第3話 相談しただけなのに、彼女がギルドに住み着いた
「……リゼ、朝早すぎませんか。開館まであと一時間ありますよ」
「うん! 知ってる!」
「知ってて待ってたんですか」
「うん!」
満点の笑顔で言われても困る。
朝もやの残る石段の上。
ギルドの分厚い木扉の前で体育座りをしていたAランク冒険者様は、ぴょこんと立ち上がると、妙に誇らしげに胸を張った。
「ナギに一番に会いたくて。ずっとここで待ってた」
「……なるほど」
前世だったら即座に上司へ相談して担当替えを申請するやつだ。
だがここは異世界、しかも心のケアの概念が薄い世界である。俺の胃だけが文明レベル高く悲鳴を上げていた。
「とりあえず中に入ってください。冷えます」
「うんっ!」
リゼは弾むような足取りでギルドに入ってきた。
昨日まで血と泥にまみれていたのが嘘みたいだった。
銀の髪はきれいに梳かされ、防具はぴかぴかに磨かれている。顔色も、少なくとも倒れ込んできた時よりはずっといい。
……回復しているのはいいことだ。
いいことなんだが、回復の方向が若干おかしい気もする。
俺がカウンターの中に入り、帳簿と依頼書を並べ始めると、リゼはすぐ正面の椅子に座った。
両手で頬杖をついて、じっとこっちを見る。
「……リゼ」
「なに?」
「そんなに見られると仕事がしづらいです」
「えっ」
わかりやすく肩が跳ねた。
耳と尻尾があれば、たぶん今ぺたんと寝ている。幻覚だとわかっていても見えるものは見える。
「ご、ごめん。私、邪魔……?」
「そこまで言ってません。視線が強いだけです」
「し、視線……」
「ずっと見つめられると、さすがに緊張します」
「そっか……」
リゼはしゅんとしたあと、何か思いついた顔をした。
「じゃあ、ナギの視界の端っこにいるね!」
「根本解決になってない気がしますが」
「大丈夫。気配を消す」
Aランク剣士の気配消しって何だ。
怖いな。
リゼは椅子を少しずらして、俺の斜め四十五度あたりに移動した。
そしてまたじっと見てくる。
位置が変わっただけだな、これ。
「……まあ、さっきよりはマシということにしておきます」
「やった」
「やった、で片づけていい話かな……」
俺が小さくため息をついたところで、ギルドマスターが眠そうな顔で奥から出てきた。
「朝から来てるのか、リゼ」
「うん。経過観察」
「おお、繁盛してるじゃねえか」
「繁盛の仕方が想定と違うんですよ」
ギルドマスターは豪快に笑っただけだった。
頼りにならない。
* * *
開館してしばらくすると、いつもの喧騒が戻ってきた。
依頼の受付。
素材の査定。
報酬の支払い。
そしてその全部に対する苦情。
「この依頼、報酬安くないか?」
「危険度の再査定が通ってないので据え置きです」
「この前の討伐、俺の貢献度もっと高かっただろ!」
「証人三名が“途中で腰を抜かしてた”と証言してます」
「世知辛ぇ!」
「事実は時に氷のように冷たいものですよ」
いつものように窓口を回していると、すっと横から顔が出てきた。
「ナギ! 経過報告!」
「はい、何でしょう」
リゼが胸を張る。
「さっき、お水を一杯飲みました」
「それは良かったです」
「ちゃんと一気飲みじゃなくて、ゆっくり飲んだ」
「素晴らしいですね」
「褒められた」
満足げに戻っていく。
……うん、まあ、ここまではいい。
数十分後。
「ナギ! 経過報告!」
「今度は何でしょう」
「素振りを十回だけにした」
「ちゃんと“だけ”にできたんですね」
「うん。昨日だったら千回はやってたと思う」
「減らし方が極端だな……でも、無理しなかったのはいいことです」
リゼはまた嬉しそうに戻っていった。
そのさらに三十分後。
「ナギ! 経過報告!」
「はい」
「今、ちょっとだけ眠い」
「寝てください」
「うん!」
言うことを素直に聞くのはありがたい。
ありがたいが、報告の粒度が赤ちゃんの日誌みたいになってきている。
そして一時間後。
「ナギ! 経過報告!」
「ストップ」
俺はペンを置いた。
リゼがぴたりと止まる。
「経過報告というのは、本来もう少し間隔を空けるものです」
「え」
「数十分ごとに、水を飲んだ、眠い、ちょっと元気、を報告されると、あなたの回復より先に俺の業務が死にます」
「そ、そうなの……?」
「そうです」
リゼは目を丸くしたあと、しゅんと項垂れた。
「ごめん……私、人とどう距離を取ればいいかわからなくて。こういう時、何をしてれば正解なのかも……」
「正解は一つじゃないです」
「……」
「でも、少なくとも“ずっと俺に報告し続ける”ではないですね」
言い切ると、リゼはおずおずとこちらを見た。
不安と、反省と、ちょっとした怯え。
また見捨てられるんじゃないか、という顔だ。
そこはちゃんとフォローしておく。
「焦らなくていいです。少しずつ慣れていけばいい」
「……ほんとに?」
「ええ。報告の回数を減らして、自分で休む時間を作る。今日はそれだけで十分です」
「……うん」
その返事のあと、ぱっと顔が明るくなる。
「じゃあ、ナギに迷惑かけないように静かにしてる!」
「その意気です」
「ここで」
「そこは家に帰る選択肢も持ってください」
リゼはこてんと首を傾げた。
今のところ“離れる”という発想がかなり薄いらしい。
俺は嫌な予感を覚えながらも、業務に戻った。
* * *
午後になり、ギルドの混雑が一段落した頃だった。
「あ、あの。薬草採取の依頼について聞きたいんですけど……」
若い女性冒険者が、おずおずとカウンターに近づいてきた。
新人だろうか。革鎧もまだ新しい。
「はい、どの依頼ですか」
「えっと、この――」
女性が紙を差し出しかけた、その瞬間。
ガタッ、と椅子の鳴る音がした。
嫌な予感しかしない。
振り向くと、リゼが立ち上がっていた。
しかも、腰の長剣の柄に手を添えている。
「リゼ?」
「……ナギに不用意に近づく人がいたから」
「お客様です」
「でも、ちょっと顔が赤かった」
「緊張してただけでは?」
「峰打ちくらいはしておいたほうがいいかも」
「しなくていいです」
女性冒険者がひっと息を呑む。
そりゃそうだ。Aランク最強剣士に威圧されて平気な新人がいたら逆に怖い。
「す、すみませんやっぱり別の受付に……!」
「あっ、待ってください、案内だけなら」
「む、無理ですぅぅ!」
逃げた。
俺はこめかみを押さえた。
「……リゼ」
「は、はい」
「他のお客様を威嚇しないでください」
「でも」
「俺は受付です。相談員でもありますが、それ以前に受付です」
「……うん」
「誰かが来るたびに剣を抜かれたら窓口が機能しません」
「抜いてないよ。まだ触っただけ」
「その段階で十分怖いです」
リゼはもじもじと指を絡めた。
「だって……あの子、ナギのこと、ちょっとかわいいなって顔で見てたから」
「本当ですか?」
「剣士だから目は良いよ」
「その観察眼を別のところに使ってください」
奥から、そのやり取りを見ていたギルドマスターが大笑いした。
「おいおいナギ、すっかり懐かれてるじゃねえか」
「懐かれ方が大型肉食獣なんですよ」
「リゼ、お前ここ縄張りにしてるだろ」
「縄張りじゃない。経過観察の場所」
「言い換えてもあんまり変わってませんからね?」
リゼは少しだけ考え込んだあと、真顔で言った。
「じゃあ、テリトリー」
「悪化したな」
* * *
そして、夕方。
俺が帳簿のまとめをしていると、横からどさっと荷物の音がした。
見ると、毛布、水筒、保存食の入った袋がカウンター横に積まれている。
「……リゼ。これは何ですか」
「野営セット」
「見ればわかります」
「ここで夜を明かそうかなって」
「なぜですか」
「だって家に帰ったらナギがいないから」
あまりにも自然に言われて、俺は一瞬言葉を失った。
「ここで寝れば、明日も一番に会えるでしょ?」
「理屈としてはわかるんですが、実行してはいけない類の理屈です」
「だめ?」
「だめです」
即答した。
リゼはしゅんとする。
だがここで揺らぐと、本当にカウンターの下で寝始めかねない。
「リゼ。俺は逃げません」
「……うん」
「見捨てもしません」
「うん」
「でも、だからといって職場に住み着いていいわけではありません」
「……そこはだめなんだ」
「だめです」
俺は引き出しから羊皮紙を一枚取り出した。
木炭ペンでざっと文字を書く。
そしてカウンターの目立つところに貼った。
【冒険者ギルド・こころの相談窓口 注意事項】
・受付カウンター周辺での野営を禁ずる
・相談員の出勤待ちは節度をもって行うこと
・他の相談者に対する威嚇、および抜刀行為を禁ずる
それを見たリゼが、露骨にしょんぼりした。
「……三つとも私に言ってる?」
「察しがいいですね」
「うぅ……」
「ただし」
そこで少しだけ声を和らげる。
「明日の朝も、俺はここにいます」
「……ほんとに?」
「ほんとです。約束します」
「……絶対?」
「絶対とまでは言いませんが、少なくとも無断で消えたりはしません」
「……うん。ナギがそう言うなら、帰る」
大型犬がようやく“待て”を理解したみたいな顔だった。
よし。
これで最悪の事態――ギルド内同棲は回避できた。
俺が心の中で安堵した、その時だった。
コツ、コツ、と硬い靴音が響いた。
広間はまだ騒がしい。
なのに、その足音だけ妙にはっきり耳に届く。
入り口の方を見る。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
流れるような金糸の髪。
濃紺のローブ。
手には宝石の埋め込まれた、どう見ても高級品の杖。
泥と汗の匂いが染みついたこの冒険者ギルドには、ひどく場違いなほど整った姿だった。
王都の学院か、貴族の屋敷からそのまま抜け出してきたみたいな空気がある。
だが、美しい顔色はひどく悪い。
整っているからこそ、その蒼白さが目についた。
彼女はギルド内をひと目見回し、俺のカウンター――そして、その横に貼られた『こころの相談窓口(仮)』の札を見つけると、まっすぐこちらへ歩いてきた。
「あなたが、この窓口の担当者かしら」
透き通った声だった。
綺麗で、冷たくて、少し張りつめている。
「はい。受付兼、相談窓口のナギです」
「……そう。私はフラン」
その名に、周囲がざわめいた。
「おい、あれって……」
「氷炎の才媛フランじゃないか?」
「名門の令嬢が何でこんなとこに」
有名人らしい。
俺も噂だけは聞いたことがある。若くして一流魔導士として名を上げた、王都でも指折りの天才だと。
フランは俺の目をじっと見た。
静かなのに、追い詰められた人特有の硬さがある。
「相談をお願いしたいのだけれど」
「内容によりますが、お話は伺えます」
「私の魔力が、少しずつ落ちているの。治療法を知りたいわ」
その言葉の奥にある“限界一歩手前の焦り”を、俺の耳は拾っていた。
そして同時に。
「ちょっと待って」
すぐ横から、低い声がした。
リゼだ。
いつの間にか俺の隣まで来ていて、右手はまた剣の柄の上にある。
「ナギは今、私の経過観察中なんだけど」
「……相談窓口なら、相談者を選ばないのではなくて?」
フランの視線が冷たく細まる。
杖の先端に、うっすらと青白い魔力が集まった。
やめろ。
相談窓口の前で、Aランク剣士と天才魔法使いが戦闘態勢に入るな。
「二人とも、落ち着いてください」
「でも」
「ですが」
「この窓口はグループセッションではありません」
俺は額を押さえた。
どうしてだろう。
俺はただ真面目に仕事をしているだけなのに、こころの相談窓口開設三日目にして、もう修羅場の気配しかしない。




