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異世界ギルド受付の俺、病んだ美少女冒険者たちをカウンセリングしたら全員「私だけ見て」とヤンデレ化した  作者: 他力本願寺


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第93話 いつか変わる世界を信じて

翌朝。早暁の冷たい空気の中、宿の前に馬車が停まっていた。


 ガルバスが手配してくれた六人乗りの馬車。幌付き、荷台つき。長旅には十分な造りだった。六人までなら。


「——足りないんだけど」


 ルゥが馬車の中を覗き込んで言った。


 数えてみる。ナギ、リゼ、フラン、ルゥ、セラフィーナ、アリス、ディアブラ、ソフィア。八人。御者席を含めても一席足りない。


「詰めれば入るよ」


 リゼが荷物を担ぎ上げながら言った。


「詰めるにも限度があるわ。物理的に」


 フランが腕を組んだ。


 俺が割り当てを考えている間に、全員が勝手に乗り込み始めた。御者席にフランとソフィアが並んだ。二人はすでに昨日の議論の続きを始めている。間接指標の重みづけ係数がどうとか、サンプリング間隔がどうとか。馬車が動く前から車内より御者席の方がうるさい。


 車内では席の取り合いが発生していた。


「ディアちゃん、もっと詰めてー」


 ルゥが荷物を抱えたまま、ディアブラの隣に体をねじ込んだ。


「ちゃん付けするな」


「でも詰めないと入らないよー」


「この狭い馬車に七人だと……」


 ディアブラが天井を見上げた。低い声で呟く。


「魔王城の玉座の間より窮屈ではないか」


「玉座の間って広いの?」


 ルゥが目を丸くした。


「百人は入る」


「じゃあだいぶ負けてるね、これ」


 ルゥが笑った。ディアブラが唸った。押し返さなかった。


 最終的な配置はこうなった。右の窓際にアリスとセラフィーナ。中央にルゥとディアブラ。左の窓際に俺。そしてリゼが、当然のような顔で俺の隣に収まった。


「狭くない?」


「狭くない」


 即答だった。肩が触れている。リゼの体温が上着越しに伝わってきた。


           *


 出発の前に、王都の市場を抜けた。


 最後の買い出しのために馬車を停めた広場で、御者席のフランに「十分だけ」と断って外に出た。干し肉と水袋を補充する。長旅の基本だ。


 買い物を終えて馬車に戻ろうとした時、足が止まった。


 広場の中央に噴水がある。その周りで、子供たちが走り回っていた。


 人間の少女が三人。手を繋いで、噴水の縁をぐるぐると回っている。笑い声が朝の空気に響いている。その輪の中に——小さなゴブリンの子供が一人、混じっていた。


 緑色の肌。大きな耳。背丈は人間の子供より頭一つ低い。だがその手は人間の少女の手としっかり繋がれていて、同じ速度で走り、同じタイミングで笑っていた。


 少女の一人がゴブリンの子供の手を引いて、噴水の水面に手を浸した。冷たさにゴブリンの子供がきゃっと声を上げた。少女たちが笑った。ゴブリンの子供も笑った。水しぶきが朝日を受けて光った。


 周囲の大人たちは笑っていなかった。


 露店の果物屋が渋い顔で腕を組んでいる。通りがかりの商人が連れに何か耳打ちした。眉をひそめている。広場の隅に立つ衛兵が、介入すべきか迷うように視線を泳がせていた。


 子供たちは気づいていない。気づいていても、気にしていないのかもしれない。水しぶきと笑い声。それだけが広場に満ちている。


「……子供は最初からわかってるんだな」


 声が出ていた。独り言だった。


「大人が教えなければ、偏見は生まれない」


 隣に、気配を感じた。


 ディアブラだった。いつの間にか馬車を降りていた。黒いフードを目深に被り、俺の半歩後ろに立っている。赤い瞳が、フードの影からあの光景を見ていた。


 何も言わなかった。


 風が吹いた。フードの裾が揺れて、一瞬だけディアブラの横顔が見えた。目を細めていた。怒りではない。悲しみでもない。もっと複雑な、名前のつけられない表情だった。


 唇が微かに動いた。声にはならなかった。


 だが、形は読めた。


 ——この世界は、いつか変わる。


 何百年も前に誰かから教わった言葉を、何百年ものあいだ一人で反芻してきた、唇の動き方だった。


 俺は何も言わなかった。言う必要がなかった。


 同じものを見て、同じことを感じている。それだけで十分だった。


           *


 馬車が王都の門をくぐった。


 石畳の規則的な振動が消え、土の道の柔らかな揺れに変わった。窓の外を麦畑が流れていく。朝露に濡れた穂先が、朝日を受けて金色に光っている。


 次の目的地はエルフ王国、翠嶺の国。


 王都滞在の最終日に届いた招待状の差出人はティアラ。エルフ族の外交官。リヒャルト王を通じて、人魔和平プロジェクトの説明を正式に求める内容だった。


 千年の寿命を持つ種族は、千年ぶんの停滞も抱えている。フェンリルが水晶球越しに言っていた。『エルフは変化を恐れる種族じゃない。変化を忘れた種族だ。思い出させるのは外からの刺激しかない』。


 目を閉じた。馬車の振動が体に伝わる。隣でリゼの規則的な呼吸が聞こえる。


 王都で学んだことを、一つずつ反芻する。


 怒りの下には悲しみがある。ヴァルター公爵が、拳と涙で教えてくれた。


 優しさは決断を殺す。リヒャルト王が、震える声で証明した。


 正しさだけでは人は動かない。ソフィアが、四年間の孤独で身をもって示した。


 恐怖で世界を変えることはできない。ディアブラが、五百年をかけて学んだことだ。


 では——何が人を動かすのか。


 答えはまだ出ない。出ないが、手がかりならある。噴水の前で手を繋いでいた子供たちの笑い声が、まだ耳の奥に残っていた。


 あの子たちは議論しなかった。協定も結ばなかった。ただ手を繋いで、走って、水に触れて、笑った。それだけだった。


 不意に、左の袖が引かれた。


 リゼだった。


 目を閉じている。呼吸は穏やかで、規則正しい。寝息にしては少し浅い。そして——耳の先が赤い。


 寝たふりだ。


 袖を掴む指にじわりと力が入った。離す気はないらしい。俺は腕を動かさないことにした。動かすと起きたふりをしなければならなくなる。それは二人とも面倒だ。


 反対側の窓際で、ディアブラが外を見ていた。


 膝の上に一枚の羊皮紙がある。折り目がいくつもついている。広げかけた痕、畳み直した痕、書いては消した痕。インクの跡が何層にも重なっていた。宛名は書かれていない。だが、それが誰に宛てたものかは——推測がつく。


 ヴァルター公爵。


 十二年分の怒りと悲しみを背負った男への、未完の手紙。何を書けばいいのかわからないまま、それでも書こうとしている。


 ディアブラはその羊皮紙を丁寧に折り畳んだ。四つ折りにして、フードのポケットに静かにしまう。それから窓の外に視線を戻した。麦畑が終わり、なだらかな丘陵が見え始めていた。その先に、薄く青い山並みが霞んでいる。


 御者席から声が聞こえた。


「——だからサンプリング間隔を二十四時間周期に固定するのは、地表魔素の日内変動を無視しているのと同じよ」


「日内変動の振幅は季節変動に対して〇・三パーセント未満です。有意とは言えません」


「母集団が違えば有意水準も変わるわ。あなた、検定手法の選択からやり直しなさい」


「……あなたこそ、間接指標の共線性を無視した重回帰を——」


 フランとソフィアだった。王都を出てもなお止まらない。馬車の振動より二人の議論の振動の方が激しかった。


 ルゥがディアブラの肩に寄りかかった。荷物を抱えたまま、うとうとしている。


「……重い」


 ディアブラが小声で言った。


 押し返さなかった。


 セラフィーナが膝の上の救急箱を開けた。手のひらに淡い光が灯る。微弱な回復魔法。誰に向けたものでもない、車内全体をそっと包む、あの柔らかい光。


「わあ……あったかい」


 アリスが呟いた。窓際で頬杖をついていた姿勢のまま、目を細めている。


 俺は左袖を掴まれたまま、右手で手帳を開いた。


 新しいページ。昨日までのメモの続き。インクの染みが少しついている。馬車の揺れで字が歪むのは仕方ない。


 書いた。


 目的地——翠嶺の国。


 課題——千年ぶんの停滞を、どうやって解きほぐすか。


 手段——未定。


 ペンを止めた。


 馬車の中を見渡す。


 隣で寝たふりをしている最強の剣士。御者席で学術論争を繰り広げる二人の天才。肩を貸しているのかいないのか曖昧な元魔王。寄りかかって眠る二重人格の盗賊。静かに全員を癒す聖女。窓の外を眺める勇者。


 そして俺。ただのカウンセラー。


 足りないものは、たぶんまだたくさんある。エルフの信頼。教団の承認。公爵の赦し。世界の残り時間。


 でもまあ——道中で見つければいい。


 この馬車は狭い。魔王城の玉座の間より窮屈だと、ディアブラが言っていた。


 だが悪くない。


 セラフィーナの回復魔法の光が車内に満ちている。ルゥの寝息が聞こえる。御者席の議論が遠ざかっていく。リゼの指が、俺の袖をそっと握っている。


 馬車が丘を越えた。


 視界が開けた。


 青い山脈が、朝日の中に輝いていた。

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