第47話 リゼの『事実と推測』vs 見捨てられ不安(コンサル実践編)
「……いくら徹夜で帳簿を合わせても、社長は『まだリードタイムが長い』としか言ってくれないんです。俺みたいなトロいドワーフは、もうこの商会には必要ないってことなんでしょうね……うぅっ」
黄金貨商会の面談室。
物流部門を統括する筋骨隆々のドワーフの男性が、俺の差し出したハンカチで滝のような涙を拭っていた。
「なるほど、毎日遅くまでお疲れ様です。……でも、少し整理してみましょうか」
俺は温かいお茶を彼に手渡しながら、静かに問いかけた。
「社長が『リードタイムが長い(納品までが遅い)』と指摘したのは事実です。でも、『お前は必要ない』と直接言われたんですか?」
「え? い、いや……直接クビだとは言われてませんが。でも、あんなに冷たい目で数字を見られたら、そう思われているに決まってます!」
「それは、あなたの『推測』ですよね。社長はただ『業務の速度』という数字の改善を求めているだけで、あなたという『人間』を否定しているわけではありません。そこを切り離して考えてみませんか?」
「数字と、人間を……切り離す……」
ドワーフの男性はハッとして顔を上げた。
フェンリルの徹底したデータ至上主義は、人間味のある従業員たちに「自分自身が否定された」という認知の歪み(思い込み)を生ませやすい。だからこそ、俺が産業カウンセラーとして間に入り、「事実」と「感情」の仕分け作業を手伝うのだ。
「……そうか。俺が嫌われてるわけじゃない。ただ、馬車のルートを見直せばいいだけなんだな……!」
「ええ。あなたは現場を一番よく知っている優秀な責任者です。自信を持ってください」
ドワーフの男性が晴れやかな顔で面談室を出ていくのを見送り、俺は一つ息を吐いた。
こちらの「従業員ケア」の業務は順調だ。
問題は、あっちの部屋で行われている「ヒロインズのコンサル研修」である。
* * *
「この毛玉ァッ!! ナギをたぶらかして! その首を刎ねてあげるぅ!!」
俺が会議室の扉を開けた瞬間、リゼの怒号と凄まじい剣気が部屋中に吹き荒れていた。
彼女は愛用の木剣を上段に構え、今にもデスクの上に座っているフェンリル(もふもふ)を唐竹割りにしようとしている。
「ちょっと待てリゼ! 何があった!?」
俺が慌てて止めに入ろうとすると、フェンリルは前足でスッと伊達メガネを押し上げ、冷徹な声で言い放った。
「ステイだ、ナギ。これは研修だ。……おい、そこのコンプライアンス違反女。なぜ私を斬ろうとしているのか、論理的に説明したまえ」
「うるさい、犬! ナギは昨日からずっとお前の商会に入り浸って、他の奴らの話ばっかり聞いてる! つまり、ナギはもう私なんて必要ないんだ! 私が見捨てられる前に、原因のお前を斬るだけ!」
見捨てられ不安の暴走。
リゼの抱える根本的なトラウマ(認知の歪み)が、完全に牙を剥いていた。
「……典型的な『事実』と『推測』の混同だな。聞いていて頭が痛くなる」
フェンリルはハーブスティックの煙をふぅっと吐き出し、リゼを真っ直ぐに見据えた。
「思い込みで動くな、馬鹿者。『ナギがうちの商会で働いている』というのは紛れもない【事実】だ。だが、『ナギはお前を必要としていない』『見捨てられる』というのは、お前の勝手な【推測】に過ぎない。その二つには何の因果関係もない」
「なっ……!?」
「ナギが『もうお前は必要ない』と発言したのか? そんな客観的データ(証拠)がどこにある? エビデンスを出せ」
ピシャリと、冷たい正論の鞭がリゼを打つ。
リゼは木剣を振り上げたまま、「あ……えと……」とフリーズした。
(すごい……!)
俺は内心で舌を巻いた。
不安で暴走している患者に対し、「それはあなたの思い込みだ。客観的な証拠はあるのか?」と問いかけ、認知の歪みを自覚させる。これはまさに『認知行動療法』の基本アプローチだ。
「ゼロベースで思考しろ。お前の抱える『どうせ見捨てられる』という前提を一度すべて捨てて、目の前のデータだけを見ろ」
フェンリルの言葉に、リゼはギリッと奥歯を噛み締め、俺の方をチラリと見た。
「……ナギ。私のこと……もう必要ない?」
「そんなわけないだろ。お前の剣にはいつも助けられてるし、俺は誰よりもお前を頼りにしてるよ」
俺がはっきりと【事実】を伝えると。
リゼの瞳からスゥッと殺気が抜け、木剣が少しだけ下がった。
「なーんだ、リゼさん。すっかり毒気を抜かれちゃって」
その時、部屋の隅で研修を見学していたアリス(勇者)が、くすくすと笑いながら俺の腕に絡みついてきた。
「先生はこんな乱暴な女より、私のことが好きなんですもんね! さっき廊下ですれ違った時に、先生、私のフリルを見て微笑んでくれましたもん! もうこれ、実質プロポーズですよねっ♡ さあ先生、一緒に婚姻届を――」
「この泥棒猫ォォォッ!! やっぱり微塵切りにしてやるぅぅっ!」
いつもの黄金パターンの修羅場。
リゼが青筋を立ててブチギレ、木剣を再び猛烈な勢いで振り上げた。俺は慌てて胃薬の小瓶に手を伸ばす。
だが、その瞬間。
「エビデンスだ、リゼ!!」
デスクの上のフェンリルが、鋭い声で吠えた(渋いおっさんボイスで)。
「ハッ……!?」
ピタッと、リゼの動きが止まる。
フェンリルはメガネを押し上げ、前足でアリスを指差した。
「その男の娘勇者の言う『実質プロポーズ』は事実か!? ナギが好意を抱いているという客観的データはどこにある!?」
「え、えびでんす……きゃっかんてき、データ……」
リゼは木剣を上段に振りかぶった姿勢のまま、ワナワナと全身を震わせ始めた。
「微笑んだのは……事実。でも、好きだというのは……あいつの推測。変な顔だから笑っただけかもしれない……証拠はない……ナギがあいつを好きだという証拠はない……証拠はない……!」
ブツブツと呪文のようにつぶやきながら、リゼは顔を真っ赤にして必死に自身の怒りを抑え込もうとしている。
「ひっ……!? な、なんですか急にブツブツ言い出して……怖いんですけどっ!」
逆にアリスがドン引きして後ずさった。
やがて、リゼは「ふぅーっ……」と限界まで我慢したような深い息を吐き出し、ゆっくりと、プルプル震える手で木剣を下ろした。
「……思い込みはカッコ悪いよ……アリスちゃん……ナギが一番好きなのは私だもん」
ゼェゼェと息を切らし、顔をひきつらせながらも。
リゼはギリギリのところで、初めて自らの意志で感情の暴走を抑え込むことに成功したのだ。
「……どうだ、ナギ」
フェンリルが、してやったりという顔でこちらを見た。
まさか、あの瞬間湯沸かし器のようなリゼが、言葉一つで修羅場を自制するなんて。
「社長……あなた、天才ですか」
「お前は優しすぎるんだ。嫌われ役は俺がやってやる。フォローを忘れるなよ」
かくして、フェンリルによる「ヤンデレ矯正コンサル研修」は、予想を遥かに超える劇的な効果を生み出し始めていた。




