第40話 聖剣の重さと、あなたに似合うリボン
ヒロインズと勇者(男の娘)の、世界を崩壊しかねないキャットファイトから数分後。
「はい、ナギ! 次は私の作った唐揚げね! あーん!」
「管理者の疲労回復には、この特製スープが最も論理的よ。さあ、口を開けて」
「お兄さん、甘い卵焼き食べるー? 食べるよねー!」
「皆様の料理は栄養に偏りがありますわ。ナギ様、まずは私の『浄化の温野菜』から……」
霊峰の中腹に設営されたキャンプ地では、いつものように俺を巡る壮絶な『餌付けの修羅場』が展開されていた。
四人から次々とおかずを口に放り込まれながら、俺はチラリと視線を横に向ける。
そこには、巨大な聖剣を傍らに置き、膝の上にのせたサンドイッチを小動物のようにもぐもぐと食べている勇者の姿があった。
「あの……皆さん、本当にナギ先生のことがお好きなんですね」
勇者が、羨望と畏れが入り混じったような目で呟く。
ヒロインたちは一斉に動きを止め、バチッと勇者を睨みつけた。
「当然。ナギは私の命の恩人だもん」
「管理者のいない世界に、私の存在する理由は論理的にあり得ないわ」
「……ええ。同感よ」
「ナギ様は、私がすべてを捧げるべき唯一の神殿ですわ」
その重すぎる愛の四重奏に、勇者は「は、はぁ……」と圧倒されて身を縮ませた。
やがて、騒がしかった夕食の時間が終わり、夜の闇が霊峰を包み込む。
フランが展開した強固な防音・防寒の魔法結界テントの中で、ヒロインたちは俺の隣のスペースを巡る真夜中までの大口論の末、疲れ果てて眠りについていた。
俺は一人、テントの外でパチパチとはぜる焚き火の番をしていた。流石に同じテントで寝るわけにはいかない。
「……ナギ先生」
不意に、テントから勇者がそっと抜け出してきた。
彼女(彼)は俺の隣にちょこんと腰を下ろし、膝を抱えて、揺れる炎をじっと見つめる。
「昼間は……その、ごめんなさい。私、あんな風に感情的になっちゃって。せっかくの可愛いお洋服も、少し土で汚れちゃいました」
勇者は、自分のワンピースの裾を少しだけ寂しそうに撫でた。
「気にしないでください。それより、すごかったですよ。あの四人を相手に、一歩も引かないなんて。……勇者ってやっぱり強いですね」
「……」
俺が本心からそう褒めると、勇者の顔がふっと翳った。
勇者は、岩に立てかけられた自分の身の丈ほどもある聖剣を見上げる。
「……重いんです。この剣」
ぽつりと、焚き火の音に溶けるような、静かな声だった。
「物理的な重さの話じゃありません。……王様も、教団の偉い人たちも、街の住人も。みんな、私に『勇者らしくあれ』って言うんです」
「勇者らしく?」
「はい。男らしく、勇敢、清廉潔白で、ただ強大な力で魔物を打ち倒す英雄であれって。……最初は私も、必死に隠して期待に応えようとしてたんです。でも……ある日、こっそり作っていた可愛い服やリボンを、一緒に旅をしていた仲間たちに見つかってしまって」
勇者は、ギュッと膝を抱え込んだ。
「その時の、みんなの蔑むような目が忘れられません。『なんだ、ただの狂った変態じゃないか』『そんな奴に背中を預けられるか』って……。あんなに一緒に戦ってきたのに、みんな、潮が引くように私から距離を置いたんです」
ぽろり、と。勇者の瞳から涙がこぼれ、焚き火の光に反射した。
「世界を救う力があっても、本当の私を知られれば、皆が絶望して私を見捨てるんだって……そう思い知りました。だから、誰もいない洞窟に逃げて、引きこもっていたんです。私は、皆の期待するような勇者になんて、なれないから……」
それが、彼女の抱える問題の核心だった。
他者の身勝手な『理想(役割)』を押し付けられ、少しでもそこから外れれば拒絶されることによる、自己同一性の喪失。
自分を偽り続けるか、孤独を選ぶしかない人生は、精神を根元から腐らせていく。
「……馬鹿げた話ですよね。世界を救う力があるのに、服の好みを気にして引きこもるなんて」
自嘲気味に笑う勇者の頭に。
俺は、ポンと優しく手を乗せた。
「馬鹿げてなんかいませんよ。自分が好きなものを好きと言えない世界なんて、息が詰まって当然です」
「先生……?」
「勇者だからって、感情を殺して他人の理想の『人形』になる必要なんてない。誰かの期待に応えるためじゃなくて……あなたが好きな服を着て、あなたの意志で、この世界を救えばいいんです」
俺は、傍らに置いてあった弁当の包み紙から、綺麗なピンク色のリボンを取り出した。
それは、ルゥたちが俺のお弁当箱を可愛くラッピングするために使ってくれていた、新品の絹のリボンだ。
「少し、失礼しますね」
俺は勇者の背後に回り、昼間の戦闘で少し解けてしまっていた彼女の金髪をまとめ、そのリボンで綺麗に結び直した。
「とても可愛くて、よく似合ってますよ。……世界最強の、可愛い勇者様に」
俺がそう言って微笑むと。
勇者の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「あ、う……あぁぁっ……!」
勇者は俺の胸に飛び込み、子どものように声を上げて泣きじゃくった。
男らしくしろという呪いから解放され、本当の自分を、誰よりも認めてほしかった『先生』に全肯定された瞬間だった。
「先生……! 私、決めました……!」
ひとしきり泣いた後。
勇者は顔を上げ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔のまま、それでもこの世で一番美しい乙女の笑顔を浮かべた。
「私、先生のために世界を救います! この可愛い服を着たまま、魔王をぶっ倒してきますっ!!」
「いや、俺のためじゃなくて自分のために――」
「大好きですっ! 魔王を倒したら、私を先生のお嫁さんにしてくださいっ♡」
勇者が俺の首に思いきり抱きついた、その瞬間。
――ギギッ……メキメキメキィッ!!
背後の魔法テントから、空間そのものを歪めるような、致死量の凄まじい殺気が膨れ上がった。
「あ、やべ」
独占欲の権化である四人のヒロインたちが、起きていないはずがなかった。
テントの入り口が、まるで地獄の門のようにゆっくりと開き始める。
俺は静かに胃薬を取り出し、水なしで飲み込んだ。
勇者の『心』は無事に救われたが、どうやら俺の『命』の危機は、今まさにピークを迎えようとしているらしい。




