第36話 古竜(中間管理職)の哀愁と大人の胃薬
『グルルルルォォォォォォッ!!』
Sランク指定の霊峰。
その頂上付近で、神話の時代から生きるとされる古竜が、空気を震わせるほどの恐ろしい咆哮を上げた。
圧倒的な質量と、周囲の魔素を根こそぎ奪うような強大なプレッシャー。
普通の冒険者なら、その姿を見ただけで心が折れ、膝から崩れ落ちてしまうだろう。
だが、俺の隣にいる四人のヒロインたちは、少しも怯まなかった。
いや、怯まないどころか、明確な『怒り』を露わにしていた。
「ちょっと、うるさいじゃん! ナギのお弁当に灰が入ったらどうするの!」
「非論理的な騒音ね。管理者の聴覚器官への悪影響を確認。直ちに消去するわ」
「お兄さんのお耳が痛くなっちゃう! ルナ、やっちゃって!」
「……ええ。ナギの安らぎを脅かす存在は、私が全て切り刻むわ」
「ナギ様、恐ろしいですよね? さあ、今のうちに私の胸に顔を埋めて……」
ドゴォォォォォンッ!!
俺が「待て、まずは対話を――」と口を開きかけた瞬間には、全てが終わっていた。
リゼの神速の斬撃が古竜の硬質な鱗を砕き、フランの極大魔法が視界を白く染め上げ、ルナの暗殺術が竜の急所を的確に穿つ。
そしてトドメとばかりに、セラフィーナの放った『浄化の光』が、古竜の巨体を優しく、かつ容赦なく包み込んだ。
『ギャアァァァァァァッ!?』
古竜は悲鳴を上げ、ズドォォンと地響きを立ててその場に倒れ伏した。
遭遇から、わずか三秒。
神話の生物は、ただ「お弁当の邪魔」という理不尽すぎる理由で、完膚なきまでにボコボコにされてしまったのだった。
「よし、片付いたね! ナギ、お弁当にしよ!」
「周囲の安全を確保したわ。さあ、シートを敷いてちょうだい」
ヒロインたちは何事もなかったかのように武器をしまい、ルンルン気分でバスケットを開け始めている。
俺は頭を抱えた。
「お前らなぁ……相手は一応、この山の主だぞ? 少しは手加減というか、情緒ってものをだな……」
「だって、ナギとのピクニックを邪魔するんだもん。生かしておいただけで感謝してほしいくらいよ」
リゼがむすっと頬を膨らませる。
ため息をつきながら、俺は白煙を上げている古竜の巨体に近づいた。一応、息はあるようだ。治癒魔法をかけてやった方がいいかもしれない。
「……ん?」
古竜の巨体を覆っていた土煙が晴れると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「もう、勘弁してくださいよ……。私、ただでさえ最近、胃に穴が開きそうなんですから……」
巨大な竜の姿はどこにもない。
代わりにそこには、頭に立派な角を生やした、くたびれた文官風のローブを着た中年男性が、涙目で正座していたのだ。
ローブはところどころ擦り切れ、丸まった背中がひどく小さく見える。
「えっ……おじさん、誰?」
「私ですか? 私はさっきまで皆さんの目の前にいた、この霊峰の主です……。ダメージを受けすぎると、魔力節約のためにこの人型になってしまうんですよ……いてて」
角の生えたおじさん(古竜)は、ローブの膝についた土を払いながら、弱々しくため息をついた。
その背中からは、強大なモンスターとしての威厳は欠片も感じられない。あるのはただ、組織の歯車として擦り切れたような、強烈な『哀愁』だけだった。
「あの……大丈夫ですか?」
俺は思わず、持参していた水筒の温かいお茶をコップに注ぎ、彼に差し出した。
おじさんは「あ、どうもすみません……」とペコペコ頭を下げて、両手でコップを受け取りお茶をすする。
「はぁ〜、沁みますねぇ……。あなた、こんな恐ろしい女性たちを引き連れているのに、随分と常識的な方なんですね」
「まあ、色々と苦労してまして……。胃に穴が開きそうって言ってましたけど、何か悩みでもあるんですか?」
俺がそう問いかけると、古竜のおじさんは堰を切ったように愚痴り始めた。
「聞いてくださいよ! 最近、魔王軍の『組織改革』とやらで、上層部が異常にピリピリしているんですよ! なんでも『勇者が全然来ないせいで予定が狂う』とかで、八つ当たりみたいに現場へ無茶なノルマを課してきて……」
「勇者が来ないせいで……?」
どこかで聞いた事ある話だな。
すると、俺の脳裏に、あの『匿名相談者』からの手紙の文面がフラッシュバックした。
いや、まさかな。
「そうなんですよ。私みたいに辺境でのんびりやっている古竜の縄張りまで、『魔王軍の直轄地にするから明け渡せ』って地上げされそうになっていまして……。板挟みで、毎日毎日胃薬が手放せないんですぅ……」
おじさんはローブの懐から、しわくちゃになった薬の包みを取り出し、ぽろぽろと涙をこぼした。
「……わかりますよ、その気持ち」
俺は深く頷き、自分のポーチから常備している胃薬を取り出した。
「上層部の無茶振りと、理不尽な現場との板挟み。間に立つ人間の胃袋は、常に削られ続ける運命なんですよね。……これ、よく効く漢方なんで、良ければどうぞ」
「うぅっ……あなた、本当にいい人ですね……! ありがたく頂戴します……!」
種族を超え、立場を超え、霊峰の山頂で『疲れ果てた大人同士の絆』が芽生えた瞬間だった。
俺とおじさんが並んで胃薬を水で飲み下していると、不意にフランが一歩前に出た。
「……完璧を求める上層部の重圧。それは、ひどく理解できるわ」
フランは、普段の冷徹な声ではなく、どこか共感を帯びた声で言った。
「システムを維持するために、現場のリソースを無視して『常に百点』を要求する。その非論理的な負荷がどれほど内部を破壊するか……以前の私ならともかく、今の私にはよくわかるわ。同情するわ、竜の管理者」
「お嬢ちゃん……あなたも色々あったんですね……」
おじさんが、フランの言葉にホロリと涙ぐむ。
俺は密かに感動していた。
かつて、「百点以外は無価値」と自分を追い詰め、他者にも厳しかったあのフランが、こうして誰かの『完璧を求められる苦しみ』に共感できている。
俺のやってきたカウンセリングは、確実に彼女たちを成長させているのだ。
「で、おじさん。勇者がどこにいるか知らない? ナギはそいつを探しに来たの」
リゼが、お弁当のサンドイッチを頬張りながら尋ねた。
おじさんはハッとして、周りをキョロキョロと見回してから、声を潜めた。
「……実は、ここから少し下った中腹に『クリスタル洞窟』という場所があるんですが……最近、そこにやけに巨大な剣を背負った人間が隠れ住んでいるのを見たんです」
「本当ですか!?」
「ええ。でも……おかしいんですよね。勇者って屈強な男のはずなのに、私が見たその人物は、なんというか……やけにフリフリで、可愛い服を着た女の子だったんです」
フリフリで、可愛い服を着た女の子?
俺は首を傾げた。ギルドの情報によれば、勇者は間違いなく「男」のはずだ。
「と、とりあえず、その洞窟に行ってみます。貴重な情報、ありがとうございました」
「いえいえ! あなた、もし勇者に会ったら『早く仕事して魔王軍を落ち着かせてください』って伝えてくださいよ! 私の胃壁を守るために!」
古竜のおじさんに見送られながら、俺たちは霊峰の中腹、クリスタル洞窟へと向けて歩き出した。
匿名相談者の手紙、古竜の愚痴、そして『可愛い服を着た勇者』。
俺の中で、いくつものバラバラだったパズルが、少しずつ繋がり始めようとしていた。




