第4話 天才魔法使いは百点以外を失敗だと思っている
「グループセッションではありません」
少しだけ声を強めると、リゼはビクッと肩を揺らして剣から手を離し、フランも杖先の光をすっと消した。
素直で助かる。
助かるが、どうして初対面でここまで火花が散るんだ。
「……申し訳ありません。少々、気が立っていました」
「気をつける」
「よろしい」
俺はため息をひとつ飲み込んで、フランへ向き直った。
「お待たせしました。相談ですね。こちらへどうぞ」
「ええ」
カウンター横の小部屋へ案内しようとすると、背後でトテトテと軽い足音がついてきた。
振り向く。
リゼが当然のようについてきていた。
無言で手のひらを向ける。
「……うぅ」
「そこで待機」
「はい……」
大型犬みたいにしょんぼりしながら、リゼは指定席に戻っていった。まだ不服そうだが、止まるだけえらい。基準がもうおかしい気もする。
俺は小部屋の扉を半分だけ閉めて、フランに椅子を勧めた。
彼女は背筋をぴんと伸ばしたまま浅く腰掛ける。
姿勢一つで育ちの良さがわかるタイプだ。どこかの名家なのは間違いない。
「改めて。受付兼相談窓口のナギです」
「フランよ。王立魔法学園を卒業後、現在は宮廷魔導師候補として活動しているわ」
肩書きが重い。
名乗り方に誇りもあるし、それだけ求められてきた人生なのだろう。
「それで、相談内容は?」
「最近、私の魔法の出力が著しく低下しているの」
フランは一切の前置きなく本題に入った。
「以前なら無詠唱で展開できた複合術式に、今は三節以上の詠唱が必要になる。制御精度も落ちている。威力も全盛時の八割程度」
「八割」
「致命的よ」
言い切った。
その言い方に、すでに答えの半分が入っている気がした。
「神殿で診てもらったけれど、魔力回路にも身体にも異常はないと言われたわ。呪いでもない。ならば、原因は精神面なのでしょう?」
「そう考えた理由は?」
「ここが“こころの相談窓口”だからよ」
フランは真剣だった。
「特別な瞑想法でも、集中法でも、感情の制御術でも構わないわ。必要なら高額の謝礼も払う。だから、私を元の出力まで戻す方法を教えて」
その声音は落ち着いている。
でも、落ち着いているように“作っている”のがわかる。
目の下には薄く隈がある。指先に力が入りすぎていて、関節が白い。頬の色もあまり良くない。
そして、何より「八割」を“致命的”と言い切る時点で、だいぶ危うい。
「フラン」
「何かしら」
「最近、ちゃんと眠れてますか」
「……は?」
初めて、彼女の表情がわずかに崩れた。
「睡眠時間は確保しているわ。毎日四時間」
「少ないですね」
「研究と訓練と依頼を回すなら妥当よ」
「食事は?」
「栄養ポーションと保存食で補っているわ。食事に時間を使うのは非合理的だから」
なるほど。
見事なまでの過労コースだった。
「フラン」
「何?」
「あなたに必要なのは、秘術でも特殊訓練でもなく、まず休養です」
「……冗談でしょう?」
彼女の声が一気に冷えた。
「私は“疲れている”のではなく、“出力が落ちている”の。症状の話をしているのよ」
「その症状の原因が疲労だと言っています」
「あり得ないわ」
フランはぴしゃりと言い切った。
「私はこれまでずっと同じか、それ以上の負荷をかけてきた。今さら疲労程度で崩れるはずがない」
「いつから今の状態に?」
「三ヶ月前くらいから、わずかに」
「その間、休みは?」
「必要なかったわ」
「本当に?」
「ええ」
即答。
そして、その即答の速さ自体が危ない。
「……フラン。少し言い方がきつくなります」
「どうぞ」
「あなた、“必要なかった”んじゃなくて、“必要だと認められなかった”んじゃないですか」
フランのまつげがぴくりと震えた。
「百点以外は失敗だと思っているでしょう」
「……」
「八十点でも十分高水準です。普通なら」
「普通の話をされても困るわ」
「そう言うと思いました」
俺は机の上で手を組んだ。
「あなたにとっては九十九点でも足りない。少しでも落ちたら欠陥。休むのは甘え。弱音は価値の低下」
「……」
「そういう基準で自分を運用していれば、心の方が先に燃え尽きます」
フランの視線が鋭くなる。
「精神論を聞きに来たのではないわ」
「精神論じゃありません。観察です」
「観察?」
「はい。今のあなたは、ガス欠のまま全力で走ろうとしている」
「私は走れているわ」
「八割で?」
「……っ」
返事が詰まった。
「八割を“動けている”ではなく“壊れた”と認識している時点で、基準が厳しすぎます」
「それの何が悪いの」
「悪いとまでは言いません。でも、苦しいでしょう」
そこでフランは、初めて黙った。
沈黙の質が変わる。
反論するための沈黙ではなく、思い当たることがありすぎて言葉を選べなくなった時の沈黙だ。
「……私は」
ぽつりと、フランが言った。
「失敗できないのよ」
「うん」
「幼い頃から、ずっとそうだった。できて当然。優れていて当然。期待に応えて当然」
「はい」
「だから、落ちるわけにはいかないの。少しでも鈍れば、周囲はすぐに“天才もこの程度だった”と言い出す」
理路整然としている。
でもその理路は、自分を守るためというより、自分を追い詰めるために積み上がっているように見えた。
「フラン」
「……何」
「今この部屋で、俺はあなたの家柄も称号も評価しません」
「……」
「見えているのは、無理をしすぎている一人の相談者です」
彼女の目が大きく見開かれた。
「あなたの魔力回路が壊れているとは思いません。むしろ、壊れていないのが不思議なくらいだ」
「そんな、言い方……」
「今まで誰かに、疲れている顔をしてるって言われましたか」
「……ないわ」
「でしょうね」
天才、才媛、名門の期待。
そういうラベルは、人を褒める時には便利だが、弱り始めた時にはだいたい邪魔しかしない。
「今日は帰ってください」
「……」
「温かいものを食べて、八時間以上寝る。魔導書は閉じる。訓練もしない」
「そんなの」
「治療です」
きっぱり言い切ると、フランは信じられないものを見るような顔をした。
「休むことが?」
「あなたにとっては、かなり高度な治療だと思いますよ」
「……っ」
一瞬、彼女が笑いそうな顔をした。
でも、すぐに押し戻した。笑うことにすら慣れていない人の顔だった。
「……不思議ね」
「何がですか」
「私、神官にも魔導師にも“問題ない”と言われたのに」
「身体には問題なかったんでしょう」
「ええ」
「でも、それで安心できなかった」
「……できなかった」
認めた。
「あなたは、私の『異常』を見つけたわけじゃないのね」
「ええ。むしろ逆です」
「逆?」
「あなたにとっての『正常』が『特異事態』なんです」
フランはしばらく俺を見つめていた。
強気な目だ。
頭もいい。
たぶん、普段なら簡単に他人へ弱みなんて見せない。
その彼女が、少しだけ視線を落とす。
「……そんなふうに言われたの、初めてだわ」
「光栄です」
「皮肉かしら?」
「受付は皮肉を言う職業ではないので」
「さっき査定窓口で十分言っていたように見えたけれど」
「それは通常業務です」
ほんのわずかだが、フランの口元が緩んだ。
よかった。
少しだけ空気が抜けた。
「わかったわ」
「はい」
「今日は、帰って休む」
「それがいいです」
「ただし」
フランは顔を上げる。
青い瞳に、今度は別の種類の熱が宿っていた。
「明日も来るわ」
「……はい?」
「継続観察は必要でしょう」
「まあ、必要ではありますが」
「なら決まりね」
早いな。
「今日一度の助言で結論を出すのは非合理的よ。私の状態変化を追うには、明日以降もあなたの評価が必要」
「理屈はわかりますが」
「加えて、あなたは私の症状を最短で見抜いた」
「たまたまです」
「偶然で片づけるには精度が高すぎるわ」
理詰めで逃げ道を塞いでくるタイプだ、この人。
「では、明日の同時刻に」
「いや、勝手に時間を」
「問題あるかしら?」
「……大ありですと言いたいんですが、窓口としては断りづらいですね」
「よろしい」
フランは満足げに頷いた。
「あなたの観察と助言は、私にとって論理的に不可欠だと判断するわ」
「その結論、少し早くありません?」
「いいえ」
即答だった。
怖い。
「ではまた明日、ナギ」
「……お疲れ様でした」
フランは静かに立ち上がり、杖を手に小部屋を出ていった。
俺も数秒遅れて広間へ戻る。
すると、カウンター前の指定席で待機していたリゼが、ものすごくわかりやすい顔でこっちを見た。
不機嫌です、と額に書いてある。
「ナギ」
「はい」
「あの女、明日も来るって言ってた」
「耳がいいですね」
「剣士だから」
だから、その観察力を別方向に活かしてほしい。
「なんで次があるの」
「継続相談は普通にあります」
「でも、ナギは私の担当でしょ」
「違います。ここはギルドの相談窓口です」
「私、昨日から通ってる」
「そうですね」
「じゃあ先客」
「相談窓口に先着順の縄張り概念を持ち込まないでください」
リゼは頬を膨らませてカウンターを軽く叩いた。
「私の方が先に、見つけてもらったのに」
「言い方が重い」
「重くない」
「いや、かなり」
「重くないもん」
もん、じゃないんだよなあ。
その時、小部屋を出たフランが立ち止まり、こちらを振り返った。
「確認しておくけれど、明日のこの時間は空けておいてちょうだい」
「いや、だから時間指定は」
「継続相談において定時観察は重要でしょう?」
「理屈で押し切ろうとしないでください」
「合理性の話をしているだけよ」
するとリゼが立ち上がる。
「その時間はだめ。ナギは朝から私の経過観察がある」
「でしたら、予約制度でも作ればいいのでは?」
「予約……?」
「先に取った方が優先よね」
やめろ。
この世界に相談窓口予約修羅場の文化を作るな。
「二人とも」
「「はい」」
「俺の前で窓口を取り合わないでください」
「でも」
「ですが」
「グループセッションではありませんし、指名制でもありません」
リゼは不満そうに唇を尖らせ、フランは納得していない顔で目を細める。
ああ、まずい。
これはたぶん、始まってしまったやつだ。
見捨てられたくないAランク剣士と、百点以外を失敗とみなす天才魔法使い。
片方は感情で、片方は理屈で、どちらも俺を“継続的に必要な相手”として認識し始めている。
こころの相談窓口、開設四日目。
まだ窓口札の「(仮)」も取れていないのに、予約争いという名の修羅場だけは本採用になりそうだった。




