108話 薄れゆく意識の中で
遥を追って玄関を飛び出し1階まで駆け下りた僕は、その場で立ち止まり、彼女の行方を捜す為、辺りを見渡して見た。
すると、少し離れたコインパーキングの入り口の前で、しゃがみこんでいる1人の女の子の姿が目に止まった。
まるで道路脇に捨てられたダンボールの中の子猫が、背中を小さく丸めて震えているかの様だ。
昨日、家に帰ってから色んな事を考え過ぎて、頭の中が整理されていない状況で、それにプラスしてさっきの相原の件もあり、遥に何て声掛けたら良いのか分からなかった。
しかし、黙っていても先には進めないし、想いも伝わらない。だから僕は、ただ優しく包み込むような感じで彼女の名前を呼んでみた。
「はるか」
その声を聞いた彼女は直ぐさま立ち上がり、目の辺りをハンカチで拭ってから僕の方を振り返った。
僕の呼び掛けに応えてくれた遥は、その後ゆっくりとした足取りで僕の方に歩み寄ろうとした。
しかしその時、遥の背後にある信号の無いT字路の交差点の地面が急に明るくなった。
そして次の瞬間、カスタムしているその車は、速度を上げて左折したかと思いきや、加速しながらこちらに向かって走行して来た。
まるでその車のドライバーは、遥を邪魔だと言わんばかりにクラクションを数回鳴らし続けた。
余りに突然の出来事で驚いた遥は、体が硬直して足がすくんでしまい、向かって来る車をただ呆然と見ていた。
「キキィー」とタイヤがロックする甲高い音と、タイヤと路面との摩擦でゴムの焦げた異臭が辺り一面に漂う。
「ぼさっと突っ立ってんじゃねぇ」と、そのドライバーが一喝するとその場から立ち去って行ってしまった。
あの時の僕は、無意識の内に体が勝手に遥に向って駆け出していた。
その車から遥を守る為、彼女を抱きしめ、体をクルッと回転させながら車に対して背を向けると、ドンッ!!と、背中に鈍い衝撃が伝わると同時に、僕は地面に倒され頭を強打していた。
その後どうなったのかは実の所あまり覚えていない。わずかに覚えているとすれば、微かに揺れる僕の体と、彼女の手の温もりだけだ。
その頃遥は、次第に意識が回復して、ゆっくり目を開けると、今の自分のおかれている状態が分かってき出した。
片瀬さんが、私の下で・・・、片瀬さんの腕の中で・・・、私の頭が、守られている。
そして、時間が経つにつれて、体の所々の擦り傷や打撲がうずき出してきた。
痛みを堪えながら、彼女は上半身を起こし、僕の頭を脚の上に優しく置く。
片瀬、さん。大丈夫ですか?片瀬さん、片瀬さん、目を開けて下さい、片瀬さん。
遥は、喉の奥から声を振り絞って名前を呼ぼうとするけれど、中々思うように声にはならなかった。
倒れていた僕の体を、意識が戻る様に軽く揺らし、声にはならない声で彼女は僕に呼び続ける。
駄目だ、私ひとりでは・・・。
人が通って居ない道路の片隅で、遥は誰かに助けを求める為、泣くのを我慢しながら、もう一度、精一杯の声を振り絞って叫んだ。
「だ、誰か、誰か助けて下さい。片瀬さんが、片瀬さんが~」
僕は遠ざかる意識の中で、微かな声を聞いた。
はる、か、声・・・!?
しかしそれは、僕にとって一瞬で、暗闇の中に一点、薄っすらと放っていた光が徐々に侵食されていく様に意識が遠ざかって行き、助けを呼ぶ声はフェードアウトしていった。
そんな彼女の涙に合わせるように、無情にも暗い空からポツポツと大きな雨粒が降り始め、僕達2人を少しずつ濡らしていった。
そう、まるで3年前のあの日、麻衣達に突如襲って来た大雨と同じように・・・。




