第57話 玉座の間と、五つの殺意
勇者の元パーティーを城の外へ送り出した後。
俺たちは改めて、魔王城の最深部を目指して歩き始めた。
アリスは背筋を伸ばし、聖剣を背負い直していた。
先ほどまでの決別の余韻がまだ残っているのか、その横顔には晴れやかさと、わずかな寂しさが入り混じっている。
「先生。私、ちゃんと前を向けてますか?」
「ああ。立派だったよ」
「えへへ……じゃあ、ご褒美にナギ先生の腕を組んでもいいですか?」
「却下」
「即答!?」
背後から「当然でしょ」「論理的に正しい判断ね」「お兄さんの腕は共有資源じゃないよ」と三者三様の援護射撃が飛んできた。
セラフィーナだけは「ナギ様の御判断に従いますわ」と穏やかに微笑んでいたが、その背後に薄く浮かぶ光の魔法陣は明らかに攻撃用だった。
……お前たちの協調性、敵に向けてくれ。
やがて、俺たちは魔王城の最深部――玉座の間にたどり着いた。
重い扉を押し開ける。
前回と同じ暗い広間。天井に揺れる魔法の灯火。そして、正面に鎮座する漆黒の玉座。
だが、今回は様子が違った。
「……遅い」
玉座の上から降ってきた声は、威厳を作ろうとして失敗した、掠れた低音だった。
魔王ディアブラ。
漆黒の鎧は磨かれている。マントも丁寧に整えられている。
しかし、目の下のクマは以前にも増してどす黒い。頬はやつれ、指先が微かに震えている。数日前に与えた有給休暇の効果は、完全に帳消しになっていた。
しかも、よく見ると玉座の肘掛けの裏側に、丸められた大量の羊皮紙が隠されているが、隠し切れていない。
一枚が足元に転がり落ちており、達筆な文字で書きかけの文面が覗いていた。
『拝啓、相談員殿。先日は素晴らしい計画書を――いや違う、これでは媚びている。書き直しだ』
……悩みすぎだ。
「遅いぞ、相談員」
ディアブラは腕を組み、俺を見下ろした。
見下ろしているのに、瞳だけが妙に潤んでいる。
「私は……その、次の指示書を待っていたのだ。あの『ぱらだいむ・しふと』の続きを。組織改革の第二フェーズに関する具体的なロードマップが必要だ。……別に貴様に会いたかったわけではない。断じて!」
早口だった。
しかも玉座から微妙に身を乗り出している。
さらに言えば、鎧だけでなく髪まできちんと整えてある。前回の面談時は埃だらけだったのに。
俺は内心でため息をついた。
(これは……思っていたより、だいぶ重症だ)
俺の後ろで、フランが小声で呟いた。
「……あの魔王、完全にナギに転移感情を起こしているわね」
「わかるのか?」
「瞳孔の開き方と、呼吸の浅さ。典型的な『特定の対象を前にした時の自律神経の興奮反応』よ」
フランは冷静に分析しながら、チラリとリゼを見た。
「リゼの初期症状と酷似しているわ」
「え、私あんな感じだったの!?」
「今でもたまにそうよ」
「うそぉ!? ……いや、嘘じゃないかも。ナギの顔見ると心拍数上がるし」
「それは症状ではなく恋でしょう。叶わぬ恋にあまり躍起にならないことね」
「どういう意味かな!?」
小声の応酬が続く中、ルゥが俺の袖を引いた。
「ねえお兄さん、あの玉座の周り見て。丸めた紙がいっぱい落ちてるよ。あれ何?」
「……見なかったことにしろ、ルゥ」
だが、夜の人格が黙っているわけがなかった。
ルゥの瞳が一瞬だけ冷たく変わり、ルナの声が低く混ざる。
「加えて、玉座の裏側に隠された書き損じの量から推計して、最低でも五十通は書いては破棄を繰り返しているわ。インク壺も三つ空になっている。宛名は全て同一人物……ナギ、あなたよ」
「ルナ、索敵能力を俺のプライバシー侵害に使うな」
「事実の報告よ。感情は入れていないわ」
入っている。明らかに声が怒っている。
「ラブレターだ……完全にラブレターだよあれ……」
ルゥに戻った声が、呆然と呟いた。
「ナギ様」
セラフィーナが心配そうに眉を寄せた。
「あの方は、かなり深刻な状態ですわね。私がかつてナギ様に執着していた時と同じ……いえ、それ以上の危うさを感じます」
「自覚あるんですね、セラフィーナ」
「ええ。だからこそわかるのです。あの瞳は、『この人がいなくなったら自分は壊れる』と確信している人間の目ですわ」
元・依存の権化であるセラフィーナの診断は、臨床的にもかなり正確だった。
アリスも聖剣の柄に手をかけながら、警戒を崩さない。
「先生。あの魔王、先生に依存してます。あの目つき、私が最初に先生に出会った時と同じです」
「自覚あるのか、アリス」
「はい! 恋する乙女の目はごまかせませんっ♡」
参考にならない。
「……いや、参考にはなるか」
俺は小さく訂正した。
全員が「依存」を経験し、そこから立ち直った当事者だ。だからこそ、魔王の状態を瞬時に見抜ける。皮肉なことに、俺の周りには依存のエキスパートが揃っているのだ。
玉座の上で、ディアブラが焦れたように声を上げた。
「……おい、相談員。なぜそこで立ち話をしている。早く来い。私は待っていたのだ……その、計画書の続きを」
「はいはい。今行きますよ」
一歩前に出ようとした俺の左右の袖を、リゼとフランが同時に掴んだ。
「ちょっと待って、ナギ」
リゼの声が低い。
「あのさ。私もう、前みたいに感情だけでギャーギャー言わないよ。ちゃんと『ファクトベース』で言う」
「おう」
「あの魔王は、ナギに対して転移感情を起こしている。これは『ファクト』。そして、転移感情を抱えた相手と二人きりにすると、感情が暴走するリスクがある。これも、私が身をもって証明した『ファクト』」
リゼは真剣な目で俺を見上げた。
「だから、ナギと魔王を二人きりにするのは、エビデンスに基づいた合理的判断として、反対」
……成長してるなあ、リゼ。
感情ではなく論理で反対してきた。しかも説得力がある。
「私も同意見よ」
フランが続けた。
「ナギが一人でそこの似非聖女と対峙した結果、過去のトラウマを暴露するという致命的なインシデントが発生したわ。同じリスクを再び取る必要はない」
「お兄さんが泣かされるのはやだ!」
「……次は守り切るわ。同じ失態は許さない」
ルゥとルナも声を重ねる。
「皆様の懸念も尤もです。慎重になってくだはいませ」
セラフィーナが胸の前で手を組む。
その手は、回復魔法の詠唱ではなく、純粋な祈りの形だった。
完全なるおまいうだが、これも成長だろう。
「先生! 魔王に抱きしめられたりしたら、私、この城ごと消し飛ばしますからね!?」
アリスの宣言は物騒だが、本気だ。
全員が全員、俺と魔王の二人きりを全力で阻止しようとしている。
俺は額を押さえた。
気持ちはわかる。痛いほどわかる。彼女たちの懸念は、感情論ではなく経験に基づいた正当なリスク評価だ。
だが、魔王の心を開くには、大勢に見られている環境ではだめだ。前世の経験が、それだけは譲れないと告げている。
「……お前たちの言い分は正しい」
俺は正直に認めた上で、一つ深呼吸をした。
「だから、今回は条件をつける」
俺は、玉座のディアブラと、その周囲で所在なさげにうろうろしている魔王軍の幹部たちを交互に見た。
広間の隅では、例の洗面器を持ったアンデッドが壁にもたれてぼんやりしている。その横では、ジャッカルに骨をしゃぶられているスケルトン兵が「もうやめてくれ……」と弱々しく嘆いていた。中級のダークナイトたちは武器を置いて完全にストライキ中だ。
組織崩壊の現場が、リアルタイムで目の前に広がっている。
「この城の問題は二つある」
俺は声を張った。
「一つは、魔王ディアブラ個人の心の問題。孤独と完璧主義と……まあ、俺への依存もだ。これは俺がカウンセリングする」
玉座の上で、ディアブラがピクリと肩を揺らした。
「依存」という単語に反応したらしい。
「依存ではない! 私はただ、専門家としての貴様の助言を合理的に求めているだけだ!」
「はいはい」
スルーした。
前世の経験上、ここで否定と向き合わせるのは早すぎる。
「もう一つは、魔王軍という組織の崩壊。前回送った計画書の……まあ、色々な誤解による混乱も含めて、根本からの組織改革が必要だ」
洗面器アンデッドとジャッカルが視界の端を横切った。あれは俺の責任でもある。
「これは、フェンリル社長のメソッドを叩き込んだお前たちに任せたい」
ヒロインたちが、一斉に顔を上げた。
「つまり」
フランが、極めて冷静に、しかし明らかに不穏な声色で確認してきた。
「私たちがコンサルとして魔王軍の部下たちを指導して、ナギは魔王と二人きりでカウンセリングをする、と?」
「そういうことだ」
沈黙が、三秒ほど。
「「「「「却下」」」」」
五人の声が、完璧にユニゾンした。
挿絵
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