第32話 孤独は、人類を滅ぼしても治りません
【まえがき】
※3/25 22:00時点の前話(31話)次回予告とタイトルが異なりますが、正しく32話です。なお、前話の次回予告は修正済みです。
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聖女の「私が独占します」宣言によってギルドが凍りついたあの日から、俺の周囲の環境はさらに混沌を極めていた。
牽制し合う三人のヒロインと、最強の盾である『無償の善意』を構えて一歩も引かない聖女。
四つ巴の冷戦状態が続く中、俺は精神的な疲労を抱えながらも、なんとか窓口業務をこなしていた。
そんなある日の昼下がり。
俺はギルドの隅にある『目安箱』の底から、見覚えのある漆黒の封筒を見つけた。
赤い封蝋。宛名は「こころの相談窓口のご担当者様」。
あの『匿名相談者』からの、三度目の手紙だった。
「歩み寄りはできたんだろうか……」
俺はペーパーナイフで封を切り、中身を取り出した。
前回、俺は「相容れない相手でも、共通の目的を見つければ歩み寄ることはできる」と返信した。それに対する結果報告のようだ。
達筆な文字を、静かに目で追う。
『前略 こころの相談窓口のご担当者様。
ご助言いただいた「共通の目的による歩み寄り」について、熟考の末、対話を試みてみました。
しかし、結果は惨憺たるものでした。
彼らとの間にある断絶はあまりにも深く、私の言葉は曲解され、更なる恐怖と拒絶を招くだけに終わりました。
誰にも理解されない。誰とも繋がれない。歩み寄ろうとしたからこそ、己の存在が決定的に『異物』なのだと思い知らされました。
この絶対的な孤独は、永い時を生きるほどに深まるばかりです。
改めてお尋ねいたします。
もし、私を拒絶するこの世界をすべて一括消去してしまえば、この凍りつくような孤独も消え去るのでしょうか。いかがお考えでしょうか』
……重い。
今までの「面倒だから滅ぼす」というニュアンスとは違う。
文面からひしひしと伝わってくるのは、圧倒的な『孤独』と、誰にも理解されないことへの『絶望』だった。
相容れない相手と歩み寄るのは、簡単なことじゃない。
拒絶されれば、前よりもずっと深く傷つく。その痛みに耐えかねて、いっそすべてを壊してしまいたいと願う衝動は、臨床の現場でも決して珍しいものではなかった。
俺は新しい便箋を取り出し、すぐさまペンを走らせた。
『お手紙、確かに受け取りました。
歩み寄りを試みられたその勇気と、拒絶された痛みに、心より敬意を表します。
ですが、すべてを消去したとしても、あなたのその凍りつくような孤独が消え去ることはありません。
すべてを壊した後に残るのは、誰の声も届かない、永遠に続く『完全な孤独』だけです。
孤独は、人類(相手)を滅ぼしても治りません。
辛いかもしれませんが、不可逆な決断を下す前に、どうかその絶望的な孤独の痛みを、もう少しだけ私に聞かせてくれませんか』
インクを乾かしながら、俺は小さく息を吐いた。
「ナギ様。……また、その方と文通をしておられるのですか」
不意に、背後から温かい声が降ってきた。
いつの間にか俺の後ろに立っていたセラフィーナが、そっと俺の肩に極上の手触りのブランケットをかけてくれていた。
「セラフィーナさん。……ええ、少し深刻な相談なので」
「人類を滅ぼすかどうか迷っているという、あの悪戯の手紙ですね。ナギ様は、顔も見えない、狂人かもしれない相手にまで、ご自身の心を砕いておられるのですね」
彼女は、俺の書いた返信の文面を静かに見下ろした。
その瞳には、呆れではなく、ひどく切実な痛みが宿っている。
「あなたは、誰に対しても自己犠牲的に誠実すぎます。だから……容易に壊れてしまうのですよ」
セラフィーナは俺の横に回り込み、温かいハーブティーの入ったカップをそっとデスクに置いた。
そして、柔らかなハンカチを取り出し、俺の目の下にできたクマを優しく、本当に愛おしそうに拭う。
「さあ、業務は一度中断して、温かいお茶を飲んでください。少し、肩も凝っておられますね」
「あ、いや、今は自分で……」
「いけません。ナギ様はご自身の限界に無自覚すぎます」
彼女の白く細い指先が俺の首筋に触れ、淡い治癒の光が注ぎ込まれる。
強制的な疲労回復。絶対的な善意による、逃げ場のない過剰ケア。
窓口の遠くの方から、「またあの聖女がナギに引っ付いてる!」「ちょっと、どきなさいよ!」「抜け駆けは許されないわ!」と、リゼたちの騒ぐ声が聞こえてくる。
俺は、押し寄せる善意の圧力と、ヒロインたちの騒乱による板挟みで、胃がキリキリと痛むのを感じた。
「ははっ……大丈夫ですよ、セラフィーナさん。俺は全然、平気ですから。ちょっと窓口が賑やかなだけで――」
俺がいつものように、波風を立てないための『営業スマイル』を作って笑いかけた、その瞬間だった。
セラフィーナの手が、ピタリと止まった。
「……ナギ様」
彼女は俺の顔を両手でそっと包み込み、俺の目を真っ直ぐに覗き込んできた。
「今、笑って誤魔化しましたね」
「えっ」
「無理をして。自分の痛みを押し殺して。私たちが心配しないように、空っぽの笑顔を作りましたね」
心臓が、どくりと跳ねた。
彼女のその言葉は、あのお祭りの日、俺が治癒魔法をかけ続ける彼女を止めた時に言った言葉と、全く同じだった。
「あなたの瞳は、少しも笑っていません。ただ『自分は相談員である』という機能だけを実行しようとしている。……かつての、私と同じように」
セラフィーナの銀色の瞳が、俺の心の奥底を見透かすように細められる。
彼女はもう、空っぽの機械じゃない。
俺という強烈な依存先(救済対象)を見つけたことで、他者の心の機微を、恐ろしいほどの精度で読み取るようになっていた。
「違っ、俺はただ……」
「隠さなくてもいいのです。ナギ様、あなたは限界なのですから」
セラフィーナは、聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、俺の頭をそっと自分の豊かな胸へと抱き寄せた。
抵抗できない。あまりにも優しくて、甘い暴力だった。
「私が、すべてを癒やして差し上げます。もう、誰の言葉も聞かなくていい。誰の痛みも背負わなくていい。……あなたはただ、私の腕の中で休んでいればいいのです」
耳元で囁かれる甘い声。
俺の臨床心理士としての境界線が、彼女の底なしの『母性』と『過保護』によって、音を立てて崩れ落ちていくのを感じた。
ミイラ取りが、完全にミイラになる寸前だった。




