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異世界ギルド受付の俺、病んだ美少女冒険者たちをカウンセリングしたら全員「私だけ見て」とヤンデレ化した  作者: 他力本願寺


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第88話 作戦会議と、七人の朝

目が覚めたのは、夜明け前だった。


 窓の外はまだ暗い。宿の部屋に差し込む光は、通りの魔灯が落とす青白い筋だけだった。隣の部屋からリゼの寝息が壁越しにかすかに聞こえる。規則正しく、穏やかな呼吸。よく眠れているらしい。いいことだ。


 俺は眠れなかった。


 今日、リヒャルト王と面会する。人魔和平プロジェクトの正式な開始を、王自身の口から宣言してもらう。そのための場が整っている。貴族議会の日程も押さえた。ヴァルター公爵との和解も——完全ではないが、少なくとも対話の糸口は掴んだ。


 だが一つ、決めきれていないことがある。


 魔脈のデータを、王にどこまで伝えるか。


 寝台の上に座り直し、枕元に置いていた水晶球を膝の上に載せた。魔力を流し込む。球体の内側に白い霧が渦を巻き、数秒の沈黙の後、低い声が響いた。


「——朝の五時半。お前にしては早いな」


 フェンリルだった。声だけで、姿は霧の向こうにぼんやりと影がある程度。だが腕を組んで椅子の背にもたれている姿勢は、声の響き方でわかった。この人はどんな時間に呼び出しても同じ姿勢でいる気がする。


「すみません、早朝に」


「構わん。コンサルに定時はない」


 一拍の間。


「顔が悪いぞ」


「顔はいつもこうです」


「いつもより悪いと言っている」


 否定できなかった。鏡は見ていないが、一睡もできなかった顔が良いはずはない。


「今日、リヒャルト王と面会します」


「聞いている。スケジュール通りだ。何を迷っている」


 この人には前置きが要らない。それが助かる時と、逃げ場がなくなる時がある。今は後者だった。


「魔脈のデータを、どこまで開示すべきか。ソフィアさんとディアブラのデータを統合した結果、深層魔脈の総流量は過去五百年で約四十パーセント減少しています。回復速度も鈍化している。このまま放置すれば三百年から四百年で——」


「地表魔法に深刻な影響。回復・防衛魔法の出力が半減以下。そこまでは報告を受けている」


「はい。これを王に伝えれば、危機感で和平交渉を加速できる可能性がある。ただ——」


「ただ、お前は四日前に自分で言ったはずだ」


 フェンリルの声が、一段低くなった。


「『データは武器にしない』と」


 胸を掴まれたような感覚があった。自分の言葉だ。ディアブラとの夜の対話で、はっきりと口にした。恐怖で世界を変えることはできない。ディアブラが五百年かけて学んだ失敗を、俺が数日で繰り返すわけにはいかない。


「恐怖で人を動かしても、動いた先に信頼は生まれない。お前自身がそう結論づけた。覆すのか」


「覆しません。ただ、王に何も伝えないまま決断を求めるのは、それはそれで不誠実ではないかと」


「なら整理しろ」


 声が変わった。相談相手のそれから、コンサルタントのそれに。


「選択肢は三つだ。一つ目、フルオープン。魔脈の減少率、推定残存年数、全種族の波長同期が唯一の修復策であること。全て開示する。透明性は最大だが、王が恐怖に引きずられるリスクがある。優しすぎる王が恐怖で動いた時、その決断は持続しない。最初の逆風で折れる」


「二つ目」


「部分開示。魔脈に異常が見られること、調査の必要性、各国との協力体制が不可欠であること。危機の規模は伏せる。和平の動機はデータではなく、王自身の信念に置く」


「三つ目」


「今日は魔脈の話をしない」


 短い沈黙があった。


「王のカウンセリングに集中する。王が何を恐れ、何に苦しみ、なぜ決断できないのか。それを聴く。データは、王が自分の意志で和平を決断した後に、裏付けとして渡す」


 三つの選択肢が頭の中で回った。どれも正しくて、どれも足りなかった。


「フェンリルさんの推奨は——」


「聞くな。お前が決めろ」


 突き放す声だった。だが冷たくはなかった。自分の足で立てると信じている者にしかかけない種類の突き放し方だった。


「ただし一つだけ言っておく」


 フェンリルの声が静かになった。


「情報の非対称性はネゴシエーションの基本だ。全部出すな。だが嘘もつくな。嘘をついた瞬間、お前がこれまで積み上げてきた信頼の全てが崩壊する。カウンセラーが嘘をつけば——二度と誰もお前の前で泣けなくなる」


 その言葉が、深く沈んだ。水面に落ちた石が底に届くまでの、長い沈黙だった。


「もう一つ——」


 フェンリルが続けかけた時、部屋の扉がノックされた。


 こんこん、と二回。遠慮がちだが、間隔が短い。この叩き方は——


「ナギ、起きてる?」


 リゼだった。


「起きてます」


「朝ごはん、もう降りた方がいいよ。食堂混むから」


「もう少しだけ待ってください。今——」


「誰かと話してる?」


 扉の向こうで気配が止まった。耳を澄ませている気配。犬みたいだな、と思ったが口には出さない。


「フェンリルさんと、少し」


「……ふうん」


 声の温度が微妙に下がった。何が気に入らないのかはわからないが、足音が遠ざからない。扉の前に立ったままだ。


 水晶球の向こうで、フェンリルが低く笑った。


「賑やかだな」


「すみません」


「謝るな。——で、話の続きだが」


「はい」


「王より先に教団を——」


 扉が開いた。ノックなし。


 フランだった。


「おはようございます、ナギ。あら、フェンリルさん」


 フランは部屋に入るなり水晶球を覗き込んだ。眼鏡の奥の目が光っている。


「丁度よかった。昨日の件ですが、間接指標のサンプリング間隔を十二時間周期に変更した場合の検出力について——」


「おい。俺は今ナギと戦略の話を——」


「戦略の話は後で聞きます。サンプリング間隔の方が緊急度が高いわ」


「高くねえよ」


「データの精度は全ての判断の基盤です。基盤なくして戦略はありません」


 フェンリルが唸った。フランの正論は、コンサルタントの正論と同じ速度で飛んでくる。二人が噛み合うと議論が終わらなくなることを俺は学習済みだった。


「ですがフランさん、それは後で——」


「おはよー、なんか賑やかだねー」


 廊下からルゥが顔を出した。寝癖がひどい。目が半分閉じている。


「誰と話してるのー?」


「フェンリルさんです」


「あ、おじさんだ。おはよー」


「おじさん言うな」


 水晶球の向こうでフェンリルの声が低くなった。ルゥは気にせず部屋に入り、ベッドの端に座った。枕を抱えている。自分の部屋から持ってきたらしい。


「ナギの部屋、いい匂いする」


「何の匂いですか」


「ナギの匂い」


「それは情報として処理に困ります」


 廊下の気配が増えた。セラフィーナが静かに扉の外に立っている。中を覗くが、入ってはこない。代わりに小さく会釈した。手に湯気の立つカップを持っている。


「ナギさん、ハーブティーをお持ちしました。お顔の色が——少し」


「ありがとうございます」


 受け取ろうとしたら、リゼが先にカップを受け取った。いつの間にか部屋に入っていた。


「私が渡す」


「リゼさん、それは私が——」


「私が渡す。専属だから」


 セラフィーナが困った顔で微笑んだ。リゼが仏頂面でカップを差し出す。俺は黙って受け取った。温かかった。


「ねえねえ、朝ごはんまだー?」


 アリスが廊下の奥から駆けてきた。完全装備だった。勇者の鎧を朝から着ている。


「アリスさん、朝食はもう少し後で——」


「えー、お腹空いたー」


「勇者が空腹で戦闘力低下するのは士気に関わるわ」


 フランが真顔で言った。冗談なのか本気なのか判別できない。


「——騒がしいな」


 低い声が、廊下の闇から響いた。


 全員が振り返った。廊下の突き当たり、壁にもたれるようにディアブラが立っていた。黒いフードの下から赤い瞳がこちらを見ている。


「人間は朝からこうも群れるのか」


「群れてるんじゃないよ、集まってるの」


 ルゥが枕を抱えたまま言った。


「同じだ」


「全然違うよー」


 ディアブラが眉間に皺を寄せた。だが廊下から動かなかった。動かないが、立ち去りもしなかった。


 水晶球の中で、フェンリルが長い息を吐いた。


「……ナギ」


「はい」


「お前の周りはいつもこうなのか」


「最近は、はい」


「そうか」


 短い沈黙。


「——悪くない環境だ」


 それだけ言って、フェンリルの声が少し遠くなった。椅子に深く座り直した気配。


「全員に伝えておけ。今日のナギは大事な仕事がある。余計な心配はするな。ただし帰りが遅くなったら迎えに行け。あいつは自分の限界を自己申告しない」


「聞こえてますよ」


「聞こえるように言っている」


 リゼが水晶球に向かって頷いた。真剣な顔だった。


「わかった。任せて」


「頼むぞ、リゼ」


 名前を呼ばれて、リゼの耳がわずかに赤くなった。フェンリルにはそういうところがある。要所で人の名前を呼ぶ。信頼を言葉にする技術。コンサルタントの基本動作だと本人は言うだろうが、それだけではない何かがある。


「さて。全員出ていけ。ナギと二人にしろ」


 フェンリルの声が低く響いた。有無を言わさない声だった。


 リゼが一瞬だけ躊躇した。だがフランが「行くわよ」と肩を叩き、ルゥを引っ張り、アリスの背中を押した。セラフィーナが会釈して廊下に戻った。ディアブラは最初から廊下にいたので、そのまま闇の中に溶けるように消えた。


 扉が閉まった。


 部屋に静寂が戻った。ハーブティーの湯気が、魔灯の光の中で細く揺れている。


「——話の続きだ」


 フェンリルの声が変わった。コンサルタントの声に戻っている。


「王より先に、教団を押さえるべきだ」


 心臓が跳ねた。朝の喧騒で忘れかけていた緊張が、一瞬で戻ってきた。


「教団にとって魔脈の真実は、信仰の根幹を揺るがす情報だ。『魔脈は神の恵みであり、永遠に尽きない』。それが教義の柱だろう。お前が魔脈の減少を公にすれば、教団は全力で潰しにくる。政治的に最も危険な敵は、正しさを信仰に変えた組織だ」


 セラフィーナの顔が浮かんだ。元聖女。教団の内側を知っている。そしてディアブラが呟いていた——教団に送った手紙は、全て焼かれたと。


「……教団は、後にします」


「理由を聞こう」


「王に、自分の意志で決断してほしい。教団の脅威や魔脈の危機を先に見せれば、王の決断が外圧への反応になる。そうじゃなくて、王自身が『和平が正しい』と信じて、自分の声で宣言する。その順番を間違えたくない」


「それは理想論だ」


「はい」


「理想論で時間を浪費すれば、教団に先手を打たれる可能性がある」


「わかっています」


「わかっていて、それでも王が先か」


「はい」


 長い沈黙があった。水晶球の霧がゆっくりと動いている。フェンリルの呼吸だけが聞こえた。


「——いいだろう」


 声が、少しだけ柔らかくなった。


「お前の判断だ。責任もお前が取れ。ただし教団が動いた時の対応策は、今日中に考えておけ。後手に回るな」


「はい」


「それから——飯を食え。空きっ腹でカウンセリングするな。判断力が鈍る」


「わかりました」


「胃薬も飲め」


「……はい」


 水晶球の霧が薄くなった。魔力が切れかけている。


「ナギ」


「はい」


「お前にしかできないことをやれ」


 光が消えた。


 部屋に朝の静寂が満ちた。窓の外が白み始めている。王都の屋根の向こうに、薄い朝焼けが広がっていた。


 膝の上の水晶球をしまい、立ち上がった。テーブルの上にセラフィーナのハーブティーがある。一口飲んだ。温かかった。ほんの少し甘い。


 ポケットの中で空の胃薬の瓶に指が触れた。隣に、リゼがくれた新しい瓶がある。蓋を開け、一錠を口に含んだ。苦い。ハーブティーで流し込んだ。


 上着を羽織る。


 三つ目を選ぶ。


 今日は魔脈の話をしない。データも数字も使わない。リヒャルト王の前に座って、王の言葉を聴く。王が何を恐れているのか。何に縛られているのか。なぜ決断できないのか。全部、聴く。


 答えは王の中にある。俺の仕事はそれを引き出すことだ。


 扉を開けた。


 廊下に、六人分の気配が残っていた。足音はもう食堂の方に消えている。かすかに、アリスの笑い声が階下から聞こえた。


 階段を降りる。


 食堂の扉を開けると、長テーブルに全員が座っていた。リゼが窓際の席を一つ空けている。俺の分だ。皿にはパンとスープが用意されている。湯気が立っている。


「遅い」


 リゼが言った。


「すみません」


「謝んなくていい。座って」


 席についた。リゼが黙ってパンを一切れ、俺の皿に追加した。フランがスープの温度を確認するように匙で一度かき混ぜた。ルゥが「ナギ、それ美味しいやつだよ」と自分の皿を指さした。セラフィーナが静かに微笑んでいた。アリスが既に二皿目を食べていた。


 ディアブラはテーブルの端に座っていた。フードを被ったまま、小さなパンを齧っている。視線が一瞬だけこちらに向いて、すぐに逸れた。


 誰も、今日の面会について聞かなかった。


 聞かないのではなく、聞かないと決めているのだとわかった。フェンリルの言葉を守っている。余計な心配はするな。ただし帰りが遅くなったら迎えに行け。


 パンを齧った。焼きたてだった。外は硬く、中は柔らかい。スープは根菜の甘みが出ていて、胃に優しかった。


 食べ終えて、立ち上がった。


「——行ってきます」


 自然に出た言葉だった。言ってから気づいた。前世でも、こんなふうに誰かに「行ってきます」と言った記憶がない。


 リゼが顔を上げた。何か言いかけて、飲み込んだ。代わりに、小さく頷いた。


「うん」


 それだけだった。それだけで十分だった。


 宿を出た。朝の王都の通りに、澄んだ空気が満ちていた。石畳を踏む靴音が響く。王城の尖塔が、朝日を受けて白く光っている。


 歩きながら、もう一度だけ確認した。


 三つ目。


 今日は、聴く日だ。


 王城の門が近づいてくる。衛兵が俺の顔を確認し、敬礼した。門が開く。


 長い廊下の先に、王の私室がある。





■お知らせ

スピンオフ短編はじめましたー。

https://kakuyomu.jp/works/2912051598619237225

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