第7話 担当固定を要求する剣士は自立していると言えるのか
「……ねえ、ナギ。私、いい子でしょ?」
無垢で、切実で、ひどく危うい笑顔だった。
Aランク冒険者リゼ。
最強格の剣士が、世界のほとんどを切り捨ててでも俺という一点にしがみつこうとしている。
この問いへの返事を間違えると、たぶん今後の方向性が決定的にまずい。
俺は数秒だけ脳をフル回転させてから、慎重に口を開いた。
「リゼ」
「うん」
「あなたは十分、いい子です」
「えへへ」
「強い剣士でもあります」
「うん」
「でも、その結論には賛成できません」
笑顔がぴたりと止まった。
「……なんで?」
「“誰とも組まない”は、問題を解決しているようで、実際は怖いものから距離を取っているだけだからです」
「でも、私が誰とも組まなければ、誰も怪我しないよ」
「それは“誰かを巻き込まない”であって、“あなたが回復する”ではありません」
リゼが少しだけ眉を寄せる。
「私は平気。ナギがいれば」
「俺は受付です。いつか異動になるかもしれないし、普通に死にます」
「そしたらついていく」
即答だった。
おい待て。
秒で論理を踏み越えてくるな。
背後で見ていたフランが、小さくため息をついた気配がした。
「……非合理的の極みね」
「今はそこを刺激しないでください、フラン」
俺は額を押さえたあと、もう一度リゼを見る。
「リゼ。孤立することは、回復とは違います」
「……でも、もう誰かが傷つくのを見たくない」
「それは本物の恐怖です。否定しません」
「だったら」
「問題は“パーティを組むかどうか”だけじゃない」
少しだけ声を落とす。
「あなたが自分を責め続ける癖、そのものの話です」
「……っ」
リゼの瞳が揺れた。
「一人になれば、確かに仲間が傷つく場面は減るかもしれない。でも、何かあるたびに“やっぱり私が悪い”って思う癖が残ったままなら、場所を変えても苦しみ方が変わるだけです」
「……」
「外に敵がいなくなっても、内側の敵が残る」
リゼが唇を噛む。
図星だとわかっている顔だった。
ただ、それを認めるのが痛いだけで。
「リゼ。あなたが今やろうとしてるのは、“傷つかないように生きること”であって、“傷ついても立ち直れるようになること”じゃない」
「……ナギ、いじわる」
「いじわるなのは、世の中と、その思考の癖です」
「……むぅ」
少しだけ拗ねた顔になる。
でも、さっきみたいに全部を遮断する顔ではない。ちゃんと聞いている。
「今日、ここで答えを出さなくていいです」
「……」
「頭だけで煮詰まった時は、身体を動かすのも手です。剣を振ると少し整理できるんでしょう?」
「……できる」
「じゃあ、少し行ってきますか」
「……うん。行ってくる」
リゼはしぶしぶといった足取りで訓練場の方へ向かった。
背中は少し丸い。
でも、昨日みたいな絶望の沈み方ではない。考える余地が残っている時の歩き方だった。
小部屋の空気が静かになる。
「……あなた、本当にただの受付?」
先に沈黙を破ったのはフランだった。
「はい、ただの受付です」
「Aランク剣士を言葉だけで止めておいて?」
「止めきれてはいません」
「十分異常よ」
フランは椅子にもたれずに、じっとこちらを見る。
「優しいだけなら、あの子の案を受け入れたはずだわ」
「それは優しさじゃなくて放置です」
「……そういうことを平気な顔で言うのね」
「平気じゃありませんよ。内心はかなり胃が痛いです」
正直に言うと、フランが少しだけ笑った。
「あなたは、ずいぶん残酷で、ずいぶん誠実ね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「ええ。かなり高く評価しているわ」
そのまま流れるように言葉が続く。
「やはり、私の専属相談員として――」
「なりません」
「まだ最後まで言っていないのだけれど」
「もう学習しました」
フランは不本意そうに目を細めたが、引き下がった。
「……まあいいわ。今日は帰る」
「素晴らしい判断です」
「でも、また明日来る」
「そこは譲らないんですね」
「合理的な継続観察は必要でしょう?」
「その理屈、便利に使いすぎでは」
「有用な理屈は使うものよ」
そう言い残して、フランは小部屋を出て行った。
理詰めで距離を詰めてくるタイプ、やっぱり厄介だな。
* * *
午後。
書類の山がひとまず落ち着いたところで、俺はギルド裏手の訓練場へ足を向けた。
リゼが気になった、というのもある。
それに、訓練場から断続的に聞こえてくる風切り音が、だんだん気になってきた。
ヒュンッ。
ヒュッ、ヒュンッ。
木剣じゃない。真剣だ。
空気を裂く音が鋭い。
訓練場の中央では、リゼが一人で剣を振っていた。
速い。
そして、きれいだった。
ただ力任せに斬っているわけじゃない。体重移動も、踏み込みも、切り返しも無駄がない。
木製の訓練用ダミーが、彼女の一閃でまとめて切断される。
普段の、見捨てないでと縋る姿とは別人みたいだった。
ああ、この人は本当に強いんだな、と改めて思う。
「……すごいな」
思わず口に出る。
リゼがぴたりと動きを止め、こちらを振り返った。
汗で濡れた銀髪が陽を反射して、きらりと光る。
「ナギ」
「邪魔しましたか」
「ううん。全然」
リゼは剣を鞘に戻して、こっちへ小走りで来た。
頬が少し赤い。息も上がっている。でも、顔色は悪くない。
「見てた?」
「見てました。かなり」
「……かっこよかった?」
「ええ。すごく」
お世辞ではない。
本当に見惚れた。
その一言で、リゼの顔がぱっと明るくなる。
「えへへ……」
「やっぱり、剣を振るのは好きなんですね」
「うん。剣は、ちゃんと返してくれるから」
彼女は自分の手を見る。
「迷ってると遅れるし、焦ってるとぶれるし、変に力むと汚くなる。でも、ちゃんと立て直せば、ちゃんと斬れる」
「わかりやすい」
「人より、ずっとわかりやすい」
その言葉に少しだけ寂しさが混じった気がした。
たぶん、彼女にとって人間関係は、剣ほど単純じゃないのだ。
だから傷つくし、だから避けたくなる。
「ナギ」
「はい」
「さっきの話、ちゃんと考えた」
リゼは真面目な顔になった。
「私は、誰とも関わらない方が楽だって思った」
「うん」
「でも、それは逃げるだけだって言われて……悔しかった」
「……」
「でも、たぶんその通り」
リゼは胸元で拳を握る。
「私、変わりたい」
「ええ」
「またいつか、誰かと笑って話せるようになりたい。誰かと組むのも、怖いだけで終わらせたくない」
「それで十分です」
俺は自然と笑っていた。
「完璧な答えじゃなくていい。そう思えたなら、前に進んでます」
「うんっ」
リゼは嬉しそうに頷く。
よかった。今度こそ、少しはまともな方向に進めそうだ。
「じゃあ次の段階として、経過観察の頻度は落としていきましょう」
「……え?」
「毎日じゃなくていい。週に一回か二回くらいでも十分かもしれません」
「……週に」
「今のあなたに必要なのは、“俺がいなくても呼吸を整えられる時間”を増やすことです」
リゼの顔から、すっと色が引いた。
「毎日、会えないの?」
「“会えない”じゃなくて、“会わない時間も作る”です」
「それ、同じじゃない」
「だいぶ違います」
「違わない」
裾をぎゅっと掴まれる。
うん、知ってた。
こうなる予感はしてた。
「リゼ、自立っていうのは」
「一人でも大丈夫になること」
「そうです」
「でも、ナギがサポートしてくれるって言った」
「します」
「じゃあ、サポートしやすい距離にいればいいんだよね?」
あっ。
その目はまずい。
今、何かを思いついた顔だ。
「待ってください。今、変な方向に論理を飛躍させませんでした?」
「飛躍してない」
「しました」
「してない」
リゼはぶつぶつと何かを計算し始めた。
「私は冒険者で、ナギは受付で……外に出ると会えない」
「まあ、物理的にはそうですね」
「でも、ギルドに常駐できれば会える」
「常駐?」
「依頼は近郊だけ。緊急時だけ出る」
「リゼ」
「護衛もできる」
「俺に護衛はいりません」
「でも変な手紙も来た」
「そこはちょっと否定しづらいけど、だからって俺専属ボディガードにならないでください」
聞いていない。
リゼは完全に自分の中で組み上がった“最適解”に向かっていた。
「ギルド所属のソロなら、パーティも組まなくていい」
「そこだけ切り取るな」
「でも引きこもるわけじゃない。ちゃんと働く」
「それはそうかもしれませんが」
「そして毎日ナギに会える」
満点の笑顔だった。
違う。
そこがゴールじゃない。
「わかった!」
リゼが俺の両手をぱっと包み込む。
「私、ギルド専属のソロ冒険者になる!」
「……はい?」
「ギルド直属で、基本は近郊の緊急依頼と護衛担当! それならギルドにいる理由もあるし、ナギのそばにもいられる!」
「自立の方向性がおかしい」
「おかしくないよ。ちゃんと前向き」
「前向きではあるんですが、向いてる先が完全に俺なんですよ」
だめだ。
言葉が届いていない。
リゼはもう完全に、その未来を採用する気でいた。
「ギルドマスターに相談してくる!」
「待って。まだ俺の同意が――」
「ナギ、待っててね!」
止める暇もなく、リゼは訓練場を飛び出した。
銀色の髪がひるがえる。
足取りだけは、最初に倒れ込んできた時とは比べものにならないくらい軽い。
……たしかに、前には進んでいる。
進んでいるんだ。
ただ、その進路があまりにもピンポイントで俺の周囲半径五メートルに収束しているだけで。
ギルドの方から、バンッと勢いよく扉を開ける音がした。
「ギルマスター! 契約の相談があるの!」
元気だなあ。
元気なのはいいことなんだが。
俺は訓練場の真ん中で立ち尽くし、深く息を吐いた。
担当固定を要求する剣士は、自立していると言えるのか。
……言えない。
少なくとも、たぶん普通の意味では。
それでも彼女が前より少しだけ顔を上げて走っていけるなら、否定ばかりもしたくない自分がいる。
だから余計に厄介だった。
俺はこめかみを押さえながら、ゆっくりギルドへ向かって歩き出した。




