものを取り逃がすような馬鹿ばかりではなかった。雁矢崎は自分から進んで教えるほどお節介ではないが、無視するほど意地悪ではない。本来の目的である軍の強化ためにも、ここで争っている場合でもない。同期が優秀であれば自然と自分の評価も上がるだろうと言う下心もないでもなかった。
そんな中で、唯一助言を求めない者がいた。
多々良が誰かと話すのを見たことがない。雁矢崎にも、他の同期にも、先輩にも、破戸部にも、自ら話しに行くことはなく、ひたすら孤りで黙々となにかに取り組んでいる。
だから当然と言えば当然で、変容を身に着けたのは一番最後だった。逆に言えば、最初の破戸部の説明だけで、後は自分でものにしたということだが。
今も訓練は終わったと言うのに、一人飛び込み台に残って落ち続けている。鳥形で端まで行って翼を広げ、体を前に倒して頭から落ちる。地面に到達するまでに飛ぶことができれば良いのだが、それができなければ墜落する。分厚いマットは敷いてあるものの、五メートルほどの高さからの落下エネルギーを全て吸収できるわけではない。
五メートルは墜落しても大怪我をしないよう配慮された高さだが、低すぎて瞬間的な翼の動きが要求される難しい高さでもある。同期でこれを通過できたのは雁矢崎含め数名であり、ここで脱落するだろうという者も何人か見受けられた。高所と墜落の恐怖は想像以上に大きい。
多々良は何度も、何度も、何度も、何度も、繰り返し落ちていた。
雁矢崎景士は基本、他人にはあまり興味がない。多くは自分に嫉妬心か下心があると思っており、あまり自分から関りに行くようなことはしない。
しかし今回に限っては見ていられなかった。いつか、次の落下ででも怪我をしそうだ。これを無視して行くのは非常に後味が悪かった。
それに、どうしてここまで必死になれる?
全員が〈眷鳥〉になるために必死だ。しかし多々良のそれは、常軌を逸していた。
雁矢崎景士は同期に、先に戻ってと言葉を交わすと静かに多々良の元へ向かった。何度目かの飛び込み台の上に登った多々良と目が合ったが、どちらも何も言わなかった。
多々良は変容し、また落ちる。
雁矢崎は近付いた。
さらに落ちる。
空中で全力で翼を動かしているようだが、それでは乗れない。落下後に変容が解けると、多々良の頬に切り傷が付いていた。それがゆっくりと短く、細くなり、消えた。多々良の〈輪〉に当たった人は大変だろうなと思った。
多々良は起き上がると、また飛び込み台へ向かった。
雁矢崎はついに我慢ならずに自分から声をかけた。
「多々良君さ、なんでなんも聞かんの?」
帰ってきた答えは、なかった。
多々良はこちらを一瞥することもなく、完全に無視をした。
カチン。
この調子が常なら本当に優秀なのだろう。誰からも助言を貰わず、力を借りず、それでも隊員として配属されるまでの実力を身につけ、遅れながら〈眷鳥〉候補としても選ばれ、変容もものにはしている。一人でだ。
しかしだとしても、やはり納得はいかない。
「なんでそこまで必死なん?」
返事はない。
「他人に聞いた方が効率ええやん。」
返事はない。
「そこまで必死になる理由があんのに、他人に聞かんと効率落としてるんは、優先順位あってんの、それ。いらんプライドはよ捨てたら?」
ギロリと睨まれた。
雁矢崎景士はまっすぐに視線を返した。無視されてついこちらも煽るような言い方になってしまったが、しかし実際に諌めるつもりだった。必死になる理由があるなら、要らぬプライドなど捨てるべきだ。他人に頼れるところは頼って、搾取する気持ちで自分のものにすればいい。必死な姿と孤立を望む姿勢の矛盾が、少し気に食わなかったのかもしれない。
らしくない。放っておけばいいのに。自分には関係ない。
多々良が口を開いた。よしこれで会話が成り立つ、そう思ったのも束の間———
「案の定、脳味噌お花畑やな。」
「…あ?」
「貴様は恵まれてて、ええよなぁ。周りに甘やかされて可愛がられて、ドロドロのぬるま湯に浸かっとる奴が偉そうに説教かい。気持ち悪い。」
「おい、口悪すぎやろ。八つ当たりすんなや。」
「はっ。八つ当たりな。俺が貴様に嫉妬しとるって?そうやともそうやとも。できる奴は矜持が違わはりますわ。全員が自分を認めとるって確信に満ち満ちてるもんな。」
「いや、現状お前より俺の方ができるんは事実やろ。そりゃ恵まれてるのも事実や。でもお前ができひんのはできる努力せぇへんからやん。」
「努力ねぇ。さすがですねぇ、雁矢崎の坊々は。できる奴が言うだけで説得力が違うわ。」
「俺間違ったこと言うたか?」
「正しいんじゃないですか?求めんでも人にいっぱい助けてもらえて、「努力」が実って、皆に認められて、何よりやな。」
「お前、俺のことめっちゃ嫌いやん!?初めて喋ったよな?最初の言い方が気に障ったなら謝るやん。」
「こんだけ言われても謝る余裕もありますって?こんな劣等生にも声かけて下さる優しさもあって、雁矢崎のご子息は器がでかいできた人やなぁ。俺はそんな御人が相手していい綺麗な人間じゃないんで、関わらんといてもらえますか。」
「もう俺が何しても腹立つんやろ…」
「そや。貴様みたいに恵まれとる奴嫌いやねん。」
「俺のせいちゃうやん!俺かてお前みたいに目の前にあるヒントもチャンスも掴みに行こうとせん奴嫌いや!」
「ほんま、そう言うことを悩まんと疑いもなく言えるんが「恵まれとる」言うとるんじゃ。わからんのやろなぁ、疑わんでええ人生で羨ましい限りやわ。むかつくわぁ。」
「わからん。」
「恵まれとる奴は自分が何に恵まれとるかもわからんねん。それを当たり前やと思って、人に偉そうに押し付けとんなや。うっとうしい。反吐出るわ。」
雁矢崎は言い返さなかった。
多々良は心底不快だという表情を向けたが、また登り台に戻った。
雁矢崎は考えた。今の怒涛の会話を振り返りながら、多々良が数回落下するのを見ながら。
「やっぱほんまにわからん。」
「まだなんかあるんかい。貴様につきあっとる暇ないんじゃ。」
「さっきのどういうことや。聞けばええだけやんか。俺かて聞かれたらちゃんと教える。なんでそれができひんねん。」
「だから、」
多々良は、吐き出そうとした暴言を止めた。
雁矢崎から怒気が感じられなかった。かなりの暴言を吐き、煽り、これ以上関るなと嫌われたつもりだった。ここまで酷く言われて、しかしその内容について本気で質問しているらしい。そういうところでさえ心底不愉快なのだが、ある程度は答えを得て納得しなければ、この男は立ち去ってくれないだろうと思った。
多々良は、暴言の代わりに大きく怒気を含んだため息をついて呟いた。
「それが嘘の可能性は?」
「は?」
「それが俺を殺す罠の可能性は?」
「いやいや…」
「見返りに何求めてくんねん。」
「そんなん、」
「そう言うことを考えんでいい人生なんが「恵まれてる」って言うてるんや。はよどっか行けや。うざいねん。」
雁矢崎景士はまたしばらく黙考した後、少し口を尖らせて呟いた。
「なんも知らんと、言い方悪かった。すまん。」
「うざ。なにわかった気になって同情しとんねん。きもいわ。」
「でもお前も相当口悪いからな!俺かて傷ついたからな!?」
肩を怒らせ、子供のようにわかりやすく怒った風に立ち去る背中を横目に、多々良はまた訓練を続けた。
誰も頼れない、しかし技術はものにしなければならない。これは誰の為でもなく自分のためだと、多々良の頭にはただ一人の顔が浮かんでいた。
雁矢崎景士は力強く歩きながら、徐々に勢いを落とした。
多々良のことがわかったわけではない。しかしなんとなく、これまでの処遇を察してしまった。
〈輪〉を殺した〈眷鳥〉の息子。雁矢崎は関係ないと一蹴したが、そうではない者が多いということだ。多々良父の件は事故だとしても、起きてしまったことは「神殺し」に等しく罪人に近い認識なのかもしれない。その息子が隊に居ることをよく思わない人間は多く、多々良はそういう経験をしてきたということだ。他人を全く信じられなくなるほどに。
多々良から浴びせられた暴言に腹を立てつつも、その考えに至らなかった自分に反省した。そして自分の恵まれた環境を再確認するとともに、同情は、した。恵まれているのは自分のせいではないので妬まないでほしいが、「罪人の息子」という立場だって本人のせいではない。
そうまでされて隊に残り、そして〈眷鳥〉になろうとしていることも、雁矢崎景士には想像の付かない理由があるのだろう。話してはくれないだろうが。
そこで何故自分が多々良に声をかけたのか思い至った。羨ましかったのかもしれない。あそこまで必死になれる理由があることが。
雁矢崎景士は足を止めた。
腕を組んで俯き、大きくのけ反り唸った。目を開けると、空には眩しい月が浮かんでいた。
「…しゃぁないなぁ、もう。俺の為や、俺が気持ちよくなるため。でもあいつ、もう捻くれに捻くれてるから、助言なんかまともに聞かへんやろなぁ。」
多々良のことを思い浮かべ、再び、しゃぁないなぁ、と呟いた。
「飛ぶときはな!翼はほとんど!動かさへんねん!固定!こーてーい!空気に乗る感じ!」
「う、うん。前聞いたよそれ。できてない?」
「あ、ごめん。ええ感じやと思うで。」
「どうしたん雁矢崎。」
「いやなんもないなんもない。大きい声出したい気分なだけや。」
苦笑いを浮かべながら、雁矢崎景士は横目で一人遠くで訓練を続ける多々良を盗み見た。
それから日々の訓練の中、懲りることなく声を張り続けた。とにかく大きな声で、コツを叫び続けること。これしかなかった。
「何より先生は鳥やで!本物の鳥見てイメージするんが一番早い!」
「羽ばたくときは上下の動きだけちゃうねん!前後も組み合わせて!水中で水搔く感じで!」
「地面から飛び立つんに大事なんは上半身より足の強さや!地面思いっきり蹴とばして!羽動かせるくらい高さ確保して!足鍛えて!あーーしっ!!!」
その様子を見ながら、破戸部は隅で笑いを堪えていた。
「気合入ってんなぁ。ハハ、若いわぁ。眩しい眩しい。」




