第35話 五人のヤンデレと霊峰ピクニック——古竜は三秒で沈んだ
『……定期的に私の元へやって来るはずの勇者が、ここしばらく全く姿を見せないのです』
冒険者ギルドの「こころの相談窓口」。
俺はデスクの上の漆黒の便箋を見つめながら、こめかみを強く揉みほぐしていた。
匿名相談者からの手紙。
そこに書かれていたのは、「勇者が来ないせいで部下が手持ち無沙汰になり、縄張り争いが起きて困る」という、中間管理職のような世知辛い愚痴だった。
勇者が来ないと手持無沙汰になるという人々がどんな存在かは考えない様にしよう。余計に頭が痛くなりそうだ。
しかし、世界を滅ぼすだのなんだのと物騒なことを言っていた相手が、まさか勇者のスケジュール管理で胃を痛めているとは。
「おい、ナギ。また面倒なもんでも抱え込んでるのか?」
不意に頭上から声が降り注ぎ、分厚い手が俺の肩をポンと叩いた。
「ギルドマスター……」
顔を上げると、歴戦の傷跡を顔に刻んだ筋骨隆々の巨漢――この冒険者ギルドを束ねるマスターが、面白がるような笑みを浮かべて立っていた。
「ちょうどよかった。お前に一つ、特命を下す」
「特命? 嫌な予感しかしないんですが」
「最近、魔王討伐に向かっているはずの『勇者』一行からの定期報告が途絶えてる。どこで何をしてるのか、ちょっと様子を見てきてくれ」
俺は持っていたペンを落としそうになった。
「はぁ!? いやいや、俺はただの相談窓口の受付ですよ! 戦闘力ゼロの一般人が、勇者の捜索なんてできるわけないでしょう!」
「お前ならできるだろ。勇者が死んだり魔物に敗れたりしたって報告は一切上がってねえ。つまり、あいつらは『物理的』に足止めを食らってるんじゃない」
マスターはニヤリと笑い、俺の胸元を指差した。
「勇者という重圧に押し潰されたか、道を見失ったか……要するに『心』の問題で引きこもってる可能性が高い。なら、専門家であるお前の出番だ」
「……っ」
痛いところを突かれた。
確かに、身体的な怪我なら治癒魔法でどうにでもなるこの世界で、勇者の足が完全に止まっているのなら、精神的なトラブルの可能性は極めて高い。
「……わかりましたよ。行けばいいんでしょう、行けば」
俺は深くため息をつきながら、席を立った。
普段なら絶対に断るような無茶振りだが、俺はこのギルドマスターの頼みだけは、どうしても無下にできなかった。
――数年前。
俺がこの異世界に転移してきたばかりの頃。
俺にはチート能力はおろか、剣の才能も魔法の才能も一切なかった。
言葉も常識もわからず、裏路地で雨に打たれ、心身ともに限界を迎えて路頭に迷っていた俺に、温かいスープとパンを与えてくれたのが、他でもないこのマスターだった。
『お前、力はねえが、他人の顔色を見るのだけは異常に上手いな。……明日からうちのギルドで、受付でもやってみるか?』
あの言葉がなければ、俺は今頃、裏路地でのたれ死んでいたはずだ。
俺に生きる意味と、この「窓口」という安全な居場所を与えてくれた大恩人。その恩を返すためなら、勇者の捜索くらい引き受けるしかない。
「素直でよろしい。……ああ、それとな」
マスターは、窓口の周囲を取り囲むように設置されている真新しい治癒院の天幕や、床に刻まれた焦げ跡(ヒロインたちの牽制の痕跡)を顎でしゃくった。
「お前があのヤバい娘たちを更生させてくれたことには感謝してるが……最近、お前を巡る身内争いでギルドの備品が壊れまくっててな」
「あー……すみません」
「だから、あの歩く厄災どもも一緒に連れて行け。外で思いっきり魔物でも狩らせて、少しはガス抜きさせてこい。あれだ、カキピーとかいうやつだ」
「……セラピーです」
なるほど、それが本命の理由か。
俺が苦笑した、まさにその時だった。
「ナギと外でお仕事!? 行く行く、絶対に行く!!」
いつの間にか背後に回っていたリゼが、俺の背中にガバッと抱きついてきた。
「フィールドワークね。ナギの安全を確保するための、完璧な護衛プロトコルを構築するわ」
「お兄さんとピクニックだー! ルナ、お弁当の準備して!」
「……ええ。ナギに近づく害虫は、私が夜の間にすべて駆除しておくわ」
「抜け駆けは許しませんよ。ナギ様の健康と安らぎは、この専属ヒーラーである私が完璧に管理いたしますから」
フラン、ルゥとルナ、そしてセラフィーナ。
四人のヒロインたちは、「ナギの護衛」という大義名分を得て、完全にピクニック気分で目を輝かせていた。
「おいおい……勇者捜索だぞ。遊びに行くんじゃないんだからな?」
「わかってるって! さあナギ、早く行こ!」
俺の抗議も虚しく、俺はヒロインたちに両腕を引かれ、強制的にギルドの外へと連れ出されてしまった。
* * *
数日後。
俺たちは、勇者が目撃されたという噂のある、Sランク指定の霊峰の麓に到着していた。
「……やっぱり勇者はこんな超危険地帯にいるものなのか?」
「私、分かんない。でも、ここなら他の冒険者もいないし、ナギを独占できるから最高だと思う!」
「頭の悪い回答ね。でも、同意するわ」
リゼとフランが上機嫌で先を歩く。
Sランクの霊峰だというのに、俺は一滴の汗もかいていなかった。
それもそのはず。
フランの多重結界魔法で温度と湿度は常に快適に保たれ、ルナの索敵で魔物は俺の視界に入る前に全滅し、足が疲れる前にセラフィーナから無詠唱の治癒が飛んでくるからだ。
戦闘力ゼロの受付男が、人類最強クラスの四人から過剰すぎるバフと保護を受けながら、まるで王族の散歩のような優雅さで山を登っていく。
「これ、勇者捜索っていうか……ただの異常な大名行列だよな」
俺が苦笑いしながら歩みを進め、山の開けた頂上付近に差し掛かった時のことだった。
『グルルルルォォォォォォッ!!』
突如、空気を震わせるような恐ろしい咆哮と共に、巨大な影が俺たちの前に降り立った。
見上げるほどの巨体。硬質な鱗と、鋭い牙。
この霊峰の主――神話の時代から生きるとされる、古竜だった。
「ひぃっ!?」
「あーあ。お兄さんとのお弁当の時間なのに、お邪魔虫が出ちゃったね」
「……ナギ、少し耳を塞いでいてくださいね。すぐに『浄化』いたしますから」
「……」
俺が悲鳴を上げる暇もなく、ルゥは嬉々として短剣を構え、セラフィーナは慈愛の笑顔で極大の光魔法を練り上げ、リゼとフランが一瞬で戦闘態勢に入る。
世界を救う勇者を探す前に。
まずは、この不憫な古竜の命を救う必要がありそうだった。




