第65話 魔王が頭を下げた日
玉座の間。
広い空間に、研修を終えたヒロインたちと、魔王軍の幹部たちが集まっていた。
リゼがヴォルクス(トゲを削った暗黒騎士)と並んでいる。
フランの隣にはギムレット(罠師)が、六十点の落とし穴の設計図を抱えて立っていた。
ルゥとルナがシェイド(アサシン)と小声で何か打ち合わせしている。
セラフィーナの横では、リッチが骨の手で丁寧にお茶を淹れていた。権限委譲の成果で、部下に仕事を任せる余裕ができたらしい。
アリスは聖剣を背負ったまま、出入り口に立って残業監視の最終チェックをしていた。
人間と魔族が、同じ空間に立っている。
昨日まで殺し合っていたはずの者たちが、ぎこちないながらも隣に並んでいる。
その光景を、俺の隣に立ったディアブラが、息を呑んで見つめていた。
「……行けますか」
「行く」
ディアブラは玉座の前に立った。
全員の視線が集まる。
沈黙。
ディアブラが口を開いた。
「……私は、間違えていた」
最初の一言で、広間がざわめいた。
だが、ディアブラは構わず続けた。
「私は混血だ。人間の母と、魔族の父の間に生まれた。どちらの世界にも居場所がなかった。だから……全ての種族の壁をなくせば、私のような存在にも居場所ができると信じて、力を求めた」
魔王軍の幹部たちが、顔を見合わせる。
混血。人間の母。誰も知らなかった魔王の素性だ。
「対話を試みた。何度も。だが拒絶され、裏切られ、いつしか力で従えることしかできなくなった。……その結果、私が作ったのは恐怖で繋がった張りぼての帝国だった。本当に望んでいたものとは、真逆の世界だった」
ヴォルクスが、削ったばかりの鎧の肩を震わせていた。
シェイドが唇を噛み締めている。
リッチの骨の指が、微かにカタカタと鳴った。
「私は、お前たちに謝らねばならない」
魔王が、頭を下げた。
全員が、目を見開いた。
「完璧であろうとして、誰にも弱さを見せず、全てを一人で背負い込み、お前たちを信頼しなかった。お前たちが苦しんでいることに気づかず、ただ恐怖で従わせていた。……すまなかった」
沈黙が、広間を包んだ。
最初に動いたのは、ヴォルクスだった。
「……魔王様」
鎧のトゲを削った暗黒騎士は、膝をついた。
「俺たちは、あなたを恐れていたわけじゃありません」
ディアブラが顔を上げる。
「あなたが一人で全部背負い込んで、壊れていくのを……ただ見ていることしかできなかった。それが、一番辛かったんです」
リゼが一歩前に出た。
「魔王さんの部下、みんな心配してたよ。『魔王様が最近おかしい』『助けたいけど、どうすればいいかわからない』って。……あいつら、あんたが嫌いだったんじゃない。愛し方がわからなかっただけだよ」
フランが続ける。
「あなたの組織が崩壊したのは、部下が無能だったからじゃないわ。あなたが完璧であろうとしすぎて、誰にも頼らなかったからよ。……私にも、覚えがあるわ」
ルゥが元気な声を上げた。
「魔王さん! あなたの部下のみんな、ほんとはあなたのことが大好きなんだよ!」
瞳の色がすっと変わる。
「ただ、愛し方がわからなかっただけ。……私たちと、同じね」
ルナの静かな声が続いた。
セラフィーナが穏やかに微笑んだ。
「全てをお一人で背負う必要はないのですわ。弱さを見せることは、信頼の始まりです」
アリスが聖剣を鞘に収めた。
「魔王様。私は勇者です。本来なら、あなたを倒すためにここにいます」
アリスは、フリルのドレスの裾をそっと摘んで、優雅に一礼した。
「でも、私の先生は『対話を試みたい』と言いました。だから私も、剣ではなく言葉を選びます。……あなたの理想が本物なら、私はあなたの敵じゃありません。味方になれるはずですっ」
ディアブラが、全員の顔を見回した。
人間の剣士。魔法使い。盗賊。聖女。勇者。
魔族の騎士。暗殺者。罠師。死霊術師。
種族も立場もバラバラの者たちが、一人の受付男を中心にして、同じ場所に立っている。
ディアブラの琥珀色の瞳から、涙がこぼれた。
今度は、堪えなかった。
「……これが」
声が、震えた。
「これが、私の……望んだ世界か」
俺は黙って、その光景を見ていた。
何も言う必要はなかった。答えは、この部屋の中に既にある。
ディアブラは涙を拭い、玉座の前に立ち直った。
今度の声には、掠れも震えもなかった。
「私は今日から、剣を置く」
広間に、彼女の声が響き渡った。
「代わりに、卓を用意する。人間も、魔族も、エルフも、ドワーフも。全ての種族が同じ卓につき、対話で未来を作る世界を——この手で実現する」
魔王軍の幹部たちが、目を見開き、やがて一人、また一人と膝をついた。
今度は恐怖からではない。
初めて、王の本当の言葉を聞いた忠誠だった。
* * *
感動的な場面が一段落し、広間の空気が少し緩んだ頃。
ディアブラがニヤリと笑い、俺を見た。
嫌な予感がした。この人が笑うと、だいたい俺の胃に来る。
「そして、提案者には最後まで責任を取ってもらおう」
「……やっぱりそう来ますか」
「ナギ。お前を『人魔和平プロジェクトマネージャー』に任命する」
「「「「「はぁぁぁぁ!?」」」」」
「種族間交渉の調整、組織再編の監督、関係者全員のメンタルケア。全てお前が統括しろ」
「俺はただのギルドの受付ですよ」
「元・ただのギルドの受付だ。今日からは違う」
ディアブラの不器用な笑顔に、反論する隙を与える気配はなかった。
案の定、ヒロインたちが一斉に食いついた。
「ナギが世界規模のプロジェクトリーダー!? じゃあ私は専属護衛! 異論は認めない!」
リゼが真っ先に名乗りを上げる。
「プロジェクトの論理設計とスケジュール管理は私が担当するわ。ナギの健康管理プロトコルも再構築する必要があるわね」
フランが即座にポジションを確保する。
「お兄さんの秘書やるー!」
ルゥが手を挙げた。瞳がすっと冷たく変わる。
「情報部門と暗部の統括は私が。……当然、ナギの警護も兼ねるわ」
ルナが短剣を弄びながら微笑んだ。
「ナギ様の心身の健康管理は、引き続き私が担当いたしますわ。……今度は、適切な距離感で」
セラフィーナが両手を組み、穏やかに微笑む。最後の一言に少しだけ照れが混じっていた。
「先生のそばにいられるなら、勇者兼広報担当しますっ♡ 世界中に先生の素晴らしさを伝えますっ♡」
アリスがフリルを揺らして宣言する。
そして、ディアブラが当然のように付け加えた。
「無論、私が最高責任者としてお前の隣に立つ。……異論はないな?」
ヒロインズ全員の目がギラリと光った。
「「「「「大いにある」」」」」
完璧なユニゾン。種族も立場も超えた、圧倒的な一致団結だった。
ただし、団結の理由は「ナギの隣のポジション争い」である。
ディアブラが怯まず受けて立った。
「ふん。私は魔王だ。貴様らに隣の席を譲る道理はない」
「魔王だろうが神だろうが関係ないの! ナギの隣は私の——」
「感情論ね。論理的に考えれば、管理者の隣に立つべきは——」
「お兄さんの隣はルゥたちの——」
「ナギ様のお傍にふさわしいのは——」
「先生のお嫁さんは——」
六つの声が重なり、玉座の間が轟音に包まれた。
俺は深く、深く、深くため息をついた。
魔王を救った。世界を一歩前に進めた。素晴らしいことだ。歴史に残る偉業かもしれない。
だが、その代償として。
俺の周りの修羅場は、ギルドの窓口どころか世界規模に拡大してしまったらしい。
「……俺の平穏な受付生活は、二度と戻ってこないんだな」
騒然とする玉座の間の片隅で、俺がこめかみを押さえていると。
ディアブラが、不意に俺の横に並んだ。
さっきまでの不敵な笑みではなく、不器用で、少しだけ照れくさそうな表情だった。
「……安心しろ、ナギ」
小さな声だった。
俺にだけ聞こえるように。
「少なくとも、孤独ではなくなったぞ。……お前も、私も」
俺は、修羅場の中心で怒鳴り合うヒロインたちと、それに負けじと応戦する魔王軍の面々を見渡した。
最強の剣士。天才の魔法使い。双極の盗賊。元・聖女。フリルの勇者。そして、元・絶望の魔王。
全員、かつて俺の窓口に傷ついて駆け込んできた者たちだ。
今は、それぞれの足で立ち、それぞれの武器を持って、俺の隣で騒いでいる。
……ああ、もう。
本当に、しょうがない連中だ。
「まあ、やりがいだけは無限にあるな」
俺は諦めたように笑い、ポケットの胃薬に手を伸ばした。




