第49話 完璧主義の崩壊とアジャイル思考
「……ダメね。この術式では、魔力供給の過程で0.001%の確率でマナの遅延が発生するわ。基礎構造から再計算よ」
黄金貨商会の一室。
宙に無数の魔法陣と数式を展開しながら、天才魔法使いのフランがぶつぶつと呟いていた。
彼女は現在、フェンリル社長から「商会の新しい防犯魔法網を構築しろ」という課題を与えられている。しかし、すでに作業開始から半日が経過しているにもかかわらず、防犯魔法は一向に稼働する気配がなかった。
「おい、そこの天才魔法使い(笑)。いつまで『開発フェーズ』に時間をかけているワン」
デスクの上でハーブスティックを咥えたフェンリルが、伊達メガネの奥の目を細めた。
「静かにしてちょうだい、毛玉。防犯魔法に欠陥は許されないわ。万が一、侵入者を弾けず管理者に危害が及べば、私の存在意義は論理的に崩壊する。だから、100%の安全係数が証明されるまでは起動できないのよ」
フランは冷たい声でそう返し、再び数式の構築に没頭しようとした。
常に完璧(100点)を求め、一つでも不確定要素があれば許容できない。それが彼女の抱える「白黒思考(完璧主義)」という認知の歪みだ。
だが、フェンリルは前足で机をバンッ! と叩いた。
「愚か者め。完璧主義はビジネスにおける最大の敵だ! いつまで旧時代の『ウォーターフォール開発』をやっているつもりだ!」
「うぉーたーふぉーる……?」
「最初から最後まで完璧な計画を立てて、一つでもミスがあれば前に進まない開発手法のことだ。いいか、どれだけ机の上で完璧な数式を組もうが、現場に出た瞬間に想定外のイレギュラーは必ず起きる。完璧な計画など、必ず破綻するんだ!」
フェンリルの厳しい指摘に、フランはピクリと肩を揺らした。
「じゃあ、どうしろと言うのよ……不完全な魔法を展開しろとでも?」
「その通りだ。時代は『アジャイル(俊敏な)開発』だ! 60点の出来でいい、まずは最小限の機能(MVP)で今すぐシステムを起動しろ!」
「なっ……!?」
フランは驚愕に目を見開いた。
失敗を極度に恐れる彼女にとって、「不完全なまま実行する」というのは狂気の沙汰だ。
「非論理的よ! 60点なんて赤点じゃない! もしバグが起きて、取り返しのつかない失敗をしたらどうするのよ!」
「バグが出たら、その都度データを集めて修正を当てればいい! 失敗を恐れて立ち止まるな。失敗は『悪』ではなく、システムを改善するための『正しいデータ』だ!」
「失敗は、正しいデータ……」
フランの瞳が揺れる。
俺は、震える彼女の背中にそっと手を添えた。
「大丈夫だよ、フラン。ここは戦場じゃない。どんな失敗をしたって、誰もフランを責めたりしないよ」
「ナギ……」
フランは俺の顔とフェンリルを交互に見比べた後、ギュッと目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……管理者からの指示を承認。防犯魔法網(仮)……起動するわ」
フランが指を鳴らした瞬間。
部屋全体を覆うように、淡い光の魔法陣が展開された。
――しかし。
ポポポポポッ!
「……え?」
防犯用の光の檻が形成されるはずが、術式の一部が暴走。
魔法陣から溢れ出した魔力が、床や壁、さらにはデスクの上にまで、色とりどりの『小さなお花』をポコポコと咲かせ始めたのだ。
「あっ……!」
殺風景だった商会の部屋が、あっという間にお花畑のようなメルヘンな空間に変貌してしまった。
フランの顔から、さぁーっと血の気が引いていく。
「ち、違うわ! これは魔力変換の過程で生じた致命的な欠陥よ! 私としたことが、こんな60点にも満たないポンコツなバグを……っ! すぐに消去を……!」
パニックになり、顔を真っ青にして魔法をかき消そうとするフラン。
完璧でなければ見捨てられる。役に立たない自分はスクラップにされる。そんな彼女のトラウマが顔を出しかけた、その時だった。
「ちょっと待ってよフラン、消さないで! これ、すごく綺麗じゃん!」
真っ先に声を上げたのは、目を輝かせたリゼだった。
「防犯魔法かと思ったら、お花畑にするなんて! あんた、こんなすごい魔法も使えたんだね。さすが天才!」
「まぁ……なんて清らかな魔力でしょう。殺伐とした商会が、一瞬にして聖域のようになりましたわ。さすがはフラン様です!」
セラフィーナも両手を組んでうっとりとしている。
「お花! お兄さん、このお花食べられるかな!?」
「ルゥ、ダメよ。でも……カモフラージュ用の環境構築としては完璧ね。死角が増えたわ」
「ずるいです! 私にはもっとピンク色でフリルのついたお花を出してください!」
ルゥとルナ、そしてアリスまでもが、咲き乱れる花を見て口々にフランを褒めそやした。
「え……? みんな、私が失敗したのに……怒らないの……?」
誰も自分の『ミス』を責めない。スクラップ扱いもしない。むしろ、失敗した結果を喜んでくれている。
呆然とするフランの前で、フェンリルが足元に咲いた一輪の花を前足で器用に摘み取りながら、満足げに頷いた。
「素晴らしい。机上の空論ではなく、貴重な『エラーのデータ』が取れたな」
「え……?」
「これなら致命的な被害にはならない。どこで魔力変換が分岐したか、ログを辿ればすぐに修正できるはずだ。……よく、60点で出す恐怖に打ち勝ったな」
「怒ら、ないの……?」
フランの銀色の髪に。
俺は、壁に咲いていた小さな一輪の白い花を、そっと飾ってあげた。
「綺麗な花だな。殺風景だった商会が、フランのおかげで明るくなったよ。ナイスなバグだ」
俺が微笑みかけると、フランの大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
彼女はずっと、「完璧な自分(100点)」でなければ愛されないと思い込んでいた。
だが、ここでは誰も「失敗」を責めない。失敗しても安全であるという『心理的安全性』が、彼女の分厚い完璧主義の鎧を、中から優しく打ち砕いたのだ。
「……ふん。非論理的ね。エラーを出した術者を褒めるなんて、判断基準が狂っているわ」
フランは顔を真っ赤にしてそっぽを向きながらも、頭に飾られた白い花を、愛おしそうにそっと指先で撫でた。
「でも……悪くないわね、アジャイル」
涙目のまま、少しだけ誇らしげに微笑んだ天才魔法使い。
かくしてフランは、「失敗を許容する」という最強のアップデートを無事に完了させたのだった。




