第61話 拷問部屋と棺桶と、世界最悪のおもてなし
「今日は帰るな」
カウンセリング初日を終えた夕暮れ時。
廊下で俺を引き止めたのは、ディアブラだった。
「往復の移動は非効率だ。明日の朝一で続きをやりたい。……その、計画書の実行に移すまでの時間が惜しい。別に貴様に会いたいわけではない」
だが、言いたいことはわかる。寂しいと素直に言えないだけだ。
「わかりました。泊まらせてもらいます」
「うむ。客室を用意させる」
ディアブラが鷹揚に頷き、スケルトン兵に命じた。
十分後。
俺たちは案内された部屋の前で、全員揃って絶句していた。
「……こちらが、第一候補の客室でございます」
スケルトン兵が胸を張って扉を開けた先は、壁一面に鉄の鎖と拘束具がぶら下がった部屋だった。隅には用途不明の尖った器具が並んでいる。
「静かで防音完備でございます。お休みに最適かと」
「拷問部屋じゃないですか」
俺が即座に却下すると、スケルトン兵は「では第二候補を」と次の部屋へ案内した。
扉を開ける。
中には、上質な黒檀で作られた棺桶が六つ、整然と並んでいた。
「最高級の棺桶でございます。アンデッドの幹部専用の仮眠室を、特別にお貸しいたします」
「棺桶で寝るのは死人だけです」
「我々は死人でございますが」
「……俺たちは生きてるんです」
第三候補。
扉を開けた瞬間、足元がガコンと沈んだ。
「うわっ!?」
落とし穴。
俺の手を、フランが咄嗟に掴んで引き上げてくれた。
「……ここは罠師ギムレットの実験室ね。六十点の落とし穴が大量にあるわ。これは私の指導の成果だけど、寝る場所ではないわ」
フランが苦笑する。
第四候補。
扉を開ける前から、強烈な獣臭が漂ってきた。
「温かいですよ! ジャッカルの体温で!」
「臭いで息が詰まって死んじゃうよ!」
ルゥが鼻をつまみ、ルナに切り替わって「次」と一言で切り捨てた。
没、四連続。全滅。
「普通の部屋はないんですか……」
俺が脱力して壁にもたれると、ディアブラが腕を組んだまま、どこか誇らしげに言った。
「魔王城に『普通』などというものはない」
「胸を張って言う事じゃないですよ」
「……むぅ」
結局、ディアブラが渋々提案した。
「私室の隣に広い書庫がある。寝具を運び込めば使えるだろう」
「十分です。ありがとうございます」
「礼を言うな。客人にこのような扱いをする主など、恥ずかしい限りだ」
「いえ、お気持ちだけで十分です」
俺が真っ直ぐ伝えると、ディアブラは目をそらした。耳が赤い。
* * *
夕食の時間。
ディアブラが「客人をもてなすのは主の務めだ」と意地を張り、魔王城の厨房に調理を命じた。
問題は、この厨房が何年もまともに稼働していないことだった。
大広間のテーブルに、料理が並ぶ。
黒焦げの肉塊。何の肉かは聞かない方がいい。
毒々しい紫色のスープ。湯気が妙に光っている。
石のように硬いパン。テーブルに置いた時、ゴンッと鈍い音がした。
「伝統のレシピでございます」
スケルトンの料理長が、骨の胸を張って宣言した。
ヒロインたちが一斉に引いている。
リゼが黒焦げの肉を突いて「これ……動いた?」と呟き、フランが紫スープの成分を杖で分析して「七種類の毒素を検出したわ」と無表情で報告した。
「お兄さん、これ食べたら死ぬよね?」
瞳が一瞬だけ変わる。
「……ナギ、絶対に口にしないで」
ルゥとルナが交互に警告した。
セラフィーナが恐る恐る紫スープに解毒と浄化をかけ、一口すすった。
「……あら。毒を抜けば、味自体は悪くありませんわね。出汁がしっかり出ています」
「ほんとに!?」
リゼが石パンをガジガジと齧り始めた。Aランク剣士の顎の力なら砕けるらしい。
「硬いけど、噛んでるとちょっと美味しく感じてきた。これ、訓練にもなるし」
「食事と訓練を兼ねるのはやめなさい」
フランが冷静に総評を下す。
「栄養バランスは壊滅的だけど、カロリーだけは足りているわね。最悪の中の最善ね」
その時、アリスが立ち上がった。
フリルのワンピースの上にフリルのエプロンを重ね、聖剣の代わりにフライパンを手にしている。
「こんな料理で先生をもてなすなんて許しません! 私が作ります!」
アリスが厨房に乗り込んでいった。
十五分後。勇者のステータスを料理に全振りした超高速調理により、魔族の食材が見事に人間向けの料理に生まれ変わって戻ってきた。
湯気の立つシチュー。こんがり焼けたパン。彩り豊かなサラダ。
フリルを汚さずに全てを完成させたのは、さすが世界最強の乙女である。
「先生、あーんしてください♡」
「自分で食べます」
「えー!」
テーブルに料理が並ぶと、大広間の入口から、おずおずと影が覗き始めた。
ヴォルクス。ギムレット。シェイド。リッチ。
研修で関わった魔族の幹部たちが、いい匂いにつられて集まってきたのだ。
「その……食堂はもう閉まっていて。残業もするなと言われたので帰りどころがなく……」
「いい匂いがしたもので、つい……」
申し訳なさそうに、しかし腹の虫は正直に鳴いている。
「せっかくだから、みんなで食べましょう」
俺が自然に声をかけると、ヒロインたちが自分の「担当」を隣に招いた。
「ほら、ヴォルクスさん座りなよ。鎧脱いだ方が食べやすいよ」
リゼが暗黒騎士の隣を叩く。ヴォルクスが「嬢ちゃん、すまんな」と鎧の肩当てを外しながら腰を下ろした。
「ギムレット。食事中に罠の設計図を広げないこと。アジャイルは明日」
フランが罠師の手から羊皮紙をスッと取り上げる。ギムレットが「す、すみません……」としょんぼりしつつも、嬉しそうにスープを受け取った。
「シェイドさんも一緒に食べよ!」
ルゥがアサシンを手招きする。シェイドが「いいのか? 俺は暗殺者だぞ」と戸惑うと、ルナに切り替わり「業務外なら問題ないわ。SOPの範囲内よ」と即答。シェイドが「……あんたたちには敵わんな」と苦笑して座った。
「お骨の方でも楽しめるお茶を淹れましたわ。骨から染み込む浸透式です」
セラフィーナがリッチに差し出したカップから、不思議な湯気が立ち上る。リッチが一口啜り、骨のくせにカタカタと感動で震えた。
大広間が、信じられないほど賑やかになっていた。
人間の笑い声と、魔族の低い声。
スプーンが皿を叩く音と、骨がカチカチ鳴る音。
フランが「カロリーの取りすぎよ」と注意する声と、リゼが「もう一杯!」とおかわりを要求する声。
その光景を。
玉座の間との境目に立ったディアブラが、じっと見つめていた。
参加はしていない。
腕を組み、壁にもたれ、暗い玉座の間の側から、明るい大広間を眺めている。
魔王という立場が、あの輪の中に入ることを許さない。
だが、その琥珀色の瞳は、大きく見開かれていた。
「……こんなことは、初めてだ」
小さな声だった。
誰にも聞こえない声で。
「この城で……笑い声が聞こえたのは」
俺はふと、視線を感じて振り返った。
ディアブラと目が合う。
彼女は慌てて視線を逸らした。
俺は皿を一つ手に取り、席を立った。
玉座の間の境目まで歩き、ディアブラの前に立つ。
「一緒に食べませんか」
「……私は魔王だ。部下と同じ卓になど」
「部下としてじゃなくて、俺の相談者として。カウンセリングの一環です」
「……屁理屈だな」
「得意なんです」
ディアブラは数秒間、大広間と俺の顔を交互に見た。
そして。
ゆっくりと、壁から背を離した。
玉座の間から、一歩。
境目を越えて、大広間へ。
魔王が、部下や人間たちと同じテーブルに着く。
数百年で初めての光景だった。
ヒロインたちが一瞬だけ警戒の目を向けたが、俺が小さく頷くと、それぞれ視線を戻した。
ディアブラはテーブルの端に座り、アリスが作ったシチューを一口すくった。
「……美味いな」
「アリスの手料理です。勇者は料理も上手いんですよ」
「勇者が魔王に飯を作る日が来るとはな」
ディアブラが、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「世界は変わりますよ。こうやって、少しずつ」
ディアブラは答えなかった。
黙ってもう一口食べて、少しだけ目を細めた。




