第45話 コンサル契約と、認知行動療法への転用
「……なるほど。過労による心不全で倒れたら、目覚めた時にはこの毛玉になっていたと」
「ああ。そっちもブラック労働の果てに過労死か。同業者を感じるよ。前世ではHR(人事)畑の臨床心理士とは、中々珍しいキャリアだな」
黄金貨商会の応接室。
俺とフェンリル(中身はおっさん)は、ヒロインたちを完全に置き去りにして、現代日本の世知辛い身の上話で大いに花を咲かせていた。
「ナギ……あの犬と変な言語で何話してるの? すごく親しげでムカつく。斬っていい?」
「言葉は通じなくても、先生とあんなに波長が合うなんて……ただの犬じゃありません、あれは強力な泥棒猫(犬)ですっ! でもモフモフで可愛いので斬るのは可哀想です……」
背後でリゼとアリスが物騒なことを言っているが、今は無視だ。
俺はフェンリルに、魔王城の末期的な現状と、組織改革のコンサルティングを依頼したい旨を切り出した。
しかし、フェンリルは短い前足を組んで、スパーッとハーブスティックの煙を吐き出した。
「ちなみに依頼の件だが、……断る。魔王軍の案件なんて、ハイリスク・ノーリターンだ。私に何のメリットもない。そもそも、うちは現在急成長中のフェーズで、リソースを社外に割く余裕はないんだ」
にべもない拒絶。
確かに彼からすれば、命の危険を冒してまで魔王城へ出向く義理はない。
俺が食い下がろうとした、その時だった。
「……社長。もう、限界です」
バタン、と応接室の扉が開き、一人の若いエルフの女性従業員がふらふらと入ってきた。
彼女の目の下には、魔王ディアブラに匹敵するほどの見事なクマが刻まれている。来客中であることにも気づかないほど、切羽詰まっているようだ。
「社長の求めるKPI(重要業績評価指標)の達成、私には無理です……三日寝てません……もう、退職させてください……」
エルフの女性は、震える手で『退職届』を差し出した。
しかしフェンリルは、その紙切れを一瞥しただけで、冷徹に鼻を鳴らした。
「退職? 非合理的だな。西区のサプライチェーンにおける君の代替リソースは現在確保していない。そもそも睡眠不足は君のタイムマネジメントの欠如だ。辞表を出す前に、業務のボトルネックを洗い出し、抜本的な『カイゼン(改善)』のプランを提出したまえ」
「そんな……私にはもう、考える頭も……私が、駄目なエルフだから……」
正論という名の暴力。
フェンリルの冷徹な論破に、エルフの女性は絶望したようにポロポロと涙をこぼし始めた。
これ以上は見ていられない。俺はたまらず立ち上がり、彼女の肩を優しく支え、空いているソファに座らせた。
「……待ってください、社長。人間は機械じゃない。感情と肉体の限界を無視したシステムは、いつか必ず破綻します」
「……ほう?」
フェンリルが目を細める中、俺はエルフの女性と同じ目線になるよう膝をついた。
「……辛かったですね。数字ばかり求められて、あなたの努力や苦労を誰も見てくれない環境は、心をすり減らします」
「あ……あなたは……?」
「ただの相談員ですよ。……あなたは駄目なんかじゃない。三日も寝ずに責任を果たそうとした、誰よりも立派な従業員です。カイゼンなんて後でいい。まずは、自分を責めるのをやめましょう」
俺が穏やかな声で傾聴し、彼女の抱え込んだ痛みを一つ一つ解きほぐしていくと、エルフの女性は大粒の涙を流して俺の胸に縋り付いてきた。
「ひぐっ、うわあああんっ! 誰かに、そう言ってほしかったんですぅ……!」
「ええ、泣いていいんですよ。頑張りましたね」
俺が背中を撫でていると、エルフの女性の頬がわずかに赤く染まり、俺を見上げる瞳に『依存』の光が灯りかけた。
――その瞬間。
「「「「「ストーーーップ!!」」」」」
背後で待機していた厄災五人が、猛烈な勢いでエルフの女性に詰め寄った。
「あんた、その男に惚れちゃダメ! こいつ誰にでも優しいんだから!」
「そうよ! 一見あなたの痛みを理解してくれているように見えるけど、それは『共感』という名の罠よ! 一度ハマったら抜け出せなくなるわ!」
「お兄さんに慰められたら最後、お兄さんなしじゃ生きられない体になるんだよ!」
「そうです! 優しくされたからって勘違いしないでください! 先生の隣はもう埋まってるんですっ!」
ヒロインズによる、自爆まがいの凄まじい説得(というか自己紹介)。
エルフの女性は「ひぃっ!?」と怯え、俺への淡い恋心は一瞬で恐怖に上書きされた。
「……なるほど。君、凄腕の『産業医』だな」
その一連のやり取りを見ていたフェンリルが、伊達メガネの奥の目を光らせた。
「私の最大の弱点は、従業員のメンタルケアだ。論理で動かない感情のフォローが追いつかず、離職率が高い。……どうだ、同郷のよしみで一つ『ウィン・ウィン』の取引をしないか?」
「取引?」
「君がうちの従業員のメンタルケア(産業カウンセリング)をタダで請け負ってくれるなら、私が魔王軍の案件を受託しよう」
「本当ですか!」
俺が身を乗り出すと、フェンリルは「ただし」と前足を突きつけた。
「私が現場(魔王城)へ行くのは御免だ。だから、君のその優秀な『取り巻き』たちに、私のコンサルティング・メソッドを叩き込む。彼女たちを『実務コンサル部隊』として魔王城へ派遣するんだ」
「……は?」
俺は絶句した。
この、力と感情でしか動かない歩く厄災たちに、ビジネスを教える?
PDCAを教えれば、「P、D、C、A(アナイアレイト=殲滅)」とか言い出すに決まっている。魔王軍が物理的に更地になってしまう。
「無茶苦茶だ! こいつらは感情の生き物なんですよ! ビジネスのフレームワークなんて……フレーム、ワーク……?」
俺の脳内に、雷のような閃きが走った。
コンサルタントの思考法。
それは、「事実」と「推測(思い込み)」を明確に切り分けること。
感情論を排し、客観的なデータに基づいて論理的に思考するフレームワーク。
――待てよ? それって完全に『認知行動療法(CBT)』じゃないか!
認知行動療法とは、極端な思い込み(認知の歪み)を客観的な事実と切り分け、思考のバランスを取り戻させる心理療法だ。
もし彼女たちがコンサルの論理的思考を身につければ、自分自身の「ヤンデレ的暴走(見捨てられ不安や白黒思考)」を、自分自身で客観視して制御できるようになるかもしれない!
「……俺は……」
俺は、拳を強く握りしめた。
「俺は、従業員の皆さんのケアを全力でやらせていただきます。だから……こいつらに、最高の『研修』をお願いします!」
「交渉成立だ」
フェンリルと俺は、固く握手(肉球)を交わした。
訳も分からず首を傾げるヒロインたちをよそに。ここから、ヤンデレを論理でへし折る前代未聞の『コンサル研修(兼・心理治療)』が幕を開けるのだった。




