第53話 冒険者ギルドの悲鳴と、魔王の徹夜のラブレター
少し時計の針を戻す。
俺が黄金貨商会への出向を決意し、冒険者ギルドのギルドマスターにその報告をした時のことだ。
(絶対に断られる……いや、最悪殴られるかもしれない)
ただでさえ人手不足のギルドだ。俺は恐る恐る、事情を説明して出向の許可を求めた。
案の定、筋骨隆々のギルマスは鬼のような形相になり、巨大な丸太のような腕を高く振り上げた。
(終わった……!)
俺がギュッと目を瞑り、衝撃に備えた、次の瞬間。
バァァンッ!!
「いっ、たぁぁ……!」
殴られたわけではなかった。ギルマスの巨大な掌が、俺の肩を思いっきり叩いたのだ。
「ガハハハッ! お前ほど優秀な奴、周りがほっとかないよなぁ! 昔お前を拾った俺も鼻が高いってもんだ!」
「マスター……怒ってないんですか?」
「正直言って超困るが、怒る事じゃねぇな! こっちは気にしなくていいから、お前の思うようにやってこい。なんせ、今度の相手は『魔王』なんだろ?」
ニカッと豪快に笑うギルマス。
その男気あふれる言葉と信頼に、俺は胸を熱くしながら力強く送り出されたのだった。
――と、そんな感動的な見送りから数日が経過した、現在。
王都の冒険者ギルドは、未曾有のパニックに陥っていた。
「ギルマス! ダメです、書類処理が完全に追いつきません! 冒険者からのクレーム対応もパンク寸前です!」
「お願いですから、黄金貨商会に出向中のナギさんを今すぐ呼び戻してくださいぃっ!」
デスクの上に山積みになった書類の塔の前で、ギルドの職員たちが頭を抱えて悲鳴を上げていた。
これまで「窓口のナギ」という一人の男が、いかにギルドの裏方業務と冒険者たちのメンタルケアを完璧に回していたか。彼が抜けたことで、その巨大な穴が浮き彫りになったのだ。
だが、筋骨隆々のギルドマスターは、腕を組んで豪快に笑い飛ばした。
「ガハハハッ! 無理な相談だな! アイツは元々、こんなちっぽけなギルドの窓口に収まるような器じゃなかったって事だ!」
「そ、そんなこと言っても、この状況どうするんですか!? 今日中に王都本部に提出しなきゃいけないクエスト報告書が……!」
「それは俺やお前達が今までアイツに甘えてた罰ってところだな! ガハハハ!」
ギルマスは、泣きつく職員たちの背中をバンッ!と力強く叩いた。
「何にせよ、すぐに人手は補充できねぇ! 足りない事務処理能力は、気合と根性でカバーしろ! 徹夜だ、徹夜ァ!! 終わったらとびきり美味い酒、奢ってやるからなぁ!」
「ヒィィィッ! 精神論(脳筋)だぁぁ! やっぱりナギさん帰ってきてぇぇぇっ!!」
ナギという究極のバランサーを失った冒険者ギルドは、今日も気合と根性という名のブラック労働でどうにか首の皮一枚を繋いでいた。
一方、そんなナギの影響力は、遠く離れた魔界の中心――魔王城にまで及んでいた。
* * *
「ええい、動きが遅いぞ皆の者! もっと『魔術PDCA』を回して、あの人間の村を焼き尽くせ!!」
魔王城、玉座の間。
数日間の「戦略的休養(有給休暇)」を終え、ツヤツヤの肌と溢れんばかりの魔力を取り戻した魔王ディアブラの声が響き渡った。
「は、ははーっ! ……して魔王様。その、ピーディーシーエーとは、いかなる古代魔法の詠唱でしょうか……?」
骸骨の魔物(スケルトン兵)が、首を傾げてカラカラと骨を鳴らした。
ディアブラは玉座の上で腕を組み、マントをバサァッと翻して言い放つ。
「知らん!! 私にもわからん!」
「わからないんですか!?」
「だが、あの専門家から届いた『ぱらだいむ・しふと』の計画書にはそう書かれていたのだ! いいからアライアンスを組んで、勇者の村をアジャイルに攻め滅ぼせ! 破壊にコミットメントせよ!」
自信満々に、意味も分からず横文字(コンサル用語)を乱用するディアブラ。
対する魔王軍の幹部やスケルトン兵たちは、顔を見合わせて完全にフリーズしてしまった。
(ア、アライアンス……? アジャイル……?)
(どうする? 魔王様の御乱心か?)
(いや、魔王様は『聡明なる絶対者』だ。我々には計り知れない深淵な意味があるに違いない……!)
忠誠心の高い一部の魔物たちは、魔王の指示をどうにか解釈しようと試行錯誤を始めた。
「P、D、C、A……! そうか、ポイズン(毒)、デス(死)、カース(呪い)、アタック(攻撃)の連続魔法コンボのことだ! 術士部隊、陣形を組め!」
「『アジャイルに攻めろ』!? アジャ……アジャ……あ、野生のジャッカルの群れを解き放てということか! 物理で噛みちぎれ!」
「『アライアンスを組む』……洗い……アン……洗面器を持ったアンデッド部隊を編成しろォォッ!!」
結果。
玉座の間では、毒と呪いを撒き散らしながら謎のステップを踏む術士たちと、野生のジャッカルに追いかけ回される洗面器を持ったアンデッドが入り乱れる、地獄のようなカオス空間が形成されてしまった。
(な、なんだこの無惨な光景は……! これが新しい戦術なのか!?)
ディアブラは内心で滝のような冷や汗を流していた。
しかし、専門家の計画書を「完璧に理解した」と豪語してしまった手前、今さら「間違っている」とは言えない。
「魔王様! ジャッカルが味方の骨をしゃぶっております! こ、これでよろしいのでしょうか!?」
「む……? んー、いいんじゃないか!? これこそがコアコンピタンスの再定義だ! そのままコミットメントし続けろ!」
「さ、さすが魔王様! 奥が深すぎる!」
勘違いした部下の奇行を、知ったかぶりの魔王が適当に全肯定してしまうという、最悪の悪循環。
これを冷ややかな目で見つめていた古参のダークナイトたちは、そっと武器を床に置いた。
「……ダメだ。魔王様は人間の国の呪いで狂ってしまわれた」
「あんな洗面器アンデッドと一緒に勇者と戦えるか。俺たちはストライキだ」
一部のまともな魔物たちは呆れ果て、次々とボイコットを開始。
かくして、魔王が健康になったにもかかわらず、魔王軍の脅威度はかつてないほどに低下し、完全に機能不全に陥っていたのだった。
* * *
「……おかしい。なぜ『ぱらだいむ・しふと』が起きないのだ……」
その日の深夜。
自室のふかふかのベッドの上で、ディアブラは頭を抱えていた。
部下はストライキを起こし、城内はジャッカルの遠吠えが響いている。組織が劇的に進化するどころか、崩壊の危機だ。
(やはり、私にはまだあの『専門家』の導きが必要なのだ……!)
ディアブラは、枕元に大切に飾ってある「一枚の手紙」を手に取った。
数日前、分厚い計画書と共にナギから送られてきた手紙。そこには『聡明なあなたなら』『完璧な休息が不可欠』と、彼女を全肯定する甘い言葉が並んでいる。
「……次の手紙(指示)が、まだ来ない。ならば、私の方から状況を報告し、助言を仰がねばなるまい」
ディアブラは羽ペンを手に取り、羊皮紙に向かった。
ただ助けを求めるだけでは、魔王としての威厳が保てない。「私はあなたの計画書をちゃんと理解している聡明な魔王だ」とアピールしつつ、次の指示を引き出さなければ。
『拝啓、専門家どの。
貴殿の提案したアライアンスにより、我が軍の洗面器アンデッドがアジャイルな活躍を見せている。
しかし、PDCAの途中でジャッカルが骨をしゃぶるというバグが発生し――』
「……違う! これでは私が状況を制御できていないポンコツだと思われてしまう! もっとシナジーのある文章にしなければ!」
ビリィッ! と羊皮紙を破り捨て、ディアブラは新たな紙に向かう。
『貴殿の計画書は素晴らしい。だが、もう一つだけ、私に直接的なソリューションを与えてはくれないだろうか。例えば、直接会って面談をするとか――』
「……っ、これでは私が彼に会いたがっているみたいではないか! 破棄だ、破棄!!」
顔を真っ赤にして、また羊皮紙を丸めて投げ捨てる。
専門家に失望されたくない。聡明だと思われたい。でも、早く次の言葉を、自分を肯定してくれるあの優しい指示を寄越してほしい。
そんな葛藤に悶えながら、書いては破り、書いては破りを繰り返すこと、数十回。
「ああっ……! どう書けば、彼からまた手紙がもらえるのだ……っ! 私に、もっと完璧な計画を……私を導く、優しい言葉を……っ!」
気づけば、窓の外が白み始めていた。
せっかく有給休暇で健康的なツヤツヤ肌を取り戻したというのに、ディアブラの目の下には、再びどす黒い巨大なクマが形成されていた。
手紙に頬ずりをして、ベッドの上で身悶えする徹夜明けのディアブラ。
その姿は、意中の相手に送るラブレターの文面を一晩中こじらせてしまった、依存気味の恋する乙女そのものだった。
王都のギルドで嘆かれるナギの不在と、魔王城で恋焦がれられるナギからの手紙。
ナギたちがヒロインの「依存」を治療するために時間を稼いでいる裏側で、まさかのラスボスがゴリゴリの依存(転移感情)を発症し始めているとは、この時のナギは知る由もなかったのである。




