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十五人の葬式  作者: 妙原奇天


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14/20

第十四話 甘露

 片瀬麗の体温が消えたのは、朝の光が体育館の床をわずかに照らしたころだった。

 透の袖を掴んでいた彼女の指は、離れる瞬間まで小刻みに震えていた。最後に吐いた息が白くなって、すぐに消えた。千景が毛布をかける。灯は顔を覆って黙り、弓が拳を握ったまま、何も言わなかった。

 その場にいた全員が知っていた。これが十四人目だということを。



 喪主は透が務めた。

 遺品は、小さなアメ玉の包み紙。くしゃくしゃに丸められた銀紙の内側に、淡い桃色の染みが残っていた。

 甘い匂いがした。あの匂いを、誰よりも最初に感じ取ったのは彼女だった。


 ――あまい。


 初めて井戸の水にその匂いが混じったとき、彼女は笑ってそう言った。

 その笑顔の意味が、いまになって透の胸に突き刺さる。

 あのとき「甘い」は、ただの感想だったのか、それとも、もう始まっていたのか。


 葬列は短かった。

 雪の下の土は硬く、鉄のような音を立ててスコップの刃を弾いた。透は何度も握り直しながら土を掘った。指先が痺れて、手の感覚が薄れていく。弓が交代しようと声をかけたが、透は首を振った。

 自分の手で埋めたかった。記録係である前に、彼女の袖を掴まれたひとりとして。


 棺の中に包み紙を置く。

 銀色が光り、すぐに雪明かりに溶けた。

 透は立ち上がり、呼吸を整えようとしたが、空気が喉を通らない。甘い匂いが鼻の奥にこびりついて離れなかった。


 「……あまい」


 無意識に漏れた声に、自分で気づいて息を詰めた。

 千景が視線を向けたが、何も言わなかった。灯は祈るように両手を合わせていた。弓は俯いたまま、拳を握っていた。



 埋葬のあと、透は井戸の縁まで歩いた。

 冷え切った風が吹きつけ、指の感覚が戻らない。覗き込むと、水面は凍りつきかけて、うっすらと白い膜が張っていた。そこから立ちのぼる匂いに、思わず吐き気がこみ上げる。

 喉の奥がねじれて、胃の中のものを吐き出した。吐いたのは、朝に食べたわずかな粥と、形のない後悔だった。


 「透」


 灯が後ろから声をかけ、背中をさすった。

 その手のひらは小さく震えていた。

 「あなたは悪くない」


 透は首を振る。言葉にならない。

 悪くないと言われるたびに、罪が増える気がした。

 記録係は、見届けるだけの人間じゃない。書きとめるということは、死を固定するということだ。

 死を動かせなくする行為だ。


 だから、自分も死に参加している。

 そう思うたびに、鉛筆の芯が黒く見えた。



 夜、灯と千景と弓と律が円卓を囲んだ。

 風が強くなり、屋根の板を叩く音が絶え間なく続く。

 千景はノートを開き、静かに言った。


 「感染源が、わかったかもしれない」


 弓が顔を上げる。「……祠の水、でしょ?」


 千景はうなずいた。「水。導水路。祠。戦後に一度、改修工事が行われている。町の記録には“祠の湧き水を共同井戸に導く”とある。……それが最初の汚染経路かもしれない」


 「でも、祠の水なんて何十年も封じられてたんじゃないの?」


 律が眉をひそめる。

 「封じたはず、です。けれど――」千景はノートのページをめくった。「供物の中に“何か”があった。菌類か藻の一種か、それとももっと別のものか。サンプルを顕微鏡で見たけど、通常の細菌構造とは違った。遺体から採取した組織に、それと近い反応が出たの」


 「つまり、祠が……?」


 「感染源である可能性が高い。

 だけどそれは“生きてる”わけじゃない。菌とも違う。もっと古いもの。藻に似ているけど、細胞が複雑すぎるの。……まるで、祈りの形がそのまま増殖してるみたい」


 その言葉を聞いた瞬間、誰もが息を飲んだ。

 科学の説明なのに、祈りの言葉のように響いた。

 灯が唇を噛む。「祈りが、病気をつくったの?」


 千景は答えられなかった。

 弓が目を閉じて言った。「じゃあ、私たちは何を信じればいいの。……祈りも、理屈も、どっちも届かないのに」


 律が拳を握ったまま、立ち上がった。「もう一度、祠を見に行く」

 「やめて」と灯が止める。「祠に行くたび、誰かがいなくなる」

 「確かめなきゃ。何がそこにあるのかを」

 「確かめても、どうせ明日には誰かが――」


 その先を灯は言えなかった。

 誰もが知っている。もう十五という数は遠く、残りは指で数えられるほどだということを。



 夜が更けても、透は記録を続けた。

 紙の上に鉛筆の跡が残り、字がかすれる。

 ――第十四日。十四人目、片瀬麗。喪主、透。

 ――遺品、アメ玉の包み紙。

 ――匂い、「あまい」。最初の笑顔。

 ――埋葬後、井戸で嘔吐。

 ――感染源、祠。導水路。戦後改修。

 ――祠の供物に未知の物質。藻に似た反応。


 書き終えたあと、透は鉛筆を置き、額を押さえた。

 文字の列が波のように揺れて見える。

 書けば記録になる。記録になれば、変えられなくなる。

 それでも、書かないと誰も覚えていられない。


 灯が寝袋の中から顔を出し、小さく言った。

 「透、寝て」


 「まだ書くことがある」


 「書いたって、救われない」


 「書かないと、もっと苦しい」


 灯はそれ以上何も言わず、毛布の端を握った。

 彼女の指が、微かに震えていた。熱のせいか、寒さのせいか分からない。

 透は記録帳を閉じ、灯の方に向き直った。


 「灯」


 「なに」


 「麗が言ってた。“あまい”って。あれ、最初に笑って言ったの、麗だった」


 「覚えてる。……あのとき、きれいに笑ってた」


 「俺、あの笑顔を記録に残してない」


 「それでいいよ。残さなくていいこともある」


 灯はそう言いながら、目を閉じた。

 透はその横顔を見つめ、心の中で短く祈った。

 祈りというより、願いだった。

 明日の朝、彼女の息がまだ白く残っていますように――と。



 深夜。

 千景が記録用の紙を抱えて、透のそばに来た。

 「これ、見て」


 薄い紙の上に、祠の壁から採取した藻の断面が描かれていた。

 細い線が複雑に絡まり、まるで人の手が組まれたような形をしている。

 「細胞分裂じゃない。増え方が異常なの。自分自身の形を“記録”して、増えていくの。まるで、自分を忘れないために」


 「忘れないために?」


 「そう。生き物は、死ぬとき記録を残す。DNAも、記憶も、言葉も。

 この藻も、きっと同じ。何かの“願い”を記録したまま増え続けてる。祈りを構造にしてる」


 千景の声が震えていた。

 科学の説明のはずなのに、まるで罪の告白のようだった。

 透はその紙を見つめ、言葉を探した。


 「祈りが、感染してるんだな」


 千景が顔を上げた。「……そうかもしれない。

 信じることと、広がることは、たぶん同じ形をしてる。

 だからこそ止められない。止めたら、全部消える」


 「止めても、書けば残る」


 透は記録帳を叩いた。

 「紙の上に、祈りを書き換えられるかもしれない」


 千景は少しだけ笑った。「あなた、無茶を言うわね」


 「無茶でも、書く」


 透は鉛筆を握り直した。

 ページの余白に新しい行を書き足す。


 ――水は甘く、記録は苦い。

 ――祈りは感染し、言葉はその道を開く。

 ――俺たちは、祈りの死骸の上に座っている。


 鉛筆の先が折れた。

 折れた音が、鐘の音のように聞こえた。



 夜が明ける。

 体育館の窓から、灰色の光が差し込む。

 灯が眠っている。弓は配給箱の前で膝を抱え、律は外の様子を見に行った。千景はまだ紙の前に座っている。

 風が止んだのか、甘い匂いが濃く残った。

 その匂いの中で、透は静かに記録帳を閉じる。


 ページの端に指を滑らせると、紙の感触がざらつく。

 それは砂のようで、砂糖のようでもあった。

 甘くて、痛い。


 麗の包み紙の銀色が、思い出の中で光る。

 透はその輝きを、目の奥に焼きつけた。

 祈りでも、記録でもない、ただの記憶として。


 ――あまい。

 あの一言が、まだ耳の奥に残っている。


 透は鉛筆を取り、最後の行を加えた。


 ――第十四人目、片瀬麗。

 ――最初に笑った子。

 ――その笑顔を、忘れない。


 書き終えた瞬間、胸の奥で何かが音を立てた。

 それは泣き声に似ていて、祈りのようでもあった。

 誰かが鐘を鳴らしたように、空気が震えた。


 甘い匂いが、静かに満ちていった。

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