第37話 留守番の大人たちと、世界を救う『可愛い』勇者
ナギと四人(五人)の『歩く厄災』たちが、勇者捜索という名目でSランク霊峰へと出立した日の午後。
トラブルメーカーたちが不在の冒険者ギルドは、数ヶ月ぶりに本来の平穏と静寂を取り戻していた。
……しかし、その静かな時間は、金属鎧の擦れる不躾な足音によって呆気なく破られた。
「――よろしいですか、野蛮な冒険者ども。我が教団の至宝である聖女セラフィーナを、直ちに引き渡していただきましょう」
ギルドの観音開きの扉を乱暴に開け放ち、十名を超える完全武装の聖騎士たちがなだれ込んでくる。
先頭に立つのは、冷酷な目つきをした教団の司祭だった。
突然の教団の強襲に、その場にいた一般冒険者たちが息を呑み、武器に手をかける。
一触即発の空気が流れる中。
カウンターの奥で書類仕事をしていたギルドマスターが、ゆっくりと立ち上がった。
「あいにくだが、嬢ちゃんなら今は留守だ。うちの大事な受付と一緒に、外へ『ピクニック』に行ってる」
ギルマスは、聖騎士たちの放つ威圧感をそよ風のように受け流し、面倒くさそうに首を鳴らした。
「ふざけるな。純潔なる聖女が、男の冒険者とピクニックだと? これ以上、あの薄汚い相談員に聖女を毒牙にかけられてたまるか。今すぐ居場所を吐け!」
司祭が顔を真っ赤にして怒鳴り、背後の騎士たちが一斉に剣を抜く。
だが、ギルマスの表情は全く動かなかった。
それどころか、彼の全身から、目に見えるほどの濃密な『殺気』と、歴戦の猛者特有の圧倒的な覇気が立ち昇った。
「……薄汚い、だと?」
ギルマスの低い声が、冷たい刃のようにギルド内に響き渡る。
それだけで、聖騎士たちの動きがピタリと止まり、数人が恐怖で後ずさりした。
「てめえらが『人形』扱いして使い潰し、心を壊した嬢ちゃんだ。それを、あいつは自分の胃袋と寿命を削りながら、必死に人間として立ち直らせたんだよ」
ギルマスはゆっくりとカウンターを乗り越え、司祭を見下ろした。
「そんなあいつの特等席から、嬢ちゃんを奪って、また元の地獄に引き渡すような真似をしてみろ。……俺が、あいつに顔向けできねえんだわ」
「ぐっ……た、たかが一介のギルドマスターが、神の代行者である我々に逆らう気か!」
司祭が冷や汗を流しながら虚勢を張る。
ギルマスは、鼻で笑った。
「逆らう? 勘違いするな。俺はただの『窓口』だ」
ギルマスは腕を組み、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「いいか? 今、てめえらが踏み込もうとしてるのは、全世界の冒険者ギルドの総意だ。もし一歩でも無理に踏み込めば……明日から教団の物資輸送の護衛も、魔物討伐の依頼も、一切の支援を打ち切る。全世界のネットワークを敵に回す覚悟があるなら、やってみろ」
純粋な暴力ではない。
組織を束ねる大人としての、圧倒的で冷酷な『兵糧攻め』の宣告。
「なっ……!?」
その言葉の重みに、司祭の顔面から完全に血の気が引いた。
教団の権威も、冒険者ギルドの実務的な武力と支援がなければ成り立たない。それを一番理解しているのは彼ら自身だ。
「……退くぞ。今日のところは、これで勘弁してやる!」
司祭は捨て台詞を吐き、聖騎士たちを連れて逃げるようにギルドから立ち去っていった。
扉が閉まると同時に、ギルド内に安堵の歓声が沸き起こる。
「やれやれ。うちの受付は、とんでもない厄介事を引き寄せる天才だな」
ギルマスは大きくため息をつきながら、再びカウンターの椅子にどっかりと腰を下ろした。
「……ナギ。こっちの面倒は片付けたぞ。お前はせいぜい、外で自分の仕事を全うしてこい」
ギルマスの呟きは、誰に聞かれることもなく、静かなギルドの空気に溶けていった。
* * *
一方、その頃。
俺と四人のヒロインたちは、古竜もとい中間管理職哀愁おじさんの助言に従い、霊峰の中腹にある『クリスタル洞窟』の奥深くへと足を踏み入れていた。
「ナギ、静かに。この奥に誰かいるわ」
先頭を歩いていたルナが、闇に溶け込むような動きで身を屈め、小さく手招きをした。
薄暗い洞窟の最奥。
発光する巨大な水晶群に囲まれた開けた空間に、一つの人影があった。
「あれが……世界を救う勇者?」
俺は岩陰から顔を出し、その姿を見て、思わず目を疑った。
水晶の光に照らされて浮かび上がったのは、身の丈ほどもある武骨で巨大な『聖剣』。
そして、その聖剣を布で一生懸命に磨いているのは――。
「んしょ、んしょ……はぁ、重たいなぁ、これ」
鈴を転がすような、高く愛らしい声。
深々と被っていたフードがふわりと落ち、サラサラの金髪がこぼれ落ちる。
ピンク色のリボンに、たっぷりとフリルのついた可愛いワンピースドレス。
華奢な肩。長い睫毛。人形のように整った愛らしい顔立ち。
どこからどう見ても、箱入り娘の『可愛い女の子』にしか見えない人物が、そこにいた。
「……あの、ルナ? 勇者って屈強な男だって、ギルドの資料には……」
「そう聞いていたけれど。私の目にも、可憐な少女にしか見えないわ」
「非論理的ね。あの巨大な聖剣から放たれる魔力波長は、間違いなく勇者特有のものよ」
俺たちが困惑していると、不意に、その『女の子』が大きなため息をついた。
「はぁ……もうやだなぁ。なんで私が、こんな重くて可愛くない剣を振らなきゃいけないのかなぁ……」
彼女(?)は、大きな聖剣の刀身に自分の顔を映し込み、フリルの裾をちょこんと摘んでポーズをとった。
「せっかくこのお洋服、頑張って作ったのに。お城の皆も、町の人たちも、誰も褒めてくれないんだもん。『勇者らしく男らしくしろ』ばっかりで……。もう、世界なんてどうでもいいかも……」
ぽつり、ぽつりと零れ落ちる、切実な本音。
それは、世界を救う強き英雄の姿ではなく。
周囲からの期待と、本当の自分とのギャップに押し潰され、誰にも理解されずに引きこもってしまった、一人の孤独な子どもの姿だった。
「……ナギ様。どうなさいますか?」
セラフィーナが、そっと俺の耳元で囁く。
どうするも何もない。あんな風に、誰にも言えない本音をこぼして泣きそうになっている相談者を前にして、俺が取る行動は一つだけだ。
「よし。……ちょっと、行ってくる」
「ナギ!?」
リゼが止めるのも聞かず、俺は岩陰から歩み出た。
世界を救う義務と、自分らしくありたいという願い。
その重すぎる板挟みに苦しむ勇者のための、出張カウンセリングの時間だ。




