第58話 えびでんすなしの口約束
「さっきの話を聞いてなかったの? エビデンスに基づいて反対したばかりでしょうが!」
リゼが食ってかかる。
「でも、カウンセリングは個室で行うのが基本だ。相談者のプライバシーを――」
「プライバシーを守った結果、ナギが魔王に喰われたら本末転倒でしょうが!」
リゼの声にフランが頷き、ルナが補足する。
「ナギ。あの魔王は、前回会った時より明らかに執着が深くなっているわ。玉座の裏の書き損じの量がその証拠よ。あの量は一日二日じゃない。連日、夜通し書いては捨てを繰り返している」
「プロファイリングが詳しすぎないか」
「盗賊ですもの」
返す言葉がなかった。
「先生! 私が同席します! 勇者として、先生の護衛は当然の義務です!」
「ナギ様を二人きりにするなど……! せめて私が隣に……私なら回復魔法で、万が一にも……」
「セラフィーナ、お前の『万が一の回復魔法』が一番怖いんだよ」
「そんな!?」
全方位から反対の嵐だ。
俺は額を押さえ、数秒間だけ黙った。
そして、慎重に言葉を選んだ。
「……なら、こうしよう」
全員の視線が俺に集まる。
玉座の上のディアブラも、何事かと身を乗り出していた。
「俺がカウンセリングしている間、お前たちは魔王軍の部下たちを研修する。洗面器アンデッドの件も、ジャッカルの件も、ストライキ中のダークナイトたちも、全部お前たちが立て直せ」
そこで一拍置いて、俺は五人の目を順番に見た。
「その過程で、もし魔族が俺に危害を加えようとしたり、ディアブラがおかしなことをしたりしたら――」
俺は、はっきりと言い切った。
「魔族を根絶やしにしていい」
広間の空気が、一瞬で変わった。
リゼの目がギラリと光った。
獲物を見つけた肉食獣の目だ。ただし、その底には「ナギを守る」という明確な意志がある。
フランの杖先に、冷たい魔力が収束し始めた。
「……根絶やし。極めて明快なリスクヘッジね。違反時のペナルティが明確なルールは、運用の信頼性が高いわ」
ルゥの瞳が一瞬だけルナに切り替わり、短剣が音もなく抜かれた。
「……了解。城内の情報網は、一時間以内に構築するわ。魔王の私室の前に、鳴子と毒糸のトラップを三重に設置する」
「やりすぎないでくれ」
「必要最低限よ」
絶対に必要最低限じゃない。
セラフィーナの背後に、浄化の魔法陣が薄く展開された。
「ナギ様のお命は、この世界で最も尊い存在です。万が一のことがあれば……申し訳ありませんが、魔王城ごと浄化いたしますわ。慈悲深き女神はお許しくださるでしょう」
「寛大な女神だな」
アリスは聖剣の柄を愛おしそうに撫で、にっこりと微笑んだ。
「先生を傷つける人がいたら、魔王だろうがなんだろうが、この聖剣で叩き斬りますっ♡ それが、私の勇者としての誓いです!」
可愛い笑顔で物騒なことを言う。
それぞれの「愛」という名の核抑止力が、魔王城に向けてロックオンされた。
五つの殺意が、シンクロしてディアブラへ向く。
玉座の上で、ディアブラが不穏な空気を感じ取ったのか、わずかに身を竦めた。
さっきまで俺に会えた嬉しさで微妙に浮ついていた表情が、急速に強張っていく。
「……なぜか急に、背筋が凍るのだが。貴様たち、何を話している?」
俺は努めて穏やかな笑顔を作り、玉座へ向かって一歩を踏み出した。
「気のせいですよ、魔王さん」
嘘だ。気のせいじゃない。
今この瞬間、お前の城は人類最強クラスの核弾頭五発に囲まれている。
「さあ。続きの話をしましょう」
「……ふん。待っていたぞ……いや待ってはいない!」
「どっちですか」
「来たからには最後まで聞いてやる、と言っているのだ!」
ディアブラが声を荒らげると、隠していた書き損じの山が崩れて、何枚かがヒラヒラと床に舞い落ちた。
一枚の羊皮紙が、俺の足元まで滑ってきた。
達筆な文字が、チラリと目に入る。
『あの相談員の声を思い出すだけで、少し――』
ディアブラが猛烈な勢いで玉座から飛び降り、俺より先にその紙を掴み取ってグシャグシャに丸めた。
「な、何も書いていない! ただの落書きだ! 見るな!」
顔が真っ赤だった。
漆黒の鎧に覆われた魔王が、耳まで赤くしている。
背後から、ヒロインたちの囁き声が聞こえた。
「……重症だわ」
「うん。あれは手遅れに近い」
「お兄さん、あの魔王ちゃん、もう完全に恋だよあれ」
「……ナギ。あの魔王を殺していいかしら」
「ダメだよルナ。クライアントだから」
「ナギ様……頑張ってくださいませ。浄化の準備はいつでも整っておりますわ」
「先生ー! あの魔王より、私の方がずーっと可愛いですからねーっ!!」
うるさい。
全員うるさい。
俺は盛大にため息をつき、頭を掻きながら、玉座の間の中央に立った。
「……よし。ディアブラ、場所を移そう。お前の私室でいい。落ち着いて話ができる場所が必要だ」
「わ、私室だと……!? い、いきなり何を……!」
「カウンセリングの話だ。変な想像をするな」
「し、していない! 断じてしていない!」
していたな、今。
「お前たちは、この広間を拠点にして、魔王軍の幹部たちの研修を始めてくれ。洗面器アンデッドの件、ジャッカルの件、ストライキ中のダークナイトの件。全部、社長から学んだフレームワークで解決するんだ」
「了解よ。まずは現場のヒアリングからね」
「あの暗黒騎士、鎧のトゲがすごいけど……話聞けるかな」
「大丈夫だよ、お兄さん! ルゥたちに任せて!」
「ナギ様のためですもの。魔族であろうと、丁寧にケアいたしますわ」
「私は定時退社の監視をしますっ! 残業は許しませんっ!」
それぞれが、それぞれの持ち場へと散っていく。
リゼだけが最後まで俺の袖を掴んでいた。
「ナギ」
「ん?」
「……無理しちゃダメだよ。一人で背負わなくていいからね」
その言葉は、かつて俺がリゼに言ったものと同じだった。
俺は少しだけ笑って、彼女の手をそっと離した。
「ああ。何かあったら、すぐ呼ぶよ」
「約束だからね。……えびでんすなしの口約束だけど、信じるから」
「十分だ」
リゼは名残惜しそうに俺の手を見つめてから、くるりと踵を返し、広間の奥へと駆けていった。
俺は、一人残った玉座の間で、魔王ディアブラと向き合った。
彼女は丸めた手紙を胸の前で握りしめたまま、俺から目を逸らせずにいる。
「……行くぞ、魔王さん」
「ディアブラだ。……名前で呼べ」
「わかりました、ディアブラ。静かな場所で、ゆっくり話をしましょう」
その名を呼んだ瞬間、彼女の目がわずかに見開かれ、何かを堪えるように唇を噛んだ。
こうして。
ナギによる魔王の本格カウンセリングと、ヒロインズによる魔王軍のコンサル研修が、核の均衡に守られながら、いよいよ始まろうとしていた。




