第38話 カウンセラーの全肯定と、性別不問の平等な殺意
「……あの、少しよろしいですか?」
薄暗いクリスタル洞窟の奥深く。
岩陰から不意に声をかけた俺に、フリルたっぷりのワンピースドレスを着た『勇者』は、ビクッと肩を跳ねさせた。
「ひゃあっ!? だ、誰だっ!」
勇者は慌てて野太い声を作ろうと咳払いし、自分の身の丈ほどもある巨大な聖剣を構えようとした。
だが、可愛らしいドレスの裾を思いきり踏んづけてしまい、「あわわっ」と情けない声を上げて派手に転んでしまう。
「あー、無理しないでください。そんな重いもの、今は持たなくていいですから」
俺は歩み寄り、転んだ勇者に手を差し伸べた。
フードが完全に外れ、露わになったその顔は、やはり人形のように愛らしかった。長い金髪に、大きな瞳。どこからどう見ても可憐な美少女だ。
「あ、あなたは……?」
「ただの通りすがりの、冒険者ギルドの受付です。ギルドマスターから、勇者様が迷子になっているかもしれないから、様子を見てこいと言われまして」
「っ……! ギ、ギルドの……!」
勇者は顔を青ざめさせ、自分の着ているフリルたっぷりのドレスを隠すように、ギュッと身を縮こまらせた。
「見ないで……! 私、勇者なのに……こんな格好……。皆が求めるような、男らしくて、荒々しくて、強い英雄じゃないんです……っ」
ぽろぽろと、大粒の涙が勇者の瞳からこぼれ落ちる。
「国中のみんなが、私に期待してるんです。魔王を倒す強くてかっこいい勇者だって。……でも、私は本当は、こういう可愛いお洋服が好きで……。剣なんかより、リボンを集める方が好きで……」
勇者は、地面に落ちた巨大な聖剣を、憎むような、恐れるような目で見つめた。
「もし、本当の私を知られたら。みんな絶望して、私を見捨てるんです。誰も私を、勇者だなんて認めてくれない。……それが怖くて、逃げ出してきちゃったんです」
痛いほどの孤独。
世界を救う『役割』と、ありのままでいたい『自分』との間に挟まれ、この子は一人でずっと押し潰されそうになっていたのだ。
「……そうですか」
俺は勇者の隣にしゃがみ込み、その小さな頭を、ポンと優しく撫でた。
「え……?」
「よく似合ってますよ。そのピンク色のリボンも、フリルのドレスも。あなたのサラサラの金髪に、ぴったり合ってて……すごく、可愛いです」
俺は、一切の偏見も、嘘偽りもなく、ただ目の前の事実をフラットに伝えた。
「世界を救う義務と、あなたが好きな服を着る自由は、全く別の問題です。男らしくなくてもいい。荒々しくなくてもいい。……あなたは今日まで、その重い剣を背負って、十分に頑張ってきたじゃないですか」
その言葉を聞いた瞬間。
勇者の大きな瞳から、せき止めていたダムが決壊したように、とめどなく涙が溢れ出した。
「う、あ……あぁぁっ……!」
「泣いてもいいんですよ。ここでは誰も、あなたに勇者であることを強要しませんから」
俺の言葉に重なるように、不意に、背後からリゼが歩み出てきた。
いつもなら「ナギに近づくな」と剣を抜く彼女が、今はひどく優しく、痛みを分かち合うような目をしていた。
「……わかるよ」
リゼは、勇者と同じ目線になるようにしゃがみ込み、そっと微笑んだ。
「期待に応えられなくて、強くないと見捨てられるんじゃないかって……ずっとビクビクして、怖いんだよね。私も、昔はそうだったから」
「あなたも……?」
「うん。でも、大丈夫だよ。ナギは絶対に、そんなことで人を見捨てたりしない。本当のあなたを、絶対に否定しないから」
かつて見捨てられる恐怖に囚われていたリゼが、今度は誰かの痛みに共感し、寄り添っている。
俺は、彼女の確かな成長に胸が熱くなった。
「ナギ、先生……」
勇者は、涙で濡れた顔を上げ、俺の顔を真っ直ぐに見つめた。
その顔は、もう「怯える子ども」のものではなかった。頬をほんのりと朱色に染め、瞳を潤ませた、完全に『恋する乙女』の顔だった。
「私、本当の自分を『可愛い』って言ってくれたの……先生が初めてです」
勇者は、俺の両手をギュッと力強く握りしめた。
めちゃくちゃ力が強い。さすが勇者のステータスだ。手骨が軋む。
「先生……私、先生のためなら、魔王でもなんでも倒してきますっ♡ だから、ずっと私のそばにいてくださいっ!」
とろんとした瞳。甘えるような上目遣い。
それは、見事なまでの転移感情(好意の投影)だった。
「いや、俺のためじゃなくて世界のために――」
俺がやんわりと手を引き抜こうとした、その瞬間だった。
ピキィィィンッ! と、洞窟内の空気が凍りついた。
「「「「…………」」」」
先ほどまで優しく微笑んでいたリゼの顔から、一切の感情が消え失せていた。
フランの杖の先端に、致死レベルの雷撃魔法がチャージされる。
ルナが音もなく背後に回り込み、セラフィーナの目からハイライトが消えた。
「離れなさい、この泥棒猫」
絶対零度の声。
全員の殺意が、MAXに跳ね上がっていた。
「ひぃっ!?」
自分に向けられた本気の殺気に、勇者はパニックになり、俺の手を離して後ずさった。
「ま、待って! 待ってください、皆さん誤解してます!」
勇者はブンブンと首を横に振り、最大の秘密を暴露した。
「わ、私、こういう可愛い服が好きで着てますけど、体は男なんです! 戸籍上も男! 正真正銘の男なんです!! だから、あなた達の恋のライバルにはならないですからぁっ!!」
洞窟内に、悲痛なカミングアウトが響き渡った。
そうだ。彼女……いや、彼は、心は乙女でも、肉体はギルドの資料通り「男」なのだ。同性である俺に色目を使うわけがないし、ヒロインたちもそれを聞けば矛を収めるだろう。
そう思ったのだが。
ヒロインたちは一瞬ポカンとした後――一切の躊躇なく、再び武器を構え直した。
「は? 男とか女とか、そんなの関係ないし! ナギに触って色目を使うやつは全員敵!」
リゼが木剣を上段に構え、牙を剥く。
「性別などという些末なエラーで、私の排除対象から外れるとでも思ったのかしら」
「ナギの時間を奪うなら、男だろうと女だろうと首を落とすわ」
フランとルナが、容赦なく魔法と暗殺術のロックオンを完了させる。
「ナギ様を誘惑する邪悪な存在は、性別問わず、等しく浄化いたしますわ……!」
セラフィーナが、慈愛に満ちた(殺意100%の)笑顔で光の檻を展開する。
それは、性別という概念を完全に度外視した、『平等な殺意』だった。
「……えっ?」
殺されかけているというのに。
勇者はその場にへたり込み、なぜかポロポロと、先ほどとは違う嬉し泣きの涙をこぼし始めたのだ。
「私……『男だからセーフ』って言われなかった……。一人の、恋のライバルとして……扱われてる……!」
狂った平等性が、まさかの形で勇者の承認欲求を極限まで満たしてしまった。
「お前ら、待て! とりあえず落ち着けって!」
「ナギ先生は下がっていてください!」
俺の制止を遮り、勇者は立ち上がった。
その顔は晴れやかで、完全に吹っ切れた女の顔をしていた。
「受けて立つわ、泥棒猫たち! ナギ先生の隣は、一番可愛くて強い私のものよ!」
勇者が、巨大な聖剣を構える。
俺は胃薬を水なしで飲み込みながら、天を仰いだ。
「なんで世界を救う勇者が、恋愛の修羅場に本気で参戦してんだよ……」
洞窟の奥深くで、人類最強クラスの乙女(一部、体は男)たちによる、血で血を洗うキャットファイトの幕が切って落とされたのだった。




