第46話 魔王の苦渋の決断と、中身のない改善計画書
「できたぞ。これが研修の時間を稼ぐための、第一期フェーズにおけるソリューション・マテリアル(解決提案書)だ」
黄金貨商会の社長室。
徹夜明けで目元にクマを作ったフェンリル(もふもふ)が、前足でドサッと分厚い羊皮紙の束を机に置いた。
そこには、魔法のインクで図形やグラフのようなものがびっしりと描かれ、ファンタジー世界には到底存在しない、カタカナの羅列が躍っていた。
『魔王軍におけるシナジー効果の最大化と、パラダイムシフトに向けたブルーオーシャン戦略の提言について』
『ゼロベース思考によるコアコンピタンスの再定義』
「……社長。これ、見かけはすごい立派ですけど、中身は?」
「ゼロだ」
フェンリルはハーブスティックをふかしながら、胸を張って即答した。
「コンサルタント特有の、意味ありげな横文字を羅列しただけの紙の束だ。読めば読むほどゲシュタルト崩壊を起こし、思考を麻痺させる。魔王といえども、この『意識高い系パワポ』の解読には最低でも三日はかかるはずだ」
「えぐい。精神攻撃魔法じゃないですか」
俺がドン引きしていると、背後から羊皮紙を覗き込んだヒロインたちが口々に感想を漏らし始めた。
「な、何これ……『あささいん』? 『こみっとめんと』? ……くっ、魔力が吸われるような頭痛がする……! これはきっと、古代魔法の呪詛よ!」
リゼが頭を抱えて後ずさる。
「……驚いたわ」
フランが真顔で羊皮紙の束をペラペラと捲り、冷や汗を流した。
「これほどの文字数と複雑な図解を用いていながら、そこから得られる【情報量が完全にゼロ】よ。非論理的という次元を超越しているわ。ある意味、芸術的なバグね」
さすが天才魔法使い。一瞬で本質(中身がすっからかんであること)を見抜いてしまった。
「まぁ! 『ぱらだいむ・しふと』……響きからして、魂を根本から浄化する神聖な儀式の名前ですわね! 素晴らしいですわ!」
「お兄さん、この紙、美味しそうな匂いが全然しないよー?」
「可愛くないです。このグラフ、全部ピンク色とフリル柄に塗り直してもいいですか?」
セラフィーナが祈りを捧げ、ルゥが匂いを嗅ぎ、アリスが聖剣の切っ先でグラフを物理的に修正しようとしている。
俺は慌ててアリスを止め、羊皮紙の束の一番上に、自分で書いた手紙を添えて封筒に入れた。
「よし。俺の『心理的トラップ』も同封しました。……頼むぞ、魔王さん」
俺は、商会と契約している使い魔のフクロウに封筒を託し、魔王城へと放った。
* * *
その日の午後。魔王城、玉座の間。
「……何なのだ、これは」
魔王ディアブラは、届いたばかりの分厚い羊皮紙の束を手に、玉座で冷や汗を滝のように流していた。
『アライアンスを組むことでリソースを最適化し、アジャイル的なアプローチで……』
『トップダウンからボトムアップへ……』
(わからん。全くわからん。なんだこれは!? 人間の新しい呪いか!?)
目の下に巨大なクマを作った魔王の脳味噌は、未知のカタカナ語の連続攻撃により、完全にフリーズ(機能停止)に追い込まれていた。
しかし、彼女は「この世の全ての負を統べる絶対者」である。下等な人間の書いた書類が読めないなどと、絶対に認めるわけにはいかなかった。
「魔王様? いかがなされましたか?」
「……素晴らしい提案だと言っているのだ! ふふっ……流石は専門家だな、私の考えていたことと全く同じだ!」
見回りのスケルトン兵の前で、ディアブラは必死に威厳を取り繕い、知ったかぶりをした。
そして、震える手で、一番上に添えられていたナギからの手紙を開く。
『魔王ディアブラ様。
同封した計画書は、聡明な魔王様であれば一読してその真意をご理解いただけると思います。
専門チームの編成には今しばらく時間がかかります。この高度な組織改革を実行するためには、トップであるあなたの【完璧な休息】が不可欠です。
ですから、計画書を読み終え次第、直ちに玉座を離れ、休暇を取得してください。これは、組織改革を成功させるための専門家からの絶対の指示です。』
「……休め、だと!?」
ディアブラは思わず声を荒げた。
ありえない。玉座を空けるなど、王としての責任の放棄だ。私が休めば、この脆い組織は一瞬で崩壊してしまう。休むことなど、罪でしかないのだ。
(ふざけるな、休めるわけがないだろうが……!)
そう反発しようとしたが、手紙の文面がディアブラの脳内にこびりついて離れない。
『聡明な魔王様であれば』『組織改革を成功させるための絶対の指示』。
(くっ……! つまりこの高度な『ぱらだいむ・しふと』とやらを成し遂げるには、私の万全の魔力と思考が必要ということか……! 休むことなど王の責務に対する背信行為……だが、これも魔王軍の未来のため……ッ!)
それは、究極の『苦渋の決断』だった。
休むことへの強烈な罪悪感と、「専門家が休めと言っているのだから仕方がない」という安堵感。激しい葛藤の末、ディアブラはギリッと奥歯を噛み締めて立ち上がった。
「ええい、皆の者! 聞け!」
ディアブラはマントをバサァッと翻し、悲壮な覚悟を滲ませた声で宣言した。
「私はこれより、この『ぱらだいむ・しふと』を実行するため、自室にて数日間の『戦略的休養』に入る! 苦渋の決断だが、これも未来のためだ! 何があっても私を起こすな! 勇者が来ても『魔王は現在休養中である』と返せ! よいな!」
「は、ははーっ!!(ラッキー! 魔王様がいないなら俺たちもサボれるぞ!)」
スケルトンたちも大喜びで散っていく。
ディアブラは誰にも見られないよう、小走りで玉座の奥にある自身の寝室へと向かった。
* * *
寝室。
分厚いカーテンが引かれた薄暗い部屋で、ディアブラは数百年間まともに使っていなかった最高級の羽毛布団に身を横たえていた。
(……ダメだ。眠れるわけがない)
シーツをぎゅっと握りしめ、ディアブラは暗闇の中で目をギラギラと見開いていた。
玉座を空ける不安。溜まりに溜まった決裁書類。勇者の動向。下等な魔族たちの失態のカバー。考えるべきタスクは山のようにある。こんな状況で、健やかに眠りにつけるほど私の精神は図太くはな……
――『これは、専門家からの絶対の指示です』
不意に、あの相談員の穏やかな字面が脳裏をよぎった。
私は、休んでもいいのだ。
私が休むことはサボりではない。怠惰でもない。正しい改革のための、必要なステップなのだ。
その「許し」を与えられた途端。何百年も張り詰めていた心の糸が、嘘のようにふっと緩んでいくのを感じた。
「……すー……」
五分と経たないうちに。
魔王ディアブラは、羽毛布団に顔を埋め、まるで幼子のような安らかな寝息を立て始めた。
かくして、世界を滅ぼす魔王は「免罪符としての休息」を手に入れ、ナギたちにはヒロインの心のケアを行うための、十分すぎる猶予が与えられたのだった。




