第8話 Aランク剣士、ギルド専属ソロを宣言する
「ギルマスター! 契約の相談があるの!」
執務室の扉が勢いよく開いた。
書類をめくっていたギルドマスターが顔を上げる。
その直後、少し遅れて俺も部屋に飛び込んだ。
「待ってください、リゼ。まだ“相談”の段階ですからね」
「だから相談しに来たの!」
「走りながら結論まで出してたでしょう、さっき」
肩で息をしながら言うと、ギルドマスターは面白そうに片眉を上げた。
「なんだなんだ。騒がしいな」
「騒がしいのはいつもですけど、今日はちょっと種類が違います」
「で、リゼ。何の契約だ」
リゼはまっすぐ前を向いた。
訓練場で見せたときと同じ顔だった。
迷いが全部消えたわけじゃない。でも、迷ったままでも進むと決めた顔だ。
「私、ギルド専属のソロ冒険者になりたい」
ギルドマスターが、ぱちりと瞬きをした。
「……ほう」
「基本は近郊依頼と緊急対応だけ受ける。無理な長期遠征はしない。パーティも、すぐには組まない」
「ふむ」
「でも、引きこもるつもりも逃げるつもりもない。ちゃんと依頼は受ける。ギルドに戻ってきて、また次に行ける形で働きたいの」
そこで、リゼは一度だけ俺を見た。
「ここなら、無理する前に相談できるから」
その言葉に、俺は少しだけ口をつぐんだ。
勢いだけの思いつきではない。
少なくとも、“誰とも関わらない”よりは、ずっと前を向いた結論だった。
もちろん、それだけなら、の話だが。
「あと、毎日ナギに会える」
「ほらそこだ!」
俺がすかさずツッコむと、リゼはきょとんとした顔でこっちを見た。
「それも大事でしょ?」
「大事ではあるかもしれませんが、最重要項目みたいに言わないでください」
「最重要ではないよ」
「違うんですか」
「最重要は、ちゃんと前に進むこと」
「……」
「その次が、ナギのそばにいること」
「十分重いな……」
ギルドマスターが、ぶふっと吹き出した。
「はははっ! なるほどなあ!」
「笑い事じゃないんですよ」
「いや、だが話自体は筋が通ってる」
ギルドマスターは椅子にもたれ、腕を組んだ。
「リゼはもともとソロ適性が高い。無理にパーティへ戻して潰れるくらいなら、ギルドで直接抱える手もある」
「でも前例が」
「前例なら今作る」
「軽いなあ……」
俺が額を押さえると、ギルドマスターはにやりと笑った。
「それに、Aランク剣士がギルド寄りで動いてくれるなら、こっちにとっても悪い話じゃねえ。近郊の緊急案件に即応できるし、若手の護衛にも回せる」
「俺の護衛はいりませんからね」
「ナギの護衛もできるよ」
「だからそこを業務に混ぜるなって言ってるんです」
リゼは少しだけ不満そうに口を尖らせたが、すぐに表情を引き締めた。
「……逃げたくないのは、本当なの」
「リゼ」
「誰とも関わらないまま、一人で閉じこもるのは違うって、ナギが言ったから」
静かな声だった。
「だから私は、ここにいる形で前に進みたい。ちゃんと働く。ちゃんと戻ってくる。……怖いままでも、自分で選びたいの」
その言葉を聞いて、ギルドマスターの顔からも笑いが少し引いた。
豪快なおっさんに見えて、こういう時だけはちゃんと人を見る人だ。
「ナギ。お前はどう見る」
「……完全には賛成できません」
「ほう」
「ただ、昨日までの“誰とも組まない、全部切る”よりはずっといい。仕事と回復を両立する形としては、理屈はあります」
「だろうな」
「ですが」
俺はリゼを見る。
「条件付きです」
リゼが、ぴんと背筋を伸ばした。
「何でも聞く」
「何でもは困りますけど、まず一つ。ギルドに住み着かないこと」
「……う」
「受付カウンター前で寝ない」
「……がんばる」
「努力目標にしないでください。必須です」
「はい」
「二つ目。相談窓口を縄張りにしない」
「縄張りじゃない」
「前に“テリトリー”って言い換えましたよね」
「……」
「黙っても記録は消えません」
リゼが目を逸らす。
図星らしい。
「三つ目。他の相談者を威嚇しない。剣の柄に手をかけない」
「……はい」
「四つ目。俺を“担当固定の理由”にしない」
「それはちょっと難しい」
「難しくてもダメです」
「……がんばる」
「さっきからその“がんばる”に不安しかないんですが」
ギルドマスターがまた笑った。
「よし。試験的に受けよう」
「決断が早いなあ!?」
「三か月だ。ギルド専属のソロ冒険者扱い。依頼の範囲はこっちで調整する。定期報告も義務だ」
「はい!」
「で、ナギ」
「はい」
「お前は相談窓口担当として、こいつの経過観察を続けろ」
「結局そこに戻ってくるんですね……」
「適任だろ」
「否定はしづらいですが」
リゼの顔が、ぱっと明るくなった。
最初にギルドへ倒れ込んできた時とは、まるで別人みたいだった。
泣きそうな顔で袖を掴んでいた少女が、今は自分の意志で次の形を選ぼうとしている。
そのこと自体は、本当に良かった。
本当に、良かったのだ。
ただし。
「じゃあ、リゼ」
ギルドマスターが顎をしゃくる。
「表で説明してこい。お前ほどの看板が動き方を変えりゃ、ギルド中が騒ぐ」
「うん、わかった」
そして案の定。
* * *
「はあ!?」
冒険者ギルドの広間に、第一声が響いた。
「殲滅剣のリゼがパーティを離れて、ギルド専属ソロになるって!?」
「マジかよ」
「そんな形あるのか」
「今できたんだろ」
だいたいその通りである。
ざわめく広間の真ん中で、リゼはいつになく堂々と立っていた。
「今日からしばらく、私はギルド専属で動くことになりました」
「本気か、リゼ!」
「うん。本気」
誰かに問われても、もう怯えた顔はしなかった。
「無理な組み方はしない。必要なら一人で行く。でも、逃げるわけじゃない。私はちゃんとここで働く」
その言葉に、何人かの冒険者が顔を見合わせる。
驚きはある。
戸惑いもある。
でも、嘲る空気ではなかった。
彼女がどれだけの修羅場を切り抜けてきたか、ここにいる連中はみんな知っているからだ。
「リゼがギルドに常駐か……」
「いや、戦力としてはありがてえけど」
「でも、もったいなくねえ?」
「たしかに」
俺も内心で、ちょっとだけ同意した。
Aランク最強剣士という戦力を、相談窓口の近くに配置するのは、たしかに若干もったいない。
もっと大きな舞台で好きに暴れたっておかしくない人だ。
でも。
そんな“もったいなさ”より先に、ここで息がしやすくなるなら。
今はたぶん、そっちの方が優先だ。
「それと」
リゼが、少しだけためらってから続けた。
「相談が必要な時は、ちゃんとナギのところに行くから」
「やっぱりそこか……」
「受付のお兄さんが理由なの?」
「おいおい」
「違うよ」
リゼは否定した。
きっぱりと。
一瞬だけ、俺は安心しかけた。
「理由の全部じゃない」
訂正が重かった。
広間の視線が一斉にこっちへ向く。
やめてくれ。
そんな“当人のコメントをどうぞ”みたいな空気を作るな。
「リゼ」
「だって本当だもん」
銀色の瞳が、まっすぐ俺を見る。
「私はここで働く。ちゃんと前に進む。そのうえで、困ったらナギのところに戻る」
「……」
「だって、ナギは私の担当でしょう?」
その言い方は、ずるいと思う。
前より少し明るくなった顔で。
前より少しだけ、自分の足で立てるようになった声で。
それでもなお、当然のように俺を“帰ってくる場所”に入れてくる。
断ち切るには、今の彼女はちゃんと前を向きすぎていた。
「……業務上の担当です」
「うん」
リゼは素直に頷いた。
「まずは、それでいい」
まずは、って何だ。
俺の内心にツッコミが浮かぶ。
だが口に出す前に、周囲のどよめきが大きくなった。
「担当ってそういう制度だっけ?」
「知らんけど重いな」
「受付の兄ちゃん、大変そうだな」
「他人事だと思って好き勝手言いやがって……」
俺が遠い目をしていると、ギルドマスターが愉快そうに肩を叩いてきた。
「よかったじゃねえか。ちゃんと救われてる」
「その結果、職場環境が悪化してるんですが」
「細けえことは気にすんな」
「細くないんですよ。だいぶ太い問題なんです」
リゼはそのやり取りを見て、くすっと笑った。
ああ。
こうして笑えるようになったんだな、と、少しだけ胸の力が抜ける。
最初に見た、あの限界の顔を思えば。
今ここにある変化は、たしかに本物だった。
* * *
昼過ぎ。
騒ぎがひとまず落ち着いた頃、俺はカウンターで帳簿を整理していた。
その向かいには、もうすっかり落ち着いた様子のリゼがいる。
「ナギ」
「はい」
「さっき、変だった?」
「どの部分ですか」
「『ナギは私の担当でしょう?』って言ったところ」
「分かってるんですね」
リゼは少しだけ視線を泳がせた。
「だめだった?」
「だめ、とまでは言いません」
「でも、困った?」
「……かなり」
「そっか」
しゅんとする。
だが、そのあとですぐに笑った。
「でも、隠したくなかったの」
「何をですか」
「ナギがいるから、安心して前を向けるってこと」
俺は言葉に詰まった。
依存の気配は、たしかにまだ濃い。
むしろ前より輪郭がはっきりしているかもしれない。
ただ、それでも。
それが“全部を投げて縋るだけの言葉”ではなくなっているのも事実だった。
「……リゼ」
「うん」
「確認しておきます。今回の決断は、“俺がいるから”だけで決めたわけじゃないですね?」
「うん」
彼女は今度は迷わず頷いた。
「前は、怖くて、置いていかれるのが嫌で、誰かにしがみつきたかった」
「……」
「でも今は、怖いままでも自分で決めたい。ここで働いて、戻ってきて、少しずつ慣れていきたい」
その上で、とリゼは言った。
「ナギがいると、すごく安心する」
「そこは揺るがないんですね」
「うん。そこはたぶん、しばらく無理」
あまりにも正直で、俺は苦笑するしかなかった。
「じゃあ、その“しばらく無理”を少しずつ調整していきましょう」
「がんばる」
「最近その返事が便利に使われすぎてませんか」
「だって本当にがんばるから」
その時、カウンターの前に、静かな足音が止まった。
「……随分と晴れやかな顔をするようになったのね」
見上げると、フランが立っていた。
濃紺のローブ。
相変わらず、隙のない姿勢。
でもその蒼い瞳は、いつもの冷たさだけではなく、何かを測るように細められている。
「フラン」
「こんにちは、ナギ」
そして、彼女はリゼを見る。
「前より顔色がいいわ。少なくとも、壊れる直前の人間の顔ではなくなった」
「……そうかな」
「ええ。だからこそ厄介そうだけれど」
フランの視線が、今度は俺へ向く。
「なるほど。あなたは、本当に少しずつ人を立ち直らせるのね」
「大げさですよ」
「大げさではないわ」
その言い方は、どこか静かだった。
リゼのようにわかりやすく熱をぶつけてくるわけではない。
でも、理屈の奥で何かが深く沈んでいくような気配がある。
「……ナギ」
「はい」
「閉館後、少し時間をもらえるかしら」
「相談ですか?」
「ええ」
フランは短く答えた。
「少し、整理したいことがあるの」
そのまま彼女は長居せず、くるりと踵を返した。
リゼがじっとその背中を見る。
「……あの子、なんか嫌な感じ」
「主観が強いですね」
「だって、静かな顔して重そう」
「否定しづらいな……」
* * *
閉館後。
昼の喧騒が嘘みたいに静まり返ったギルドで、俺は一人、机の上を片づけていた。
今日だけで、何度ため息をついただろう。
でも、そのため息は嫌なものばかりではなかった。
リゼは少し前に進んだ。
問題が全部なくなったわけじゃない。
むしろ“ナギのそばにいる理由”を制度化しにきたあたり、別方向に濃くなっている。
それでも、あの子が自分で選んで笑えたことだけは、ちゃんと良かったと思う。
――コンコン。
控えめなノックの音がした。
「どうぞ」
扉が開く。
約束通りフランが現れた。
昼間よりも少しだけ顔色が悪い。けれど、そのぶん張りつめた美しさが際立って見える。
「待たせましたか」
「いいえ。私が早かっただけよ」
フランは扉を静かに閉めた。
昼間の彼女とは、少し雰囲気が違う。
いつもの理知的な硬さの奥に、何か切羽詰まったものがあった。
「それで、話というのは?」
「……ええ」
フランは数秒だけ黙って、それからまっすぐに俺を見た。
「今日は」
静かな声だった。
「……今日は、誰にも聞かれたくない話をしに来たの」
その一言で、昼とは別の空気が小部屋へ流れ込んできた。




