第54話 悪魔の福利厚生と、自立へのバフ
「ナギ! ほら、今日のお昼ご飯! 私がナギの隣で食べさせてあげるのが、揺るがない『ファクト』でしょ!」
「非論理的ね、リゼ。ナギの胃腸に最適なカロリー計算が済んでいるのは私の特製スープよ。さあナギ、スープを飲んだら、私に食後のハグのパッチを当ててちょうだい」
「ずっるーい! ルゥたちだって、お兄さんに2倍のなでなでを要求するもん!」
「そういうことよ。抜け駆けは許さないわ、ナギ」
「ちょっと泥棒猫たち! 先生の隣は、一番フリルの似合うこの私の特等席ですよぉぉっ!」
黄金貨商会の休憩室は、かつてないほど激しい修羅場と化していた。
コンサル研修(治療)を経て、依存から「明確な好意」へとアップデートされたヒロインたちの愛情表現は、以前よりも遥かに重く、そして直接的になっていた。
「ま、待ってくれ……! みんな一気に来ないでくれ、俺のメンタルリソースが……胃薬、誰か胃薬を……っ」
四方八方から押し寄せる特大のデレと好意の波状攻撃に、俺のキャパシティは完全に崩壊寸前だった。胃を押さえてソファーに沈み込む俺。
その時だ。
「ああ……なんということでしょう!」
カァァァァッ!!
部屋の隅から、失明しそうなほどの神々しい爆光が放たれた。
「尊きナギ様が、俗世のしがらみと女狐たちの争いによって疲弊しておられる! ああ、可哀想なナギ様! 今すぐ私の膝枕と、最高位回復魔法『大天使の息吹』で、思考も感情もすべて空っぽにして差し上げますわ!!」
慈愛に満ちた(しかしどこかイっちゃっている)笑顔で両手を広げ、こちらに迫ってくるのは、聖女セラフィーヌだった。
「ひぃっ……!?」
その神々しい姿を見た瞬間。
俺の脳裏に、かつて彼女の過剰な癒やしによって、人間としての意志を根こそぎ奪われ、「共依存の沼」に引きずり込まれそうになった恐ろしい記憶がフラッシュバックした。
「や、やめてくれセラフィーヌ! 俺から人間としての尊厳を奪わないでくれ!」
俺はガチで怯え、ソファーから転げ落ちて後ずさった。
あの絶対的な「癒やし」は劇薬だ。一度でもあの甘い沼に身を委ねてしまえば、どんなに楽だろうと心が折れそうになる。でも、それを受け入れたら最後、俺はもう二度と社会復帰できなくなる!
「遠慮なさらないでくださいませ! 私がナギ様の全ての痛みを、ストレスを、存在の不安すらも無菌状態に浄化して差し上げますからぁっ!」
「おい狂信者、直ちに術式を解除しろ。目が眩んで書類が見えん……ワン」
俺を無理やり鳥籠に閉じ込めようとするセラフィーヌの前に、ハーブスティックを咥えたフェンリル社長が立ち塞がった。
「しかし社長! ナギ様にストレスを与えるなど、この世界における最大の罪! 私がすべてを浄化し、お守りしなければ……!」
「黙れ。お前のやっていることは癒やしではない。社員から『自ら問題を解決する力』を根こそぎ奪う、悪魔の福利厚生……究極の『マイクロマネジメント』だ」
フェンリルの冷徹なコンサル用語が、セラフィーヌの祈りをピシャリと遮った。
「まいくろ……まねじめんと?」
「上司が部下の行動を細部まで監視し、過剰に干渉することだ。いいか、お前が先回りしてナギのストレスをすべて取り除き、思考を空っぽにさせることは、現場が自ら問題を解決し、経験を積む『成長機会』を奪う行為に他ならない。相手を無力化して依存させるのは、愛ではなく支配だぞ」
「私が、ナギ様を……支配……?」
セラフィーヌはハッとして、広げていた両手をワナワナと震わせた。
「では、私はどうすれば……ナギ様がこの女狐どもに搾取されるのを、ただ指をくわえて見ていろと仰るのですか!?」
「『権限委譲』だ」
フェンリルは伊達メガネをクイッと押し上げ、俺の方へ顎をしゃくった。
「現場の力を信じろ。トップダウンで全回復(強制シャットダウン)させるのではなく、彼が自分で立ち向かえるように、必要最低限の支援だけを与えろ。それが健全なサポート体制というものだ」
「必要最低限の……支援……」
セラフィーヌはギリッと唇を噛み締め、もがき苦しむ俺を見つめた。
(あああっ……ナギ様が苦しんでおられる! 今すぐ私が全てを癒やして差し上げたい! でも、それではまたナギ様から尊厳を奪ってしまう……っ!)
猛烈な葛藤の末。
セラフィーヌは祈りを解き、俺に向けてそっと指先だけを向けた。
「……微弱回復」
ぽわん、と。
小さな光が俺を包み込む。胃の痛みが少しだけ和らぎ、パニックになりかけていた思考がクリアになった。
全てを忘れさせる劇薬ではない。ただ、俺自身の足で踏ん張るための、ほんの少しの背中を押す魔法。
「……ありがとう、セラフィーヌ」
俺は深く深呼吸をして、立ち上がった。
そして、修羅場を繰り広げているヒロインたちに向き直る。
「みんな、ストップ! 気持ちは嬉しいけど、一気に来られると俺の体がもたない。リゼのご飯もフランのスープも後でちゃんと食べるし、ルゥとルナの相手もする。アリスのフリルも見る。だから、順番に、一つずつだ。わかったな?」
微弱回復のおかげで冷静さを取り戻した俺が、相談員としてのファシリテーション能力をフル稼働させて仕切ると、ヒロインたちは「むぅ……」と不満げにしながらも、渋々引き下がってくれた。
その光景を、セラフィーヌはポカンとした顔で見つめていた。
(……ああ。なんて、健やかで……力強いのでしょうか)
常に自分が先回りして、全てを無菌状態に「浄化」しなければ壊れてしまうと思い込んでいた。
しかし、目の前のナギは、自分が全回復させずとも、自分の足で立ち上がり、自らの言葉でヒロインたちを宥め、問題を乗り越えてみせた。
傷つくことも、ストレスを抱えることも。人間としての当たり前の営みであり、強さの証なのだ。
「……ふふっ。本当に、社長の仰る通りですわね」
セラフィーヌは、憑き物が落ちたような、穏やかな笑みを浮かべた。
狂信的なまでの「共依存」の檻から抜け出した彼女の心に。かつての過ちを反省し、彼を一人の人間として尊敬し、支えたいという『健全な愛情』が芽生えた瞬間だった。




