第52話 2倍のリソースと、デュアルコアの愛
「だから言っただろう! 東区の顧客には今日中に鉄鉱石を納品する約束だったんだぞ!」
「聞いてねえよ! 帳簿には明日の出荷予定って書いてあったから、馬車を別便に回しちまったんだ!」
黄金貨商会の倉庫前。
営業担当の犬の獣人と、物流担当の猫の獣人が、互いに胸ぐらを掴み合わんばかりの勢いで口論をしていた。
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
俺は二人の間に割って入り、まあお茶でも、と温かいマグカップを押し付けた。
「お互いに商会のために一生懸命だから、熱くなっちゃうのはわかる。でも、どっちかが悪いわけじゃない。営業と物流の間で『情報がリアルタイムで共有されていない』っていう、連絡フローの不備が原因なんだから」
俺が穏やかに事実を整理すると、二人はハッとして、少しバツが悪そうに俯いた。
「……ナギの言う通りだ。部門間のセクショナリズムは、組織の死を招くぞ」
そこへ、ハーブスティックの煙を漂わせながらフェンリル社長が現れた。
「営業と物流で別々の帳簿を持っているからタイムラグが生まれる。今日からすべての情報を一つの台帳に一元化しろ。ナギ、感情的な対立をシステムの問題へと昇華させたな。見事なファシリテーションだ」
「いえ、社長の受け売りですよ」
従業員二人が「すぐに台帳を統合します!」と頭を下げて去っていくのを見送りながら。
俺はふと、倉庫の屋根の上に視線を向けた。
そこには、俺たちのやり取りを静かに見下ろしている、双極の盗賊――ルナの姿があった。
(……情報の一元化。リアルタイムの共有……)
彼女は自分の胸にそっと手を当て、何かを確信したように、小さく、けれど誇らしげに微笑んでいた。
* * *
「……ふぅ。今日も疲れたな」
その日の夜。
職員寮の自室に戻った俺は、ベッドに腰掛けて小さく息を吐いた。
机の上には、ルゥとルナが使っていたウサギ柄の『交換ノート』が置かれている。
フェンリル社長のコンサル指導により、彼女たちは脳内で直接『API連携(リアルタイム同期)』ができるようになった。業務上の連絡ツールとして、このノートの役目はもう終わったのかもしれない。
少しの寂しさと、彼女たちが自分の特性を肯定できたことへの安堵。
そんな感情を抱えながらノートを撫でていると、窓の方からコトッと微かな音がした。
「……こんばんは、ナギ」
月明かりを背負って窓枠に座っていたのは、夜の人格であるルナだった。
彼女は音もなく部屋に降り立つと、俺の隣にすっと腰を下ろした。
「ルナ。昼間の連携、本当に見事だったよ。疲れてないか?」
「ええ。むしろ、今までで一番頭の中がクリアだわ」
ルナは、自分の銀色の髪を指先でくるりと弄りながら、穏やかに微笑んだ。
「昼間、従業員の揉め事を見ていて思ったの。……今まで、私とルゥは『一つの体を奪い合う異常な存在』だと思ってた。だから、私が全部管理して、ナギに近づく害虫を排除しなきゃって……ずっと張り詰めてた」
過剰防衛と衝動性。それが彼女の抱えていた問題だった。
だが、今のルナからは、かつてのようなピリピリとした殺気は感じられない。
「でも、社長とナギのおかげでわかったわ。私たちは異常なんかじゃない。フロントエンドとバックエンド……役割が違うだけで、二人で一つの完璧なシステムだったのね。情報を常に共有できる私たちは、誰よりも強固なのよ」
「ああ。二人とも、誰にも負けない最高の個性を持ってる」
俺が力強く頷くと、ルナは嬉しそうに目を細め、俺の肩にこつんと頭を預けてきた。
「ねえ、ナギ。デュアルコアって、思考のリソースが普通の人の2倍あるってことでしょう?」
「ん? まぁ、そういうことだな」
「だからね、何か一つの事象に対して、私とルゥで全く違う『2つの結論』が出ることが多いの。でも……たった一つだけ、完全に『同期』した感情があるわ」
ルナが顔を上げ、至近距離で俺の目を見つめる。
夜の海のように深い、アサシンの冷たくも熱い瞳。
「私は、ナギを愛してる」
甘く囁かれた直後。
パチリ、と。彼女の瞳の色と、纏う空気が一瞬で切り替わった。
「ルゥもね! お兄さんのこと、だーいすきっ!!」
今度は、昼の太陽のように無邪気で明るいルゥの笑顔が、俺の鼻先まで迫ってきた。
ルゥは俺の首に両腕を回し、思い切り体重をかけて抱きついてくる。
「うわっ、ルゥ!?」
「えへへー! ルゥとルナね、お兄さんのこと大好きって気持ちだけは、いっつも同じだったの! 脳内クラウドでね、お兄さんのカッコいいところ、いーっぱい共有してるんだよ!」
「共有って……お前ら、脳内で俺のどんなデータやり取りしてんだよ!?」
俺が焦って引き剥がそうとすると、今度は腕の中にいる彼女の表情が、スッと妖艶なルナのものに切り替わった。
「ふふっ。恥ずかしがることはないわ。……それより、ナギ」
ルナ(体はルゥのまま)は、俺の膝の上に跨るような体勢になり、逃げ道を塞ぐように両手を俺の胸に添えた。
そして、小悪魔のような笑みを浮かべる。
「一つの体に二人の女の子がいるんだから……当然、ナギは私たちのこと、2倍愛して(構って)くれないと、割に合わないわよね?」
「なっ……!?」
コロコロと瞬時に切り替わる表情と声色。
ルナの艶やかな誘惑と、ルゥの無邪気な甘え。「ナギ」と「お兄さん」。
二つの強烈な好意が、遅延ゼロの波状攻撃となって俺の理性をゴリゴリと削りにくる。
「る、ルゥも! お兄さんに2倍、なでなでしてほしいの!」
「……そういうことよ。私たちの処理速度(愛)に、ちゃんとついてきてよね、ナギ」
右の耳元でルゥが甘え、左の耳元でルナが囁くような、錯覚。
脳がバグりそうになるほどの破壊力を持った『デュアルコアの愛』の要求に、俺のキャパシティは一瞬で限界を突破した。
「ま、待て待て待て! ただでさえ俺は胃薬と過労でリソースの空き容量がゼロなのに、2倍の愛なんて要求されたらシステムが物理的にクラッシュする……っ!」
「ダメよ。ナギが提案した交換ノートが、この愛の『初期データ』なんだから。ちゃんと最後まで責任をとってちょうだい」
ルナは机の上のウサギ柄のノートをチラリと見て、愛おしそうに微笑んだ後、再び俺の胸に顔を埋めた。
「……降参だ」
俺は真っ赤になった顔を誤魔化すように天を仰ぎ、仕方なく、彼女の(彼女たちの)背中に腕を回した。
病み(過剰防衛)を抜け出し、純粋に「二人分」の愛をぶつけてくる無敵の双子。彼女たちの圧倒的なシナジー効果の前に、俺は成す術もなく丸め込まれるのだった。




